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第二部 公爵家と新生活
41.マルテとの対話
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「なるほど、これはよくできてますねぇ……うちの人が生きていたら飛びついたかもしれません」
「え?」
女性用の支度部屋で、午後のためにドレスを着替えの最中。
一番上のスカートと繋がって上半身を包むローブの背中のボタンをマルテに留めてもらっていたわたしを、しげしげと眺めて感心したようにテレーズさんが呟く。
ローブといってもルイが王宮で着ていた全身すっぽり覆う、いかにも魔術師や聖職者を思わせるものではない。
女性の服でローブといったら一番上に着る上半身を包む部分の上着とスカート部分が繋がったワンピースのようなものだ。大きく胸元を開いたものや、前身頃は開いてリボンや紐で閉じ合せたものなど型は様々ある。
わたしの着ているものは上半身はきちんと覆って、背中の中央で首から腰の近くまで小さなボタンで留めるもので、スカート部分だけ前正面を開けてなかに二重に重ねている薄物のスカートを見せて、後ろに少し長めに裾を引くものだ。
少しくすんだ薄い青色に染められた絹地は細い縦線の地紋が入っていて銀糸で花の刺繍が全体に施してあり、色は地味なのに光の加減できらきらと光の粉を散らすようで、胸元は幅広の生成色のリボンで飾られていた。
「あ、やっぱりテレーズさんもそう思いますか? 私もそう思っていました」
「なにが?」
可愛らしい声を上げたマルテへと首を回しながら尋ねれば、このお召し物ですと彼女は答えて、テレーズさんも大きく頷く。
「奥様が細身でいらっしゃることもありますけれど、そうでなくてもコルセットなしでも中で二重に重ねたこの薄絹とレース地のたっぷりした生地がとても綺麗にドレスのスカート部分を膨らませてほっそり見える形で」
「それにこの中の薄地スカート部分を見せるために、上にお召しになるドレスの重いスカート地が少なくて普通のドレスより軽いのにとても豪華に見えます」
「なにより、このなかに重ねた薄地のスカートですよ。昨日は刺繍を施した薄絹の下にレースでしたけれど、今日は上下を入れ替えて雰囲気が違って見えます。それに一番上にお召しになるローブを違うものにするだけで全然別物のドレスになりますよね」
二人がわたしのドレスについて力説するのに驚けば、旅の荷物と優雅な装いと動きやすさどれも捨てずにすむドレスなんて見たことありません、とテレーズさんは言った。
王都ではいまこんなドレスが流行りですかとマルテからも尋ねられて、とっさに答えられずフェリシアンさんからの資料に添えられていたリュシーからの助言のメモを思い返す。
「え、えっと……そう、春夏の社交向けのもので」
たしかこれって、この春夏向けのナタンさんの新作でたぶんルイが工房に出資しているからだろうけど、まずはわたしにお試しくださいって届いたもの。となれば王都にはまだ出ていないはずだしわたしも昨年の春夏でこういった型のものは見た覚えがない。
リュシーから、「ドレスのことを尋ねられたらナタン工房へ頼んで用意したドレスですって答えてくださいね」って書いてあった。
「お、王都のナタン工房へ頼んで用意したもので……」
「ナタン工房って、王都一の服飾職人じゃありませんかっ。でしたら新作!」
「え、ええ」
「トゥルーズの絹ゴーゼに刺繍するだけで、こんな繊細なスカートになるなんてって昨日から思っていたんです」
え、なに。
たしかに繊細で綺麗だけれど、そんな二人が興奮するようなドレスなの?
