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第二部 公爵家と新生活

39.魔術という技法

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 なに? 一体――。
 
 天井近く、空中に浮いている紙が瞬時に薄青い炎となって燃え尽き、蝋燭の灯りの薄明かりの室内がまるで満ちた月の光に照らされるように明るくなる。
 
 これって……。

 大きさはルイの掌ほどの小さなもの。
 紙が燃え尽きたそこに、これまで彼が大掛かりな魔術を見せた時に現れる、銀色の光の円が浮かび、中に描かれた緻密な紋様が歯車のように動いている。

「魔術の、陣……」
「今朝の補強作業で防御の魔術を写し取り、少し手を加えてみたものの……」
 
 やはり厄介な――低く呟く声に、天井からルイへと視線を移す。
 寝椅子にほとんど寝そべっている格好で、天井間近に浮かぶ陣を検分するように目を細めるその表情にわずかに不快の色が見て取れたのに、内心ちょっと驚いた。

 出会ってせいぜい半年くらいではあるものの。
 以来、ほぼ毎日顔を合わせ、結構長い時間を不本意ながらも過ごしてきた中で、明らかに彼がどう思っているのかを見て取れることは少ない。

 基本的にルイは、胡散臭いまでに貴族然とした優雅で穏やかな様子を崩さない。
 崩したところでどこか人を食ったような飄々ひょうひょうとしたものか、あるいは冷ややかに深めた魔王の如き微笑みかで、いまひとつ実際のところなにを考えどう思っているかが見えにくい。
 たまに困惑しているように見える時もあるけれど、それだってすぐなにか余裕のある表情に紛れてしまうから対して変わらない。
 
 わたしがお仕えしていた王妃様も、お世話になっていた法務大臣様も他にも王宮に出入りする貴族の方々も概ね表面穏やかで、あまり人に隙を見せはしないのだけれど、ルイの場合はちょっと行き過ぎなところがある。
 大体、普段からずっと一緒にいて彼を父親同然に慕っている従者兼護衛のオドレイさんが、彼が怪我を負っていても気がつけないくらい平然としているなんて彼のことをぼやくくらいだもの、流石にそこまでいくとちょっとおかしい。
 
 わたしも、はっきりわかる感情をぶつけられたのって、一度くらいじゃないかしら。

 父様に、ルイの求婚を受けなければわたしのような娘がまとまるような縁談は二度とないと言われて結婚が確定した憤りを彼にぶつけたら、何故か彼が怒って反対に詰め寄られた時。
 
 だから少々であっても、明らかに不快の色が見て取れるのはかなり珍しい、その分、不安しかない。
 厄介なって、なにか大変な問題でも?
 国境を護る、防御の魔術に支障が生じればそれは国に関わる。
 でも、今朝中央広場で彼が行った補強作業と仕上げはそんな様子には見えなかった。
 テレーズさんもこれほど光溢れるようなのは初めてって言っていたし。

 口元に指を添えてなにか考えている様子だったルイが、不意にぴくりと眉根を寄せる。
 彼の反応に再び天井を見上げれば、歯車のように動いていた紋様が噛み合わせが引っかかったように動きを止めている。
 軋むような揺れに徐々に円は歪んで、そして銀色の光は砕け散って消えた。

「えっ、壊れた?」
「壊れましたね……」

 ルイの言葉に、壊れたって……あんな緻密な魔術が失敗って結構大変なことになるのじゃないのと。
 天井と、なにもない天井には興味を失っているようなルイとを交互に見るわたしに、試しただけなのでなにも起きませんと、もういつもの平然とした様子に戻って彼はそう言った。
 彼にしては若干荒っぽい手つきで、額にかかる銀髪を掴んで息を吐く。

「なんですか? 見詰めるならもっと熱を帯びた目で見詰めて欲しいものですね、悪巧みの算段をするような目ではなく」

 思わず長椅子から立ち上がって、彼に近づいていたわたしを寝そべったまま見上げて、不審そうに指摘してきたルイに内心ちょっと後ろめたさを感じつつ、そんなことはと取り繕う。

