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挿話

67.5. 報告と祝い・後編

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「それで、トゥルーズと東部騎士団の件は。ムルト」

 応接間の壁際に控えていた、二人の侍女と従僕らしき使用人を払って、マリーベル嬢がさっきまで腰掛けていた場所に落ち着くと、奴ことルイは領主然とした物言いでそう私に促した。
 ご夫人である女性に嬢というのもだが、彼女の初々しい可憐さもあって、この四十間近の規格外魔術師のご夫人であるというのがどうにも腑に落ちない。
 自分の胸の内だけなら構わないだろう。

 概ねのところは、書面でこのフォート家の一切を取り仕切っている家令殿に知らせてあるため伝わっているはずだが、この男が屋敷に報告に来いなとどいうからにはそれでは満足できないのだろう。
 頷いて、ルイの隣に座るマリーベル嬢に若干困惑を覚える。
 あまり女性に聞かせるような話でもない。
 私が報告を逡巡していると、考えを察したのかルイは肩を竦めながら構わないと言った。

「私も同じ考えではあるものの、彼女には事の顛末を聞く権利がある」
「愉快な内容ではないと思うが、特に騎士団の調査の件は。マリーベル様?」
「大丈夫です。それにきっと表向きの事でしょうから」
「……では、まず貧民街への処置について――」

 もともと老朽化も著しい建物群の取り壊しに伴う退去勧告が一帯になされていたため、それを強制執行し区画全体封鎖して、まずはその根城となっている場所を物理的に一掃。
 その後の動きを見て、悪漢共が流れた店や住居を一斉摘発。
 軍部の一部と持ちつもたれつであった癒着関係は、以前に悪漢共を一掃しようとして横槍が入った際に譲歩すると見せて証拠固めに回っていたので、今回はそちらも事前に王都の軍部上層と東部騎士団内部に根回してて自浄の形で徹底させた。
 まさに粛清といっていい、統括組織も東部騎士団も上から下まで蜂の巣突いたような目まぐるしい騒動であった。

 そもそも貧民街に住んでいるのは悪漢共だけではない。
 全体で見ればむしろそちらはごく一部である。
 そのごく一部の悪者共のために、それまでの生活の場を強制的に奪われることになった住民への仮の住まいの提供、ついでの健康管理と指導や療養補助、就労支援や孤児の救済、などなど……向こう二年はかけて徐々にやっていくつもりでいたことを一気に行うことになった。
 正直、この二ヶ月の間に何度も多忙で死ぬかと思ったし、現場の者達も私と同様である。

 貴族街からの援護と支援がなかったら正直難しかっただろう。
 貴族街が協力し、東部騎士団支部と軍部が動いたのは他でもない、その後の北部と西部にもまたがる広域捜査が控えていたからである。

 東部の公爵夫人襲撃未遂と彼女を人質とした西部ユニ領への不当な介入、それまで表立ってはいなかった高度法務人材の搾取……取締る相手は西部の大貴族と北部の貴族に武装した賊である。

 王宮勢力的に、普段あまり目立つことがない東部系貴族にとってはその存在感を示すまたとない機会であるし、王都の軍部上層や東部騎士団支部にとっては大きな功績。
 どちらかといえば東部騎士団支部は国境任務が重点で、二十余年続く平穏の中、任務に若干飽きも差しているからいい気晴らしでもあった。
 軍部上層としては、要請すれば高額な費用がかかり、とっつきにくい法科院にも恩が売れる。
 これで乗らないわけがない。

 東部騎士団支部はここ一ヶ月ほどお祭り騒ぎだ。
 王から軍部上層と東部騎士団に褒賞も出たと聞く。
 そういえば王妃は西部と反目する南部系貴族出身、そんな王宮の事情も織り込んでいたのかもしれない。
 なにしろ我らが領主殿はやるとなったら徹底する。
 怒りに触れてのことであれば、手など緩めるわけがない。
 そうでなくとも、この男は手元にある札を効果的に使うことに長けている。
 握っている証拠を餌にちらつかせるなどお手のものだった。
 
