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第二部 公爵家と新生活

26.ユニ領へ

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 フォート家の領地は広い。元七小国の一つ、東部の約六割を占める。
 移り変わっていく景色を眺めながら、ため息を吐く。

「おや、どうしました? 疲れましたか?」
「……」

 どうしたもこうしたも。
 馬車の振動と、車輪をつなぐ部品の軋みや荷台に括り付けた荷物ががたがた鳴る音を聞きながら、屋敷から出るな大人しくしていろじゃなかったのと項垂れて肩を震わせる。

「……して」
「マリーベル?」
「どうして、急に里帰りっ!?」

 思わず叫んだら、色々と横槍が入ってユニ家のお父上への結婚後の挨拶が随分と遅れましたからねえとのんびりとした答えが返ってきた。
 馬車は進む。
 
「それにやはりモンフォール伯にも一度ご挨拶した方がよろしいでしょうし。あなたのお母上の生家であるドルー家にも」
「いや、だから……」
「楽しみですねえ。実は西部って行ったことがないんですよ。なんといっても王国の庭と呼ばれる風光明媚な地ですからねえ。美しき河に山に海、七小国時代はそれはそれは栄えた面影が随所に残る……陰鬱で物騒でいまだに神話の時代を引きずる東部にはないものが多くて」
「あのー、もしもしー?」

 なに、この浮かれ観光旅気分は。
 まあ、確かにモンフォール伯の領地に近いマレーヌ河流域は美しい古城や城館や街が多くて素敵だし、大昔からのワインの産地。美しい葡萄畑や田畑が広がり食べ物も美味しくて……じゃなくて。
 王都から東部へは魔法で道行を短縮したりと大慌てな移動だったのに、今度は暢気に、王都を迂回するように北寄りに東部を回って途中途中の領地内の町や集落にも顔を出しましょう、あなたも挨拶したがっていたでしょうなどと。 
 馬車は進む。
 
「あなたのご実家のある地ではありますが、まさに新婚旅行にはうってつけと以前から考えていて……」
「いや、だから」
「貴女の体が心配でしたが、どうやら“元気いっぱい健康そのもの”なようですし」
「……なにか、棘がない?」
「まさか」

 どうしてそんなことをと、完璧に優雅な貴族そのものな出で立ち、仕草で、私に向ける麗しいその顔。
 きらきらと眩しいまでの笑みですこと。
 胡散臭いことこの上ない――。
 馬車は進む。がたがたかぽかぽと。
 車輪が回る音と馬の蹄の音を立てて。

「それにしても、いい加減、人拐いにでもあったような顔で睨むの止してもらえませんか。折角の新婚旅行で領地回りで里帰りでしょう?」
「同じようなものでしょうっ、なんっなのっ、寝入って起きたと思ったら急に挨拶回りへ行きましょうって!!」

 わけがわからないわ。
 もうやだこの人……実家に帰らせていただきますって、帰る途中なんだけどっ!

「“き事は急げ”といった言葉もあるじゃないですか」
「知りません」

 本当に面倒くさい、この変人魔術師。
 結局、わたしの問いかけもうやむやになったままだし。

 わたしが原因で眠り込んでいるらしいから、なんとなく気にかかってそのまま魔術師の部屋で彼の側についてベッドのサイドテーブルで手紙を書くなどして過ごし、そして夜になってようやく目を覚ましたと思ったら。
 わたしの顔をしばらくまじまじと眺めて、そういえばと魔術師は呟き。

『お父上への結婚後の挨拶が遅れていましたね。行きましょう』
『はい?』
『貴女の故郷のユニ領へ。どうせ移動するのなら挨拶回りもしてしまいましょうか』
『は?』
『いまからでも支度を調えさせて、明朝にも出発しましょう』

 貴族様の気まぐれにも程がある。
 それから、お屋敷の人々が大忙しで……そうこうしているうちに夜が明けて、皆にお見送りされてわたしは御者台にオドレイさんとシモンを乗せた馬車の中へ、新婚旅行と目を輝かせるリュシーに押し込まれ。
 いまに至る――。

「西部には名物料理も多いと聞きます。楽しみです」
「人の話を聞……」
「それに貴女のその魔術耐性は気になりますからね」
「え?」

 わずかに目を細めてわたしを見る魔術師は、先程までの胡散臭いまでの微笑みで浮かれた上機嫌でいた彼ではなく、まぎれもなく世間が口にするところの“竜を従える最強の魔術師”にして共和国との戦争で活躍した王の盟友、元七小国の王の末裔である公爵フォート家当主の顔をしていた。