 なんだろう……あまりに悩ましげなお姿だったので、壊れた魔術は大丈夫かしらと心配でありつつも、つい世のご婦人方が黄色い声を上げそうだなとか。
 画家に描かせたら、結構いい値で売れるのじゃないかしらとか、ちらっと思ってしまっただけで。
 これだから、美術品同等に鑑賞に耐える容姿をお持ちの方は困る。

「えっと……それより、防御の魔術を写し取ったって、大丈夫なの?」
「写しなので元のものに影響はしません。手を加えたものが機能するかどうか仮に動かして試してみただけです。上手くいきませんでしたが」

 想定以上に彼の魔力による補強を必要とした防御壁に対し、どうしたものかと零していたから対策を考えて試してみたということかしら、娯楽って言っていたのに。
 彼の言葉を考えながら、ずっと立って彼を上から見下ろし続けるのも不躾だなと寝椅子の脇に回る。
 頭を預ける側の肘掛の側で姿勢を低くすれば、ほぼ彼と同じ高さの目線になった。

「じゃあ、あなたや周囲に影響を及ぼすわけではないのね?」

 ええ、と答えた彼に胸を撫で下ろす。
 あんな、光が砕けちる様をみたらどうなるのかと思ってしまう。
 心臓に悪い。
 
「なにが厄介なの?」
「この頃の魔術はまだなにもかも一緒くたにして組み上げるため、効率もよくなく手を加えにくい」
「ええと……」
「ああ、それでは貴女への回答になりませんね」

 魔術は、本来は精霊や魔物等と直接交流し従えることができなかったヴァンサン王の子が、彼らに呼びかけの力を借りるために編み出した技法に過ぎない、と言いながらルイは身を起こすと、寝椅子の脇に取りすがるようなわたしに彼の隣に座るよう勧めた。

 ちょっと聞いてみただけのつもりが、これは説明が長くなりそう?
 さっき壊れてしまった魔術が問題ないなら、フェリシアンさんの送ってくれた資料に戻りたいのですけど……。
 
「マリーベル?」

 動かないわたしを再び促す呼びかけに、ああもう……っと、寝椅子の肘掛けに一度額をつけて立ち上がる。
 説明するのは魔術師として当然ってご様子。
 もともと、魔術の絡む話になると饒舌かつ懇切丁寧な解説をしてくれる人ではあるし、わたしが資料に戻っても、きっと滔々と話して聞かせてくるに違いない。
 尋ねたのはわたしだし仕方がないか、魔術に関する話をしている時は人を揶揄からかったり、絡んでくることもないしとルイの隣に座った。

「魔術はヴァンサン王の子が編み出したもの」
「いまや、魔術は王国が独自に保有する、他国に対する抑止力みたいなものになってはいますけれどね」
「だから魔術大国……でもその話と、さっきの防御の魔術が効率が悪くて手を加えにくいこととなんの関係が?」 
「神を法則、精霊を属性として人が実現したいと願うこと規定し、魔力を対価に命令し彼らの力を借りるのが魔術の基本です」

 法則というのは命令の処理に対する方向性、属性というのは様々なものにどういった役割をもたせて実現したいことを実現させるか。
 原則、神や精霊は、人が叶えたい願いに沿って規定した命令通りにしか力を貸してはくれないのだという。
 彼が詐欺師まがいのことはしても、嘘を避けるのは、偽りの言葉は神や精霊を欺き怒りを買う行為であり、常時彼等と盟約で共にあるような彼は用心してもし過ぎることはないためらしい。
 それにしては詐欺師紛いに人を口車にのせたり、隠し事は大いにして、解釈を相手に委ねたりが多いけれど。

 魔術を組むにあたっては、四季の女神と四大精霊が基本になるけれど、ものによっては他の女神や四大精霊の眷属とされる精霊たちも含めないことはない。
 序列のようなものもあるらしく、たとえば四大精霊は上位、その眷属の精霊は下位となり、上位精霊が組み込まれていなければ、その眷属である下位精霊は組み込めず、また下位精霊の役割が上位精霊を凌駕することもない。