「――現在トゥルーズの庁舎通りは興奮冷めやらぬ状態。統括組織は多くの者が過労で倒れかけたものの、結果的には貴族街の支援のおかげで予定よりも大幅に対策経費が削減され、支援対象の就労対策でその対応にあたる人員として雇用することで継続のめどもたち、あくまで結果的に・・・・現場の体制も早期に機能を回復、治安の面で他区画の住民も概ね好意的ではある」

 むしろ問題は、北部騎士団支部と西部騎士団支部との調整だった。
 地域を越境しての広域捜査は彼等の面目を潰すことになりかねない。

「北部は比較的小さい事案であることもあって、事前に話を通して事なきを得られた。西部に関してはどうも先方の大隊長にモンフォール家の縁者がいたようで」
「それって、坊っちゃま!」
「坊っちゃま……?」

 突然、声を上げたマリーベル嬢に訝しめば、モンフォール当主の三男だとルイが補足説明をした。なんでも彼女と幼馴染みの間柄であるらしい。
 
「父親である当主と折り合いが悪く、半ば出奔同然に騎士団に入ったらしい」
「成程。その大隊長が自分が縁者で利害関係者であることから、東部に任せることを西部の幹部連中に進言したようで」
「ほう、それは当てにもしていなければ、織り込んでもいませんでした」

 大隊長ごときで幹部が動かせるとも思えませんしねと、なかなか辛辣かつ本来であればその通りな言葉に私も頷く。
 元は東部騎士団の士長の立場にいたから、原則上官には逆らえない縦社会は身に染みている。

「大隊長は正直微妙だが、そこそこ求心力のある人物であるらしい。西部の幹部連中がこれを認め、それほど厄介なことにはならずに済んだ。まあ西部としてもすでに軍部上層が承知しているとはいえ、地域の親玉のような大貴族に切り込む役はやりたくない本音もあるだろう」
「堂々と東部に押し付ける言い訳を作ってくださったわけですか、あの三男は」

 おそらく、と私はルイに答えたが、同時に軍部も騎士団もなんだかんだといっても公平を重んじる気風はあるから、それもいくらか働いただろうと思われた。
 西部の幹部はさぞ数日、騎士団の理念と力関係の板挟みの気分であっただろう。

「偶然に助けられた部分は大きい。軍部上層と、北部と西部の騎士団支部へは、公爵家から謝辞と謝礼でも出してくれるとなおいいが」
「公爵家の権威と金と言葉で済むならいくらでも」
「……言い方」

 マリーベル嬢が半ば呆れて彼女の夫を咎めたのに、まったくだと私も同意する。
 この男の悪いところは自身の持てるものの価値を十二分に理解しながらも、まったく大事に思っていないどころか投げやりですらあるところだ。

「事実でしょう。こんな時に使わずしてなんのための公爵位です」
「ルイ……。あの、そちらについては当事者であるわたくしからも、お礼をしたためて添えることは助けになりますでしょうか。実際、わたくしのことで皆さんを煩わせていますから」
「それはこの男の心にもない謝辞などより、騎士団にとって余程名誉となる」
「ではそうします」

 微笑んだ様子が、この屋敷の庭で見かけた蔓バラの白く小さな蕾のようだ。
 本当に、この男には勿体ない。
 その他、明るみに出た悪事の詳細や彼女の父親に本来払われるべきであった依頼料の総額、法科院を通じて保証をどうするかなどの詳細を報告し終えれば、結構とルイは言った。ご満足してもらえたようだ。
 
「色々と尽力くださってありがとうございます、ムルト様」
「いえ、こちらはこちらの仕事をしたまで」
「そうです、マリーベル。大体、何故、人の妻を気安く名前で呼んでいるのか……そんな人ではないでしょう」
「わたくしがムルト様にそうしてくださいとお願いしたんですっ! 普段からなにかと無理を押し付けているみたいだし、ご友人なのでしょう?」
「……押し付けているわけでは」

 トゥルーズで見た時同様に、信じられないことだがこの可憐な奥方には弱いようだ。
 いやこれは、弱いというより……。
 
「それにこの男は独身です。それを私がいない隙に二人きりで……油断も隙もない」

 人の目の前で奥方であるマリーベル嬢の頬を両手に包む臆面のなさは、新婚であるから許すにしても、私にも彼女にも失礼極まりないことを言っている。
 見ろ、マリーベル嬢も呆れ返った様子で、貴様の失礼な言葉に顔をしかめているではないか。

