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第三部 王都の社交

102.寝室の会話 *

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「大聖堂の調査?」
「ええ、司祭長様がルイの力をお借りしたいって」
「何故」
「何故って……それは、なにか色々不可解な現象が起きてるらしくて……」
「だからといって私になんの関係が? 大聖堂で起こっていることを調べるなど、それこそ聖職者たる彼等の仕事でしょう」

 面倒がられるとは思ったけれど、まさかこんなにきっぱりと断られるとは思わなかった。
 寝支度も済んで、寝間着に絹織りのショールを羽織ってソファに寛ぎ、ルイと向かい合っての話だった。

「で、でもっ、婚儀の時もお世話になりましたし」
「大聖堂で婚儀を執り行うのは司祭長の役目。お世話になったもなにも、それが当然の務めでありあの方の仕事です」

 たしかにルイの言う通りではあるけれど。
 わたし達は本来貴族の結婚なら必ずするはずの、正式な公示すら行っていない訳で……なにしろわたしがトゥール家と養子縁組を結んだのは婚儀の三日前。
 それまでは平民で、司祭長様がお認めにならなければ婚儀自体が成り立たないかもしれなかった。

 本来、貴族の結婚は色々な手続きがある。
 本人両家の婚約の取り交わしは勿論、それを聖堂と王宮に届けて発表し、お披露目をして、しばらくの婚約期間を過ごし、問題なければ聖堂で婚儀を行い結婚が認められる。
 ルイとわたしは、ルイが王様の誕生祭で集まったあらゆる人々を証人に、わたしとの取り交わしを魔術的にも正式な婚約として、あとは王様の後押しを取り付けて本来なら行うはずの手続きをほとんどなにひとつ行うことなく結婚したに等しい。
 出来なかったのだ、わたしが平民だったから。

 古のしきたりに従った婚約の取り交わしは、なにもわたしを縛るためだけでなく、結婚を認めさせるにあたっての、古式ゆかしい手続きの結婚の根拠としての意味もあった。
 そしてわたし達のことは、王の誕生祭に出席した人なら知っている。
 社交の季節の締めくくりの王宮行事にして、国王陛下を祝う式典である。
 余程のことがない限り、少なくとも王都にいる貴族は出席している。
 あの時、求婚の場にいた誰もなにも言わなかった、だからなんの問題もないといった理屈で、王様の後押しがあったとはいえ、よく司祭長様は認めてくださったものだ。
 聖職者は神と精霊に仕える、王に頭を下げなくていい存在なのに。

「でも、ルイ……司祭長様は、魔術師の領分だと仰っていました」

 どう考えても、わたし達の結婚は司祭長様のおかげだと思う。
 そんな考えでテーブル越しに、お茶を飲んでいるルイの顔をじっと見詰めれば、そんなわたしをしばらく見詰め返してルイは肩を落としてカップをテーブルに置き、ため息を吐いた。

「……わかりましたよ、あなたの話だけは聞きましょう」

 そう立ち上がってこちらに近づいてきたルイに、隣に座るのかしらと腰を浮かせたところをあっという間に彼の腕に掬い上げられて、横抱きにされる。

「ルイ……っ!」
「話は寝床で聞きます。もう夜も更けましたからね」

 彼は意外に鍛えてる。わたしがちょっと抵抗したくらいではびくともしない。
 寝台の上に、壊れ物を扱うようにそっと下ろされて少しどきりとしたけれど、その手には乗らない。

「話すの邪魔するつもりでいる……」
「おや、どう邪魔するとでも?」
「それは……」

 ぎしりと寝そべっている場所が揺れる。
 わたしに覆い被さるようにして、真上からわたしを見下ろし揶揄からかうような笑みを浮かべる傾国の美中年な顔にむっとして、閉じた唇を少しばかり尖らせる。

「ちゃんと聞きますよ」

 彼を軽く睨んでいた目の瞼に、頬に、鼻先……そして口元に、彼の唇が落ちてくる。
 一番後に落ちてきた場所に留まって、食まれ、つい迎え入れてしまえば、わたしの髪に触れる手の曲げた片腕に体の重みの大半を預けて覆い被さってきたルイに抱きしめられる。

