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第三部 王都の社交
96.王宮のお茶会
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王宮は広い。
建物は勿論、それ以上に敷地が広い。
いくつもの庭園と、さらにその向こうに広がる、樹林や丘陵地そして大水路を備える王宮領と呼ばれる土地。
貴族街に面した王宮の入口、中央門側を正面とすれば、王宮の建物の裏側にどこまでも続くような広大な敷地がある。
年中王宮で過ごす王族の方々が、遠乗りや狩猟を楽しみ、船遊びや森遊びをし、家畜に触れ、いくつか点在する別邸に滞在して寛ぐためのもの。
一見、自然そのものに見える森林や丘や河川すらも、すべてが長い年月をかけて造られた人工のものだ。
“恩寵”を授けられた王は、自然すら従えることを許されている。
そんな王の権威を示すものでもあって、だから大廊下の大窓や、大窓から出られる回廊のようなバルコニーから、王宮の庭園と続く王宮領の風景が一望できるようになっている。
王宮主催のお茶会は、建物を出てすぐの左右対称に整えられた幾何学庭園と、その左右にやはり対を成すように造られている噴水庭園、さらにそれらの奥にある巨大な人工池。
お茶会と称していながら、その実、園遊会。
端から端まで移動するのも一苦労な範囲で、昼夜二日に渡って行われる。
この時期、王宮に仕える使用人や官吏達は忙しさに死にそうになる。
わたしもその一人だった。
なにしろ主催が王様と王妃様だから、装いからなにから準備が色々とあって……けれども侍女はまだましだと、げっそり頬もこけて青黒い顔色をした文官の方から言われたっけ。
その時は、大変なのはどこだって一緒でしょうっと思ったものだけれど。
たしかにこうして参加する側の立場となってみれば、王妃様の侍女は半分参加者側のようなもので、楽だったのかも。
枯葉や雑草の一片も見当たらない庭。
美しく並べえられたテーブルや椅子に、様々な素晴らしいご馳走やお菓子の数々。
何種類ものお茶やお酒や果実水。
日除けも兼ねる天幕や飾りつけに、給仕や護衛や救護等々といった会場準備。
舞踊劇や音楽会や馬上騎士槍試合といった、様々な催しまである。
各部門を取り仕切るのも、諸々の手配も大変に違いない。
「……王宮の色々な方々にお礼に回りたくなりますね」
「貴女のそういった謙虚なところは美徳だと思いますが、十分お礼に回る以上のことをされていると思いますよ」
いまさら行儀見習いの令嬢達に目を配るなど、貴女のすることではないでしょうとエスコートの腕を差し出されながらルイにぼやかれて、でも出来る範囲でって断っていますからと宥めながら差し出された腕に手を乗せる。
「帽子、邪魔にならない?」
彼の横顔を伺うように見上げて尋ねる。
日中ずっと屋外なので被っている帽子は、生成色の絹のつばの縁を幅広のレースで飾り、鮮やかな薔薇色の絹のリボンと、同じ色に染めた羽根飾りに造花まであしらわれている。
なんだか派手な鳥にでもなった気分だ。
垂れ下がるリボンや縁を広げるレースが、隣に並ぶルイの肩や顔に当たりそうで気になる。
「まったく」
返事と共に、掠め取るような早技で口付けられた。
しれっと何事もなかった様子で、わたし達の来訪を告げる声に従って参りましょうと、胡散臭いまでに麗しい外向きの微笑みを見せるルイに、は……白昼っ、人が集まっている場所でっと言葉も出ず抗議の目を向ければ、青灰色の瞳に若干意地の悪い光が差す。
「影に隠れて実にいい」
悪徳好色魔術師……。
「しかし、やはりリュシーの助言が入ると違いますね」
ルイの言葉に、わたしは自分が着ている服に目を落とす。
今日の装いは、何故かエンゾと共に屋敷から邸宅にやってきたリュシーの手によるものだ。
ロタールの屋敷と邸宅を繋ぐ扉は、限られた人にしか開け閉めでない。
扉の開け閉めするシモンをうんざりさせて、リュシーとマルテが屋敷と邸宅を行ったり来たり、ああでもないこうでもないと準備してくれた、帽子と同じ生成色の絹のドレス。
意外にも、飾り気の少ないものだったけれど、生地の黄色味は金糸を裏糸に織り上げた色で、陽光を受けて上品に煌めく。小花模様に見える刺繍や縁取りのリボンの薔薇色、袖やスカートに重ねたレースの繊細さが華やぎを添えている。
「陽の下で見ると更に輝いて見えるような貴女を、正直、集まっている男達の目に触れさせたくはないですね」
「ルイ……」
「ご夫人方とのお付き合いもあるでしょうが、私の目の届く範囲に」
念押しするような注意と共に、こめかみに唇が降ってきて、人妻になんの心配がと呆れる。
それに。
大層なほめ言葉だけれど、まさに輝かしいお姿な人に言われてもね……。