「あのですね……リュシーやマルテやシモンもいたでしょう。それともなんですか、わたくしが不貞を成すとでも? 冗談じゃないわ!」
「だそうですので、諦めてくださいムルト。妻は誰にもやりません」
「ルイっ!」
「貴様という男は……本当に……」

 とにかく四十間近にして色惚け状態、かなりの溺愛ぶりではあるようだ。
 王都の社交が思いやられる。
 結婚に手を貸した王家も大変だ……この規格外魔術師といった一種の脅威を押さえていることを対外的に示すためだろうが。

「なんですか、ムルト」
「なんでもない。あまり奥方を困らせるな、逃げられてもしらんぞ」

 若干頭痛を覚えて額を掴んでため息を吐き、では私はこれでマリーベル様と立ち上がると、フォート家を辞した。


*****

「しかし他人の女ばかりを相手に火遊びしていたあの男が……あの年若い可憐な奥方とは……」

 預けていた馬を迎えに厩舎へと歩きながら、ふと、もう一つ私的な用もあったことを思い出して足を止めた。
 
「うっかりしていた。正直、癪ではあるが」

 公爵相手に結婚祝いを個人的に贈れる身分でもなし、ちょうど春の祝いも過ぎたばかりであるからと奴へ手渡そうとしていたものを渡しそびれた。
 大したものではないものの、用意しておいて持ち帰るというのもなんとなく気分が悪い。
 
「仕方ない、戻るか」

 再びフォート家の屋敷の玄関口を訪ねれば、最初に出迎えてくれた従僕の若者ではなく、よく見知った初老の家令殿がおやムルト様と声を掛けてきた。

「フェリシアン殿」
「お帰りになられたのでは?」
「そのはずだったが、奴に私的な用もあったことを思い出した。ああ、軍部上層への根回しについては世話に……いつもながら貴殿の王都の人脈は恐ろしいものがある」
「なに、先代からお仕えしている年の功というものです。旦那様なら奥様と音楽室に……ムルト様なら直接行かれても支障ないと思いますが、ご案内いたしますか」
 
 ちょっとしたものを手渡すだけだ、わざわざまた応対させるのも仰々しい。
 この家令殿が支障ないと言うのであれば大丈夫だろうと、案内は断って、なら直接向かわせてもらうと音楽室の位置を確認して屋敷に再び入る。

 王宮のごとく無駄に大きく、荘厳でかつその大半が廃墟同然に寂れ放題のフォート家の屋敷であるが、使用している棟だけでも十分広い。両翼付きのただの城だ。
 元は七小国の王城らしいが……ある程度の時点までは手入れも維持もしていたようで、寂れさせたのは比較的近い時代のようでもったいない。
 かといって往年の姿を見せれば、王国内に王家が二つあるように見える者も出てくるに違いなく、半ば面倒になって、半ば意図的に寂れさせているのだろう。

 音楽室らしい部屋に辿りつけば、部屋の扉が少しばかり開いたまま周囲に控えているはずの使用人の姿もなかった。
 人を払って、まさか昼間から……などと不埒なことも一瞬頭を過ったものの、であれば扉を閉め忘れるような男でもないだろうと思いつつ、しかし人払いしているならと扉を叩くことを躊躇ためらってうっすら開いた場所から室内を伺う。

 天井の漆喰細工も見事な広さのある部屋に、やたら豪華なクラヴィサンが置いてあるのが見える。大きく取った窓のそばに長椅子があり、他にも何脚か椅子が置いてあるのが見えた。
 ちょっとした演奏会もできるといった部屋なのだろう。
 建物の大半を寂れさせていても公爵家の屋敷にふさわしいだけの最低限の機能は残しているようだ。

 二人の姿はクラヴィサンに半ば隠れる位置に見えた。
 鍵盤を前にしてマリーベル嬢が椅子に腰掛け、その斜め後ろすぐ側にルイが立っている。特に取り込み中といった様子でも雰囲気でもないようだ。
 