「……貴女の話です」
「ルイ……」

 はあっ、と息を吐いてわたしから顔を上げたルイを見る。
 色を深めた青みがかった灰色の瞳がわたしを欲していて、じわりと甘い痺れが体の内側に広がっていく。

「やっぱり、邪魔してる……」
「しませんよ。大聖堂でなにが?」
「……っ」
 
 そっと。象牙色の指先に下唇をゆっくりとなぞられながら促されて、彼に身を任せてしまいたくなりながらも司祭長様から聞いた話をそのままわたしはルイに伝える。
 不審な音、歪んで見える壁……。
 古い建物だから、昼と夜の温度差できしむ音を立てても不思議じゃない。
 聖職者達の生活は、夜通しで聖典を読んだり、少し眠っては起きて神々と精霊に祈りを捧げる儀式を定例で行うなど、寝不足と疲労で頭が朦朧としそうなもの。
 複数の者たちが、似たような目の錯覚を起こしても不思議じゃない。
 話した現象についてルイは悉く理由付けていく。

「……司祭長様もそんなようなことを」
「そうでしょう。彼とて気のせいと済ませられるようなところを、訴えが複数になったものだから問題になって魔術院などが乗り出してくる前に片付けようといった魂胆ですよ」
「でも……んっ……壁がうっすら光るのは?」
「……壁が、光る?」

 わたしの首筋から鎖骨に伏せていた頭を上げ、咥えていた寝間着の緩めた紐をぽとりと落とす、なんとなく間の抜けた様子を見せて、ルイは訝しげにわたしの言葉を反芻してわずかに眉根を寄せた。
 わたしを見下ろす彼の目に浮かんでいた、熱を帯びた欲が……冷めた欲へと移ろいでいくのが見て取れて、魔術に関しては本当にわかりやすいんだからと思う。

「それは……」
「魔術師の領分?」
「……かも、しれません」

 大聖堂という場は、強固な護りの場であると同時に魔術的にも特別な場でもあるらしい。
 聖職者の祈りを通じて、神と精霊の祝福の力を受けられる場所。
 強固な護りは魔術で生じる各属性の力の干渉による歪みを最少限に抑える。
 
「ですから魔術を行う場として非常に強力……貴女に施した加護の術を婚儀の時に仕込んだのも、“祝福”回避の儀式に大聖堂での婚儀が必要不可欠なのも、あの場の力を利用するためです」
「……それって、魔術師の人たちが利用しそうなものだけど」
「公になれば。これは父の研究に遺されていた断片で……私以外にそれを知る者はこの世にはいないはず……」
「え、でも……司祭長様は、ルイのお父様と共同研究者のような間柄だったって……」

 それなら、司祭長様がルイにわたしを通して調査を持ちかけたのも頷けると彼は言った。
 万一、他の魔術師がそのことに気がつけば、魔術院が聖職者の領域に介入しようとするからだと。

「魔術師と聖職者は、同じく神と精霊を扱う者ではありますが有り様はまったく異なる。両者は不可侵、互いに干渉しない暗黙の了解です」

 ルイが解いた胸元の紐を起き上がって結び直しながらわたしが首を傾げれば、貴女一体そんな話をいつどこでと尋ねられて、飾り紐に祝福の祈りを授けてもらいに王宮礼拝堂を訪ねた時だと答える。

「どうして黙っていたのです」

 抱き寄せられて、耳元で低く尋ねる言葉に責める響きはなく、むしろ睦言を囁くような甘い響きを含んでいた。
 まだ少し、夫婦の夜を過ごすか、魔術師としての探究心を優先させるかで迷っているらしい。
 ほとんど探究心に傾いているのは、明らかだけれど。
 
「……総じて魔術師の方々は聖職者の方々を軽んじるけれど、フォート家の魔術師は違うって司祭長様が仰っていたから」
「成程」
「てっきりルイも知っていることだと。前にお父様が聖職者の方々が継承するものも研究していたって話してくれてもいたし」
「魔術研究で大聖堂や王宮内に出入りするため、王家や王宮関係者と付き合いがあったことは知っていますが、具体的に誰とどう付き合っていたかまでは知りません」
「そう」
「……まさか、あの司祭長とそんな交流があったとは」

