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第四部 魔術院と精霊博士

131.波乱の前触れ

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 ルイは王宮に部屋を持っている。
 正確にはお父様のアントワーヌ様が使っていた部屋を、ルイがそのまま引き継ぐ形でフォート家で借り上げているのだけれど。
 さながら王宮の中にあるルイの研究室といった部屋で、魔術書なども多く置いてあるため、特定の王宮使用人かルイが入室を許可した人以外は入れないようにもなっている。
 わたしも実は初めて入った。
 
「手狭ですが、父が色々と施しているものを維持してもいるため、王宮内で寛ぐのに都合はいいのですよ」
「はあ」

 おそらく盗聴防止他諸々なのだろうなあと思いつつ相槌を打つ。
 ロタールの屋敷の隠し部屋や大聖堂の“記憶の箱”のように、ルイの魔力で動くものなのだろうけど。
 一般的な魔術とは異なるらしいアントワーヌ様が色々と施した魔術……ルイもそのすべてはよくわからないと言っている魔術が、他の魔術師に察知できるとも思えない。
 どう考えても、明るみになれば問題になるようなものな気がする。

「奥様、少し髪をお直ししましょうか」
「あ、やっぱり崩れてしまってる?」
「いいえ。ほんの少し残した髪が乱れているだけです。ですが、リュシーさんが完璧にしたのを維持するのが務めですのでっ!」

 なんだか気合いの入っているマルテに任せて、顔の左右に残した髪の筋を直してもらう。
 王宮に到着して馬車を降りた瞬間に突風に見舞われて、綺麗に巻いて整えられていた毛先が乱れてしまったのだ。髪飾りの位置もずれていたようで、長椅子に座っているわたしの背後に回ったマルテが手を動かしている。

「女性は大変ですね」
 
 銀の水差しに用意されていた水を調べた上で、ルイは小さな引き出しが沢山ついているチェストから橙色のきらきらした小さな結晶の粒を取り出した。
 わたしの小指の爪よりも小さなそれを水差しに入れれば、一瞬で水差しから湯気が立つ。

「それって」
「ええ、純度の高い固形燃料の欠片です」
「ロタールの屋敷の外へは持ち出し禁止ではなかった?」

 ルイが作る陽の光の力を凝固した固形燃料は光源としても燃料としても便利なものだけれど、誰でも使えるものだけに、高純度なものは悪用される危険がある。
 
「王宮はなにかと不便ですからね。ごく小さなものを少しだけ」
 
 この部屋では時折自分でお茶を入れているらしい。
 ほぼ専属に近い王宮使用人に頼んでもいいけれど、呼んで持って来させるのに時間がかかることもあって面倒なのだそうだ。
 それはわかる。
 なにしろ王宮は広く、部屋も無数にあるけれど使用人たちが高貴な方々のためにお湯を沸かしたりなにかを用意する場所は限られているし、持ち場ごとに使っていい場所も決められている。
 自分の屋敷のようにはいかない。

「だからって、公爵が下々の仕事を奪うのはあまりいいことではないわ」
「まさか貴女にそれを言われるとは……」

 ルイが入れたお茶を差し出され、ありがとうと受け取る。
 マルテがわたしの装いの乱れを入念に確認しているから、大人しく座っているしかない。
 慌ただしく邸宅を出たけれど、式典の時間までまだ間がある。
 少し手持ち無沙汰だと思っていたら部屋の扉を叩く音がした。
 ルイが尋ねると扉を薄く開いて、なんだか気弱そうな、まだ少女のあどけなさの残る小間使いが来客を知らせ、ルイが頷くとすぐに引っ込んだ。

「あの子がこのお部屋専属?」
「はっきり専属にしたわけではないのですが、ここ近年はほぼ固定されたようにこの部屋の用には彼女が現れますね。無口で言付けに従順で結構ですが」
「それ……同僚から、この部屋の用を押し付けられているだけな気がします」

 貴族とはまた違った理由で、下級の使用人にとってもルイは関わるのが面倒な人のようだ。
 伝説めいた話がたくさんある魔術師で、許可がないと部屋に入れなくしているし、室内にある雑多な物もきっと恐ろしいものに見えるに違いない。
 
