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公国編

第61話 打ち明ける王女と笑う王

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 朝、目が覚めてまだ眠っているフューリィの顔を眺めているうちにいつの間にかまた眠ってしまったらしい。
 次に目が覚めた時には寝台の中に一人きり、フューリィの姿はなかった。
 おそらくは騎士長としての務めに出たのだろう。
 まやかしの帝国は幼い私が考えたものであることやラテオのことを打ち明けた後、フューリィはとにかく眠れと言った。彼は私の話を聞いてどう思っただろう……彼の温かみすら残っていない寝具の表面に触れて起き上がる。
 寝台を下り、まだぼんやりしている頭を起こそうと水浴びした犬のようにぷるぷると首を振る。
 窓からの陽の光の加減から見てそれほど寝過ごしたわけでもなさそうだと、洗面などをする部屋へと、少し寝乱れた頭を手で撫でつけながらとぼとぼと足を進める。
 部屋が区切られ連結している造りに、まだ少し慣れない。
 王宮の自室はなにもかも出来るような広い部屋だし、王国の塔も寝る場所は小部屋を使っていたけれど広い一続きの部屋だった。
 
 王国から分かれて二百年余りしか経っていないから、公国の建物は、王国の王宮では民の者達も出入りする役人達が使っている一番新しい区画に近い。
 公爵家の建物もだけど、この教会書庫として使っているらしき別宮は一部公爵家の建物の影になる位置でもあってそれに輪をかけて陰鬱で窮屈な雰囲気がある。
 節制に勤しむ僧院みたいなものだから仕方ないのかもしれないし、本の日焼けを防ぐには丁度いいのかもしれないが、元々、賓客を歓待する場所だったと考えるとどうだろう。もっとも私にあてがわれている部屋がそれ向きじゃないだけかもしれないけれど。
 寝台など調度は立派で部屋の様子と不釣り合いだから、やはり部屋の問題かもしれない。
 どうでもよいようなことをつらつらと考えながら、すでに桶に張ってあった水で顔を洗って、髪を櫛で梳き、服の皺やずれを直して身支度する。
 こういったことは公国でなくても侍女に手伝ってもらうことだけれど、私は特定の者以外の人に触れられるのが苦手だったから一人でもお手の物だ。
 それが、とても王国の王女に対する待遇として相応しいと見られない、下手をすれば罪人よりも酷い扱いと思う人もいるものであることくらいは知っている。
 だから朝晩だけとはいえ、司教はあの修道士見習いの少年を私の元に置くし、昼間は大抵公国王の部屋か教会の書庫で私は過ごす。

「本当に……儀礼なんて厄介なものだ」

 もちろん、それが相手への尊重を示す道具として使われ、様々な背景の中で互いに余計な摩擦を避けるものとして機能することも知識としてはわかっているけれど。
 三つの小部屋が連なる真ん中の部屋に戻り、机の椅子に腰掛けた。
 私が度々昼餐や晩餐の前にお菓子を要求するために、朝、洗面の水が運ばれるのと一緒に、小麦の生地に蜂蜜を塗って薄く焼いたお菓子と林檎酒の瓶や杯が部屋に置かれるようになった。
 小麦も蜂蜜も贅沢品だけれど、そこは公爵家と教会だ。
 甘い物がないと頭がくらくらしてくる。
 これでお茶などあればいいのだけど、部屋の外にいるのは使用人ではなく見張りの修道兵だし、身の回りの世話をしてくれているのは例の修道士見習いの少年だから仕方ない。彼も今頃は司教の側で彼の仕事をしていることだろう。
 フューリィの計らいか、室内に人を控えさせないのは大変によい。
 
「ラテオのこと、フューリィは知らない様子だった」

 焼菓子を手に取ってかじれば、ぱりっと音をさせて狐色に焼かれた楕円形の縁が割れる。
 まだフューリィが生まれる前の話だ。
 公爵家にとって醜聞だから隠されたのかもしれない。
 古参の者は知っていそうだけれど、王国よりもはっきりとした階級差のある公国で当時の王太子としてはいくらなんでもなことだからただの噂として片付けたかもしれない。
 そのために、フューリィの大伯父であるはずの尊厳公の子を身ごもった女性は公国から追い出された。有り得ることだ。当事者がいなければ、それ以上、事も大きくはならない。

