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第三部 王都の社交

79.二色のバラの会

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『――王立劇場……ええ、“俳優達の家”。その五番個室の亡霊』
 
 亡霊……。

『数年前に流行っていた型の黒一色ドレスで……首まで詰まったレースを何段も重ねた。顔も頭もすっかり隠す薄絹のベールも黒、手袋も靴も扇まで黒尽くめの重々しい装いの令嬢の亡霊だとか』

 全身黒尽くめの顔を隠した令嬢の亡霊……。

『王都の貴族達の大半が集まる夜会や、有名な催し物の日に必ず現れるそうですよ。例えば、王宮で行われる始まりの夜会のような……生きて王都にいらしている貴族ならば普通はありえませんでしょう? 王が主催の夜会を無視して観劇だなんて』

 それって……。
 
『たまたま亡霊を見かけた方の話では、離宮の庭園辺りでどこへともなくすうっと姿を消してしまった、と――離宮といえば……』

 もしかして……。

「フォート公爵邸の目と鼻の先では? マリーベル様」
「え、ええまあ」
「……ええまあではなくっ!」
「はいっ」
「今、この王都の怪としてもちきりなのですよ!」
「そ、そう……仰られましても、カトリーヌ様」

 それ、たぶん、きっと、フォート家うちの夜番小間使いで元男爵令嬢のヴェルレーヌ・リモンヌですっ!
 なんて。
 言えるわけがない――っ!


 *****


 社交の始まりの夜会、王と王妃様への正式なご挨拶も済み。
 どう考えても物珍しい見せ物扱いにしか思えなかった、お披露目のようなダンスもなんとか乗り切って。
 夜会の後日、王妃様主催の派閥を超えた大規模なお茶会に。

 王宮の夜会が貴族全体の社交開始なら、王妃様のお茶会は主に貴族夫人の社交の開始で――。
 それもどうにかこうにかなんとか無事に終え。
 わたしは、ルイの妻・フォート公爵夫人として、貴族社会の皆々様への正式なご挨拶と交流を果たしたのだった。

 本当に、ダンス大変だったんだから。
 基本ステップを覚えるまではヴェルレーヌの厳しい反復練習。
 ステップを覚えた後は、ルイと実際に組んでの心臓にとてもよろしくない特訓。

 あっこれは我ながら上手く出来てるわといった時の……。
 耳元でほめてくださるのはいいのですけど、無駄に甘い声音で囁くのは勘弁してほしい。
 でもって体幹っていうの? 体の軸というか重心がずれた時の、すっと目を細めるルイの眼差しが氷のようで大変怖い。

 なんなのこの“飴”と“鞭”。
 普通にほめて、普通に注意してほしい。
 
 おかげで衆人環視の中、ルイがどれほど胡散臭い微笑みをわたしに向けようが、ちょっと強引な力でドレスの裾を華やかに翻すように踊らせてくれようが、もはやなんの動揺もなく凪いだ心持ちで、絶対姿勢は維持っ、としていられたのだった。


 *****

「使用人がなにか見たとかないのですか?」
「たしかにお隣ではありますけれど……」

 そして今日また、わたしは王妃様のお招きで王宮のお茶会に参加している。
 王妃様の私的なお茶会で、わたしに王立劇場の亡霊の噂を話して尋ねてきているのは、お茶会の場で顔を合わすのは二度目。王妃様のご友人として紹介をうけているカトリーヌ様ことセギュール侯爵夫人。

 そう。王宮の行儀見習いにいらしていた、アンリエット様のお母様。
 王妃様よりお年は一つ上。
 なんでも共和国によって国が滅び、エクサ王国へ逃れた王女の孫娘だそうで。
 金髪に紫の瞳を持つそのお色は亡国王族の証。
 そういえばアンリエット様も紫がかった目の色をしていたような気がする。
 俯きがちな方だったから、実はそんなにお顔を覚えていないのだけれど。

 そんなとっても高貴な血を引く、カトリーヌ・マリー・デスト様――これは王国読みのお名前で、お国の読み方ではカトリーナ・マリア・デステ様、これが本来のお名前らしい。
 あの内気で気弱なアンリエット様とは正反対に、女王様然とした優雅な迫力をお持ちの誇り高きご夫人で、とても親子に思えない。
 王妃様のお友達というだけでなく、その高貴な出自もあって王妃派閥の筆頭夫人として貴族女性の中で大変な存在感をお持ちの方だ。
 