「気の毒ね」
「何故です」

 不服そうなルイに、だってと言いかけた時、客人が現れた。
 それも三人。錚々たる面々だ。
 マルテはすっと壁際に下がって控え、一体何事と思いながらわたしも慌てて長椅子から立ち上がると淑女の礼を取る。
 放浪のロワレ公ことユーグ様。
 ソフィー様と、彼女にぴたり寄り添っているのは夫である法務大臣様ではなくお兄様だった。
 言葉を交わしたことはないけれど、顔とお名前なら知っている。
 王族アルブレ家を取り仕切る王子、軍部長官のフィリップ・ダルブレ殿下。
 こうしてソフィー様とお二人で一緒にいると、まったく同じ淡い茶色の髪に琥珀色の瞳で兄妹とすぐわかる。猫の目みたいにややつり上がった目元もそっくりだ。
 元王族の伯爵夫人らしい落ち着きもありながら、小悪魔的な可愛らしい雰囲気もあるソフィー様と比べて、フィリップ殿下は幾分か、皮肉っぽい陰険さを感じる眼差しだけれど。
 
「……ここに押しかけられても困るのですが、ロワレ公」
「密談にはいい部屋と聞いているが?」

 一体誰にと言いたげにルイはわずかに眉を寄せたものの、柔らかな金髪を軽く額の後ろにかき上げながら穏やかな表情を崩さないユーグ様に肩を落とす。
 王様よりたしか三つ歳上で、ルイの数少ない理解者でもあるらしいユーグ様には、王様同様、他の貴族相手のようにそっけない対応は出来ないらしい。
 そういえば、ルイがカトリーヌ様のご息女のアンリエット様をユーグ様に紹介することになったのは、諸国漫遊から戻ったばかりのユーグ様に庭園を案内しろとせがまれて仕方なく応じたためと聞いている。
 案内の途中でたまたま廊下にいたアンリエット様にユーグ様が興味を示したため、体よく彼女に押し付けたそうで、ユーグ様のご嫡男との良縁に発展したからいいものの酷い。
 
「ご覧の通りの部屋です。相応しい歓待はしかねますよ」
「前触れもなく押しかけたのはこちらの側だ。構わんよ。奥方もそうかしこまらず」
「……おそれ入ります」

 わたしがユーグ様に応じたのを合図にしたように、マリーベル様っとソフィー様がわたしの手を取った。

「えっ、あの……ソフィー様?」
「ああ、ソフィーは奥方目当てだ。我々と一緒にときかなくてね」
「はあ」
「はあ、ではありません。マリーベル様ったら公爵邸でお会いしたきり、その後はまったくわからずじまいで」

 ソフィー様の言葉に、あっと声が出そうになったのを飲み込んだ。
 たしかに。
 王宮の状況やら色々と教えていただいたのに、報告の便りを出してもいなかった。
 
「……忘れておりましたのね、わたくしのこと」
「えーとその、その節はありがとうございます。お陰様で……」
「見ればわかります。仲直りなさったようでなによりです」

 ぷっと頬を膨らませるソフィー様に苦笑する。
 
「本当にごめんなさい」
「よろしくてよ。わたくしだって仲睦まじいお二人に野暮なことは申しません」

 長椅子に一緒に座るように誘って、お茶を勧めれば断られた。
 式典や夜宴の前は控えているらしい。
 ユーグ様やフィリップ殿下にも気遣い無用と言われて、元侍女のさがでなんとなく落ち着かない気分にはなったものの、ルイが二人を部屋の奥へと促したので彼に任せることにした。

「大丈夫ですか、マリーベル様」
「発表はされても、実際に白紙になるのは年明けのようですから……いまは」
「でも……でもっ、王妃陛下のお側にいらっしゃるなら、わたくしのところにも遊びに来てくださいな。王妃陛下の義従妹としてお付きになるのですもの。以前のようにお務めがあるわけでもなし」
「やっぱりそうなのかしら……」