 だからって王国に来られても困るのだけど……。

 焼菓子を頬張って、もぐもぐと口を動かしながら考える。
 甘みでだんだん目が覚めてきた。
 公国王は知っているのだろうか。
 王国もそうだけれど、王族でもそのごく一部にしか伝わらない秘密というのもはあるものだ。
 尊厳公に会いたい。
 若い頃は次代の君主として人々の期待を集め、乱心の如き素行の問題で王太子を外されたという先々代公国王の兄――どんな人物なのだろう。

「ここでこうして考え込んでいても仕方ない。よしっ」

 胸の中に重石があるような苦しさは変わらないけれど、フューリィに話したことで、事実として突き放して見られることも出来そうな気がする。
 それに下手にラテオの側から伝わっても厄介だ。
 秘密なんてものは秘密としているから弱みになる……もちろん私が元凶と最悪の方向へ進んでしまう怖さはあるけれど、策略に乗せられるよりはましだ。
 なんのためにフューリィの考えに乗じて、半ば誘拐のような形で公国にやってきたんだ。
 最短かつ最速の手段で、他の勢力と関わらず、単身で公国王と直接会談機会を得るには、フューリィの誘いに乗って攫われる、この方法しかなかった。
 最優先事項は、王国はこれまで通りの公国存続を望んでいると、公国王と公国を動かす中枢に信じてもらうこと。その上で、公国と対等な同盟関係をあらためて結ぶ道筋をつける。
 その間にトリアヌスは公国内の民に、王国軍に対する信頼を印象付ける。
 王国から公国が分かれた経緯を示すものが見つからなかったから仕方ない。

*****

『正直、防衛以外で王国騎士団を公国のために動かすのは難しいと申し上げざるを得ません』

 東都から王宮に戻って、宰相執務室でトリアヌスに相談した私に彼はそう言った。
 いくら友好国だったといっても暗黙の了解で、これまで通商くらいしか取り決めが王国と公国の間にはないからだと。
 王国と公国では国力差、特に武力においては差がありすぎて、対等な関係を維持しようとすると双方なにも言えなくなると。
 王国から申し出ればそれは取り込むぞといった脅しに捉えられかねず、かといって公国から申し出てもそれは王国におもねったと評価される恐れがある。
 
『だからこそ互いに介入しない不文律だけで、長年の懸念事項となっているのですから』
『そこをなんとか、同盟かなにか』
『ほう。ティア王女はわたしとフェーベ王女が、この数年、対公国外交でどれほど骨を折っていると?』
 
 ビシっと室内の空気が凍るような音が聞こえた気がして、ゔっとテーブルに突っ伏した。なにか知らないけれど、いや単純に諸々負荷がかかっているからだろうけれど、相談する前から執務机の席に座るトリアヌスの機嫌が恐ろしく悪い。
 これまで文官達やカルロの話だけで、私や姉様にはあまり見せようとしない部分が見えているぞ。私は姉様と違って、小さい頃にあのきらきらした副官を叱り付けたお前を見ているからなんとなく知っていたけれどと声には出せないことを胸の内で彼に言う。

『ぶ、文化交流と技術協力で突破口をというのは姉様から聞いた……だからフェーベ姉様は時々一の姉様のサロンにも出入りしてて……』

 フェーベ姉様の婚約話なんかも持ち上がったりもしているし。
 そもそも姉様が狙われて、東都からあんな殺気立って戻ってしまうくらい姉様が大切ならさっさと求婚したらいいのに。宰相なんだし。
 姉様だってトリアヌスが好きなはずで……色々と言う人がいそうなのはわかるし、トリアヌスが義兄になるのはかなり嫌だけど。
 
『それとて難航しています。公国は知識が既得権益と結びついている。それに王国の技術を公国に提供することについては、当然、王国内でも歓迎されてはいません』
『まあそれは当然だな。相手の力を増すのを助けるわけだから。帝国のこと以外にこれまでまったくなにもなかったわけではないし……』
『そもそも公国が帝国の属国になろうが、王国にそれを助ける義理はない。介入すれば即それは最初の不文律を破る議論に戻ります。そこをなんとかしようと公国の建国経緯を調べていたのでしょう』
『まあ』
『それが見つからない以上、難しい。これはお義兄様の騎士団本部参謀殿並びにフェルディナンド総長も同見解です』
『テティス姉様は?』
『あの方が騎士団の頭脳として信頼する本部参謀殿ご夫君の意見に従わないと思いますか?』
『あぁあ~~っ!! そういうのなんとかするのお前得意だろっ』

