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第二章 失って得たもの
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確かに、小柄な僕ならばなんとか通れるかもしれないという程度の隙間がそこにはあった。しかし、彼の後ろからは慌てた声が聞こえてくる。
「何言ってるんですか! 引っ張り上げるだなんて、あなたは勿論、俺達だってもう立っているのがやっとだ。特にあなたは出血が酷い。早く治療をしないと」
「そうだ、近衛の騎士もいる。顔を見られる訳にはいかない。すぐにここから去るべきです!」
「お前達は命懸けで俺達を救ってくれたこいつを見捨てるってのか!」
三人は声を荒げて言い合っている。その間にも、僕の頭を掠めて瓦礫が飛んで行く。このままでは彼らも危険だ。それに、彼の仲間の言う通り、あの右足の怪我は一刻の猶予も許されない出血量だった。
僕は静かに首を振った。
「ありがとう、でもまだやることがあるんだ。あなた達は逃げて」
僕にはできることがある。この苦境をひっくり返せるかもしれない能力がある。
もっと早くに気付くべきだったのだ。そうすれば、クリストフ達がこんなに傷付かずに済んだかもしれない。いつだって僕は鈍臭くて、取り返しのつかない失敗ばかりだ。でも、今ならまだ間に合うから。僕なんかにできることがまだあるという事実が、これ以上ない幸せなんだ。
僕は酒場に向き直った。次々と飛んでくる破片にも構わずに、目を閉じ手を組んで祈りを込める。頬や体が破片に傷付けられてちりちりと痛みが走るが、そんなことで祈りを止める訳にはいかない。
ここにいる全ての人が大切なんだ。僕の唯一の居場所なんだ。だから、お願い。力を貸してほしい。
そう強く願って目を開けると、ある冒険者の放った水の加護の力が、氷の槍となってトロフォティグルの四肢に突き刺さり、床に縫い留めた。叫ぶトロフォティグルの喉笛に他の者が放った風の刃が突き刺さる。動きの止まったところを、クリストフの剣が止めを刺した。断末魔の声だけを残してトロフォティグルは灰になって毀れて消えた。
「な、なんだぁ? 急に加護の力が……」
「あぁ……分からんが、残りは二体だ。この勢いでやっちまおう!」
戸惑いながらも、切り替えの早い冒険者達は残りの二体へ向かう。
窮地と知って狙いを絞ったのか、同時にクリストフに襲いかかった残りの二体は、一気に火力を上げたクリストフの火の加護の力で返り討ちに遭い、火だるまになりながら駆け回っている。
己の加護の力が突然増幅したことに、クリストフも不可解な表情を浮かべている。だが、説明するのは後だ。僕が今すべきことはまだ残っている。足手まといにならないようここから逃げ出して、助けを呼びに行くんだ。
僕は勝手口に駆け寄って、隙間を覗いてみた。すると、既に逃げたと思っていた男が、荒い呼吸のまま律儀に待ってくれていた。しかし、僕と目が合うと、男は驚愕に瞳を大きくした。
「お前さん、その髪と目は……」
言われてはっと己の頭に手を遣る。先程の破片の飛来で、被っていたフードが切り裂かれたらしく肩に生地の残骸が掛かっているだけで、ぼろぼろの帽子は調理場の床に落ちていた。慌てて帽子を拾って被ったものの、男にははっきりと見られてしまった。僕が卑しい黒の忌人だと分かってしまった。
僕はその場で立ち竦んだ。忌人と知られた以上、彼らはもう僕に手を差し伸べることはないだろう。しかし、なんとか自力で勝手口を這い出たとしても、その先に三人組が待ち構えているかもしれない。忌人などを助けようとして損をしたと殴られるくらいならまだいいが、彼らは元々僕を攫おうと画策していた輩だ。あの怪我ならば、外で僕をどうにかしようとしても逃げきれるだろうと考えていたけれど、「こいつは忌人だ」と声高に叫ばれたらそうはいかない。街の人々は率先して僕を痛めつけ、彼らの誘拐を助けることだろう。素性が知られ、この酒場に戻ってくることも叶わなくなる。
暴力を振るわれることも怖いが、救援を呼びに行けなくなることが一番恐ろしかった。
僕はクリストフに頼むと言われた。お客さん達にも、僕が助けを呼んでくると約束した。その約束は、必ず守らなければいけないんだ。
逃げ口を失い迷っていると、勝手口の瓦礫の隙間から再び腕が伸ばされた。それと共に、声が掛けられる。
「何してる! 早く来い!」
恐る恐る近づいて、隙間を覗く。男は眉間に皺を寄せて僕を急かした。僕の行動が遅いと咎めるだけで、忌人である僕については何も触れない。罵ることも、態度を変えることもない。そもそも、忌人と知ってなお僕に触れようとする人など今までいなかった。彼の血の気のない必死の表情が、本心から僕を助けようとしていると物語っている。
僕は困惑していた。
「なんで……だって、見たでしょう? 僕は忌人なのに」
「何言ってんだ、忌人ってのは――」
彼の言葉は最後まで聞こえなかった。
猛烈な衝撃で、僕の体が吹き飛ばされたからだ。僕はとうとう調理場からも投げ出され、机の残骸を巻き込みながら酒場の壁に体を強かに打ち付けた。痛みに体が硬直して呼吸ができない。