貴族社会でわたしの立場を一気に固めると決めたからか、これまで大半は魔術師のローブ姿で、社交に来たというよりは黙らせるといった構えでいたのに、素晴らしく公爵様な装いと愛想のいい様子で、隣に立つこちらが若干気遅れしてしまいそうなほど。
うっすら発光しているのじゃないかと思えるほど、会場の中で一際目立っている。
“公爵様よ”
“まあ、今日は魔術師様のお姿ではないのね”
“なんだか、いつもと雰囲気が……”
“髪を上げていらしても素敵”
“いいえ、寧ろ凛々しさが……っ”
今日のルイは、いつも顔周りできらきら淡い光を散らす銀髪を後ろに流し、ひと束ねにしている。それだけで端正な横顔の精悍さが増すのだから不思議だ。
ルイは一見すらっとしているけれど、その実、結構体格もいいものねと彼を見ていたら、ぼそぼそと彼がわたしに囁きかけてきた。
「マリーベル、あの方々は、私に勝手になにかしら重ねて単に楽しんでいるだけです」
「どうしたの?」
「貴女はいい気はしないのではないかと……」
遠巻きにルイを見て盛り上がっている方々のことかと少し遅れて気がつき、別に気にしていないと答える。
「目の保養、想像を掻き立てる格好の作品がそこにあれば、愛でるのは仕方がないと思います」
「なんですか、それは……」
眉間に薄く皺を刻む、ルイの呟きは無視する。
ああいった、遠巻きにルイに眺めて楽しむ方々は問題ない。
基本的に良識ある方々で、本当にルイに近づくようなこともないし、ルイの姿を愛でることに忙しくて意地の悪い言葉でわたしの噂話をすることもなく、まったくの無害だもの。
美しいものに心惹かれるのは仕方ない。
ルイについては、狡猾さや悪徳魔術師な面が先だったわたしなので、正直あまりぴんとこないのだけれど、巨匠が造りし傑作の如き姿だもの。
おまけに人の期待を裏切らない外面の良さ……いえ、人当たりの良さで微笑み、しっとりした美声で話すのだから逆上せもするだろう。
微笑みの大半が胡散臭く見えてしまうわたしでも、本当に微笑まれると少しばかりは胸の奥をきゅっと掴まれるような気がするし。
「いくらなんでも、なにもない方々のことではなにも思いません」
「私にただの紐ではない紐を括りけておいて、それに結構、悋気深いくせに……」
やってきた給仕係の勧めで、果実水をわたしに渡し、ご自分はお酒の杯を手にぼやきながら口元を緩ませるルイに、そんなに喜んでくれるのなら贈り甲斐があったわと思う。
杯を取る前に、その手からほんのり淡い銀色の光が見えたのは恐らく毒避けだろう。
人の出入りには入念な確認と、警備と監視の入る王宮主催の場だけれど、外で彼が気を抜くことはない。
ルイの髪を束ねているのは、朝、出掛ける前にわたしが彼に贈った飾り紐だ。
渡したそれを手にとって、「貴女がどうやってこのような品を?」と、ルイが訝しむだけのものにはなっていたようで、司祭長様に祝福の祈りをお願いしたと話せば、珍しく彼が使用人もいる前で心底から驚く様子が見られた。
なかなかに強力な、お守りに近いものとなっているらしい。
近いものというのは魔術とは異なるためで、ただ護りの力を帯びているのはわかるとルイはわたしに言った。
流石、大聖堂!
高位な聖職者による祝福の祈り!
「束縛の意味を込めた覚えはありませんよ。人を祝うばかりのルイにだって、と思っただけで」
「貴女が私のための図案を考え、糸から編んでくれたのですよ。それを貴女の手で結びつけられて、もう貴女に縛られたも同じです」
「結んでくれと仰ったのあなたじゃない。別のものに取り替えようかしら」
「嫌です。礼装にもローブにも合うようにしてくださってますし、髪も煩くないので手離す気はありません」
「気に入ってくれたのなら、なによりだけど……あっ、あの方々の中心にいらっしゃるのカトリーヌ様のお仲間の方です。ご挨拶しないと」
にっこりルイを見上げれば、彼の口の端がひくりと一瞬ひきつる。
「私を、売るつもりですか……」
「わたくしのための、公爵様な装いなのでしょう?」
わざと果実水の杯を口元に、少し首を傾げるように淑やかな言葉遣いで問いかければ、貴女近頃あの我儘姫や冠無き女王に毒されてきてはいませんかと、ソフィー様やカトリーヌ様が聞いたら怒りそうなことをルイが呟く。
孤高の公爵閣下と、侯爵令嬢の侍女の身分差恋愛物語な流行小説。
わたしはともかく、ルイを愛でる会とでも称したいような方々の間では、本の公爵閣下のモデルはすっかりルイだということになっているらしい。
そういえば、カトリーヌ様が最新刊が大変な展開で……と、つい先日、乙女のように頬を染めていらしたわ。
カトリーヌ様が大方の話の筋をお話しくださるから、本は購入したものの、なんとなく後回しにしてしまって結局読んではいないのよね。
女性達の心を掴んでいる場面はカトリーヌ様のおかげでばっちり押さえているから、王宮での雑談にも困らない。
王妃派の中心夫人のカトリーヌ様とソフィー様、それから王宮の女官長以外で、わたしが単独で近づいて親しく話せる貴族女性がいないのは問題だ。