「カトリーヌ、離宮と公爵邸はそれぞれの庭を隔ててかなりの距離があるわ」
「……それもそうね」

 王妃様の言葉で、あっさり納得したカトリーヌ様に内心ほっとしながらカップを口に運ぶ。
 ああ、王宮の素晴らしい香と味のお茶がお湯のように感じるわ。
 亡霊……ある意味そうかもしれないけれど、ヴェルレーヌは表向き“死んだことになっている”令嬢ではあるから。

 なんでもロタール領の隣にあったリモンヌ家の元領地で起きた、謎の連続吸血事件を装った人攫い事件。
 人攫い一味に嵌められて、ヴェルレーヌは彼女に犯人の魔物が成り変わったものだと仕立て上げられてしまった。軍部の調査によってすでに状況証拠は揃っていて、しかもルイにその討伐要請も通った後で覆すことも難しく、彼女自身の希望もあり、王家の判断にて彼女は死亡したこととなり、その身柄はルイが引き受けることになった。

「それにしても、カトリーヌ。王都の貴族達が他の場所に集まっていて、王立劇場にはほとんどいない日に現れる亡霊のことに、貴女、随分と詳しいのね」
「王立劇場に黒尽くめの亡霊のお噂ならわたくしも耳にしましたわ。夫のグレゴリーは馬鹿馬鹿しいの一言でしたけれど。社交の季節が始まって劇団の者が話題づくりにしている悪戯だろうと」
「ふふふ、法務大臣らしい見解ね」
 
 今日のお茶会は王宮のバラ園の東屋で、かなり小さな規模のものだ。
 小さすぎて恐縮する。
 何故なら完全に王妃様のごく私的な身内だけのお茶会だもの。

 王妃様とカトリーヌ様、そして法務大臣様の奥方であるサンシモン伯爵夫人ことソフィー様。
 王様の父方の又従妹の元王族。
 ソフィー・ダルブレ様……ド・アルブレをダルブレと称する、アルブレ家のソフィー姫。
 淡い茶色の髪に琥珀色の瞳で、微笑みがどこか悪戯っぽい雰囲気の方で王妃様方より少しお若い。
 法務大臣様の七つ下と聞いているから三十四歳、王妃様の十歳年下。
 なんとなく、年上を振り回す可愛いい妹って印象を受ける。

 なにかしら……この、王族か元王族と縁ある夫人の集いみたいなお茶会。

 わたしも一応、夫のルイが元七小国王家筋の公爵で、その妻ではあるけれど。
 どう考えても、ほとんど王妃様のお心遣いのお情けで招かれたようなものだ……。
 だって、王妃様に元王女に元王族の姫だもの。
 いくら公爵夫人だからって、わたしは元平民の伯爵家養女で、新参者でもあるし。

 バラ園の奥側の席に王妃様、その左右のお隣にお二方、わたしは一番外側の席に座っている。
 それでいいと思う、むしろそうでなければこの場の身の処し方に困る。

「エレオノール様、笑い事ではございませんっ。あの人ったらそのような悪ふざけが出るようならいよいよあそこも取締りの手をなどと……」
「あの、ですがソフィー様。物盗りやスリもおりますし、荒っぽいことをなさる貴族の殿方もいらっしゃいますから、法務大臣様から見れば風紀の面で問題視されるのは無理もないことかもしれません」
「マリーベル様も真面目ですのね……それが王宮にはない面白さではないですか」

 ソフィー様……それは絶対安全に守られるお立場だからこそ言えることです。
 物盗りやスリも怖いけれど、平民側の一番安い立ち見席なんかだと、流血ものの喧嘩など起きたりすることもあるのですよ。

「そうですね。ソフィー様の仰ることも大いにわかりますが、取り締まられてよろしい方もいますわね。舞台を邪魔するような者達など……」

 カトリーヌ様……例の貴賓席のお隣の個室を貸し切っていらっしゃるほど“銀灰公爵”がお好きですものね。
 ルイと観劇にいった時、バルコニーでちらりとお見かけしたお隣の貴婦人はカトリーヌ様だった。
 そういえば、あの時に聞こえたジャンヌって名前にも聞き覚えがある。
 アンリエット様についていた侍女の方が、そんなお名前だった。