 わたしとしては準王族な扱いよりは、侍女として多少でも立ち働いていた方が気が紛れる。
 王妃様の義従妹の侯爵令嬢として社交のお手伝いはすることにはなるだろうから、それなりには忙しいだろうけれど。
 同じ王宮内、王様の側近としてルイがいると、きっと気になってしまうに違いない。
 公に、用件もなく気安く近づくことは出来ないにしても。

「女同士のお喋りの楽しみにマリーベル様を独占したいところですけど、あの嫉妬深い方に睨まれそうですもの。適当な理由をつけてわたくしが取り計らいます」
「ソフィー様、それは」
「お友達の恋は助けたいもの」

 父様に、法務大臣様との縁を取り持ってもらった恩返しにもなると言ったソフィー様にありがとうございますと微笑めば、部屋の奥からやれやれと……やや捻くれた響きの声が聞こえた。

「そういった話は、僕に聞こえるように話して欲しいものではないよソフィー」
「あら、先にお耳に入れておいた方がお兄様だって困らないでしょう。こちらのお部屋は密談にぴったりとユーグ様も仰っていましたし」
大婆おおばば様の件も。揉み消すのがどれほど骨だったか……魔術院に対して軍部が押さえつけられるのは半分。フォート家の魔術師や精霊博士のお嬢さんは軍部では及ばないもう半分の領域だ」

 半分……?
 宮廷魔術師は軍部の管轄なのに、どういうことなのだろう。
 
「オーギュスタンには軍部長官として国王陛下預かりと釘は刺しておいた。魔術絡みはフォート家で抑えるのだな、ルイ」

 軍部と魔術院のことも気になるけれど、フィリップ殿下のルイに対する気安い調子にも少しばかり驚いた。ルイのことを嫌っているわけではないとは聞いていたけれど、ルイと軍部はそれほど友好的な間柄ではない。

「魔術院がマリーベルを要求できるとでも? たしかに魔術教育や研究において軍部は魔術院に口出しできませんが、副総長が魔術院の権限を振りかざすことは出来ません」
「たしか王宮の面倒ごとに、“青髪”が出てくるとは思えないが」

 どうやらユーグ様とフィリップ殿下のお二人は、わたし達のことで魔術院側からなにか横槍が式典の場においても入る心配があることをルイに伝えに来たらしい。
 フィリップ殿下の、軍部長官として釘は刺したとの言葉に、王家としてもわたしのことはあくまで王族に繋がる者として扱いたいらしいことはわかったけれど、その他はさっぱりわからない。

「ソフィー様。魔術院に対して半分ってどういうことですか?」
「魔術って、色々なところで役立っていますでしょう? 水の浄化であったり」
「ええ」
「そういったことまで軍部の下に置いてしまうと、影響力が大きすぎてそれはそれで都合が悪いのです」

 たしかにそうだ。
 飲み水や公衆衛生を支えている魔術が軍部の自由にできるとなったら、その影響力で国を牛耳れる。

「宮廷魔術師は元々応援要請で動く後方支援の特殊技官のような扱いでしたのに、そちらにいらっしゃる魔術師様が大活躍したために特殊部隊として管理しないと危険となって。けれど、そんな規格外な方もそうはいませんもの」
「そうでしょうね」

 魔術師といっても中級魔術以上が扱えるのは、本当に一握りなのだ。
 その一握りの優秀な魔術師だけが宮廷魔術師の資格を持つ。
 でもそんな彼らも何人がかりでないと、肉体さえ限界がなければ無尽蔵の魔力を操れるルイには遠く及ばない。

「だからって軍部がそんな規格外の魔術師を育てたり集めようなんてしたら、それもまた王家の中では由々しきことでしょう」
「はい」

 それは国を転覆しかねない。
 ルイが王国の脅威とされながらも、王家や王宮と距離を置き、要請には応じることで自由を許されているのは、彼一人では流石に国を相手にするには限界があるからだ。
 ロタール領は国境を守る地でもあるのに騎士団は持っていない。東部騎士団に人材を提供し統括組織と連携してはいるけれど、ルイ自身は有事の際の指揮権を持っているに過ぎない。