あれこれとあったから、当然ではあるのだけれど。
「わたくしだって色々と努力しているのです。少しは協力してください」
「協力なら惜しみないつもりでいますが……まったく、“あの本”を書いている作家とやらを押さえつけたい」
囁くように話す声音を若干低めて、それでもわたしが足を向ける方へと、自然にわたしを連れていくルイは流石だ。
「そういえばあの小説の作者って、正体不明なんですよね。カトリーヌ様ったら作家を支援したいと色々手を回してお調べになったみたいで、ですがわからなかったのですって」
「ええ、でしょうね。私も少々調べましたが、かなり用心深い者のようで掴めませんでした」
「調べたの!?」
「ヴァレリー・リシャールは当然ですが偽名です。原稿は毎回場所を変えて王都の方々から届き、稿料は代理人経由で架空の人物に渡っています。正直、フェリシアン並の手際です」
それは、手強い。
「さしずめどこかの伯爵以上の貴族夫人が書いていると睨んではいますが……大衆向けの恋愛小説を発表するなど、あまり褒められたことではないですからね」
「王立劇場で演じられるほど人気があるのに?」
「男性の間では、妻や娘が入れ込んで困ると顔を顰めている人もいますよ。私に苦情を言われても迷惑です」
ああ、それで……押さえつけたい。
近づいてきたルイに、彼を遠巻きにひそひそと話していた女性達が色めき立つ。
わたし達が歩みを止めると、彼女達は一斉に淑女の礼を取った。
完全にその意識はルイに向いている。
彼女達が姿勢を戻すのを見届けて、わたしはにっこりと彼女達に応じるようにヴェルレーヌ仕込みの淑女の微笑みを浮かべて、一番中心にいた女性に話しかける。
「ごめんなさい。お話の邪魔をしてしまったかしら。ヴァランシエンヌ伯夫人のイザベル様でいらっしゃいますね」
「え、ええ。イザベル・ド・メーヌでございます。公爵夫人……」
「カトリーヌ様からお聞きしたの、素晴らしく腕の良い装丁職人を抱えていらっしゃるそうですね」
突然、わたしにそんなことを話しかけられても困惑しかないだろう。
かといって立場上、公爵夫人なわたしを彼女も他の方々も蔑ろには出来ない。
なんたって、フォート家は“大抵の貴族より立場は上”なのだから。
「マリーベル」
明らかに戸惑っている夫人を見かねてと言った様子で、ルイがわたしをたしなめるように呼ぶ。
「そのように不躾に話しかけては、夫人は驚くばかりですよ」
「まあ、あなたが聞いてくれ聞いてくれと仰るからではありませんかっ」
「……私は、そんなことは一言も、言っていません」
ルイは嘘が吐けない。
でもわたしは違う。
わたしの目論みを察したのだろう、ルイはため息を吐くと夫人を見た。
「失礼、妻が貴女に話しかけたのは私のためなのです」
これは嘘じゃない。
だってわたしが貴族女性の方々と交流を持とうとしているのは、公爵夫人としての立場を固めるためでフォート家のためだもの。
「あ、あの……わたくしに公爵様のお役に立てることが?」
「ええ、そうなのです」
果実水の杯をルイに押し付けるように彼から離れて、わたしは夫人の手を取った。
あからさまに驚いた表情は見せないものの、驚きに目を見開いた夫人を見詰めてわたしは微笑みを深める。
「実は、我が家の図書室にある、傷んだ本の修繕をお願いできる職人を探しているのです」
「本の修繕……で、ございますか?」
「ええ。夫は王都にあまり馴染みがなく、わたくしも心当たりがなくて……ヴァランシエンヌ伯といえば北部でも有名な蔵書家ですもの。奥様であるイザベル様もお詳しいって」
貴族の間でも流行しているとはいえ、大衆向けの恋愛小説だからカトリーヌ様とその装丁を自慢し合う仲間で聞いたことはぼやかす。
ルイとヴェルレーヌの奥方教育で、有力貴族家や有名な方の情報とその繋がりは、何度も頭痛を覚えたくらいに詰め込まれている。
あとは実際の人々とその情報を結びつけるだけ。
始まりの夜会では、もうそのことで必死だった。
だって招待された貴族の名前は読み上げられる、絶好の機会。
いくら王妃様の元侍女でも、名前と顔が一致するのはごく一部の人に限られる。
そしてわたしだって、ただ“二色のバラの会”や、女官長達の相談事だけで王宮通いをしてきたわけじゃない。
「近くささやかな夜会を開く予定なのです。イザベル様がよろしければお招きしてもいいかしら? お越しいただければ図書室もお見せ出来ますもの」
「公爵家の図書室……」
ぼそりと、小さく。
けれど確かに聞こえた言葉に、わたしは夫人の取り巻きの方々へも微笑みかける。
「もちろん、お友達の皆様もご一緒に」
「マリーベル……っ、そのようなお誘いは」
「いいえっ! 公爵様、大丈夫です」
わたくしも、ええ、公爵家の夜会にお招きいただけるなんて。
お取り巻きの数は四人。
伯夫妻と取り巻きの彼女達とそのお相手含めて十名。
まあ、大丈夫でしょう。
人手が足りないことへの算段はつけてある。
即席だけど、形にはなるはずだ。