「王宮で魔術に触れていないというのなら、次に疑うべきはご実家でしょう」
「ちょっと待って、父様は魔術なんて」
「お母様は?」
「え?」
「貴女が幼い頃に亡くなられたお母様はいかがですか? 西部は古くからの大貴族の家系が多い。モンフォール伯爵家もその一つ。古い貴族には貴き血を持つ一族がいると言い伝えもあります。遠戚のドルー家にそれが伝わる可能性は低いにしろ無くはない」
「そんな迷信」

 貴き血とは、いにしえの貴族と呼ばれた人たちは不思議な力を持っていて、だからこそ領主として人々を従え導いたという、いまとなっては学者をはじめとする人々から貴族に都合の良い作り話と一笑に付されている迷信だった。
 当の貴族の方達ですら冗談話に使うくらい馬鹿馬鹿しい迷信とされている。
 けれど、魔術師は大真面目にふんと皮肉気な笑みを漏らし、やや尊大にも見える様子で馬車の中で腕と足を組んで背もたれに身を預けた。

「どうですかね、私のような者もいるわけですし」
「なに?」
「……ヴァンサンの子。蔓バラ姫がそう私を呼んでいたでしょう?」
「ええ」
「言い伝えにしか残っていない、元七小国の人と人ではない者を統べた偉大なるヴァンサン王。いまだにフォート家に生まれた者はその名を背負わされる」
「……ルイ?」
 
 言葉とその振る舞いは常に優雅で丁寧な彼らしくもない、吐き捨てるような言葉に形容しがたい不安を覚えた。
 まるで彼は自分の家を忌み嫌っているいみたい。それに以前、自分の代で終わるつもりでいたようなことも言っていたような……けれど、初めて彼がまともに私に語った彼自身の話にじっと彼を見つめる。

「フォート家に生まれるのはヴァンサンの力を宿す男児が一人きり。そんな、それこそ迷信とともに」

 ――フォート家って、少子短命で有名だから。先代も先々代も四十位で亡くなっていて。
 ――子供も大抵一人なのよね。運良く男の子で代が途絶えてはないけれど。

「まあ仕方ありませんけどね。実際、男児ばかりで、それにフォート家の者は生まれた時から魔術師ですから。魔術に親しむ家系だから影響を受けてそうなるのではなく、知識だの技能だのは後付けです」
「なに、それ」

 彼の言葉への訝しみに思わず顔をしかめて呟いてしまった。
 魔術師というのは誰でもなれる可能性はあるものの、誰でも簡単になれるものではない。
 まず絶対必要なのは魔術への適性、魔力を上手く扱えるかどうかと王宮にいた頃に近衛騎士の人が教えてくれた。
 魔力を扱うことは訓練で誰でも少しは出来るようになるらしいけれど、魔術を生業にできるほど様々な魔術を操れるようになるには適性がいる。
 誰でも剣は振り回せるけれど、騎士として活躍するような剣技を身につけるには訓練だけでなく適性も必要になるのと同じ。
 その上で膨大な知識や理論に基づいて魔術そのものへの理解を深め、術を編み出し、それを操れるといったことが出来なければ、魔術師にはなれない。
 宮廷魔術師はその頂点とされていて優秀でなければなれない。
 名誉ある立場だけれど、その力と優秀さゆえに畏怖もされ厳しい規律に縛られている。
 王国は魔術大国だけれど、魔術師は大抵そんな尊敬と怖れが一緒になった扱いを人々から受ける。
 ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォートという長い名前の魔術師が、人々の尊敬と憧憬を集め、自由気儘に振る舞えるのは、呆れるくらい伝説的な国も救った英雄であるのと、王様の盟友であることと、由緒正しき魔術の家系であるためで特別だ。

「そもそもどうして急にそんな話を?」
「先日のあなたの質問にまだ答えていませんからね。さしずめあの事情通ぶった仕立屋からなにか聞いたのでしょう。以前、王宮で彼を見送った後、図書室ライブラリーで家名録なんか見ていたようですし」

 聞きたいことがあるなら尋ねてくれればよいものを、あまりいい気はしませんし尋ねられたところで話して聞かせるには退屈で長い話です、貴女が時々物言いたげな様子をするのを素知らぬふりをしていましたと言った魔術師に、たしかにこっそり調べた後ろめたさは多少あったので項垂れれば、怒ったわけではありませんよと彼の正面ではなく隣に座るよう促された。
 馬車であまり偏って座るのはと思ったけれど、この馬車は頑丈な造りではあるし、弱みを突かれたこともあって彼の促しに従って狭い中を中腰で移動すれば、緩やかに腰に腕を回されて弱い力で引き寄せられた。