「ですから、軍部の配下といってもあくまで宮廷魔術師を戒め管理するだけ。魔術院は軍部に報告義務や王の承認した命令や要請に応じる義務はありますけれど、魔術教育や魔術研究においては独立した権限を持っていて、お兄様の権限は及びません」
「そうなのですか」
「そう。過去例のない精霊博士である奥方を、魔術院が寄越せといってきたら、我々もそう簡単には突っぱねられない。厄介なことにこれに関しては国王のロベールもあまり強くは出られない」

 男だけで話そうと思ったが、好奇心旺盛な奥方を交えた方がよさそうだとユーグ様が部屋の奥から戻ってきた。ルイが渋い顔して後ろにつき、わたしを咎めるように見ている。

「どうして教えてくれなかったの?」
「貴女に色々教えると不確定要素が増えるからですよ」

 ルイの返答に、なによそれと内心でぼやく。
 まるでわたしが勝手になにかするみたいに……と、思ったけれど、たしかに社交でなんだか思いがけないことに何度かなってしまっているので言い返せない。

「ユーグ様、国王陛下が強く出られないのはどうしてですか」
「王は“恩寵”の力を持っている。建国神話で語られている力の研究をさせている機関でもあるからね。四大精霊の加護なんてそれにかなり近いと思われるものだろう? その究明を突っぱねるということは解明してはまずいことがあるという隙を生みかねない」
「……わたくし、国外追放でもされたほうがよくはありませんか?」

 思ったことがつい口から出でてしまう。

「あっはははは……っ! 本当に面白いなフォート家の奥方は!」
「笑い事ではありません、ロワレ公」
「私の旅に連れて行くのも便利そうだが……」

 そう言って、ユーグ様は軽く身を屈めわたしの顔をしげしげと眺めると、背筋を伸ばして天井を仰ぐようにして目を閉じた。
 しばらくそのまま、黙ってじっとしているユーグ様に、遅れてやってきたフィリップ殿下が額を押さえる。

「なにを占っている」
「占い?」
「ロワレ公は、厄除けの才があるらしいのですよ。私もよくわかりませんけどね」
「なに、勘が強いというだけだ。だが当たるんだよこれが。ふむ、どうもあまりよくない気がするな」
「はあ」
「東の大陸など面白そうな気もするが、どうも阻まれている感じがしてならない」

 阻まれている?

「当たり前です。マリーベルを誰に任せるつもりもありませんよ」
「ルイ」
「……報告で知ってはいたが、実際この目で見るとなかなか驚くべきものがある」

 ちっとも驚いていない冷めた様子で、フィリップ殿下がそうルイに向かって言ったのに、報告ってなんなのかしらと首を傾げる。

「さて、伝えることは伝えたところで我々は戻るか。ロベールの近くにいなければいけないし」
「ソフィーも、あの堅物をあまり放置するとまた拗ねるぞ」
「お兄様! グレゴリーはルイ様とは違います! でも、たしかに装いを見てあげなければ……マリーベル様、また式典の場で」
「ええ。ソフィー様」

 ユーグ様とフィリップ殿下の二人にも挨拶をして、急に静かになった部屋でルイと顔を見合わせる。

「“青髪”って?」
「耳聡いですね。魔術院総長のことですよ」
「その方って、ルイの……」
「一応の師です」
 
 レイモン・フラメルという名前とアントワーヌ様の共同研究者で精霊文字に精通していることしか知らない、魔術院の総長。

「魔術院の権限を振りかざして、ロベール王に直接なにか言えるとしたら彼だけです。ですが王宮どころか、私以上に、王家だ貴族だ利権がどうのといったことにはまったく興味も関心も持たない人ですからまず心配ありませんよ」

 ルイ以上に興味も関心もないなんて相当だ。
 それで魔術院を束ねていけるのかしらと思いかけて、ああだから実質的な実権は副総長が握ってるって言っていたのかとようやく腑に落ちた。