「では、後日、あらためて招待状を差し上げますね。突然、失礼いたしました。またお話ししてください」
わたしの言葉に、今度は皆様一斉にわたしに淑女の礼を見せる。
「この度は、ご生家のことお祝い申し上げます」
「法科院から称号授与されるほどの、素晴らしい功績ですもの」
「夫がグレゴリー様の下におりまして、ユニ子爵にもお近づきできればと……」
「王家預かりの問題の子爵領も賜って、治めていた領主家に残された罪もない方々も領地ごと引き受けると聞きました。なんてご立派でしょう」
父様が受けることになったものは、これから行われる式典で授与されるけれど、正式にもう発表はされている。
この人達は特にわたしや父様に害意はなかった人達、でもこの言葉はこれまででは絶対になかったことだ。
「ありがとう存じます」
歓迎姿勢でいてくれるならそれはいいことよ、うん。
気分を切り替え、わたしはにこやかにルイを促して、彼女達から離れる。
父様は――。
モンフォールの当主様に搾取され続けたお陰で、連合王国貴族絡みの古い契約を何件も整理した功績と驚異的署名件数で、法科院から“偉大なる署名者”の称号を受け。
厄介な西部系貴族と連合王国貴族との関係をいくらか清算したことは、王国の国益にも大いに寄与していると、称号持ちが平民ではまずいと考える法科院の後押しで子爵位を賜った。
平民領主が男爵でもなく子爵に大躍進なのは、モンフォール家の悪事の窓口となっていた問題で王家預かりとなっていた、北部のロシュアンヌ子爵領を丸ごと拝領することになったからだ。
北部の西端の小領地。
モンフォール領だけでなく、ユ二領にもほんのちょっぴり接している。
それを幸いとしたユニ領との統合だった。
「貴族って面倒くさい……」
つい呟いてしまう。
一部の北部系貴族が、わたしの悪評を流しユニ家を警戒させようとしたのも当然のこと。
彼等にとっては、親玉が制裁を受けていい気味だと思っていた西部に、小領地でも持っていかれることになるのだから。
近頃、北部系貴族が優遇されていた王宮事情もあるらしく、体のいい調整弁だとルイは言った。
ユニ領は西部の中ではモンフォールを除けば独自の立ち位置でいて、いまやフォート家が治める東部ロタール領の庇護下にあるから、削いだ西部勢力に影響しない。
北部の反発も最少限で済むだろうと。
父様は正式な知らせが届いた時に、「儂の許容範囲を超えるっ!」と吠えながらロタールの屋敷のフェリシアンに愚痴を言いに来たそうだけど……。
「まったく……貴女という人は。私と図書室まで餌にするとは」
離れて、少し背の高い木々に渡すように布を掛けて作られた、日避けの天幕のところに差し掛かってそれまで黙って歩いていたルイが口を開いた。
「怒った?」
「事前に決めていましたね?」
「わたし、面倒はごめんです。でも王妃様のお力にはならないとだし、それにフォート家が王家絡みはともかく、特定の目立つ貴族とお付き合いを深めるのはあまりよろしいことではないでしょう?」
蔵書家で有名なヴァランシエンヌ伯。
その奥方である夫人もまた本がお好き。
夫人のお取り巻きの方々の夫や父親は、大臣や長官職を補佐する方が多い。
なにより貴族女性の中では本好きの集まりで、東西南北の派閥に関係ない平和な方々。
出来る限り面倒な力関係は避けたいもの。
「必要以上に王宮に通っていると思ったら……貴女に都合のいい方を選別していたとは」
「補佐官の奥方やお嬢様を押さえるのって、結構いい考えだと思うの」
「王宮を牛耳るつもりでいると、今度噂されたら反論できませんよ……実際に取り仕切っているのは彼等ですから」
「偉い人達のご機嫌一つで振り回される方々です。公爵家の後ろ盾と思うかどうかはお偉い方々の勝手ですね」
「……反発については?」
「わたくしのお友達は、目に見えない王冠を被り、お天気の話をすれば要職の方が雲のように動くと誤解される方ですから」
「結構」
押し付けた果実水の杯を差し出されて、恐る恐るルイの顔を見上げれば、ご機嫌斜めな表情をしていた。
「結構って、怒ってるじゃない」
「……呆れているだけです。まあ幸いジュリアン殿のことがありますから、その祝宴とできます。実際、ユニ領や元ロシュアンヌ領では王都から遠すぎてお披露目になりませんから」
眉間に杯を持つ手の親指の折り曲げた山で軽く叩く仕草をしながら、公爵家が招待客としてわざわざ選んだ理由というものがあるとぼやいたルイに、あっとわたしは声が出た。
「……ヴァランシエンヌ伯はともかく、取り巻きの方々は」
「上位の貴族から見れば、これといったこともない中堅貴族の家ですね。それでいて我儘姫と冠無き女王、彼女達の伴侶である法務大臣と前王弟と縁を結ぶ宰相輩出家の当主も招く。間をとって仕方なくモンフォールの三男も入れますか、彼も無関係ではない」
「ええと……」
「たしかにフォート家はそういったことで別け隔てはありません。しかし王都において建前はいるのですよ?」