「えっと……ルイ!?」

 わたしの左手を取って、嵌めている手袋を外そうとする彼に驚いて声を上げる。
 突然……なんなの、この人の気紛れにはついていけない。
 ぽとりと、彼の膝の上に卵色の手袋が落ちる。
 今日着ている鮮やかな黄色いドレスに合わせたものだった。

「やっぱり嵌めていますね、指輪」
「え?」
「こんなものは本当に、私にとってはただの金属の輪っかでしかないのですが」
「や、でも結婚指輪です……から」

 この人の妻という立場である以上は、嵌めておくべきものだ。
 少なくとも貞淑な既婚女性であるならそれが常識というもの。
 それに本当にただの金属の輪っかと思っているようなのに、わたしがそういった気で嵌めているのなら自分もそうしましょうと言ってそうしている彼を前には外せないだろう。

「それなのに、まだ私と離婚したい?」
「……それは、そもそも結婚自体が強引すぎて納得いかないと……いうか……」

 なんとなくもごもごと口ごもってしまう。
 自分でも、正直、少しわからなくなってきている。
 フォート家の使用人達は好きだ。皆いい人たちだし、令嬢でもなんでもない当主である魔術師の歳の半分しかない小娘でも奥様と親切にしてくれるのなら女主人として出来ることをしたい。
 それに魔術師に対しても、積極的に嫌いだと言えるほど嫌いではない。
 むしろ近頃ではなんだか歳やその理知的な性格の割に、変に子供っぽいような偏りが目について心配にも思うくらいで。

 そもそも好きや嫌いを自覚する前から彼と結婚して夫婦として契約上も身体的にも結ばれてしまっていて、貴族の政略結婚とかお見合い結婚ってこんなものなのかしらなんて考えていたよりもずっと平静でいられる自分自身に少し戸惑ってもいる。
 最初の頃こそ、まるで騙すみたいに人の言質を取って婚約しそのまま結婚まで進めてしまった魔術師に腹を立てていたけれど、なんだか時間が経ち過ぎてしまった。
 その間に色々なことがありすぎて……勿論納得はいかない。けれど特別嫌悪もないのにそこまで意固地になるほどかしらとそう思いかけては、いいえでもこの人は少なくともこの件に関してはわたしの意志も人生も尊重はしてくれなかったのだと思い直し、思い直せばそのことが悲しくて……悲しい?

「わたしは……」
「私の妻であるうちは妻として務めると言って、むしろそれ以上にこうして私の側にいる。結婚は白紙には出来ません。そもそも大聖堂に来たのもこうしていまも私の側にいるのも貴女自身がしていることです」
「それって……なんだか詭弁……」
「ええ、そうでしょうとも。たしかに外堀は埋めて貴女を追い込むようなことはしていますからね。ですが強制まではしていない。逃げ道だけは残していたつもりです」

 狡い。
 いまになってそれを言うのは狡い。今後一切逃げ道なんて残さないともこの人は言ったし、王妃様の侍女であった私に王権を後ろ盾に迫ってもおいて。
 堂々めぐりだ。
 この話は堂々めぐりにしかならない。わたしは魔術師自身ではなく、魔術師が進めたこの強引な結婚が納得いかない。けれど魔術師にこの結婚を一度白紙に戻すなんて考えはない。
 一度、白紙に戻す……戻してくれたらこの人を私は好きになれる?

「仮に、離婚したとして――そうしたら貴女の気は済むんですか? そして再び私が貴女に言い寄って貴女に歩みを合わせたなら今度は納得して私を好いてくれると」
「それは……」
「私にはとてもそうなるとは思えませんね。むしろ自分の都合で貴族に離婚させて、権威を尊重することや世間の常識とやらに弱い貴女が、そんなことは構わないと私が言ったところで一度別れた相手に向き合えるはずがない」
「なっ……!?」
「否定できます?」

 そう、問われてすぐには答えられなかった。
 たしかに魔術師の言う通りかもしれないと俯いて彼の手に捕らえられた自分の左手の薬指にはまっている金の輪を見つめる。
 しばらくそうして黙っていたら、やれやれと魔術師は呆れ返ったようなため息を吐いた。

「いつまでも待つつもりでいましたが、蔓バラ姫の一件でそうも言えなくなってきました……自覚がないままあちらに攫われても困る」
「ルイ?」
「わかっていますか? 貴女は常に私と“やり直す”前提で話をし、私のことやフォート家のことを考えているのですよ?」
 