特にテレーズさん、死別した旦那様は大店の店員だったって聞いてるけれど、目が完全に商人の目なんですけれど。
もしかして将来は夫婦で独立みたいなこと考えていたとか。
「襞飾りに加工するか、高級な寝巻きや下着に使われるような素材ですからね。軽くてたっぷり使えば透け具合も上品で絹だから艶もありますし、染めでなく細かな刺繍だとまるで色糸をふんだんに使ったレース地のように見えて……やっぱり王都一というだけあって」
「昨日の旦那様と外に出られていた時も、行き交う方が奥様のドレスに目を向けていましたもの」
「あれは……わたしじゃなくルイでは……」
「たしかに旦那様も人目を引くお方ですけれど、そればかりではないと思いますよ」
全部のボタンを留めて、髪を結い直しますと椅子に掛けるようマルテに促され座り、テレーズさんに目配せして寝室の資料を持ってきて欲しいとお願いする。
わたしの目配せが通じたようで、テレーズさんは微笑むように目を細めると一礼して支度部屋を出て行った。
わたしの髪を解いて櫛を入れるマルテの様子を伺うように、目線を上に一度運び、どうしようかなと少し迷って、下手に遠回しに聞かないほうがいいかと、シモンのことなんだけどと単刀直入に彼女に切り出した。
ぴくりと、わたしの髪を梳くマルテの手が止まる。
「ルイから聞いたの、孤児院に入る前は一緒にいたのですって?」
「……あ、その」
「それにしては二人とも、なんだか余所余所しいから少し気になって。シモンはフォート家の従僕になる以前のことは知ってるわ。彼はフォート家の使用人だから特別な間柄のあなたとの間でなにか困りごとがあってできることがあるなら力になりたいの」
そんな……と、特別な間柄んて……そんなのじゃ……。
か細く呟く声が聞こえて、わたしは振り返って彼女に微笑む。
「あら、悪い大人からあなたや他の子供たちを守っていたのでしょう? シモンは。それってとっても特別だと思うのだけど」
「……奥様」
「それに会っていないのに、一目でお互いが誰かわかっていたし」
わたしがそういえば、マルテの白い頬から耳にかけてうっすらと赤みが差して、けれど彼女は沈んだ顔をして俯くと、でも嫌われてますと呟いて唇をきゅっと引き込むように閉じた。
そんなマルテをわたしは黙ってただ眺めて待つ。
ここでどうしてそう思うのとか、そんなことはないわとかいった言葉を掛けるのは簡単だ。
けれど、そんな言葉に沿った返答を聞いたところで、きっとなんの意味もない。
大事なのは、彼女の、奥底にある言葉に出来てはいない気持ちや、これから彼女がどうしたいかといったこと。
でなきゃなんの解決策も妥協点も見つけられない。
「……ずっと、心配だったんです」
一人だけ捕まって。
でも、私達は保護されるから大丈夫だって。
そしたら本当に、なんだか立派なところへ私達みんな連れていかれて……お風呂とか着替えとかご飯とか、いつもお腹ぺこぺこだったから小さい子達はすごく喜んで。
それでもシモンにいつまでたっても会えないのが寂しくて、どうしたんだろうって不安だったんです。
私はきっと牢屋に入れられちゃったんだって思って……そしたらしばらくして私達を孤児院に連れてきてくれた旦那様が来て、私達が大人になって大丈夫になるまで孤児院で面倒を見てくれるって、シモンは牢屋に入らないけど罪を償う必要はあるから旦那様のところで働くって。
でも、私達と会うのは自由だってだから最初は喜んだんですけど。
「シモンは一度も、会いにきてくれなくて……」
一年経って、二年経って、だんだん小さい子達はシモンのこと忘れていまではほとんど覚えてなくて……私はシモンと三つしか違わないから忘れてなくてそれで……。
「ずっと会いたくて」
泣いてはいないけれど泣いているみたいな、壊れそうな小さな声だった。
ずっと心配、ずっと会いたかったは、たぶんマルテのなかでは同じに違いない。
「……だけど、シモンが会いに来ないのは会いたくないからなのかもしれないって考えて、だってずっとシモンは私たちの分まで悪いことしてお金稼いで、いっぱい殴られたり酷い目にあってて、それなのになにも助けなかった私達のこと本当は嫌いで、本当は一人でどこかへ行きたかったのかなって……でも、私……」
「もしかして、貴族のお屋敷の働きたいって、シモンがフォート家で働いてるから?」
わたしが尋ねるとこくんとマルテは頷いた。
助けられたらいいなって……と、怖がるように呟く。
「それはフォート家で働きたいということ? シモンはあと五年は絶対にフォート家で働かないといけないの。それが彼が牢屋に入らずに罪を許されて、そしてあなた達をあのフォート家が出資する孤児院で面倒を見る条件だから」
「え……?」
マルテがびっくりしたように目を丸く見開いたのに、やっぱり知らなかったのねとわたしは息を吐いた。
