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第三部 王都の社交

94.ユニ家の躍進

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 場所を邸宅の晩餐室に移して、父様がルイに行った報告によると。
 坊っちゃまが放棄した、モンフォール家の当主様が死亡または隠居なさる際、彼に与えられるはずだったものの相続権を取り返すばかりか生前贈与として譲り渡す交渉を父様はまとめてきたらしい。

 モンフォール家の信用は現在失墜している。
 その信用回復に残された唯一の希望。
 一族の内情を知らず騎士団に属し捜査協力し、一族内の良心の体現者たる坊っちゃまと完全な決別の形を取るのは、望ましいことではないでしょうということで。
 
 ただいま晩餐会は、父様による坊っちゃまへのお説教の真っ最中。
 ルイとソフィー様は興味深そうな面持ちでその様子を眺めながら、挽肉パイなどを楽しんでいる。
 ロザリーさんの作る挽肉パイは、玉葱の甘味と挽肉に混ぜたハーブと香辛料が絶妙な調和で、パイ皮は卵黄を塗った外側の狐色の艶も美しく、内側は肉汁が染み込んで、さくさくのしっとりでもう絶品だ。
 あの父様も、お説教しながらちゃっかり頬張っている。

「閣下のご依頼がなければ、伯爵家には一切関わる気もありませんでしたが……騎士団内でも微妙な立場になっていて、自ら財産を手放すなど正気の沙汰ではありませんな」
「いや、その……」
「万一、除隊を命じられたらどのように生きていく気だったのですか? お父上と違って性根はよろしい。しかし、短慮が過ぎる。ご幼少の頃から何度も忠告申し上げたはずです」
「……すまない」

 坊っちゃまは、わたしの隣でソフィー様の真向かいの席に座り、空席をいくつか隔てて末席にいる父様のお説教を、まるですぐ側で激しい叱責を受けているかのように縮こまって聞いている。
 実際は、食事の席であることもあって、淡々と静かに説き伏せるような調子なのだけれど。
 食事もあまり手を付けておらず、少々勿体ない。

 父様だけ離れた末席に着いているのは、ルイが客人として招き、わたしの実父で領主で貴族的職業人とはいえ、父様は平民のフォート家の雇われ法務顧問。
 今夜は仲間内とはいえ、他家を招いての晩餐会なので仕方がなかった。

 折角のお料理を前にして、もうそれくらいでいいのではないかしらとわたしが思ったところで、シモンがワインを父様に勧める。
 晩餐室はオドレイとシモンに、ソフィー様の侍女と護衛騎士を労う控え室はテレーズとマルテに任せている。
 オドレイが別のお料理を取り分けましょうかと坊っちゃまに尋ね、父様も坊っちゃまが食事どころではなくなっていることに気がついたようだった。
 フォート家の使用人達は優秀だ。

「……大変失礼を。申し訳ございません」
「問題ありません。モンフォール家の子息とはいえ、ジュリアン殿にとっては身内のようなものでしょうから」
「ジュリアン様が仰っていなかったら、わたくしが言っていましたわ……あわよくばルイ様からマリーベル様を奪還したいとすら思っていらっしゃるのでしょう? 支部の大隊長程度で財産もなしに有り得ません」
「奪還もなにも、はなからマリーベルは誰のものでもないですよ」

 ソフィー様の言葉をすかさずルイが正すのに、そうだけど、そんなむきにならなくてもいいのにと胸の内で呟く。
 言葉は魔術師にとって重要なものだからかもしれないけれど。
 そんなことを考えていたら、父様が苦笑を漏らす声が聞こえた。

「……相変わらずですな、貴女様は」
「他でもない、わたくしの恩人ジュリアン様のお嬢さまで、お友達でもありますもの。マリーベル様にはお幸せでいて欲しいの」

 ソフィー様がにっこりと微笑めば、ああ、と何故か父様は感極まったような声を漏らした。
 一体、どうしたのかしらと父様へと顔を向ければ、両手で顔を覆っていて驚く。

「貴女様には、何度も王宮への招きなど過分なお気遣いをいただいていたというのに、不敬に処されてもおかしくない返事ばかりして申し訳ありませんでした。叶うなら謝罪をと思っていたのです」
「グレゴリーが止めたのでしょう? 当然です。わたくし達がいけなかったのですから」
「そんなことは決してっ」
「奥様への狂言のこともあったのに、夫もわたくしもユニ家の事情を察せず、貴方を悩ませるようなことばかりしてしまったわ……謝るのはこちらの側です」