 そう言って、魔術師が耳元で囁く。
 それなのに貴女の言葉のままお人好しにも離婚するわけがない、と。

 それは違う……と反論は、違いませんとわたしと額を合わせて至近距離で断言した魔術師の言葉と唇に塞がれる。
 指輪をはめた指を、魔術師の指先が輪をなぞるように撫でている。
 狭い馬車に、子猫が水を舐めるような音が小さく聞こえる。深い口付け。それに応じてしまっている。こうされることに慣れてしまったから? けれど離れていく時に微かに胸の奥から指先に疼くような小さな痛みと遣る瀬なさが伝わるのは何故だろう。

「わからない」
「マリーベル?」
「尋ねるといったってなにも知らなきゃ、尋ねようがないじゃないの。それにちょっとした会話の中に混ぜ込まれたって、ああそういうことなのねなんてなにも知らないのに気が回るわけないじゃないの……そんな人のこと……」

 まるで拗ねているみたいだ。キスされるよりもなんだか恥ずかしくて頬が熱くなる。
 だから触れて欲しくなんかないのに、わたしの左手を解放した魔術師の手が頬を撫でてくる。

「ええ、ですので少し話そうかと。長い移動時間を埋めるには丁度いい。ですが退屈の慰めにもならないつまらない話です。それでも聞きたいですか?」
「ルイ?」
「聞いたからにはこれまでのように貴女を待つこともしません……無自覚とはいえ、貴女は私が好きですよ。それでも初夜以外に触れるのは出来る限り貴女を尊重してきたはずです」

 言われてみれば。
 夫婦の営みどころか共寝ですら、五本の指で数えて余るくらいしかしていない。
 でもそれは彼が領地のあちこちへ出かけたり、研究に没頭したりと忙しかったからで……と思ったわたしの考えを読み取ったのだろう、深々としたため息を再び吐き出すと家にいるなら普通に寝室で寝たいですよ私も、私室のベッドは仮眠のためなんですからと恨めし気な声で彼は言った。

「だったらどうして」
「側に近づくだけで、身を縮ませるような新妻怖がらせてどうするんです? 初夜だって本当はあんな形には……まあとにかくもう若くないとはいえ私も男です」
「はい」
「大体、貴女なかなか悪くないですからね。細い若木のようでいてふかふかもしていて、豊満とまではいかないもののどうして意外と……それに薬でとはいえあれはなかなかこの先も実に期待できます」
「な、な……なにを仰って……」 
「最早少女という歳でもなければ乙女でもない、既婚女性がなにを魚のように口をぱくぱくとしているんですか。それでどうします?」

 人を下品に揶揄からかった上での軽い言葉ではあったけれど、聞けばきっと本当にこの人はわたしを離してはくれない気がした。そんな気配があった。
 薄々だけど、知っている。
 王宮のバルコニーで問答した時から、飄々とした彼の様子の中にはなにかとても重いものが潜んでいる。それにわたしが驚いたり怯えたりしないように少しずつでしか見せないことも、人を食った言動だけれど、本当にわたしに気持ちを向けているらしいことも……どうしてなのかが大いに謎で不審ではあるのだけれど。

「知りたいですか。私のこと」

 まるでお芝居で悪魔が誘惑してくるように、魅惑的な声音で魔術師が囁きわたしを抱き締める。流されてはいけないようなでも流されたいような。
 どちらにせよ、知りたいといった気持ちにわたしは勝てなかった。
 魔術師の、腕の中で頷く。

「どうして、急に?」
「貴女のことを知るためには、私のことを話さなければならないように思えたからです」
「私のこと? 魔術の適性や耐性がどうのってこと?」
「ええ、私はフォート家の魔術師ですから……ことわりを外れるようなことは見過ごすわけにはいかない。それが妻であっても、いえ、妻であるならなおさら」
「ルイ?」
「有り得ないことには、必ず、有り得ないことが起きるだけのものがあるはずなのです」

 ああ、そうか。
 気紛れではないのだわと思った。

 眠って起きても彼はわたしが平気でいることへの疑問だけを考えていた。そしてそれを解明するためなら、わたしに目隠ししたままでと思っていたものも晒すことにした。
 けれど晒すからには、わたしに逃げ場はないとたぶん彼の中では言っておかないと公平ではないのだろう。
 生まれた時から魔術師と少し忌々しげに言っていたけれど、魔術馬鹿だ。
 抱き締める力が少しだけ強まったのに、頭一つ高い位置にある彼の顔を見上げる。

 本当にどうしてそこまでわたしを? 
 一目惚れって王様の誕生祭で? 
 それにいくらそうであったって……。

 たくさんの疑問を乗せて。
 馬車は進む。がたがたかぽかぽと。
 車輪と馬の蹄の音をさせながら。
 フォート家の領地を巡って、ユニ領へ――。  
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