「ルイから聞いてない?」
「いいえ」
「まあ、あなた達を気遣ってシモンが口止めしたのかもしれないけれど……」
うーん、でも口止めされていなかったとしても正直微妙なところだわ。
ルイは魔術以外のことについては、なにかと説明を省きがちだ。
年端もいかない子供たちを前に「あなた達はここで正式に面倒をみることになりました。衣食住は保証され教育も受けられます」とかなんとか、彼等の境遇についての条件だけを一方的に伝えてあの胡散臭くも麗しい微笑みで終わらせるところまで、目に浮かび過ぎる……。
「どうしてあなた達を避けているのかは本人に聞いてみないとわからないけれど、少なくとも破ったら身の危険がある契約魔術を結んで、ルイにあなた達のこと頼んでいるから、嫌ってるって線はないと思うの」
「あの、奥様……」
「なあに」
「どうしてそんな、私のことを気にかけてくださるのですか?」
臨時雇いなのに、と言ったマルテに気になるからと答えてわたしは前を向いて、マルテに髪を結ってもらうよう促す。
髪に櫛が入るのを感じて、でもあなたじゃないわと続ける。
「え?」
「シモンはフォート家の使用人だもの。彼がなにか抱えているのならそれはきちんと把握しておかないと。だからねマルテあらためて聞くけれど」
「はい……」
「あなたは、貴族のお屋敷の上級使用人になりたいの? それともフォート家で働きたい? そうではなくただ昔みたいにシモンと一緒にいたい? いずれにしてもあなたもシモンも一緒にいた頃とは随分違うし、だから昔と同じにはおそらくならないと思うの。もちろん他の考えだってあると思うけれど」
「……それは」
「いまわたしがあなたに伝えられることは、もしもフォート家で働きたいなら、フォート家の使用人として毅然と仕事をする人を求めます」
黙って手を止めてしまったマルテに、くすりと笑んで、別にいま答えなくってもいいのよと言えば、どうやら考えが追いつかないらしくマルテは目をぱちぱちと瞬かせた。
「あなたも知っての通り、わたし達は明後日の朝に立つし、その後もいくらでも来られるし、フォート家が出資している孤児院だもの連絡手段もいくらでもあるわ。それにあなたまだ未成年だもの……」
「はあ」
「きちんとよく考えてみてから、教えて」
ねっ、とマルテに念押しすれば、はいと小さな返事が聞こえてわたしは微笑んだ。
マルテが髪を結い終えて、手鏡で確認しながらその出来を褒めているとテレーズさんが資料を持ってきてくれた。
ありがとうございますとお礼を言えば、お安い御用ですとテレーズさんは応えた。
受け取った、フェリシアンさんが領地についてまとめてくれた資料をめくりその文字を追いながら、ふと思いつく。
「テレーズさん」
「一階のご準備ならお部屋を出たついでに確認して参りましたよ。問題ございません。皆様、食堂にお集まりになられますから、昼食は寝室のがよろしいかと思いまして旦那様にお伺いしたところそのようにと仰られたのでこちらに戻る途中でお願いしました。少しお待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、問題ありません」
うん、やっぱり。
マルテと話をするだけの時間の幅を持たせる間で、お願いしようかと思っていたことで全部やってくれている。
昨日、準備の相談をしていた時にも思ったし、この宿のベテランと聞いていたからそうだろうなとも思ったけれど、テレーズさんはかなり出来る。
「マルテ、紙とペンを。あと封筒も用意してくれるかしら」
「はい」
マルテが持ってきた紙とペンを受け取って、手早く用件だけの手紙を書くと封筒に入れて急ぎの印をつけて封をし、彼女に渡す。
「これから昼食だから、これをこの宿の“箱”でフォート家へ送っておいてくれないかしら」
「はい」
お願いねとわたしはマルテに頼んで、部屋付きの小間使いとしてお給仕をしてくれるテレーズさんに伴って寝室へと戻る。
「おや、綺麗にしてきましたね」
戻ってすぐさま、わたしがフェリシアンさんから届けてもらった伝説伝承の本から顔を上げてルイがそう声をかけてきたのに、そりゃ午後はお客様がいらっしゃいますものと答えて、長椅子に座っている彼の側へ近づけば、彼が右端に寄って場所を空けたのでそこに座る。
わたしが座った場所に昨晩積んでいた資料はいまはルイの右側にまとめて積まれている。
明け方に起きて、なんとか残り全部に目を通したのだ。本当に付け焼き刃だ。
部屋の入口から寝台までの間の広く空いた場所に、着替える前はなかったやや小振りなテーブルと椅子が運び込まれていて急拵えの食卓の準備がされていた。
「貴女が昨晩と明け方にあまりに熱心に読んでいたので、少しお借りしていました」
「いいけど、あなたなら知っている話ばかりでは?」
「知っていますが、頭で覚えている知識を思い浮かべるのとそれを文字であらためて読むのはまた違うものですよ」
