上 下
148 / 180
第四部 魔術院と精霊博士

148.迎えの時間

しおりを挟む
 主寝室の窓から、射した朝の光に針葉樹の濃い緑を覆っていた白い雪が溶け、枝葉をつたって、地面へ滑り落ちるのが見えた。地面を覆う白い雪は木の元で小さな山を作っている。
 年が明けて、氷の月――。
 
「そろそろ、時間ですね」

 ルイが彼の手持ちの時計の時間を確かめているのを視界の斜めに見ながら、わたしは頷くともう一度窓から外をる。
 ロタールの屋敷全体にかかっている目眩しの魔術。
 入れ子の箱のように、何重にも掛けられている屋敷の護りの一番外側にある。魔獣や魔物、精霊といった人外ではなく、対人用の護り。
 あらかじめ許可を受けている者か、屋敷の者が招き入れた者以外にはこの屋敷の場所がわからなくなり、延々と深い針葉樹の森の中を彷徨うことになるそれ。
 雪や氷が溶けていくように、白っぽい透明な光が解けていく。

「マリーベル」

 呼ばれて、腕を差し出され、その手を取った。
 ロワレ公ユーグ様に渡された王宮からの書面には、迎えの日時がはっきりと記されてあった。
 時間が聖堂日課の鐘ではないのは、ロタールの屋敷が深い森の中にあるためだろう。
 それともう一つ。王宮の役人は多忙だから鐘の音より時計で時間を計る者が多いため。
 もう直ぐ、王宮の使者がわたしを迎えに来る――わたしはルイの背に両腕を回してその胸に顔を埋めた。

「貴女が着いたら、私もすぐ行きます」

 わたしは微苦笑した。
 屋敷には王都の邸宅とつながる扉があるのに、王都の使者は何日もかけてこのロタールの屋敷までやってくる。そしてわたしは彼らの迎えの馬車に乗り、何日もかけて王都へと移動する。
 馬車を飾る紋章は、わたしを養女としているトゥール伯爵家ではなく、きっと王家のものであるはずだ。
 わたしは一切ロタールとは関わりのない、王妃様の義従妹で精霊博士の準王族。
 だから屋敷から、王都の邸宅経由で王宮へなんて簡単なこともできない。
 はっ、と。
 ルイの胸に顔を埋めたまま、自嘲ともなにともつかない声が漏れた。

「マリーベル……?」

 ほんの一年と半年ほど前まで。
 わたしは、西部北寄りの、小領地の、爵位なしな田舎領主の平民娘だったのだ。
 それが準王族ですって、なんの悪い冗談かと思う。
 本当に、悪い冗談だ。

「ま、今日を迎えるまでは公爵夫人だったわけですから」

 わたしの心中を推し量ったルイに、そんな察しのよさいらないからと文句を言って甘える。
 彼の手がわたしの頬に触れて、顔を上げさせるままに任せて目を閉じる。
 もう何度重ねたのかわからない唇が触れて、触れるだけで離れなかった。
 触れ合わせたまま、しばらくじっとそうしていた。
 ルイだって、すぐに王都で、王様の側に仕えるのはわかっているけれど、いまの距離感で接することは許されなくなるし、互いに遠目に姿を確認する程度になるに違いない。

「ルイが触れることないなんて、耐えられないかも……」 
「どうでしょうね」
「ルイ?」
「そう甘えるようになったのなんて、ごく最近じゃないですか。貴女、結構冷たいですからね。案外あっさりわたしのことなど別に姿も見えなくても平気となるのじゃないですか?」
「ひどいっ」
 
 彼の背に回していた両手を振り下ろすようにして、彼から少し離れて頬を膨らませる。
 心外だ。
 人が、別れを惜しんでしんみりとしていたというのに。

「ルイこそ、これ幸いとまた不特定多数のご夫人と浮き名を流すのじゃないの」
「どうして私がそんな益にもならない、疲れることをしないといけないんです……。一人を選んでしまった後のフォート家の魔術師ですよ、私は」

 瞳の奥まで覗き込むようにわたしを見下ろして、そんなことを言ってきたルイに、少しばかり頬が熱くなる。フォート家の“祝福”は一人を選ばせる。
 その一人はわたしのことだ。
 王様や司祭長様がどんな理由をつけてわたし達の結婚を白紙にし、それをどれだけの人が認めてなっかったこととしても関係ない。
 精霊の“祝福”や、命運の女神に代償を払い指輪を捧げて表明して結んだ、わたし達の婚姻は有効だ。誰にもなかったことになどできない。