「そう。どうして“青髪”なの?」
「髪が青いからです。半分精霊で魔術師という人なので」
「え!?」
「リュシーと同じく、精霊の世界に行って戻ってきた人で……」
「精霊の取り替え子?」
「取り替え子というのか……ついていったらしい。普通は赤子ですが、少年になって攫われたらしく、かなり長く精霊の子として過ごした」

 ルイの話によると。
 普通、精霊の子となると人だったことは忘れてしまうらしい。
 
「ですが何年かして急に思い出して、親や知人がどうしているかと戻ってきたと。年月が経ち過ぎて誰もいなくなっていたらしい。攫われる前は魔術師の真似事をしていた平民の父親と暮らし、父親より魔術の素質があった。それで懐かしんで、魔術をやってみたらできた」

 精霊として過ごしていた年月が長く、ほぼ精霊に変容していて同時に人間の記憶と魔術の知識があれば、簡単に魔術師になれたでしょうねとルイは言った。

「ところが精霊を魔術を構築する要素と考える魔術師になったためか、彼は精霊の世界に戻れなくなった。戻りたいそうで精霊だった頃の記憶を生かし精霊文字を研究しています。精霊らしい気紛れはあるものの基本的に世俗のことに興味はない。魔術院の中で彼独自の隠し部屋に籠り、居場所すらよくわからない人です。貴女のこともまだ誰からも聞いていないかも」

 あまりに特異なため、魔術院に実質閉じ込めておくために総長とされているらしい。
 魔術院の権限なんて覚えているかも怪しいとルイは肩をすくめた。
 相当に変わった人というか、存在のようだ。

「副総長も居所を知らないのですか?」
「ええ。私は魔力が妙だから手伝えと突然壁から出てきた手に引っ張られ、一方的に弟子にされて彼の実験を手伝わされました。まあ興味深くはあり父の手稿の研究にも役立ちましたが」
「だから一応の師」
「そういうことです。ですから万分の一もないですよ」

 ルイに手を差し出されて、長椅子から立ち上がりながら少しほっとする。
 そろそろ向かう時間だと、ルイと共に式典が行われる大広間へと向かった。
 昨年の誕生祭の式典とは別の場所で、大廊下の奥の間になる。
 夜宴は大廊下で行われる予定ですでに煌びやかに飾られ、飲み物や軽食を振る舞う場も用意されている。いつもより身綺麗にしている王宮使用人や、華やかに装った顔見知りの女官や文官の姿、少し地位の下がる貴族達が行き交い宴の前からすでに賑やかだった。

「こういった華やかな場は素行のよくない人もいるから気をつけてね」
「はい、セギュール家のジャンヌさんと一緒にいる約束をしてますから大丈夫です」

 カトリーヌ様の侍女のジャンヌ嬢なら安心だ、しっかり者の男爵令嬢で王宮のこういった場も慣れている。絡まれても上手にかわせるだろうし、次の宰相となるセギュール侯爵の家の者に因縁つける人もいないだろう。
 マルテは大きな宴の場は初めてだから、一人になってはだめよと念押しして控室も兼ねている休憩室の小部屋が並ぶ場所で分かれた。
 ルイのエスコートで大広間に進めば、彼の名とその妻であるわたしの名が読み上げられて、ざわりと一瞬、歓談する人々の気配が揺れた。
 これまで、なんとなくフォート家の名を優先されてきたけれど高らかな声は、ルイがロタール公であることを先に読み上げた。
 
 わかってはいたけれど……。

 ちらちらと向けられる無数の視線を感じる居心地の悪さといったらない。
 ヴェルレーヌ仕込の微笑みでやり過ごしつつ、ルイを見上げれば実になんでもない様子でいて流石だと思う。

「おや、“冠なき女王”がまた妙な人を引き連れているようですよ」
「妙な人って……」

 ルイの促した方向へ目を向ければ、すでに大広間にはたくさん人がいるのに遠目にもすぐカトリーヌ様とわかった。
 
 もうなんだか、貫禄というか……迫力が違うわ。

 赤銅色の宝石ビーズの刺繍を施した深い紫のドレスに、美しく結いあげた金色の髪を瑠璃色の羽飾りと貴石で飾り、羽飾りと色を合わせた開いた扇を口元に微笑んでいる姿は、本当“女王”だ。
 わたしとそう変わらない背格好のご令嬢と談笑していて、このご令嬢も目立っていた。 
 黒に見紛う深い赤のレースを幾重にも重ねたドレスに、ドレスと同じレースを使ったベールで頭も顔も隠れている。