「そう」
そんなものかしらと思っていたら、右手を取られて手の甲と指の境に軽く口付けられる。
まあ……支度して戻ってきた妻への挨拶みたいなもの、フォート家の使用人ではないテレーズさんもいる手前されるがままに受け流したけれど、書き物机の側に控えているシモンが隙あらばですねとでも言いたげな顔でルイを見ている。わたしも同感だ。
「積んである本が邪魔じゃない?」
「構いませんよ、私室と大してかわりません」
「ああ……」
一時的にでもシモンに頼んで書き物机に移動させようかとも思ったけれど、納得のお答えにそのままにすることにした。
それにしても。
朝から公爵領の領主様仕様でいるルイを横目に見る。
明るい空色の絹地全体に白と濃紺の糸で草花文様の刺繍を施した上着を羽織っていて、幅広の金糸を絡ませたモールで縁取った上着の下は、紺無地の中着、首元に回した豪奢なレースを胸元まで垂らし、白の脚衣をつけていた。
金の縁取り以外は色彩的に至って地味であるはずなのに、この蝶でも寄ってきそうな艶やかさはなんなのだろう。
昼食は、黄金色に澄んだスープ、鹿肉の煮込み汁を煮詰めた濃厚スープ、細かく切ったふかし芋に春告げる白い穂先を混ぜて塩と香草和えたものを焼いた山ウズラに添えたもの、白いソースで煮込まれた鶏、野菜の煮込み、鳩肉のパイ、干果物のタルト等が供された。
結婚してから美味しいものに事欠かないけれど……胴回りや腕まわりなんかが育ってしまいそうで。
近頃ちょっと悩ましい。
「え?」
女性用の支度部屋で、午後のためにドレスを着替えの最中。
一番上のスカートと繋がって上半身を包むローブの背中のボタンをマルテに留めてもらっていたわたしを、しげしげと眺めて感心したようにテレーズさんが呟く。
ローブといってもルイが王宮で着ていた全身すっぽり覆う、いかにも魔術師や聖職者を思わせるものではない。
女性の服でローブといったら一番上に着る上半身を包む部分の上着とスカート部分が繋がったワンピースのようなものだ。大きく胸元を開いたものや、前身頃は開いてリボンや紐で閉じ合せたものなど型は様々ある。
わたしの着ているものは上半身はきちんと覆って、背中の中央で首から腰の近くまで小さなボタンで留めるもので、スカート部分だけ前正面を開けてなかに二重に重ねている薄物のスカートを見せて、後ろに少し長めに裾を引くものだ。
少しくすんだ薄い青色に染められた絹地は細い縦線の地紋が入っていて銀糸で花の刺繍が全体に施してあり、色は地味なのに光の加減できらきらと光の粉を散らすようで、胸元は幅広の生成色のリボンで飾られていた。
「あ、やっぱりテレーズさんもそう思いますか? 私もそう思っていました」
「なにが?」
可愛らしい声を上げたマルテへと首を回しながら尋ねれば、このお召し物ですと彼女は答えて、テレーズさんも大きく頷く。
「奥様が細身でいらっしゃることもありますけれど、そうでなくてもコルセットなしでも中で二重に重ねたこの薄絹とレース地のたっぷりした生地がとても綺麗にドレスのスカート部分を膨らませてほっそり見える形で」
「それにこの中の薄地スカート部分を見せるために、上にお召しになるドレスの重いスカート地が少なくて普通のドレスより軽いのにとても豪華に見えます」
「なにより、このなかに重ねた薄地のスカートですよ。昨日は刺繍を施した薄絹の下にレースでしたけれど、今日は上下を入れ替えて雰囲気が違って見えます。それに一番上にお召しになるローブを違うものにするだけで全然別物のドレスになりますよね」
二人がわたしのドレスについて力説するのに驚けば、旅の荷物と優雅な装いと動きやすさどれも捨てずにすむドレスなんて見たことありません、とテレーズさんは言った。
王都ではいまこんなドレスが流行りですかとマルテからも尋ねられて、とっさに答えられずフェリシアンさんからの資料に添えられていたリュシーからの助言のメモを思い返す。
「え、えっと……そう、春夏の社交向けのもので」
たしかこれって、この春夏向けのナタンさんの新作でたぶんルイが工房に出資しているからだろうけど、まずはわたしにお試しくださいって届いたもの。となれば王都にはまだ出ていないはずだしわたしも昨年の春夏でこういった型のものは見た覚えがない。
リュシーから、「ドレスのことを尋ねられたらナタン工房へ頼んで用意したドレスですって答えてくださいね」って書いてあった。
「お、王都のナタン工房へ頼んで用意したもので……」
「ナタン工房って、王都一の服飾職人じゃありませんかっ。でしたら新作!」
「え、ええ」
「トゥルーズの絹ゴーゼに刺繍するだけで、こんな繊細なスカートになるなんてって昨日から思っていたんです」
え、なに。
たしかに繊細で綺麗だけれど、そんな二人が興奮するようなドレスなの?
