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第三部 王都の社交

98.父様たちと合流

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「……いませんね」

 広い幾何学庭園をうろうろと歩きながら、首を左右に動かしつつわたしは呟いた。
 一体どこへ行ってしまったのか、父様とアルベール様の姿が見えない。
 おまけに二人を探しているのは、わたし達だけではないようだった。

「面倒を避けようとしているのかもしれませんね」

 ルイがそれとなく周囲へ目を向けながら呟く。
 父様達を探して歩いている耳に、「子爵は……」、「ユニ領の……」といった言葉の断片が聞こえてくる。

「面倒?」
「一部の方々にとって、彼等は本日の主役になっていると思いますよ」
「まさか」
「何故です。ご自身は法科院の称号持ち。娘は王妃と縁の深い公爵夫人で、東部と南部の筆頭貴族家の一員です。おまけに法務大臣とその妻である元王族の姫とも懇意にしている」
「……!」
 
 ルイの言葉に、わたしは目を見開いてしまった。
 たしかにそうだ。

「ジュリアン殿と付き合うだけで、法科院との繋がりだけでなく、下位や中位の貴族では目通りもそう叶わない、上位も上位な貴族への伝手が手に入る」

 平民領主の立場なら、向こうから声を掛けること自体が屈辱的なことだろうし、父様からはなにも出来ないからこうはならないだろうけど。
 貴族となったら違ってくる。
 わたしの場合はフォート家の格が高すぎるし、ルイが付き合うには色々と厄介な人だから声をかけられなかったと考えられるけれど。

 正直、訳あり統合で出来た中規模領地の子爵なんて……。

「……良くも悪くもなんだか」
「そうですねえ。単なる成上がりの新興貴族扱いするには歴史も繋がりもありすぎ、さりとて名門というわけでも力があるわけでもなし」
「中途半端、ですよね?」
「家格としたら中位くらいでしょうかねえ、諸々考え合わせて」

 これはなかなかに手腕が問われる。
 若干、愉快そうにルイは呟いたけれど、ユニ家は実質フォート家の庇護下に置いているのだから面白がっている場合ではないと思う。

 ルイの言う通り。
 今日、叙爵されたばかりといっても新興の成り上がりといった感じはない。

 ユニ家自体は古い家じゃないけれど、皮肉にも西部筆頭のモンフォールから独立して三代以上、百年は一領主家として続いている。遠縁とはいえドルー家という婚姻による繋がりもあり、ドルー家のお祖母様は北部男爵家の出だ。
 実績その他諸々で叙爵といっても、まったくの平民が成り上がってとは言い難いものがある。

 ロシュアンヌ家は、北部の隅っこにある、地味な小領地の地味な子爵家って感じだった。
 だからこそモンフォール家に付け込まれたのだろうけれど、歴史だけで見れば結構古い家であり、アルベール様の母親も北部男爵家の出身で、これまたそこそこ古い。