詰めが甘かった。
麗しい微笑みが、怖い――。
建物は勿論、それ以上に敷地が広い。
いくつもの庭園と、さらにその向こうに広がる、樹林や丘陵地そして大水路を備える王宮領と呼ばれる土地。
貴族街に面した王宮の入口、中央門側を正面とすれば、王宮の建物の裏側にどこまでも続くような広大な敷地がある。
年中王宮で過ごす王族の方々が、遠乗りや狩猟を楽しみ、船遊びや森遊びをし、家畜に触れ、いくつか点在する別邸に滞在して寛ぐためのもの。
一見、自然そのものに見える森林や丘や河川すらも、すべてが長い年月をかけて造られた人工のものだ。
“恩寵”を授けられた王は、自然すら従えることを許されている。
そんな王の権威を示すものでもあって、だから大廊下の大窓や、大窓から出られる回廊のようなバルコニーから、王宮の庭園と続く王宮領の風景が一望できるようになっている。
王宮主催のお茶会は、建物を出てすぐの左右対称に整えられた幾何学庭園と、その左右にやはり対を成すように造られている噴水庭園、さらにそれらの奥にある巨大な人工池。
お茶会と称していながら、その実、園遊会。
端から端まで移動するのも一苦労な範囲で、昼夜二日に渡って行われる。
この時期、王宮に仕える使用人や官吏達は忙しさに死にそうになる。
わたしもその一人だった。
なにしろ主催が王様と王妃様だから、装いからなにから準備が色々とあって……けれども侍女はまだましだと、げっそり頬もこけて青黒い顔色をした文官の方から言われたっけ。
その時は、大変なのはどこだって一緒でしょうっと思ったものだけれど。
たしかにこうして参加する側の立場となってみれば、王妃様の侍女は半分参加者側のようなもので、楽だったのかも。
枯葉や雑草の一片も見当たらない庭。
美しく並べえられたテーブルや椅子に、様々な素晴らしいご馳走やお菓子の数々。
何種類ものお茶やお酒や果実水。
日除けも兼ねる天幕や飾りつけに、給仕や護衛や救護等々といった会場準備。
舞踊劇や音楽会や馬上騎士槍試合といった、様々な催しまである。
各部門を取り仕切るのも、諸々の手配も大変に違いない。
「……王宮の色々な方々にお礼に回りたくなりますね」
「貴女のそういった謙虚なところは美徳だと思いますが、十分お礼に回る以上のことをされていると思いますよ」
いまさら行儀見習いの令嬢達に目を配るなど、貴女のすることではないでしょうとエスコートの腕を差し出されながらルイにぼやかれて、でも出来る範囲でって断っていますからと宥めながら差し出された腕に手を乗せる。
「帽子、邪魔にならない?」
彼の横顔を伺うように見上げて尋ねる。
日中ずっと屋外なので被っている帽子は、生成色の絹のつばの縁を幅広のレースで飾り、鮮やかな薔薇色の絹のリボンと、同じ色に染めた羽根飾りに造花まであしらわれている。
なんだか派手な鳥にでもなった気分だ。
垂れ下がるリボンや縁を広げるレースが、隣に並ぶルイの肩や顔に当たりそうで気になる。
「まったく」
返事と共に、掠め取るような早技で口付けられた。
しれっと何事もなかった様子で、わたし達の来訪を告げる声に従って参りましょうと、胡散臭いまでに麗しい外向きの微笑みを見せるルイに、は……白昼っ、人が集まっている場所でっと言葉も出ず抗議の目を向ければ、青灰色の瞳に若干意地の悪い光が差す。
「影に隠れて実にいい」
悪徳好色魔術師……。
「しかし、やはりリュシーの助言が入ると違いますね」
ルイの言葉に、わたしは自分が着ている服に目を落とす。
今日の装いは、何故かエンゾと共に屋敷から邸宅にやってきたリュシーの手によるものだ。
ロタールの屋敷と邸宅を繋ぐ扉は、限られた人にしか開け閉めでない。
扉の開け閉めするシモンをうんざりさせて、リュシーとマルテが屋敷と邸宅を行ったり来たり、ああでもないこうでもないと準備してくれた、帽子と同じ生成色の絹のドレス。
意外にも、飾り気の少ないものだったけれど、生地の黄色味は金糸を裏糸に織り上げた色で、陽光を受けて上品に煌めく。小花模様に見える刺繍や縁取りのリボンの薔薇色、袖やスカートに重ねたレースの繊細さが華やぎを添えている。
「陽の下で見ると更に輝いて見えるような貴女を、正直、集まっている男達の目に触れさせたくはないですね」
「ルイ……」
「ご夫人方とのお付き合いもあるでしょうが、私の目の届く範囲に」
念押しするような注意と共に、こめかみに唇が降ってきて、人妻になんの心配がと呆れる。
それに。
大層なほめ言葉だけれど、まさに輝かしいお姿な人に言われてもね……。
貴族社会でわたしの立場を一気に固めると決めたからか、これまで大半は魔術師のローブ姿で、社交に来たというよりは黙らせるといった構えでいたのに、素晴らしく公爵様な装いと愛想のいい様子で、隣に立つこちらが若干気遅れしてしまいそうなほど。
うっすら発光しているのじゃないかと思えるほど、会場の中で一際目立っている。