特にテレーズさん、死別した旦那様は大店の店員だったって聞いてるけれど、目が完全に商人の目なんですけれど。
もしかして将来は夫婦で独立みたいなこと考えていたとか。
「襞飾りに加工するか、高級な寝巻きや下着に使われるような素材ですからね。軽くてたっぷり使えば透け具合も上品で絹だから艶もありますし、染めでなく細かな刺繍だとまるで色糸をふんだんに使ったレース地のように見えて……やっぱり王都一というだけあって」
「昨日の旦那様と外に出られていた時も、行き交う方が奥様のドレスに目を向けていましたもの」
「あれは……わたしじゃなくルイでは……」
「たしかに旦那様も人目を引くお方ですけれど、そればかりではないと思いますよ」
全部のボタンを留めて、髪を結い直しますと椅子に掛けるようマルテに促され座り、テレーズさんに目配せして寝室の資料を持ってきて欲しいとお願いする。
わたしの目配せが通じたようで、テレーズさんは微笑むように目を細めると一礼して支度部屋を出て行った。
わたしの髪を解いて櫛を入れるマルテの様子を伺うように、目線を上に一度運び、どうしようかなと少し迷って、下手に遠回しに聞かないほうがいいかと、シモンのことなんだけどと単刀直入に彼女に切り出した。
ぴくりと、わたしの髪を梳くマルテの手が止まる。
「ルイから聞いたの、孤児院に入る前は一緒にいたのですって?」
「……あ、その」
「それにしては二人とも、なんだか余所余所しいから少し気になって。シモンはフォート家の従僕になる以前のことは知ってるわ。彼はフォート家の使用人だから特別な間柄のあなたとの間でなにか困りごとがあってできることがあるなら力になりたいの」
そんな……と、特別な間柄んて……そんなのじゃ……。
か細く呟く声が聞こえて、わたしは振り返って彼女に微笑む。
「あら、悪い大人からあなたや他の子供たちを守っていたのでしょう? シモンは。それってとっても特別だと思うのだけど」
「……奥様」
「それに会っていないのに、一目でお互いが誰かわかっていたし」
わたしがそういえば、マルテの白い頬から耳にかけてうっすらと赤みが差して、けれど彼女は沈んだ顔をして俯くと、でも嫌われてますと呟いて唇をきゅっと引き込むように閉じた。
そんなマルテをわたしは黙ってただ眺めて待つ。
ここでどうしてそう思うのとか、そんなことはないわとかいった言葉を掛けるのは簡単だ。
けれど、そんな言葉に沿った返答を聞いたところで、きっとなんの意味もない。
大事なのは、彼女の、奥底にある言葉に出来てはいない気持ちや、これから彼女がどうしたいかといったこと。
でなきゃなんの解決策も妥協点も見つけられない。
「……ずっと、心配だったんです」
一人だけ捕まって。
でも、私達は保護されるから大丈夫だって。
そしたら本当に、なんだか立派なところへ私達みんな連れていかれて……お風呂とか着替えとかご飯とか、いつもお腹ぺこぺこだったから小さい子達はすごく喜んで。
それでもシモンにいつまでたっても会えないのが寂しくて、どうしたんだろうって不安だったんです。
私はきっと牢屋に入れられちゃったんだって思って……そしたらしばらくして私達を孤児院に連れてきてくれた旦那様が来て、私達が大人になって大丈夫になるまで孤児院で面倒を見てくれるって、シモンは牢屋に入らないけど罪を償う必要はあるから旦那様のところで働くって。
でも、私達と会うのは自由だってだから最初は喜んだんですけど。
「シモンは一度も、会いにきてくれなくて……」
一年経って、二年経って、だんだん小さい子達はシモンのこと忘れていまではほとんど覚えてなくて……私はシモンと三つしか違わないから忘れてなくてそれで……。
「ずっと会いたくて」
泣いてはいないけれど泣いているみたいな、壊れそうな小さな声だった。
ずっと心配、ずっと会いたかったは、たぶんマルテのなかでは同じに違いない。