「まったく、ご友人にあんな言い方ってないと思いますけど!?」

 憤慨しているといったマリーベル嬢の声が聞こえて、それがどうやら自分のことであるようなので、再び扉を叩こうとした手を止めてしまう。

「そうは言っても……私と彼は馴れ合うような間柄でもないですからねぇ。それにあの堅物の態度が、貴女には妙に和らいでいる」
「あなたの妻だからと気遣ってくださっているからでは? たしかに第一印象は少し厳しそうな方だなと思いましたけれど、お優しい方のようですし」
「ほう、あの無口で無骨な男が、お優しいことでもあったのですか?」

 何故、私がこのような人の屋敷の部屋を覗き見る出歯亀のような状態に……しかし、これは非常に入りづらい。

「ええ、約束していたあなたがいないのを怒っているのではないかと緊張していたわたくしに、ご自分は無口な質なだけで怒っているのではないと……ふふふ、普段も部下の方からも誤解されがちで、女性からも怖がられているなんて……」
「……事実ですけどね、それ」
「たしかに少しいかめしいけれど、素敵なのに?」
「は?」
「凛々しいお顔立ちだし、元騎士団員だけあって姿勢も良くて頼り甲斐のありそうなお姿で、それに真面目で一途そうじゃないですか」

 これは……絶対に入れない。
 いや、私自身が動揺して入れる状態じゃない。

 マリーベル嬢、いくら貴女の夫君の一応の友人であるからといっても、それは私を褒め過ぎだ。
 しかも容姿でいえば、超絶美貌のその男のがおそらく女性にとっては素敵の部類だろう。
 
「貴女はどうして……」
「なに?」
「なにじゃありません。私にはそんなこと一言も仰ってくれないではないですか」
「前にも言いましたけど、美形過ぎるとあまりそういった感じにならないんです。多少はどきりとしますけど、ちょっと違うといいますか」
「違う、とは」
「うーん……ああ素敵な絵だなあとか、綺麗な風景だなあとか、なんだかそういったのに近いのですよねあなたの場合」

 トゥルーズで奴の魔術の消耗して彼女が眠っている間、愚痴ともつかない惚気を聞かされてはいたが本当に奴の容姿が通用しないのだな……地位や名誉や財力にもなびかなかったらしいが。
 だからこそ手に入れ甲斐もあったなどとも言っていたが。

「これでも結構、うっとりした眼差しを向けられてきた自負があるのですけどね」
「知りませんよ、そんなことは……それよりムルト様をもう少し労って差し上げてもいいと思います」
「やけに肩を持つ」
「当たり前です。あれだけ色々と尽力してくださったのに」
「それをさせているのは私だとは思いませんか?」

 その言葉は若干、業腹ではあるが一理ある。
 奴は出自や経歴など関係なく働きの良い者には惜しみない。
 こういった大掛かりなことを仕掛ける際は、その材料を入念に揃える。
 我々が存分に動けるだけのものは用意してくれる。
 それに……。

「思いません。あなただってそんなこと思ってもいないくせに」
「……マリーベル?」
「なにかあった時のためでしょうけど、そのなんでもかんでも“自分がやらせている”っていうの、行き過ぎるのも考えものです。わたしにもちょっとそんなところがあるし……ルイ?」

 衣擦れの音がかすかに聞こえ、奴の姿がほぼマリーベル嬢と重なったのに、いよいよ入る機会を失ったなと私は音楽室から離れた。

 廊下を歩いている途中で、クラヴィサンの音色が小さく聞こえ始める。
 巧みではないものの、弾き込んでいる努力が実を結んでいるいい演奏だ。
 少々、あの男が羨ましい。
 
「ご用は無事に済みましたか?」

 屋敷内で家令殿の姿を探して声を掛ければそう尋ねてきたのに、いや会う気が失せたと答える。

「おやおや」
「なにか新婚の夫妻が一緒にいるところに行くのも気が引ける……悪いが奴に渡して頂けるか、大したものではないが結婚と春の祝いだ」

 上着の中から取り出した箱をフェリシアン殿に手渡す。
 
「トゥルーズでいま評判の新作菓子だ。あれでこういったものに目がないからな、あの男は……よければ奥方と一緒にと伝えてくれ」
「かしこまりました」
「では、失礼する」

 今度こそフォート家の屋敷を辞し、私は帰路についた。
 一通り片付いたものの、書類仕事がまだ大量に残っている。
 馬を走らせながら、まったくと首を緩やかに振った。

 本当に奴には勿体ないが。
 奴のような男には、必要な人だろう……。 
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