 たしかに、声を掛けるといった点では、上からも下からも掛けやすいに違いない。

「理解しました?」
「しました」

 つい眉間に力が入ってしまったわたしの様子を見下ろして、尋ねてきたルイにわたしは頷いた。

「我々が一所で待ち構えるのが早そうです」
「そうかも」
「涼しい場所へ行きましょうか」
「はい。ああでも、それはそれで涼みにくる人が結構いるのでは?」

 この陽気だものと、わたしは帽子の陰から空を軽く仰ぐ。
 夏の光に、庭園の緑は輝くようだけれど。

「問題ありません」
「どうして?」

 首を傾げたわたしにルイは、王妃の元侍女がなにを言っているのですと苦笑した。

「公爵以上は専用の天幕が用意されるでしょう」

 言われてみれば……。
 ルイ以外に公爵といったら、皆、王家筋。
 他の貴族と一緒くたや順番待ちしてくださいね、なんて有り得ない。

 元小国王家で現存している血筋は三つ。
 けれど、直系が続いているとされ、いまも力を持ち公爵位を保っているのはフォート家だけ。
 
「……特権」

 思わず呟けば。
 大抵の貴族より上ですからね、と暑さなど感じさせない涼やかな様子でルイは笑んだ。


*****


 やんごとなき人々の天幕が用意されている場所は、休憩用の天幕が並ぶ先にあり、流石に警備の騎士の姿が目につく。
 なんとなく見覚えのある顔が多いから、主に近衛騎士達が持ち場として警護に当たっているようだった。 
 主に王族の警護の任に就く彼等は武官の中でも総じて見目良く、貴族の子弟が多いから紳士的な物腰の方が多くてすぐにわかる。
 
 もしかして、警備の手が足りないって駆り出された坊ちゃんもいたりするかしら……?

 騎士は、モンフォールの坊ちゃんのように家督を継がない、特に長男の控えですらない貴族の三男以下の男子が身を立てる道の一つだけれど、近年ではそうでもなくなってきている。
 身も蓋もないけれど、家柄や家臣としての忠義と護衛や戦闘の技量とはあまり関係はないし、後者の方がより重要だ。
 どんどん実力主義な世界になってきているようで、元が貴族やその一族の出身ではない、まったくの平民でも叙爵されて高位の職につく武官が増えている。
 王宮儀礼に通じている必要がある近衛騎士はまだ貴族の子弟が多いけれど、騎士は貴族の子弟がなるものではなくほぼ名誉称号的なものになりつつあった。
 騎士団だって本部や支部というけれど、元をいえば王領を守っていた騎士達がまとめて本部とされ、各地や各領を守っていた騎士や兵を組織して支部としている。
 そして、各騎士団等の武官や技官を統括し、国の軍事を担う上位組織として軍部があった。

 そのうち騎士団なんていわなくなっちゃうかも。

 そんなことを思いながら、顔見知りの近衛騎士や側仕えの侍女や侍従の人たちと微笑みに近い目礼を交わしながら、用意されているだろうフォート家の天幕へと向かって歩く。
 
 どこから運んできたのだろう、見事な氷の像などが設置してあったり、おそらく魔術具だろう木の影から涼風が吹いてきたりして一帯が過ごしやすくなっている。
 そのためか、ドレスのスカートが重なりあってしまうくらい混雑している場所もあって、いつの間にか手をルイに取られていた。

「ジュリアン殿に会う前に、私達がはぐれてしまってはどうしようもない」
「……こんなに混雑するものだったかしら?」
「貴女は王妃の側にいたからでしょう……」

 こんな混雑な中に王妃を歩かせるなど警備的にも有り得ないと呆れ気味にルイに言われて、それもそうねと思う。王妃様の側仕えというだけで恩恵を受けていたのだ。

「いままで気にかけたことなかったけど、あれって溶けないのかしら?」
「状態維持の魔術がかかっているようですから一定時間は大丈夫でしょう」

 氷の像について疑問を口にしたわたしに説明して、術者はそれこそ溶けたように疲れ果てているでしょうがねとルイは肩をすくめた。

「威信のためでしょうが、高度魔術の無駄遣いもいいところです」
「え、あれそうなの?」
「時の流れは止めることも遡ることもできませんが、対象物の時間の進みを限定的に遅らせることはできないことはない。術が切れたら一気に元の時の流れに戻ります」
「一瞬で溶けて、蒸発してなくなっちゃうってこと?」
「それだけの時間保てるものかですけど。大体、時間や空間に干渉するものというのは非常に難しく必要となる代償も大きい」

 そうなんだと思いながら、なんとなく左薬指に嵌っている金の指輪に目を落とした。
 ふと、わたしがルイの求婚に答えるために払った代償は魔術的にはどれくらいのものだったんだろうと思う。

「その指輪……」
「え、なに」

 噴水庭園に近いから、時折水の落ちる音がして、きゃあと賑やかな歓声が時折聞こえてくる。
 近くに楽団もいるのかどこからともなく流れてくる音楽、挨拶や談笑する人のざわめきに、なにかわたしに言いかけたルイの言葉が紛れてしまう。