“公爵様よ”
“まあ、今日は魔術師様のお姿ではないのね”
“なんだか、いつもと雰囲気が……”
“髪を上げていらしても素敵”
“いいえ、寧ろ凛々しさが……っ”
今日のルイは、いつも顔周りできらきら淡い光を散らす銀髪を後ろに流し、ひと束ねにしている。それだけで端正な横顔の精悍さが増すのだから不思議だ。
ルイは一見すらっとしているけれど、その実、結構体格もいいものねと彼を見ていたら、ぼそぼそと彼がわたしに囁きかけてきた。
「マリーベル、あの方々は、私に勝手になにかしら重ねて単に楽しんでいるだけです」
「どうしたの?」
「貴女はいい気はしないのではないかと……」
遠巻きにルイを見て盛り上がっている方々のことかと少し遅れて気がつき、別に気にしていないと答える。
「目の保養、想像を掻き立てる格好の作品がそこにあれば、愛でるのは仕方がないと思います」
「なんですか、それは……」
眉間に薄く皺を刻む、ルイの呟きは無視する。
ああいった、遠巻きにルイに眺めて楽しむ方々は問題ない。
基本的に良識ある方々で、本当にルイに近づくようなこともないし、ルイの姿を愛でることに忙しくて意地の悪い言葉でわたしの噂話をすることもなく、まったくの無害だもの。
美しいものに心惹かれるのは仕方ない。
ルイについては、狡猾さや悪徳魔術師な面が先だったわたしなので、正直あまりぴんとこないのだけれど、巨匠が造りし傑作の如き姿だもの。
おまけに人の期待を裏切らない外面の良さ……いえ、人当たりの良さで微笑み、しっとりした美声で話すのだから逆上せもするだろう。
微笑みの大半が胡散臭く見えてしまうわたしでも、本当に微笑まれると少しばかりは胸の奥をきゅっと掴まれるような気がするし。
「いくらなんでも、なにもない方々のことではなにも思いません」
「私にただの紐ではない紐を括りけておいて、それに結構、悋気深いくせに……」
やってきた給仕係の勧めで、果実水をわたしに渡し、ご自分はお酒の杯を手にぼやきながら口元を緩ませるルイに、そんなに喜んでくれるのなら贈り甲斐があったわと思う。
杯を取る前に、その手からほんのり淡い銀色の光が見えたのは恐らく毒避けだろう。
人の出入りには入念な確認と、警備と監視の入る王宮主催の場だけれど、外で彼が気を抜くことはない。
ルイの髪を束ねているのは、朝、出掛ける前にわたしが彼に贈った飾り紐だ。
渡したそれを手にとって、「貴女がどうやってこのような品を?」と、ルイが訝しむだけのものにはなっていたようで、司祭長様に祝福の祈りをお願いしたと話せば、珍しく彼が使用人もいる前で心底から驚く様子が見られた。
なかなかに強力な、お守りに近いものとなっているらしい。
近いものというのは魔術とは異なるためで、ただ護りの力を帯びているのはわかるとルイはわたしに言った。
流石、大聖堂!
高位な聖職者による祝福の祈り!
「束縛の意味を込めた覚えはありませんよ。人を祝うばかりのルイにだって、と思っただけで」
「貴女が私のための図案を考え、糸から編んでくれたのですよ。それを貴女の手で結びつけられて、もう貴女に縛られたも同じです」
「結んでくれと仰ったのあなたじゃない。別のものに取り替えようかしら」
「嫌です。礼装にもローブにも合うようにしてくださってますし、髪も煩くないので手離す気はありません」
「気に入ってくれたのなら、なによりだけど……あっ、あの方々の中心にいらっしゃるのカトリーヌ様のお仲間の方です。ご挨拶しないと」
にっこりルイを見上げれば、彼の口の端がひくりと一瞬ひきつる。
「私を、売るつもりですか……」
「わたくしのための、公爵様な装いなのでしょう?」
わざと果実水の杯を口元に、少し首を傾げるように淑やかな言葉遣いで問いかければ、貴女近頃あの我儘姫や冠無き女王に毒されてきてはいませんかと、ソフィー様やカトリーヌ様が聞いたら怒りそうなことをルイが呟く。
孤高の公爵閣下と、侯爵令嬢の侍女の身分差恋愛物語な流行小説。
わたしはともかく、ルイを愛でる会とでも称したいような方々の間では、本の公爵閣下のモデルはすっかりルイだということになっているらしい。
そういえば、カトリーヌ様が最新刊が大変な展開で……と、つい先日、乙女のように頬を染めていらしたわ。
カトリーヌ様が大方の話の筋をお話しくださるから、本は購入したものの、なんとなく後回しにしてしまって結局読んではいないのよね。
女性達の心を掴んでいる場面はカトリーヌ様のおかげでばっちり押さえているから、王宮での雑談にも困らない。
王妃派の中心夫人のカトリーヌ様とソフィー様、それから王宮の女官長以外で、わたしが単独で近づいて親しく話せる貴族女性がいないのは問題だ。
あれこれとあったから、当然ではあるのだけれど。
「わたくしだって色々と努力しているのです。少しは協力してください」
「協力なら惜しみないつもりでいますが……まったく、“あの本”を書いている作家とやらを押さえつけたい」