「んん……?」
「人でたとえるなら、王の許可なしに家臣は勝手に動けず、王に雑用をさせる家臣もいないということです」
「……なるほど」
 
 人の場合は、あなたみたいな人もいるけれどと思ったわたしの考えを読み取ったように、彼は目を細めると、別格にあたるものなら命運の女神や輝きの精霊がそれにあたりますと言った。
 世界や時に関わることもあり、特殊な場合や高度な魔術にほぼ限られると。

「防御壁の魔術ですが、わかりやすく言ったなら、“冬の女神に従って、地の精霊他関連する精霊同士協力し外敵の攻撃を受けても耐える壁を維持し続けて欲しい、その分の魔力を術者は払う”、とでもいったところでしょうか」

 実際には、もっと込み入っているとルイは言ったけれど、説明されてもたぶんわからないし、彼の説明で十分だった。
 彼が手を加えたのは、大きくは“関連する精霊同士協力”と“その分の魔力を術者は払う”部分であるらしい。

「難しい命令や複雑な命令あるほど、それを動かすための対価となる魔力が沢山必要になります。魔術において省力化は重要。人の言葉でも文法などの決まりを大きく無視したり、まどろっこしい説明になればなるほど理解されにくく、ちょっとした言葉の違いで全然別のことになってしまったりすることはあるでしょう?」
「それが、効率が悪い?」

 わたしの質問にルイはうなずいた。
 彼がいくら魔力を使い放題といっても、使う肉体には限界がある。
 そもそも彼以外の人で、大掛かりな魔術を扱えるだけの魔力を有して操れる人はとても少ない。

「仮にいまの防御壁の魔術を、他の者が維持するなら一箇所につき選抜した宮廷魔術師が三ないし五人は必要になります」
「はっ?」

 き、宮廷魔術師って。
 ルイは除いて、魔術師としてこの国最高峰な、優秀じゃないとなれない人達ですよね?
 
「いまの魔術の技法では、命令における主軸となる部分と枝葉の部分は分けて組み上げるのが主流ですが」

 その方が、組み込んだ神や精霊の力が互いに干渉する恐れが少なく、問題や破綻を生じてもどこが原因か特定しやすいかららしい。
 わたしから見れば、ただただ不思議でよくわからないすごい力といった魔術だけれど、技法というだけあって研鑽により進歩洗練されていくもののようだ。

「防御壁の魔術が組まれた頃は、まだなにもかも一緒くたに結果だけを求めていたやり方だったのですよ」
「……たしかにそれは効率が悪そうですね」
「ん?」

 なにかをさせるにあたって、命令系統、優先順位、連携すべき部分、全体としてみた時に各々どう動くべきかが明確になっていなかったってことか。
 それは仕事をさせるにあたってはたしかに効率が悪い。
 指示したことしかできないのならなおさら。
 
「つまりこうしろっていう最初の命令と人員だけで、望む成果のためにどうにでも動けって言われているのに近いわけですよね。しかもそこにいるのは言われたことしかできない人ばかり」
「一体……なんの話をしているのですか?」

 ルイの顔を見上げれば、眉間に縦皺が深く一本刻まれていた。
 そのまま残ってしまったら、折角の鑑賞に耐える美貌が台無しだ。
 ああでも、そうか。

「そういえば、魔術の話でしたね」
「は? なにを言っているのです……?」

 この人、公爵様だものね……いくら悪徳魔術師で詐欺師紛いに人を丸め込んだり、根回しが美味い頭の良さでも、案外思慮深くて有能な領主様であっても。
 基本的にお仕えする人たちに、こうしてくれと言う側の立場な人だもの。
 家臣や任命している人達に下した命令一つで、一体どれほどそのさらに下で働く人達があれこれとそのために動いて整えるかなんてこと、きっとご存知ない。
 
「えっと、もしわたしが王妃様のために少し手のかかる仕事で人を動かすとしたら、こういった結果を出して欲しいこととその指示はもちろん、各々の得手不得手も見て仕事を采配します」

 そう言えば、ますます不可解だといったように彼は顔を僅かにしかめた。
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