 お願いだ、このままにしておくわけにはいかないんだ。
 両手を組み合わせてトリアヌスを縋るように見つめれば、彼は額に手を当てて諦めたようにため息を吐いた。
 
『だって、お前、難しいって言った! トリアヌスが出来ない無理って言わないならなにかあるんだろう?』
『教えたくありません』
『トリアヌスっ!』

 焦れて叫んだ私に、再度ため息を吐いて彼は彼の執務机に向かってこちらと話していたのから立ち上がって、私に近づいてきた。
 
『かなり無理筋な上に、成立要件もあります』
『成立要件?』

 私のすぐ側まで来て、家臣の儀礼で椅子に座る私の足元に跪いて私の手を取る。

『危険も伴う。ティア王女まで失ったらあの方は……』
『お前……それ、宰相失格発言だぞ』
 
 公国絡みで私になにかあったなら、宰相であるトリアヌスが最優先で憂慮すべきことは王国のことだ。王でもない、ましてや公国のこの件についてなんの権限ももってもいない第三王女であるフェーベ姉様じゃない。

『東都では有り難うございました。御礼申し上げねばとずっと思っていたのです。ティア王女が口実を与えてくれなければ、あのような失態……すでにこの部屋にわたしはおりません』
『王国や父様にはお前が必要だ。私もトリアヌスがいなくなったら困る』

 そこまで思うなら、どうしてと思ったが口をつぐんだ。
 それについてはトリアヌスと姉様の個人的な問題だ。
 私が口出すことじゃないし、それにいまはそんな時でもない。

『失態と思っているのなら教えろ。姉様はトリアヌスが思っているほど弱い人じゃない』
『心外ですね、わたしがあの方の強さをわかっていないとでも仰るのですか?』
『トリアヌス?』
『心配なのはあの方ならできることを、最もそれを苦手とするティア王女が行わねばならないということです。失敗すればティア王女の命と王国の今後にも関わる。あの方を支えてきたものを自分がそれを担えなかったゆえに失う。どれほどあの方を絶望せしめるか』

 だからわたしは……と、漏らしたトリアヌスの言葉を私は聞かなかったことにした。

 ――あれはもう……そんな言葉では括れません。

 東都を離れる際に、トリアヌスの姉様への気持ちを尋ねた私にそう言ったカルロの言葉が脳裏を過った。
 ちっとも浮いた噂がないトリアヌスが、自分の恋人は国であると公言し周囲を呆れさせていることは知っている。私も生真面目もそこまで過ぎるのはどうかと思っていた。
 姉様が危険なことをしていたのはトリアヌスのためだ。
 そしてトリアヌスが王国に尽くしているのは、姉様が王国に尽くすトリアヌスを支えているから。お互いに国のために動くことでしか、宰相と王女としてしか側にいられない。
 もしかして。
 ふと思いついて、まだ跪いているトリアヌスを見下ろした。
 こいつがいなきゃ困るって思っていたけれど、いっそ宰相から降りたほうがよくないか?
 伯爵位だって断ってるだろ。さっさと爵位と領地もらって父様の側近として自由に動くほうがこいつの場合なんだかもっと強そうな気がする……まあ、内政的に簡単に降ろすわけにもいかないけれど。

『前言撤回』
『はい?』
『こっちの話だ。姉様に出来て私が苦手ってそんなの社交の類しかない』
『通常のやり方で、同盟など十年かけても無理です』

 ティア王女はいま、対公国の件について王から全ての権限を委譲されている。貴女が直接、公国中枢の信頼を得て説き伏せるしかありません。

『けど、もう公国は表向き帝国に属してるぞ、それって成り立つのか?』
『ですから、成立要件があると……』
『あ、私が公国に働きかけるのが要件じゃないのか』

 ティア王女は法科に進まれなくてよかったですねと、若干意地の悪いトリアヌスの言葉にむっとすれば彼は苦笑した。苦笑いでも久しぶりにみたトリアヌスの和らいだ表情だと思った。
 
『まず第一に公国側から王国への要請です。出来れば王族間がいいので、そこはフューリィ殿から……』
『なんだ、それならとっくにあるぞ。フューリィと一緒に王宮に来る前に彼から力を貸して欲しいって言われて承諾してる』
『……ティア王女』
『ん?』