囁くように話す声音を若干低めて、それでもわたしが足を向ける方へと、自然にわたしを連れていくルイは流石だ。
「そういえばあの小説の作者って、正体不明なんですよね。カトリーヌ様ったら作家を支援したいと色々手を回してお調べになったみたいで、ですがわからなかったのですって」
「ええ、でしょうね。私も少々調べましたが、かなり用心深い者のようで掴めませんでした」
「調べたの!?」
「ヴァレリー・リシャールは当然ですが偽名です。原稿は毎回場所を変えて王都の方々から届き、稿料は代理人経由で架空の人物に渡っています。正直、フェリシアン並の手際です」
それは、手強い。
「さしずめどこかの伯爵以上の貴族夫人が書いていると睨んではいますが……大衆向けの恋愛小説を発表するなど、あまり褒められたことではないですからね」
「王立劇場で演じられるほど人気があるのに?」
「男性の間では、妻や娘が入れ込んで困ると顔を顰めている人もいますよ。私に苦情を言われても迷惑です」
ああ、それで……押さえつけたい。
近づいてきたルイに、彼を遠巻きにひそひそと話していた女性達が色めき立つ。
わたし達が歩みを止めると、彼女達は一斉に淑女の礼を取った。
完全にその意識はルイに向いている。
彼女達が姿勢を戻すのを見届けて、わたしはにっこりと彼女達に応じるようにヴェルレーヌ仕込みの淑女の微笑みを浮かべて、一番中心にいた女性に話しかける。
「ごめんなさい。お話の邪魔をしてしまったかしら。ヴァランシエンヌ伯夫人のイザベル様でいらっしゃいますね」
「え、ええ。イザベル・ド・メーヌでございます。公爵夫人……」
「カトリーヌ様からお聞きしたの、素晴らしく腕の良い装丁職人を抱えていらっしゃるそうですね」
突然、わたしにそんなことを話しかけられても困惑しかないだろう。
かといって立場上、公爵夫人なわたしを彼女も他の方々も蔑ろには出来ない。
なんたって、フォート家は“大抵の貴族より立場は上”なのだから。
「マリーベル」
明らかに戸惑っている夫人を見かねてと言った様子で、ルイがわたしをたしなめるように呼ぶ。
「そのように不躾に話しかけては、夫人は驚くばかりですよ」
「まあ、あなたが聞いてくれ聞いてくれと仰るからではありませんかっ」
「……私は、そんなことは一言も、言っていません」
ルイは嘘が吐けない。
でもわたしは違う。
わたしの目論みを察したのだろう、ルイはため息を吐くと夫人を見た。
「失礼、妻が貴女に話しかけたのは私のためなのです」
これは嘘じゃない。
だってわたしが貴族女性の方々と交流を持とうとしているのは、公爵夫人としての立場を固めるためでフォート家のためだもの。
「あ、あの……わたくしに公爵様のお役に立てることが?」
「ええ、そうなのです」
果実水の杯をルイに押し付けるように彼から離れて、わたしは夫人の手を取った。
あからさまに驚いた表情は見せないものの、驚きに目を見開いた夫人を見詰めてわたしは微笑みを深める。
「実は、我が家の図書室にある、傷んだ本の修繕をお願いできる職人を探しているのです」
「本の修繕……で、ございますか?」
「ええ。夫は王都にあまり馴染みがなく、わたくしも心当たりがなくて……ヴァランシエンヌ伯といえば北部でも有名な蔵書家ですもの。奥様であるイザベル様もお詳しいって」
貴族の間でも流行しているとはいえ、大衆向けの恋愛小説だからカトリーヌ様とその装丁を自慢し合う仲間で聞いたことはぼやかす。
ルイとヴェルレーヌの奥方教育で、有力貴族家や有名な方の情報とその繋がりは、何度も頭痛を覚えたくらいに詰め込まれている。
あとは実際の人々とその情報を結びつけるだけ。
始まりの夜会では、もうそのことで必死だった。
だって招待された貴族の名前は読み上げられる、絶好の機会。
いくら王妃様の元侍女でも、名前と顔が一致するのはごく一部の人に限られる。
そしてわたしだって、ただ“二色のバラの会”や、女官長達の相談事だけで王宮通いをしてきたわけじゃない。
「近くささやかな夜会を開く予定なのです。イザベル様がよろしければお招きしてもいいかしら? お越しいただければ図書室もお見せ出来ますもの」
「公爵家の図書室……」
ぼそりと、小さく。
けれど確かに聞こえた言葉に、わたしは夫人の取り巻きの方々へも微笑みかける。
「もちろん、お友達の皆様もご一緒に」
「マリーベル……っ、そのようなお誘いは」
「いいえっ! 公爵様、大丈夫です」
わたくしも、ええ、公爵家の夜会にお招きいただけるなんて。
お取り巻きの数は四人。
伯夫妻と取り巻きの彼女達とそのお相手含めて十名。
まあ、大丈夫でしょう。
人手が足りないことへの算段はつけてある。
即席だけど、形にはなるはずだ。
「では、後日、あらためて招待状を差し上げますね。突然、失礼いたしました。またお話ししてください」
わたしの言葉に、今度は皆様一斉にわたしに淑女の礼を見せる。
