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第八十九話 母ヘレナの語る過去

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影から、スーツ姿のシグレさんが姿を現すと、母さんは僅かに目を見開き、ここ最近では珍しい笑顔を見せた。


「まぁ、まぁ……あなたが、セイラの大切な人なのね」


掠れた声で母さんが言うと、シグレさんは深々と頭を下げた。


「初めまして、シグレ・ロゼと申します。セイラさんとは先日からお付き合いさせて頂いておりまして……」


シグレさんはスラスラと言葉を述べていく。

きっと事前に挨拶の仕方を頭の中でまとめていたのだろうと思うと、また胸が甘い音を立てた。

と、挨拶の途中で母さんが口を開く。


「ええ、セイラから少し伺ってますよ。二人は、番になったのでしょう?」


言いながら、母さんは身を起こそうとする。

身体は辛いだろうが、今だけは起きていたいのだろう。

その想いを汲み、そっと細い背中を支えようと手を伸ばすと、その手にはひょいと花束が持たされた。


「シグレさん?」


「俺が支えるよ。セイラは花を、花瓶に移してくれる?」


「あ……はい!」


シグレさんは母さんの背中をしっかりと支え、丁寧に起こしてくれた。


(……っ)


その光景が、なんだかとても胸に迫り、僕はサッと花瓶の方へ視線を移した。

別に、嫌だったとかそういう訳ではない。

なんというか……自分の親を好きな人が支えてくれているという光景を見てグッときてしまった、というのが一番近いだろうか。


(なんだろう……感動、したのかも)


少しくすぐったいような、そんな気持ち。

僕は花瓶に花を活けると、水を入れに行く為、席を外した。


・・・・・・


セイラが病室を出ていくと、セイラの母ことヘレナはシグレに、ある事を打ち明けた。


「シグレさん……聞いておいて欲しい事があります」


「はい、なんでしょう」


シグレは肩を支えたまま、優しい眼差しを向ける。

ヘレナは少し乱れた息を整え、小さく口を開いた。


「私は、もうあまり長くありません。医者が言うには、持ってもあと三ヵ月です」


「え……!?」


信じ難い言葉に、シグレは僅かに息をのむ。

しかし、このヘレナの瘦せ細った姿が、それは真実だと物語っていた。


(持って三ヵ月……って……)


セイラとよく似た容姿のヘレナからそんな事を聞かされ、シグレは動揺と胸の痛みで、一瞬意識が落ちそうになった。

しかし、今は倒れている訳にも、嘆いている訳にもいかず、シグレは辛い気持ちを一旦胸の奥へ押し込めると、極力落ち着いた声音で聞いた。


「その事、セイラは……」


「知りません。医者にも、セイラには言わないで欲しいと、伝えてあります」


「そん……そう、ですか」


まだ、伝えていない……あと三ヵ月しかないのに?


「……っ」


正直、今のシグレには判断がつかなかった。

セイラに本当の事を伝えた方が良いと思う一方で、ヘレナの意志も尊重したい気持ちはある。

シグレはヘレナの背に枕を当てがい、ゆっくり寄り掛からせると、自分はベッドサイドに用意されていた小さな椅子に腰を下ろした。

そして小さくため息をつくと、俯いたまま呟くように問う。


「……セイラには、辛さを背負わせたくない、という事ですか?」


すると、ヘレナは暫く黙っていたけれど、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


「そうね……といっても、あの子はもう、私が長くない事は分かっていると思います。でも……」


ヘレナは窓の外へ目をやり、話の先を続けた。


「セイラには、ただでさえ心配をかけているし、行きたい高校も、大学も、行かせてやれなかったんです。特に高校は行きたがっていました。けど、あの子はΩだから……。父親は昔、私と離婚して、それ以来、毎月生活費を送ってきてはくれましたけれど……私の薬代とあの子の抑制剤や生活費で、高校へ行かせる費用を蓄える事は出来ず……私が、病弱なのがいけないんです。手術だなんだ、なにかと出費が嵩む、ダメな母親ね……」


そう言って苦笑するヘレナ。

その姿を、シグレは切ない表情で見つめた。


「そんな……仕方のない事だと思います。セイラも辛い時期があったでしょうが、やはり、お母さんが今まで生きていてくれたからこそ、今のセイラが居る。俺は、そう思います」


「ふふ、セイラの言っていた通り、貴方は優しい人なのね。ありがとう」


お礼を言われ、シグレはゆっくりと首を横に振った。

ヘレナは弱々しい笑みを浮かべ、また少し咳き込み、呼吸を整え、話の先を進めた。


「セイラは、中学を出たら早々に施設へ預けました。それが、私に出来る唯一の事でした。施設に行けば、セイラは守られた環境で生きていける……でも、一人部屋だと言ってましたし、人見知りだから友達も出来たかどうか……だから……そう、もういいんです。あの子は今、こうして貴方と幸せになったんだから、もう……そっとしておいてあげたい」


そう言ってゆるゆると首を横に振り、目元を赤くするヘレンに、シグレは小さく頷きながらも両手を強く握りしめた。

そして暫しの沈黙の後、ようやくセイラが水の入った花瓶を持って帰ってきた。




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