 ゆらりと立ち上がったトリアヌスを見上げれば、凍えそうに冷たい目をした銀色の魔王みたいな威圧感を放っている彼がいて、ひくっと頬が引きつった。

『非公式でも本来ならばそれは貴女の一存で……』
『で、でもっ、要件なんだろっ』
『まあいいでしょう……今回に限っては。実は先々を見越して同盟などではなく、これまで双方の間にあった不文律を明文化する建前で条約案を二年も前から提示しているのです』
『うん……?』
『そこには漸進的な取り決め事項として、有事の際の取り決めも含まれる』
『つまり、なにかあった時に王国と公国は対等な関係維持のために互いを助けるといった?』
『ティア王女らしい、大雑把すぎる解釈ですがまあいいでしょう。そんなものだと思ってください』
『むぅ』
『二年前、もちろん帝国の影響が及ぶ前の話です。フューリィ殿は王弟です。まつりごとに関してかなり遠ざけられているようですが、公国騎士団の長でもある彼がそれを知らないとは一般的に通用しない。その彼からティア王女に要請があったなら一応の理由には』
『う~、それかなり……無理筋じゃないか?』
『ですから最初からそう申し上げているでしょう。勿論、締結もしていない条約で王国が動くわけにはいきませんよ。ですが王権となれば話は別です』
『ん? 私が父様から預かっている王権か? だったらそれだけでも』
『王国法典は王といえど、正当な理由なくして騎士団を動かしたりは出来ませんよ。基本中の基本ですが?』
『ゔっ……わかった、つまり』

 まず、王国と公国の間で以前から検討されている条文がある。そこには有事のことも含まれる。
 それを――知っていたという建前で――王弟であるフューリィから王国が提示した条件内で力を貸してほしい要請を私が受ける。
 そもそもが両国間にあった不文律を明文化した建前の条約案に基づく要請、対等の体面は保てるし締結前でも前から暗黙の了解があったものと主張はできる。
 要請を受けた私が、それを理由に公国の中枢に働きかけてなんらかの了解を得る。
 手順と双方の同意に基づく、一応は正当な理由として、私が父様から預かっている王権で騎士団に状況に応じた命を下せる。

『――という、なんとも面倒くさく、まどろっこしいことでよい?』
『はい。まあ緊急性を要するということで公国近くで待機させることくらいまではなんとか、なにも出来ませんけどね。わかっていると思いますが、現在王国と公国は商人くらいしか出入りできません』
『そうだな』
『公国の中枢を説き伏せる以前に、どうやって王国王の全権を預かるティア王女が公国内部へ辿り着くかが問題です』
『それなら……』

 手段はあるし、別の理由でそうするつもりだったけれど、トリアヌスは絶対怒るから黙っていようと思っていた。
 公国王の容態が悪いのは間違いない、だからかならずフューリィは私を迎えにくる。
 表向きは王国の王女である私の後ろ盾をつけたとして兄を追い落とす勢力として公国内部を牽制し、裏でその兄を助けるために。
 公国のもうひとつの統治機構である議会に蔑ろにされているあいつが、正当な手順と手段をふんで私を招くとはとても考えられない。

『トリアヌス』
『はい』
『……たぶんそれ問題にならないけど、怒らないって約束してくれる?』
 
****** 
 
 公国王、ウルカヌス・ヒューペリオ・アルブスは順調に回復しているようだった。
 かさついて色つやを失っていた肌の状態や顔色も随分と良くなったし、手足の先の冷たさもなくなってきた。栄養状態が良くなっただけでなくきちんと胃腸も働いている、膿みかけていた瀉血の傷もいまはもう乾いて固まった血がひっついるだけで、ひとまず毒と傷に関しては心配ないだろうと告げた。
 
「熱や頭痛や気分が悪いなどは?」
「おかげさまで調子はいい」
「なら、私はお役ご免だな。致命傷を負っているなどでなくてよかったよ、薬はともかく医術の訓練は受けていないから、私は」

 手にとっていた公国王の手首を下ろし、後はこちらの医師の仕事だと告げて、枕元の椅子から室内に控えている二人の宮廷医を顧みれば、彼等は神妙な様子で軽く頭を下げる。

「ウルカヌス王の不調はどちらかといえば体質によるところが大きそうだから、王国製の薬より教会が長年蓄積してき薬草茶や煎じ薬のが良さそうだ」
「ティア王女」
「ん?」
 