 ルイも彼のお父様が誰とどう関わっていたかはわからないらしい。
 よく考え得たら十歳やそこらの子供だったのだから、父親からなにも聞いていなければ当然だった。

「……隠し部屋」
「え?」
「もしかすると屋敷のように、大聖堂にも……術者が亡くなってもあの場の支えでいままで保っていたものに綻びが出始めて……」
「屋敷の図書室みたいな部屋が?」
「人々が出入りする礼拝堂など、大聖堂のごく一区画にすぎない。あそこは奥が深い……」
「ルイ」

 司祭長の思惑に乗るようで癪ではあるもののと、ルイは前置いてわたしに頷いた。

「仕方がありません」

 貴女を連絡役に使ったのは気に食わないですが、とぼやいたルイに頬に甘く噛みつかれて、ゆっくり頭を支えながら寝台に倒される。

「……切り替え、早すぎない?」
「きちんと話は聞いたでしょう」
「そうだけど……っん……」

 深く口付られて、思わず甘いため息が出る。
 重なっている唇が離れるまでの間に結び直した寝間着の紐は解かれ、ルイは羽織っていたシャツを脱ぎ落としていた。
 よく見れば、細かな傷跡の多い彼の胴体に触れればその手を外されて、指を絡めて寝台に押し付けられる。

「ぁ、ん……」
 
 前の合わせ目が緩んだ寝巻着の隙間を唇でなぞられて、思わず出そうになった声を唇を固く結んで押し殺せば、抑えなくていいと囁く声がする。

「護りは十分強化したことですし、寝室には二重の護りをかけてますから遠慮は無用です」
「遠慮しているわけじゃ……っ……」

 父様の叙爵祝いとアルベール様のお披露目を兼ねた夜会を行ったおかげで、いま邸宅にかかっている護りはかなり強化されている。
 特に寝室は二重の護りをかけているため、いまや秘密の話にうってつけな場所でもあった。

 邸宅の護りを強化することについては、夜会の招待客にソフィー様とカトリーヌ様とその伴侶、ロワレ公までが噂を聞きつけて顔を出すと言ってきたのをいいことに、ルイは軍部に警備の必要からそれを認めさせた。
 ソフィー様の話では、彼女のお兄様が長官を務める軍部よりはむしろ魔術院がルイを警戒していて、特に衝突してまで監視を止める理由もないから、軍部も捨て置いていたというのが正直なところらしい。
 けれど、前王弟殿下であったロワレ公までやって来るとあっては話は別だ。内輪の夜会に招くほど交流があるとあっては邸の護りを上げたいといった申し出に対し、難色を示し退けることは魔術院にも難しかろうと軍部は頷いた。
 魔術院で好成績を修めている宮廷魔術師達は軍部の管轄下、そのため魔術院も軍部と衝突するのはあまり愉快なことではない。

「ロベール王の酔狂に付き合って、これくらいの恩恵あってしかるべきですからね」

 王宮のお茶会の話題を攫った、王様とルイの小さな演奏会もルイへの警戒を緩ませる助けになっているらしい。 
 あれほど息の合った演奏を二人して即興で行える、現王家とフォート家は真に友好的と判断する人が増えたからだ。少しずつだけれど、ルイが話通りに王国の脅威であるとは思えないと考える人が出始めているならよいことだ。

「それに、演奏する妻のために魔術で雪を降らせて舞台を飾るほど、私は貴女に夢中だそうです。まったくその通り、噂話もたまには真実が流れるものですね」
「ルイ……、あっ……」

 寝間着の内側に侵入してきた、わたしと指を絡めていない側の手に、胸から腰の線を撫でられ、唇が胸の頂きを含んだのに、いつもながら自分の声とは思えないあられもなく甘い声を上げてしまう。

「ああ……それだめ……」

 貴女だって私に夢中になってくれないと、不公平というものでしょう?
 そんな囁きと、彼の指と唇と舌使いに乱され、理性も溶け落ちるくらいに蕩けさせられる夜が深まっていく――。
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