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第二章 失って得たもの

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 クリストフは何も言わず、その強過ぎる刺激のまま僕の陰茎を上下に擦り始めた。最早僕の手はクリストフの意思のままに動かされている状態だ。反対の手で口を抑えるがそれすら力なく被さることしかできず、細切れに吐息のような声が漏れてしまう。

「あっ、はっ……ん、あぁッ」

 流石にこれ以上は頭も体もおかしくなってしまいそうだ。クリストフに止めてもらおうと見上げると、危ういバランスで保たれていたはずの彼の瞳の堤防は、とうに決壊していた。瞳の奥に抑えられていたのは、真っ赤に揺らめく炎だった。赤い瞳がこれほど圧倒的な美しさと獰猛さで燃えることを、僕は初めて知った。僕ごと灼き尽くさんばかりのクリストフの熱に、僕の視線は奪われたままだった。

 クリストフは微かな笑みすら浮かべ、炎を燻らせた瞳で僕を捕らえたまま手を動かし続ける。僕はその炎に当てられて頭が真っ白になってしまった。この時ばかりは羞恥心も消え失せ、知らず浮かんできた涙を湛えてクリストフを見つめ返した。もうどうなってもいいとすら思えた。このまま全てをクリストフに委ねたいと思った。

 僕の情けない声と、くちゅくちゅと鳴る水音と、少し荒いクリストフの息遣い。眼前には激しく燃える赤い瞳。絶え間なく与えられる陰茎の刺激。

 吐息がかかるほどにクリストフに顔を近付けられ、その形の良い唇がうっすらと開くと、僕は誘われるままに唇を寄せていた。すると、待ち構えていたクリストフの唇が逆に僕の唇に、舌に食らい付いてきた。これはキスだ、クリストフとしてはいけないことだと思うのに、舌が擦り上げられる度に頭の芯がぼうっとなって、何も考えられなくなる。
 キスはもっと甘やかで密やかなものだと思っていた。こんなに性急で凶暴な触れ合いを、本当にキスと呼んでいいのだろうか。僕は溺れそうになりながら、けれど以前客から無理矢理にされたキスとは確かに違う甘美な痺れを感じ取っていた。クリストフの舌が僕に触れているという事実に、背筋が震えてしまう。

「んぁ、ふ……んんっ……ぁ」

 粘膜が擦れ合って濡れた音が響く。舌を吸われ、唇を優しく噛まれ、僕の口からは吐息と共に声が止まらなくなってしまう。陰茎からも水音は止まず、むしろ大きくなってくる。息苦しさとおかしくなりそうな強い刺激にいよいよ意識すら朦朧となってきた時、チカチカと体の奥で火花のようなものが散った気がした。その迸りは次第に大きく激しくなってきて、得体の知れない、何か途轍もなく荒々しい波が迫って来るようだった。怖くて堪らなくなって、僕は慌ててクリストフにしがみついた。

「あぁッ、あ、や、やだっ……クリストフっ……!」

 瞬間、クリストフの瞳から炎が消え、替わりに焦ったような色が浮かんだ。同時に下履きの中からその手が出て行く。勢い良くベッドから立ち上がったクリストフは、自分の行動が信じられないかのように驚きの表情を浮かべ、決まり悪そうに視線を床に落とした。

「す、すまない。やり過ぎてしまった」

 僕はクリストフの行動を責めたかった訳じゃない。ただ怖くなって縋ってしまっただけだ。どんなに怖いものが来ても、クリストフがいれば大丈夫だと思ってしまったから。
 我儘を言って教えを請うた身でありながら、キスなどして、更に恐怖のあまり独りよがりにクリストフに縋ってしまった僕は、罵られても仕方がないほどの身勝手さだった。謝罪すべきは僕の方だ。
 クリストフが謝る必要はないし、むしろ僕は続けて欲しかった――そう言おうとしたのだけれど、与えられるものに夢中になって貪欲に求めてしまっている自分の浅ましさが無性に恥ずかしくなって、とても口に上せることはできなかった。
 大きな溜息を吐き項垂れているクリストフになんと言おうかと逡巡している内に、クリストフは僕に背を向けた。

「もうやり方は分かっただろう。あとは一人でできるね」

 僕の返事も聞かずクリストフは足早に戸口へ向かい、こちらを振り返りもせず「おやすみ」とだけ声を掛けて、後ろ手にドアを閉めて出て行ってしまった。

 一人ベッドに残された僕は、クリストフを意図せず拒絶し傷付けてしまった後悔で心の中がじっとりと暗くなり、とても自慰のことなど考えられなくなっていた。すっかり狼狽えてどうしようと焦っていたが、今から追いかけたところで既にクリストフは宿を出ているだろう。このまま思い悩んで夜を明かし、更に体調を崩しては一層クリストフに合わせる顔がない。次に会った時に必ず謝って、きちんとお礼を伝えるしかできることはないのだと思い、毛布を被り無理矢理に目を閉じることにした。
 それでもしばらくは体の奥に籠ったままの熱を持て余し寝返りを繰り返していたものの、ここのところ不眠だったのもあり、僕は次第に睡魔に導かれていった。
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