「それはともかく。グレゴリー様とはまた違った理由でわたくしも亡霊とは考えておりません」
「えっ!?」
「……マリーベル様?」

 お皿の砂糖菓子を思わず摘み損ねたわたしに、ソフィー様が少しばかり不思議そうに目を向けたのにお菓子が指から逃げましたと誤魔化す。

「あのぉ……カトリーヌ様? 亡霊でなければ、一体……」
「それは決まっています、貴女――ヴ……」
「ええっ!」 
「マリーベル様……まだ、言っておりません」

 声を上げてしまったわたしに、訝しげな目でじろりとカトリーヌ様に見られて背筋に冷たい汗が流れる。

「失礼しました……少し気が急いてしまいまして、つい」
「意外とお茶目というかそそっかしいですわね、マリーベル様って」
 
 エレオノール様の第一侍女でしたから、お若くてもしっかり者の印象でしたと、ソフィー様が呟いたのに苦笑する。
 王妃様が、ちょっと先回りし過ぎてしまうところがあるのよね……と、暢気そうにわたしを庇っているのだかいないのだかわからないことを呟いてお茶を飲む。

 そそっかしくて結構ですけど、さっきヴって言いかけませんでした!?
 それこそしっかりした貴族夫人やご令嬢の記憶力の良さって驚くべきものだもの。
 男爵令嬢の頃は夜会など日が暮れてからの社交の場には出ていたと聞いているし、ヴェルレーヌ・リモンヌが生きているとかいいませんよね。

 ――ヴァレリー・リシャールです!

「え?」
「あらまあ、貴女がお好きな流行小説の、王立劇場の舞台の原作者?」
「ええ、そうよエレオノール。そうに違いありません。正体不明の覆面作家。本の版元が度々あの劇場に席を手配しているようですもの」
「カトリーヌ、貴女まさか調べたの?」
「わたくしは、気がかりは捨て置けないの。けれど、少しおかしいのよエレオノール」
「あらあら、貴女が困った顔をするなんてなあに?」
「個室一等席を固定で押さえるほどの料金を、劇場には支払ってはいないようなのよ」
「まあっ、カトリーヌ様ったらまるで軍部の密偵ね……」

 ソフィー様、何故そこで目をきらきらさせていらっしゃるのですか?
 だめでしょう、貴族夫人がそれもやんごとないお血筋の侯爵夫人が、そんなこそこそと平民階級の人たちの周りを調べるようなことをなさっては。
 調べられる側の心臓に悪いでしょう。生きた心地がしませんよ、きっと。
 それに版元さんは、そこにお勤めの方や関係者のためにお席を取っていらっしゃるだけだと思います。
 少し落ちついて座れる上等の桟敷席のような。

 噂から考えるにその五番個室一等席は、ヴェルレーヌに違いないもの。
 席はフェリシアンに頼んで、料金は自分で払いますって言っていたし。
 彼女の生家は、共和国との戦争資金を提供して爵位を得たほどの豪商。
 元男爵令嬢だし……フェリシアンに頼むのは貴族側の席なはず。
 フェリシアンが手配したなら、たぶん誰が頼んだかそう簡単にわからないようにはしていそうだけれど。
 それにしても。
 なるべく貴族の方々が少ない日を選んで、正体が分からないように装って行きますって……そういうこと!?
 どうしてそんなかえって目立つようなことを……これまたルイと揉めるやつだわ。

「ですが、殿方が女性の名前を使って書いている噂もありますわよね? わたくしも読みましたけれど、王宮の殿方達がお兄様や夫がぼやくような話と重なる妙な説得力が……」

 ソフィー様のお兄様はたしか軍部の長官職だったはず。
 バランの防御壁の魔術の件で、アルブレの署名の入った手紙がルイのところに届いていたの、ユニ領から戻った後で見たもの。