 まるで王立劇場五番個室の亡霊と噂されたヴェルレーヌみたい……。
 
 そう思ったのは、ドレスとベールのためだけでなくご令嬢の所作がまるで彼女のように優雅だったからだ。きっと名家のご令嬢に違いない。
 
「ご挨拶した方がいいかも」
「気は進みませんが、まあ次の宰相夫人では仕方ない。エドガーのこともある」

 歓談している二人を邪魔しないように、ルイと近づく。
 どうぞご支援くださいませ、といった声がざわめきに紛れて聞こえ、カトリーヌ様の側にいたご令嬢が僅かに腰を落とす。丁度会話は締めくくりのようだった。

「――が、戻るとなれば楽しくなるでしょう。乞うご期待ね。あら、貴女っ」

 わたしに気が付いたカトリーヌ様に、ご令嬢は淑やかな礼をしてわたしがカトリーヌ様の側に辿りつくより早く人混みに紛れてしまった。ちらりとベールの隙間から透けるように白い肌と凝った編み込みの明るい金髪が見えた。

「貴女、体はもういいの? 半月も休んでいたのでしょう」
「はい、お陰様で。ご心配をおかけしました」
「それにしても、ただでさえ目立つ姿がより目立つようになったこと」

 ルイの白いローブ姿に目を向けて、私は以前のが好みでしたよとぼやくカトリーヌ様に、例の小説の公爵様も濃紺のマント姿が印象的と書かれていましたものねと胸の内で呟く。
 
「遠目にもわかる貴女にだけは言われたくないですね」
「高貴さとはそういうものです。貴女もなかなか堂々としてきたわね」
「はあ、恐れ入ります。あの、先程いらしたご令嬢はどなたですか?」
「あら、どなたのことかしら。先程からひっきりなしに挨拶にくるのよ」

 王の誕生祭は、社交の季節の締めくくりでもあるからカトリーヌ様に挨拶に来る人も多いに違いない。さっきのご令嬢もそんな一人だったのだろう。

「えっと、赤いレースのベールを……」
「ああ、ソフィーもきたわね。相変わらずあの伯爵は堅苦しい感じだこと」
「……ソフィー様に怒られますよ」
「別に貶してはいませんよ。私たちもあちらへ参りましょう」
「セギュール侯爵はどうしたのです」
「あの人はお披露目される側にそわそわしながら行きましたよ。気の小さい」
「気が小さい方は、宰相にはなれないと思いますけど」
「あら、そう?」

 カトリーヌ様に促されて、玉座の据えられた場所の近くへと移動する。
 移動しながら、そっとルイが耳打ちしてきた。

「なにか妙ですね」
「どういうこと?」
「どうも今日は、貴女と私のことだけではないらしい」

 近衛の数も多いと、ルイは僅かに目を細める。
 
「まあ、私のことを発表するのに、魔術師も揃っているからかもしれませんが」

 何気なく後方へ目を向けたルイの視線を追えば、以前のルイと似たようなローブの一群が見えた。先頭に四十半ばほどの妙にぎらりとした目をして、顎の肉を弛ませた男性がいる。なんとなくトゥルーズの小広場で絡まれた人買いの蝦蟇ガマを思い出して背筋が軽く粟立つ。

「あのちょっと凶悪そうな人も宮廷魔術師?」
「流石に人を見分ける目がありますね。あれが副総長のオーギュスタン・ド・タレーランです」
 
 あれが。
 魔術院の内部の実質牛耳っているという、いまは亡きジョフロワ・ド・ルーテルに忠誠を誓っていた取り巻きの一人。

「私の側を離れないように」
 
 早口に囁かれて、わたしは小さく頷いた。
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