「ごめんなさい、人の声で……」
「いえ。なんでもありません。うんざりしますね……こちらへ」
「え、やだっ、ちょっと……っ」

 ルイに手を強く引かれて、慌てて空いている手で帽子を押さえる。
 がさがさっと、細かな枝や葉を落とし、生垣と生垣の間を強引にすり抜ければ嘘みたいに人がいなくなった。
 
「もうっ、服が傷んだらリュシーに叱られます」
 
 レースや刺繍の部分についた細かな屑を払いながら、ルイに言えば侍女に女主人が叱られてどうしますといいながら彼も羽織っている上着の表面をぱたぱたと手で払っている。
 通り道を強引に開いた彼の方が、きっとひっかかった枝や葉っぱがひどいはずだ。
 
「迷路庭園を無理やり抜けようとする、子供じゃないんですから」
「人にうんざりしたもので、少し疲れましたしね」

 ああ、そうか。
 ルイは警戒を怠らないから……。

「飲み物にまで気を張っているから、王宮主催の場で出すものは流石に大丈夫じゃ……、っ」
 
 彼の斜め前に立って、襟元についていた小枝を取ってあげようと指を伸ばせば、ほとんど反射的にそうしたといったように手を強く掴まれて驚き、彼の顔を見上げる。

「……どうしたの?」
「何故、飲み物に気を張っていると?」
「えっ、だって、いつも口にする前に魔術で確かめてるから……」
「どうして……。確かめる、魔術だと?」
「違うの? いつも飲み物に手を伏せてうっすらと銀色の光が……」
「え、ええ。そうですが……マリーベル、それを誰かに話したことは」
「話しませんけど?」

 いくらなんでもそんな迂闊ではないと、むっとしながら彼を上目に睨めば、そうですねと彼は普段は下ろしている髪をかきあげるように、彼の額を空いている手で押さえる。

「ルイ?」
「……それは、貴女と私の秘密にしてください。決して人に話してはいけません」
「もとよりそのつもりだけど」

 王宮で出される飲み物にまで魔術を使って警戒しているなんて、下手したら不敬罪だ。
 人に話すわけがない。
 わたしがそう答えれば、軽く安堵したように息を吐いてわたしの名を囁いた。
 その甘い響きに、握られている手からじんと痺れるような震えを感じて、思わず周囲を見回す。
 幾何学庭園をめぐる散歩道の通路を区切る、高い木立で作られた生垣の壁を強引に突っ切った向こう側はまるきり普通の林の中だ。
 もともと広大な森や山を切り開いてこの庭園や王領の風景は作られているとはいえ……。

「どうしました?」
「あ、あの……ルイ、ここって……」
「庭園の隅の通路だとぽつぽつあるんですよ、生垣の生垣の間に……こうした置き去りにされたような所が。荒れてはないので人の手は入っているようですけどね」

 握られた手の指に口付けられるけれど、生垣のすぐ向こう側は人だかりだ。
 置き去りにされたような所とルイが言うだけあって、人の姿はわたし達以外はないけれど、すぐ近くにいる人々のざわめきは聞こえてくるし、気が気じゃない。

「ここを右に抜ければ、王家の天幕がある場所に面した広場に出るはずです」
「そ、それはっ、わかりました……わかったけどっ、どうしてっ」
「ん?」

 腰に手を回して引き寄せるのっ。

「――ぁっん」

 重なった唇が、思いがけず深く強引だったのに、やっ……と身を捩るように逃れようとしたけれど無駄だった。
 一方の手は握られたまま、もう一方で彼の上着の襟を掴む。
 通路を行き交う人が時折生垣の枝をがさりと揺らし、その度にびくっと肩を縮めてしまうのが気に食わないとでもいったように、唇を喰み、舌で口の中を愛撫してくるルイに暑さでのぼせたように頭がぼうっとしてくる。

 いや、ちょっと……普通に、暑いかも……。

「……マリーべル?」
「なんだか、少し……めまいが……」

 ずるっと、ルイの腕の中で体が下に滑って。
 次に気がついた時には、若干肌寒さを覚えるほど涼しい場所に横になっていて。

 なに……もしかして、天の使い?