「一体どんな小説なのですか? 舞台は見たのですが、実はわたくしまだ読んでいなくて……たしかにお芝居でも色々と生々しいように思えるところがございましたけれど」
「まだ読んでいらっしゃらないですって!」
「え……あの、カトリーヌ様?」
「あらあら」
「……お覚悟なさった方がよろしいですよ、マリーベル様」

 わたくし達、カトリーヌ様に勧められて読んだのですもの――と、ソフィー様が肩をすくめる。

「羨ましいこと、これからあの公爵閣下の魅力をじわじわと味わえるなんて。たかが流行小説と完全に侮っていた初読の時の、このわたくしが戸惑い乙女の頃に戻ったような……」

 うん、カトリーヌ様が『銀灰公爵の奥方』がお好きなことだけは、わかります。
 わたしは舞台だけでなんだかもう別にいいかなあ……なんて思っていたのだけど。
 だって、身分違いの恋といったって、あの二人すれ違っている間も完全にお互い好きじゃない。
 出会ってすぐ理由もなく恋に落ちているじゃない。
 ちょっとでも顔を合わせればお二人の世界だし、もっと葛藤とか立場とか周囲のことを考えましょうよ。
 そんなお互いお気持ちだけ突っ走ってどうするのと……身分差婚経験者としては思うわけで。

「でもねえ、カトリーヌ。マリーベルにあのお話を勧めてもではないかしら」
「あらなに?」
「……そうですわね。こういってはですけれど、なんといっても現実の・・・孤高の公爵閣下ならぬ魔術師様を射止めた方ですもの」
「まあ……でもだからこそ」
「ええ、それもわかりますわ。カトリーヌ様」
「あらあら、貴女達……」

 ――ん?
 なにか、皆様、三人三様とっても警戒しかない微笑みなのですが?

「あの……王妃様? カトリーヌ様? ソフィー様?」
「ねえ、マリーベル。貴女もよく知っての通り、王妃といった立場はなかなか迂闊な話は出来ないでしょう? 私室で貴女に話しかけるのとは違って」
「とっくの昔に滅んだ国の王家の末裔というだけで、まるでわたくしが王冠でもあるかのように」
「ただお天気の話をするだけで、まるで要職にいらっしゃる方が雲のように動くと勝手に勘繰られたりもして……」
「……はあ」

 それは皆様のような方々では、仕方がないというものなのでは?

「かといって密談の魔術なんて疲れますもの」
「そもそも宮廷魔術師を呼びつけないとできませんからね」
「カトリーヌもソフィーもわたくしと同じ。ただ忌憚のないお喋りがしたいだけ。貴女が王都を離れた後、いつの間にかこうして時折集まるようになって」
「表向きは、王妃派閥の中心夫人限定の権威ある会などと誤解を受けているようですけれどね」
「“二色のバラの会”なんて名前までつけられていますけれど、夫の愚痴や惚気話、噂や趣味の話を楽しんでいるだけですの。ですから王家と微妙な間柄で王国の脅威な魔術師様の奥方のお話しでも、ここではただのお喋りとして裏を読んだりなんてしませんわ」

 いや、あの……。
 王妃様は夏の暑さを感じさせない涼しいお顔でお茶を飲んでらっしゃいますけど、どうして左右のお二人は徐々にこちらに身を乗り出してきているのでしょうか。

「貴女、結婚前は散々ルイを避けていたから心配していたけれど、結婚後の手紙が楽しそうでほっとしていたのよ」
「あの、王妃様……?」
「あの方の求婚事件は、憶測ばかりが飛び交って、わたくし達にも詳しい話が伝わっていなくて」
「なにしろお若い頃から、どんな令嬢とお見合いをお膳立てされてもとりつくしまのない方でしたもの……」

 か、か……勘弁して!

「一体、『銀灰公爵の奥方』とは、どれほど似ていて違っていらっしゃるのかしら?!」
「あの麗しくも偏屈な変人魔術師様がマリーベル様にはどんなでいらっしゃるの? 大丈夫、ここでの話は絶対に秘密厳守ですから、どんな赤裸々なお話も安心してお話しくださいませっ!」
「あ、あのわたくしの……お話しなんて……」
「諦めなさいな、マリーベル」
「王妃様っ、そんなっ……!!」

 “二色のバラの会”、怖ろしすぎます――!!
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