「ああ、来たようですね」

 不意にルイが窓へと目をやりながら呟いた。
 遠く森の切れ目を小さな影がこちらに向かって動いているのが見えた。

「支度は?」
「できています。荷物も階下に運んでもらってる」
「でしたら、参りましょうか」

 到着をサロンで待ちましょうと促されて、わたしは頷いた。
 王都の邸宅からロタールのこの屋敷に戻って、この日が来るまでの間を大事に大事に過ごしてきた。
 ルイとだけじゃない、フォート家の使用人の皆や小集落の人々、領内の民……それと。

『本当に、人間って意味がわからないわ』

 ふわふわと天井付近をただよう波打つ金髪。鮮やかな紅色のドレスを着た、暁色の瞳のない眼差しを細める美女の姿を取る、フォート家の守護精霊。

『引き離したところで、“ヴァンサンの子”と姫様の契約にはなんの関係もないのに』
「蔓バラ姫」
「もはや調度同然に気にもしていませんが、夫婦の部屋に知らぬ間にいるの止めてもらえませんか」
『気にしていないならいいじゃない。それに言われなくても、またしばらくこの地を離れるのでしょう』

 瞳がないし、精霊の感情なんてよくわからない。
 けれど、つまらなそうだというのはわかった。
 
『まあいいけど。別に人の居所なんて関係ないから。私、あそこ嫌いなのよね』
「王都に現れるつもりですか? あなた見える人には魔物騒動になるような形で見えるのですから止めてくださいよ」
『お前、失礼よっ! “ヴァンサンの子”のくせにっ!! “ヴァンサンの子”にも及ばない魔術師なんて知らないわ。いいこと、“ヴァンサンの子”のお前が相手にしてあげてもいい最底辺なんだからっ』
「それはどうも、光栄の極みですね」
『誠実さがこもってないわよ!』

 たぶんだけど、守護精霊というだけあって蔓バラ姫はこのロタールの地とフォート家とルイが気に入っている。
 そういえば、前にも王都は好きじゃないようなことを言っていたっけ。
 ルイも。邪険にしているけれど、蔓バラ姫は精霊だ。
 一定の敬意を持っているのだろう、まったく光栄だなんて思っていないような調子だったけれど魔術師は嘘はつけない。まして精霊を欺くような言葉は使えないから光栄は光栄なのだろう。
 
『お前、気をつけなさいよ。 “ヴァンサンの子”』

 その細い腰に回した片腕にもう一方の肘をつくようにして、片頬に手をあてながら蔓バラ姫が呟くように言った。その名の通りにバラの花弁のような鮮やか色のドレスの裾がふわりと揺れる。
 
「蔓バラ姫?」

 蔓バラ姫の言葉に少し不安を覚えて、わたしは彼女に尋ねかけた。
 瞳がないからその目の視線がどこに向けられているのかわからないけれど、なんとなくこちらを向いていながら彼女の眼差しはどこ遠くを見ているように思った。

『お前は魔物まで利用する腹の立つ魔術師だけど、お前自身で取引している点では真っ当よ。“ヴァンサンの子”だもの当然よね……だからお前の腹の立つ命令もきいてやるのよ』
「随分とご立腹なのだけはわかる言葉ですねえ」
『だって腹立つもの。普段まったく顧みないくせに。昔はもう少し私達に敬意を払ったものよ。ま、姫様と一緒になってから多少変わったようだけど』
「なんの話です?」
『……まあ、いずれ忘れられて二度と交わらなくなるのでしょうよ。そしてなにもかもお前達は食い尽くすのだわ。それはいいのお前達の勝手だもの……』
「蔓バラ姫? ですから一体」
『うるさいわね。お前には関係ないわよ、お前のその子や、さらにその子やその先の……お前達人にとってはずっと先の話よ。それはいいのよ。ああそうよ、お前は腹は立つけど真っ当な魔術師よ、でも人のくせにそうじゃないのもいる……お前など格好の餌なのだから』

 精霊は人の都合なんて考えない。
 それは会話にしたってそうだ。一方的に意味のよくわからない、それでいてものすごく気にかかる言葉だけを残して蔓バラ姫は姿を消した。
 
「なんです、一体。あの精霊は……」
「ルイを心配していたのだけはわかったわ」
「それならもっとわかるように情報提供してほしいものですね……敬意だの、先の話だの、餌だのと……」