「……だけど、シモンが会いに来ないのは会いたくないからなのかもしれないって考えて、だってずっとシモンは私たちの分まで悪いことしてお金稼いで、いっぱい殴られたり酷い目にあってて、それなのになにも助けなかった私達のこと本当は嫌いで、本当は一人でどこかへ行きたかったのかなって……でも、私……」
「もしかして、貴族のお屋敷の働きたいって、シモンがフォート家で働いてるから?」
わたしが尋ねるとこくんとマルテは頷いた。
助けられたらいいなって……と、怖がるように呟く。
「それはフォート家で働きたいということ? シモンはあと五年は絶対にフォート家で働かないといけないの。それが彼が牢屋に入らずに罪を許されて、そしてあなた達をあのフォート家が出資する孤児院で面倒を見る条件だから」
「え……?」
マルテがびっくりしたように目を丸く見開いたのに、やっぱり知らなかったのねとわたしは息を吐いた。
「ルイから聞いてない?」
「いいえ」
「まあ、あなた達を気遣ってシモンが口止めしたのかもしれないけれど……」
うーん、でも口止めされていなかったとしても正直微妙なところだわ。
ルイは魔術以外のことについては、なにかと説明を省きがちだ。
年端もいかない子供たちを前に「あなた達はここで正式に面倒をみることになりました。衣食住は保証され教育も受けられます」とかなんとか、彼等の境遇についての条件だけを一方的に伝えてあの胡散臭くも麗しい微笑みで終わらせるところまで、目に浮かび過ぎる……。
「どうしてあなた達を避けているのかは本人に聞いてみないとわからないけれど、少なくとも破ったら身の危険がある契約魔術を結んで、ルイにあなた達のこと頼んでいるから、嫌ってるって線はないと思うの」
「あの、奥様……」
「なあに」
「どうしてそんな、私のことを気にかけてくださるのですか?」
臨時雇いなのに、と言ったマルテに気になるからと答えてわたしは前を向いて、マルテに髪を結ってもらうよう促す。
髪に櫛が入るのを感じて、でもあなたじゃないわと続ける。
「え?」
「シモンはフォート家の使用人だもの。彼がなにか抱えているのならそれはきちんと把握しておかないと。だからねマルテあらためて聞くけれど」
「はい……」
「あなたは、貴族のお屋敷の上級使用人になりたいの? それともフォート家で働きたい? そうではなくただ昔みたいにシモンと一緒にいたい? いずれにしてもあなたもシモンも一緒にいた頃とは随分違うし、だから昔と同じにはおそらくならないと思うの。もちろん他の考えだってあると思うけれど」
「……それは」
「いまわたしがあなたに伝えられることは、もしもフォート家で働きたいなら、フォート家の使用人として毅然と仕事をする人を求めます」
黙って手を止めてしまったマルテに、くすりと笑んで、別にいま答えなくってもいいのよと言えば、どうやら考えが追いつかないらしくマルテは目をぱちぱちと瞬かせた。
「あなたも知っての通り、わたし達は明後日の朝に立つし、その後もいくらでも来られるし、フォート家が出資している孤児院だもの連絡手段もいくらでもあるわ。それにあなたまだ未成年だもの……」
「はあ」
「きちんとよく考えてみてから、教えて」
ねっ、とマルテに念押しすれば、はいと小さな返事が聞こえてわたしは微笑んだ。
マルテが髪を結い終えて、手鏡で確認しながらその出来を褒めているとテレーズさんが資料を持ってきてくれた。
ありがとうございますとお礼を言えば、お安い御用ですとテレーズさんは応えた。
受け取った、フェリシアンさんが領地についてまとめてくれた資料をめくりその文字を追いながら、ふと思いつく。
「テレーズさん」
「一階のご準備ならお部屋を出たついでに確認して参りましたよ。問題ございません。皆様、食堂にお集まりになられますから、昼食は寝室のがよろしいかと思いまして旦那様にお伺いしたところそのようにと仰られたのでこちらに戻る途中でお願いしました。少しお待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、問題ありません」