 そういえば、王族の姫であったソフィー様に対して煮え切らない法務大臣様の背中を押して二人の恋心を結びつけ正式な縁談となるよう、父様が手助けしたのよね。
 ルイから聞いた話では、法科院在学中に母様をモンフォールの手から守るため、寮で同室で友人となった北部の有力伯爵家嫡男だった法務大臣様に頼み込み、狂言の縁談申し入れをさせた。その借りを返すためだったらしいけれど。

 なんでも法務大臣様はソフィー様のお兄様と少年の頃からご友人で、ソフィー様は法務大臣様に淡い恋心を持っていた。けれどソフィー様は王族の姫。当時は子供でもあり、完全に妹扱いで終わってしまったそうで。
 そしてルイとの縁談が破談となって、少女時代のソフィー様は引きこもりがちに過ごしていたらしい。
 やがて王宮にも上がるお年頃となり、ルイとの破談はあるものの人の記憶から遠のきつつあるとされて、王宮主催の夜会にいわゆる令嬢としての正式なお披露目として出ることになり。
 その夜会の場で今度は法務大臣様が、久しぶりに会う美しく成長したソフィー様に一目惚れしてしまったらしい。

 父様は、ソフィー様と法務大臣様の縁談を助けた後、無事に母様と結婚するためのモンフォール家の契約を交わして、法科院の一員となる要件を史上最速最年少で満たしてしまった。
 平民でまだ若造だった父様の扱いに困った法科院は、父様の経歴を外部に漏れないように隠してしまう。
 そうと知らないモンフォールの当主様は、自分の影響下にある法科院出の法務人材として、父様を散々搾取した。
 その上で領主様がわたしのことまで狙ったために、ルイによって当主様の悪事が明るみにされ、法科院もそれに便乗する形で父様の経歴についての隠蔽工作を当主様のせいにして片付け、父様を法科院の一員として正式に公表した。

 本来の正しい在り方へ収まったからいいものの。
 それぞれ、とっても身勝手な大人の事情ばかりだわ……。

「……君の父親が一番怖いな」
「坊っちゃま……っ」
「なんだかんだで、王族に法科院、東部ロタール領まで味方につけている」

 だから余計なこと言わない! 
 
「当たり前でしょう。それぐらいでなけば、あの西部でどうやってユニ領を成り立たせるのです」
「そうです。平民階級でこの胆力に手腕なのですよ。本来、ジュリアン様が爵位なしの小領主でいること自体、信じられないことです。それをいいことにルイ様はまた抜け駆けをして……」
「ふんっ、事情通の癖にそれを生かす能力が足りないのですよ貴女もその兄上も」

 二人とも父様がお好きなのはわかりましたが、父様をめぐって火花を散らすのはやめてください……本当にもう、どの方も貴族疲れる!
 
 焼けたお肉の塊が運ばれてきて、これ幸いとわたしは両手を打ち合わせた。

「難しいお話は済みましたよね? 楽しいお話をしましょう。フォート家の料理人を、夫もわたしも偉大なる食の芸術家と呼んでいるのですよ」

 オドレイが、ちょっと物騒なものを感じないでもない手際で塊肉を捌く。
 そうしてわたし達の元へと運んでくれたお料理に目を向けて、わたしが努めて朗らかにそう言えば、たしかに我が妻の言う通りではありますねとルイは肩をすくめ、ようやく和やかな食事の場となってわたしはほっとした。

 父様の称号授与や叙爵のことは、父様自身も寝耳に水な話であったらしい。
 そういったことは話を進める際に、てっきり本人に打診があるものと思っていたけれど、よく考えたら打診があれば父様からルイに報告はされるだろうから、本当にルイを警戒して進められていたようだ。

「称号については確定です。なにしろ連合王国貴族絡みの面倒な契約を何件も解除や整理、仲裁していますもの。それだけでも十分国益に寄与しています」
「……あまり悪目立ちはしたくありませんが、法科院側の面目もあるでしょうからいた仕方ありません」