四つん這いになって咳き込むように背中を丸め、顔だけを上げる。一体何が起こったというのか。
「何言ってるんですか! 引っ張り上げるだなんて、あなたは勿論、俺達だってもう立っているのがやっとだ。特にあなたは出血が酷い。早く治療をしないと」
「そうだ、近衛の騎士もいる。顔を見られる訳にはいかない。すぐにここから去るべきです!」
「お前達は命懸けで俺達を救ってくれたこいつを見捨てるってのか!」
三人は声を荒げて言い合っている。その間にも、僕の頭を掠めて瓦礫が飛んで行く。このままでは彼らも危険だ。それに、彼の仲間の言う通り、あの右足の怪我は一刻の猶予も許されない出血量だった。
僕は静かに首を振った。
「ありがとう、でもまだやることがあるんだ。あなた達は逃げて」
僕にはできることがある。この苦境をひっくり返せるかもしれない能力がある。
もっと早くに気付くべきだったのだ。そうすれば、クリストフ達がこんなに傷付かずに済んだかもしれない。いつだって僕は鈍臭くて、取り返しのつかない失敗ばかりだ。でも、今ならまだ間に合うから。僕なんかにできることがまだあるという事実が、これ以上ない幸せなんだ。
僕は酒場に向き直った。次々と飛んでくる破片にも構わずに、目を閉じ手を組んで祈りを込める。頬や体が破片に傷付けられてちりちりと痛みが走るが、そんなことで祈りを止める訳にはいかない。
ここにいる全ての人が大切なんだ。僕の唯一の居場所なんだ。だから、お願い。力を貸してほしい。
そう強く願って目を開けると、ある冒険者の放った水の加護の力が、氷の槍となってトロフォティグルの四肢に突き刺さり、床に縫い留めた。叫ぶトロフォティグルの喉笛に他の者が放った風の刃が突き刺さる。動きの止まったところを、クリストフの剣が止めを刺した。断末魔の声だけを残してトロフォティグルは灰になって毀れて消えた。
「な、なんだぁ? 急に加護の力が……」
「あぁ……分からんが、残りは二体だ。この勢いでやっちまおう!」
戸惑いながらも、切り替えの早い冒険者達は残りの二体へ向かう。
窮地と知って狙いを絞ったのか、同時にクリストフに襲いかかった残りの二体は、一気に火力を上げたクリストフの火の加護の力で返り討ちに遭い、火だるまになりながら駆け回っている。
己の加護の力が突然増幅したことに、クリストフも不可解な表情を浮かべている。だが、説明するのは後だ。僕が今すべきことはまだ残っている。足手まといにならないようここから逃げ出して、助けを呼びに行くんだ。
僕は勝手口に駆け寄って、隙間を覗いてみた。すると、既に逃げたと思っていた男が、荒い呼吸のまま律儀に待ってくれていた。しかし、僕と目が合うと、男は驚愕に瞳を大きくした。
「お前さん、その髪と目は……」
言われてはっと己の頭に手を遣る。先程の破片の飛来で、被っていたフードが切り裂かれたらしく肩に生地の残骸が掛かっているだけで、ぼろぼろの帽子は調理場の床に落ちていた。慌てて帽子を拾って被ったものの、男にははっきりと見られてしまった。僕が卑しい黒の忌人だと分かってしまった。
僕はその場で立ち竦んだ。忌人と知られた以上、彼らはもう僕に手を差し伸べることはないだろう。しかし、なんとか自力で勝手口を這い出たとしても、その先に三人組が待ち構えているかもしれない。忌人などを助けようとして損をしたと殴られるくらいならまだいいが、彼らは元々僕を攫おうと画策していた輩だ。あの怪我ならば、外で僕をどうにかしようとしても逃げきれるだろうと考えていたけれど、「こいつは忌人だ」と声高に叫ばれたらそうはいかない。街の人々は率先して僕を痛めつけ、彼らの誘拐を助けることだろう。素性が知られ、この酒場に戻ってくることも叶わなくなる。
暴力を振るわれることも怖いが、救援を呼びに行けなくなることが一番恐ろしかった。
僕はクリストフに頼むと言われた。お客さん達にも、僕が助けを呼んでくると約束した。その約束は、必ず守らなければいけないんだ。
逃げ口を失い迷っていると、勝手口の瓦礫の隙間から再び腕が伸ばされた。それと共に、声が掛けられる。
「何してる! 早く来い!」
恐る恐る近づいて、隙間を覗く。男は眉間に皺を寄せて僕を急かした。僕の行動が遅いと咎めるだけで、忌人である僕については何も触れない。罵ることも、態度を変えることもない。そもそも、忌人と知ってなお僕に触れようとする人など今までいなかった。彼の血の気のない必死の表情が、本心から僕を助けようとしていると物語っている。
僕は困惑していた。
「なんで……だって、見たでしょう? 僕は忌人なのに」
「何言ってんだ、忌人ってのは――」
彼の言葉は最後まで聞こえなかった。
猛烈な衝撃で、僕の体が吹き飛ばされたからだ。僕はとうとう調理場からも投げ出され、机の残骸を巻き込みながら酒場の壁に体を強かに打ち付けた。痛みに体が硬直して呼吸ができない。
四つん這いになって咳き込むように背中を丸め、顔だけを上げる。一体何が起こったというのか。
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