「この度は、ご生家のことお祝い申し上げます」
「法科院から称号授与されるほどの、素晴らしい功績ですもの」
「夫がグレゴリー様の下におりまして、ユニ子爵にもお近づきできればと……」
「王家預かりの問題の子爵領も賜って、治めていた領主家に残された罪もない方々も領地ごと引き受けると聞きました。なんてご立派でしょう」
父様が受けることになったものは、これから行われる式典で授与されるけれど、正式にもう発表はされている。
この人達は特にわたしや父様に害意はなかった人達、でもこの言葉はこれまででは絶対になかったことだ。
「ありがとう存じます」
歓迎姿勢でいてくれるならそれはいいことよ、うん。
気分を切り替え、わたしはにこやかにルイを促して、彼女達から離れる。
父様は――。
モンフォールの当主様に搾取され続けたお陰で、連合王国貴族絡みの古い契約を何件も整理した功績と驚異的署名件数で、法科院から“偉大なる署名者”の称号を受け。
厄介な西部系貴族と連合王国貴族との関係をいくらか清算したことは、王国の国益にも大いに寄与していると、称号持ちが平民ではまずいと考える法科院の後押しで子爵位を賜った。
平民領主が男爵でもなく子爵に大躍進なのは、モンフォール家の悪事の窓口となっていた問題で王家預かりとなっていた、北部のロシュアンヌ子爵領を丸ごと拝領することになったからだ。
北部の西端の小領地。
モンフォール領だけでなく、ユ二領にもほんのちょっぴり接している。
それを幸いとしたユニ領との統合だった。
「貴族って面倒くさい……」
つい呟いてしまう。
一部の北部系貴族が、わたしの悪評を流しユニ家を警戒させようとしたのも当然のこと。
彼等にとっては、親玉が制裁を受けていい気味だと思っていた西部に、小領地でも持っていかれることになるのだから。
近頃、北部系貴族が優遇されていた王宮事情もあるらしく、体のいい調整弁だとルイは言った。
ユニ領は西部の中ではモンフォールを除けば独自の立ち位置でいて、いまやフォート家が治める東部ロタール領の庇護下にあるから、削いだ西部勢力に影響しない。
北部の反発も最少限で済むだろうと。
父様は正式な知らせが届いた時に、「儂の許容範囲を超えるっ!」と吠えながらロタールの屋敷のフェリシアンに愚痴を言いに来たそうだけど……。
「まったく……貴女という人は。私と図書室まで餌にするとは」
離れて、少し背の高い木々に渡すように布を掛けて作られた、日避けの天幕のところに差し掛かってそれまで黙って歩いていたルイが口を開いた。
「怒った?」
「事前に決めていましたね?」
「わたし、面倒はごめんです。でも王妃様のお力にはならないとだし、それにフォート家が王家絡みはともかく、特定の目立つ貴族とお付き合いを深めるのはあまりよろしいことではないでしょう?」
蔵書家で有名なヴァランシエンヌ伯。
その奥方である夫人もまた本がお好き。
夫人のお取り巻きの方々の夫や父親は、大臣や長官職を補佐する方が多い。
なにより貴族女性の中では本好きの集まりで、東西南北の派閥に関係ない平和な方々。
出来る限り面倒な力関係は避けたいもの。
「必要以上に王宮に通っていると思ったら……貴女に都合のいい方を選別していたとは」
「補佐官の奥方やお嬢様を押さえるのって、結構いい考えだと思うの」
「王宮を牛耳るつもりでいると、今度噂されたら反論できませんよ……実際に取り仕切っているのは彼等ですから」
「偉い人達のご機嫌一つで振り回される方々です。公爵家の後ろ盾と思うかどうかはお偉い方々の勝手ですね」
「……反発については?」
「わたくしのお友達は、目に見えない王冠を被り、お天気の話をすれば要職の方が雲のように動くと誤解される方ですから」
「結構」
押し付けた果実水の杯を差し出されて、恐る恐るルイの顔を見上げれば、ご機嫌斜めな表情をしていた。
「結構って、怒ってるじゃない」
「……呆れているだけです。まあ幸いジュリアン殿のことがありますから、その祝宴とできます。実際、ユニ領や元ロシュアンヌ領では王都から遠すぎてお披露目になりませんから」
眉間に杯を持つ手の親指の折り曲げた山で軽く叩く仕草をしながら、公爵家が招待客としてわざわざ選んだ理由というものがあるとぼやいたルイに、あっとわたしは声が出た。
「……ヴァランシエンヌ伯はともかく、取り巻きの方々は」
「上位の貴族から見れば、これといったこともない中堅貴族の家ですね。それでいて我儘姫と冠無き女王、彼女達の伴侶である法務大臣と前王弟と縁を結ぶ宰相輩出家の当主も招く。間をとって仕方なくモンフォールの三男も入れますか、彼も無関係ではない」
「ええと……」
「たしかにフォート家はそういったことで別け隔てはありません。しかし王都において建前はいるのですよ?」
詰めが甘かった。
麗しい微笑みが、怖い――。
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