 ぼんやり細く開いた視界に、さらさらと艶のある深い茶色の髪に、榛色の目をした可愛らしい顔立ちの少年がわたしを上から見下ろしているのが見えた。

「大丈夫ですか、義姉上あねうえっ」
「近くで大声だされては彼女に障ります……離れなさい!」
「貴方はっ、心配ではないのですかっ!」

 少々、うるさい……。

「心配していますよ。そこでおろおろ動けずにいた君と違い、場を冷やし、水を出し、いまのいままで彼女を介抱していたのは私です。夫として彼女の衣服を緩められるのもね」

 待って、いまなんて……なんて、言いました?
 
「……ぐっ、そもそも貴方がきちんと気遣っていれば」
「ですから、暑さにのぼせた彼女をここへ連れてきたでしょう。ジュリアン殿、我が義弟と認めるには少々教育が足りないかと」
「なっ……!」

 なにかしらないけど、人の間近で揉めないで欲しい……頭が少しくらくらする。

「ルイ殿……貴方という人は……」
「ふん、人の話を理解もできないうちは論外です。どきなさい……マリーベル、大丈夫ですか?」

 背中を支えられて起こされ、目の前に差し出された果実水の入った硝子杯を手に取る。
 ひんやりして気持ちいい。
 よく冷えた中身を飲み干せば、ようやく意識が少しはっきりして、至近距離で身をかがめてわたしの顔を覗き込んでいるルイに気がつき、びっくりして仰け反りかけて背中を支える手に戻される。

「え、なにっ!?」
「暑さでめまいを起こしたんですよ」
「暑さで……?」
「ええ、ここはフォート家の天幕です。急に意識を失ったので驚いて……」
「暑さで」
「ええ暑さで。そのまま、背中のボタンをいくつか外してます」
「えっ、なっ……そんなっ!?」

 首から手を後ろに回して、これからまだ父様や初対面のアルベール様に挨拶して、それに王妃様達のところへも顔をお見せしなければで。
 ドレスを一度緩めたら、直すの大変なのにっ。

「仕方ないでしょう……体を冷やすことが先で」
「それは、介抱してくれたのはありがとうだけど、だけどこんな場所で……」
「問題ないでしょう。貴女はのぼせて倒れたのであって、その側にいたのも服を緩めたのも夫である私なのですから」
「そういったことじゃっ。大体それって、あなたがあんな場所であんなことをする、か……ら……」

 言いながら、ふと、ルイの肩越しに目に写った風景にわたしは文句の途中で固まった。
 フォート家の天幕。
 ちいさなテーブルや椅子が設られ、果物が盛られた足つきのお皿が置いてあり。
 そこに。
 腰掛けている盛装の父様が、そしてその手前に立って歯痒そうな表情を浮かべているアルベール様がいて……。

 わたし、いま。
 あんな場所であんなことって……言って……。

「あの……大丈夫ですか? 義姉上あねうえ……?」

 真剣にわたしを心配してくれている表情だけど、目元が若干赤い。
 だって十三歳……貴族なら婚約者がいてもおかしくない歳であって。
 なんてこと……なの……。
 初対面でこんな、こんな、こんな――!

「ルイ……」
「なんですか? 果実水ですか?」
「……か」
「ん?」
「馬鹿っ」
「は?」

 こんなの、こんなの。
 あ、姉として、お姉様としての威厳が――。 
 威厳が……。

「まあ……仲睦まじいようでなによりだ」

 父様っ――!

 ごほんと咳払いした父様に泣きたくなりながら、再びルイを睨んでどうやら寝椅子カウチであるらしいそこへわたしは再びううんと横たわった。
 暑さではなく。
 あまりの恥ずかしさで。
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