 父様は諦めたようにそうソフィー様に伝えて、肉を頬張る。
 ワインと共に飲み下して、閣下を通じて打診するおつもりだったのでしょうと言った。

「この期に及んで、貴女様を困らせる返事をするつもりはありません」
「ああ、成程……それも兼ねてというより寧ろそちらを主でいらしたのですか」
「ジュリアン様とのお話は、ルイ様を通さないわけにいきませんもの。いくら確定した話としても法科院やグレゴリーからの打診ではどうなるかわかりませんから」
「ジュリアン殿が正当に評価されることに異論はありませんよ」

 もちろん叙爵も含めてと、ルイは静かにナイフを動かす。
 
「ユニ領にとっても悪い話ではありません。叙爵するなら法科院からの称号授与と合わせた方が、周囲も納得し文句は出ないでしょう……マリーベルというよりは、ジュリアン殿への工作だったわけですか」
「そういうことです。表向きは元トゥール伯爵令嬢でも、マリーベル様がユニ領の領主の娘であることは周知の事実ですから」
「ああ、成程な。ユニ領の領地運営はうちのごうつくな親父殿すら心中穏やかじゃなかった。必要もないのにユニ領が昔の義理で上納してくれるものを甘受し続けておいて呆れるが」
「そうなるだろうから、目立つのは避けたいというのに……」
「けど、叙爵してくれるっていうなら手は出しにくくなると思うぞ?」
「簡単に仰るが、貴族の当主となれば付随する義務もあります。……しかし、王がお命じになるなら、そうする他ないでしょう。名誉なことです」

 なんだか……わたしを除く四人でうんうん頷いて、坊っちゃままでも納得されていますけど、わたしにはさっぱり話が見えない。

 トゥール家の養女となりさらにルイに嫁いで、すでにユニ家とは無関係な娘となっているわたしへの中傷がどうして父様への工作になるの?
 
 一人だけぽかんと呆けていたからだろう。
 マリーベル様は王妃様から信頼を得ていますからと、ソフィー様は微笑んだ。

「それに、王宮の中枢に意見できる方々とも親しいですから、元平民の侍女が成り上がって王宮を操ろうとしていると……」
「いくらなんでも、馬鹿馬鹿し過ぎます」
「ええ。馬鹿馬鹿しいことこの上ありませんけれど、真に受ける方もいます。マリーベル様の悪評を流し、ユニ家の躍進を警戒させる流れを作りたかったようです」
「そんな」
「今回の動き、恥ずかしながら北部勢力側のようで……例のモンフォール家の言いなりであっても罪が多くて制裁は免れない、西部に接する北部小領地がありましたでしょう」

 ソフィー様が果実水で薄めたワインを一口飲んで、そうルイに投げかけ、ああと思い出したような声を彼は漏らす。

「モンフォール家との契約があり、たしか王家預かりになっていましたね」
「先代からほぼ手下として非合法の窓口となるよう、無茶な契約結ばされていた……っとに、どうなってんだかうちの家は」
「まったくですね。三男どころか後継者たる長子までもが内情を把握していないなど、どうなっているのでしょうねモンフォール家は」
「薄々、怪しんではいたが……兄にとっては偉大な父だから認めたくなかったらしい」

 坊っちゃまの言葉に、さもありなんとルイは目を伏せて硝子杯を口に運ぶ。
 たしかに、威厳のある当主様だった。
 当主様に反発して、ご家族よりも父様やわたしといったユニ家の人間と親しくしていた坊っちゃまと違い、貴族の御子息らしい振る舞いでいた他のお兄様方には尊敬すべき偉大な父親で当主なのかもしれない。

「それで、その王家預かりはどうなっているのです?」
「……それが」

 ソフィー様が僅かに俯くようにして父様へと注意を向ける。
 父様は、気にしない様子でお皿に残っているものを平らげていたけれど、却ってそんな様子でルイは察したようだった。