うん、やっぱり。
マルテと話をするだけの時間の幅を持たせる間で、お願いしようかと思っていたことで全部やってくれている。
昨日、準備の相談をしていた時にも思ったし、この宿のベテランと聞いていたからそうだろうなとも思ったけれど、テレーズさんはかなり出来る。
「マルテ、紙とペンを。あと封筒も用意してくれるかしら」
「はい」
マルテが持ってきた紙とペンを受け取って、手早く用件だけの手紙を書くと封筒に入れて急ぎの印をつけて封をし、彼女に渡す。
「これから昼食だから、これをこの宿の“箱”でフォート家へ送っておいてくれないかしら」
「はい」
お願いねとわたしはマルテに頼んで、部屋付きの小間使いとしてお給仕をしてくれるテレーズさんに伴って寝室へと戻る。
「おや、綺麗にしてきましたね」
戻ってすぐさま、わたしがフェリシアンさんから届けてもらった伝説伝承の本から顔を上げてルイがそう声をかけてきたのに、そりゃ午後はお客様がいらっしゃいますものと答えて、長椅子に座っている彼の側へ近づけば、彼が右端に寄って場所を空けたのでそこに座る。
わたしが座った場所に昨晩積んでいた資料はいまはルイの右側にまとめて積まれている。
明け方に起きて、なんとか残り全部に目を通したのだ。本当に付け焼き刃だ。
部屋の入口から寝台までの間の広く空いた場所に、着替える前はなかったやや小振りなテーブルと椅子が運び込まれていて急拵えの食卓の準備がされていた。
「貴女が昨晩と明け方にあまりに熱心に読んでいたので、少しお借りしていました」
「いいけど、あなたなら知っている話ばかりでは?」
「知っていますが、頭で覚えている知識を思い浮かべるのとそれを文字であらためて読むのはまた違うものですよ」
「そう」
そんなものかしらと思っていたら、右手を取られて手の甲と指の境に軽く口付けられる。
まあ……支度して戻ってきた妻への挨拶みたいなもの、フォート家の使用人ではないテレーズさんもいる手前されるがままに受け流したけれど、書き物机の側に控えているシモンが隙あらばですねとでも言いたげな顔でルイを見ている。わたしも同感だ。
「積んである本が邪魔じゃない?」
「構いませんよ、私室と大してかわりません」
「ああ……」
一時的にでもシモンに頼んで書き物机に移動させようかとも思ったけれど、納得のお答えにそのままにすることにした。
それにしても。
朝から公爵領の領主様仕様でいるルイを横目に見る。
明るい空色の絹地全体に白と濃紺の糸で草花文様の刺繍を施した上着を羽織っていて、幅広の金糸を絡ませたモールで縁取った上着の下は、紺無地の中着、首元に回した豪奢なレースを胸元まで垂らし、白の脚衣をつけていた。
金の縁取り以外は色彩的に至って地味であるはずなのに、この蝶でも寄ってきそうな艶やかさはなんなのだろう。
昼食は、黄金色に澄んだスープ、鹿肉の煮込み汁を煮詰めた濃厚スープ、細かく切ったふかし芋に春告げる白い穂先を混ぜて塩と香草和えたものを焼いた山ウズラに添えたもの、白いソースで煮込まれた鶏、野菜の煮込み、鳩肉のパイ、干果物のタルト等が供された。
結婚してから美味しいものに事欠かないけれど……胴回りや腕まわりなんかが育ってしまいそうで。
近頃ちょっと悩ましい。
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夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。
もう二度とあんな目に遭いたくない。
今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。
あなたの人生なんて知ったことではないけれど、
破滅するまで見守ってさしあげますわ!
あなたの婚約者は妹ではありませんよ
hana
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