 たしかに。ルイのいうことはもっともだ。
 教えるのならもっとわかる形で教えてほしい。

「ジャンお爺さんもそうなのよね……」
「地の精霊」
「言葉足らずというか、説明がないから言ってることがよくわからないのよ。おつかいだって……」
「その、時折貴女が口にする、おつかいとはどういったものなのです?」
「ああ、それは――」

 わたしが母様の代わりをしていた、おつかいについて話そうとしたけれど、どうやら時間切れのようだ。
 遠くかすかな馬の蹄の音に、ルイも肩をすくめてわたしに階下へのエスコートの手を差し出した。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ドS騎士団長のご奉仕メイドに任命されましたが、私××なんですけど!?

yori
恋愛
*ノーチェブックスさまより書籍化&コミカライズ連載7/5~startしました* コミカライズは最新話無料ですのでぜひ! 読み終わったらいいね♥もよろしくお願いします! ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ ふりふりのエプロンをつけたメイドになるのが夢だった男爵令嬢エミリア。 王城のメイド試験に受かったはいいけど、処女なのに、性のお世話をする、ご奉仕メイドになってしまった!?  担当する騎士団長は、ある事情があって、専任のご奉仕メイドがついていないらしい……。 だけど普通のメイドよりも、お給金が倍だったので、貧乏な実家のために、いっぱい稼ぎます!!

【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜

船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】 お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。 表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。 【ストーリー】 見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。 会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。 手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。 親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。 いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる…… 托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。 ◆登場人物 ・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン ・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員 ・ 八幡栞  (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女 ・ 藤沢茂  (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。

気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。

sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。 気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。 ※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。 !直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。 ※小説家になろうさんでも投稿しています。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

【R18】騎士たちの監視対象になりました

ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。 *R18は告知無しです。 *複数プレイ有り。 *逆ハー *倫理感緩めです。 *作者の都合の良いように作っています。

本編完結R18)メイドは王子に喰い尽くされる

ハリエニシダ・レン
恋愛
とりあえず1章とおまけはエロ満載です。1章後半からは、そこに切なさが追加されます。 あらすじ: 精神的にいたぶるのが好きな既婚者の王子が、気まぐれで凌辱したメイドに歪んだ執着を持つようになった。 メイドの妊娠を機に私邸に閉じ込めて以降、彼女への王子の執着はますます歪み加速していく。彼らの子どもたちをも巻き込んで。※食人はありません タグとあらすじで引いたけど読んでみたらよかった! 普段は近親相姦読まないけどこれは面白かった! という感想をちらほら頂いているので、迷ったら読んで頂けたらなぁと思います。 1章12話くらいまではノーマルな陵辱モノですが、その後は子どもの幼児期を含んだ近親相姦込みの話(攻められるのは、あくまでメイドさん)になります。なので以降はそういうのokな人のみコンティニューでお願いします。 メイドさんは、気持ちよくなっちゃうけど嫌がってます。 完全な合意の上での話は、1章では非常に少ないです。 クイック解説: 1章: 切ないエロ 2章: 切ない近親相姦 おまけ: ごった煮 マーカスルート: 途中鬱展開のバッドエンド(ifのifでの救済あり)。 サイラスルート: 甘々近親相姦 レオン&サイラスルート: 切ないバッドエンド おまけ2: ごった煮 ※オマケは本編の補完なので時系列はぐちゃぐちゃですが、冒頭にいつ頃の話か記載してあります。 ※重要な設定: この世界の人の寿命は150歳くらい。最後の10〜20年で一気に歳をとる。 ※現在、並べ替えテスト中 ◻︎◾︎◻︎◾︎◻︎ 本編完結しました。 読んでくれる皆様のおかげで、ここまで続けられました。 ありがとうございました! 時々彼らを書きたくてうずうずするので、引き続きオマケやifを不定期で書いてます。 ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎ 書くかどうかは五分五分ですが、何か読んでみたいお題があれば感想欄にどうぞ。 ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎ 去年の年末年始にアップしたもののうち 「うたた寝(殿下)」 「そこにいてくれるなら」 「閑話マーカス1.5」(おまけ1に挿入) の3話はエロです。 それ以外は非エロです。 ってもう一年経つ。月日の経つのがああああああ!

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

処理中です...