「王家から法科院へ、法科院からジュリアン殿へ要請が?」

 ルイの問いかけに、食事の手を止めて父様がルイに黙礼するような仕草を見せる。

「私個人の案件に関しては守秘義務もあり、たとえ閣下であってもお伝えしかねます」
「成程。結構」

 私個人の案件、お伝えしかねますと言っている時点で、ルイの言う通り要請があったと打ち明けているようなものよね。

 王都へ学問に出ているし、わたしにしっかり教育を受けさせてもくれて、商人との交渉などは厳しい父様ではあるけれど……。
 それでも娘のわたしにとっては、人のいい朴訥とした田舎領主の印象の父様だから、ルイやソフィー様とこんな会話を交わす、こんな一面もある人だったんだ……とちょっと不思議に思える。

「おそらく哀れなる北部小領地の子爵家は、モンフォール家の縛りから解放されたことでしょうね。その扱いをどうするか、王家預かりとなっている西部に隣接する小領地……ふ、成程」
「ルイ?」

 なにか思案するような遠い眼差しをしているルイにわたしが声を掛ければ、それについてはここで私達があれこれ話したところで仕方がない、正式な通達を待ちましょうと言った。

「おそらく王宮主催の茶会に間に合わせるでしょうから」
「そんな急に? もう十日程しかありませんけど……」
「以前から進めていた話なら、最終的な調整段階ですよ……ロベール王も人の悪い」
「ええ。おそらく近いうちにジュリアン様宛になにかしら報せが届くと思います」
「いまは“箱”も使えますからね……法科院とユニ家の間で」

 ソフィー様とルイの言葉に、父様は恭しく承知の言葉を口にする。
 法科院が父様に行った諸々のことが明るみになったところで、ロタールの屋敷から戻ってすぐ、ルイと法科院とで協議がなされ。
 ユニ家には、現在三つの通信用魔術具の“箱”が設置されている。
 手紙などを瞬時にやりとりできるものだ。

 一つはロタールのフォート家の屋敷、もう一つは王都のこの邸宅、そしてもう一つは法科院。

 権威ある組織とされている法科院に、父様はフォート家の法務顧問だからフォート家を通して連絡をなどといったことは当然通用しない。
 それに事が明るみになる前から通常の手紙で、法科院と父様との間でやりとりはあったらしい。
 西部で連合王国貴族絡みの案件を、モンフォールの当主様の要請で行っていたからその経緯確認など。まさか搾取されていると法科院は思っていなかったから、単純に事務的なやりとりで。
 そのこともあって、報酬や法科院との優先順位など取り決めらしきことを交わしたらしい。
 もっとも報酬に関しては十分な額を五年分、一括前払いで支払っているからなんの問題もない。
 “箱”も取り決め一つで、通信手段においてフォート家が一方的に有利なのは許し難いということだった。 

「まっ、なににせよ……叙爵までされたら、我がごうつくばりの親父殿もそう馬鹿なことはできない。ちょっと領地を削られて、罰金やら賠償やら権利制限やら程度の制裁で済んだのも、ユニ領の親父さんが平民領主だったからなわけだし」

 坊っちゃまの言葉にわたしだけじゃない、彼以外の全員が嘆息する気配を確かに感じた。

「……本当にっ、坊っちゃまってどうしてそうなんですか?」
「なんだ?」
「坊っちゃまって本当に坊っちゃまですねっ!」

 ご自分はご実家と縁を切って味方側のつもりかもしれないけれど、実際そうではあるけれど。
 彼が、加害者側のお貴族様な家の息子であることには変わりない。
 それなのに、父様にもユニ家にもとってもとっても失礼だ。

 ふんっ、とわたしが公爵夫人としての嗜みも忘れて、坊っちゃまからそっぽ向けば不意に向かいの席に座るルイと目が合った。
 笑うのを堪えているような口角を持ち上げた微笑みに、つい、素のままで怒ってしまったことが少しばかり恥ずかしくなる。
 貴族夫人たるものいついかなる時も、淑やかに。
 余裕と威厳を持った微笑みで、けして感情的になってはいけない。
 フォート家の中ではいまさらなので、使用人の前で言葉遣いと立ち居振る舞いを崩さない程度にならそういったことはなしでいいと許されているけれど。
 
 もうっ……最近は結構、大丈夫になってきていたのに。
 
 わたしの修養が足りないのは重々承知の上ではあるけれど、それでもこれは坊っちゃまのせいだわ、と。
 わたしはひっそりと、坊っちゃまをもう一度だけ軽く睨みつけた。
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