 呼び掛けられて、寝台の中で身を起こしクッションに背を預けているウルカヌスに向き直れば、彼は私の顔を見て苦笑した。

「なんだ?」
「いや、弟と喧嘩でも?」

 いつにも増して無愛想だと言われて、むっと口を閉じる。
 喧嘩などしていないし、喧嘩のが百倍くらい気が楽だ。
 軽く息を吐いて、そんなことならいいがなと返せば、ふむと彼は彼の弟であるフューリィと比べて随分と細く優美な輪郭を描く顎先を摘んだ。
 この兄弟は母親似と父親似に綺麗に分かれているらしく、同じ親から生まれたのにあまり似ていない。似ているとすれば目元くらいかなと思う。
 意志の光が強い眼差し。
 色も、緑色の瞳と金髪。
 どうやら深く澄んだ緑色の目と薄い色の金髪はヒューペリオの家系の特徴のようだった。もっともこの兄弟とラテオくらいしか知らないし、たった三人ではなんとも言えないけれど。
 それにラテオの目は褐色がかっている。

「診察以外に、なにか話があるのではないですか」

 ウルカヌス王は察しがいい。
 それに、私を見る目が冷静だった。
 ある意味ではフューリィより、よく私を見ていると思う。

「いい加減、警戒を解いてほしい。流石にうんざりしてきた」
「それを言うのなら、そろそろ私も安静を解いてもらいたいものです」
「……熱や痛みなどがなければ」

 傷の炎症はほぼ治まっているし、内臓の不調も明らかに改善している。
 たしかにそろそろ、体力をつけていくのが良さそうだ。
 少なくとも二ヶ月以上は臥せっていたのだから、歩くのも正直きついだろう。
 
「無理は厳禁。自分で思っている以上に体は萎えているぞ」
「そのようです」
 
 彼の返事に、さては勝手に動いたなと思ったが追求はしなかった。
 元気が出てきたらすぐ動こうとするのは、兄弟だなと思う。
 
「起き上がるにしても、当面は杖でも持ったほうがいい。転倒して怪我でもしたらそれこそ危ない。見聞きしたところ公国は外科はあまり発達してなさそうだからな」

 その分、薬学の研究が進んでいる。
 王国でいうところの民間療法的な利用ではあるものの、薬効に関する蓄積や薬草の分類なんかについて記されている本の内容は目を見張るものがある。
 こちらの医官と交流できれば面白いのになと考えていたら、不意に肩先の髪にウルカヌスの手が伸びてきた。
 
「貴女がいる」
「……さっきも言ったが、医術の訓練は受けていない。本人にもそう伝えたけれどフューリィが助かったのは運が良かっただけだ」

 兄弟揃ってな、とは流石に言えなかった。
 綺麗な傷跡だったが……と、若干納得していないような呟きをウルカヌスは漏らして、私越しに部屋に控えている者達に向かって軽く手を払うように振った。
 宮廷医や、身の回りの世話をする者達数人がぞろぞろと部屋から黙って出ていく。
 グリエルモ司教は今日は部屋にいない。
 私は立ち上がると、テーブルに置いてある茶の杯を取ってまたウルカヌスの寝台の元に戻った。

「こういうのって、誤解されないか?」
「させておけばよいでしょう」

 にっこりと微笑んだウルカヌスに、成程こういった人かとお茶に口をつける。
 あまり似ていないのは容姿だけではないらしい。
 公国は側妃が持てる。
 フューリィもいる場での冗談ではあるものの、一度、私が側妃になれば心強いといった彼の発言がある。側から見れば、私は毎日彼の部屋を訪ねて診察しているし。
 司教もフューリィもいない時に、わざとらしく私の髪に手を伸ばして人払いなんて意味深長だ。

「あまりいい趣味ではないと思うぞ」
「弟のように気のいい人間でもなく、立場上、人と話せる状態にまでになってただ寝てばかりというわけにもいかない」
「……無理は厳禁」

 はあっとため息を吐いて、私の言い付けを聞く患者でもフューリィの兄でもない、公国王として考えの読み取れない表情を見せているウルカヌスに釘を刺す。
 司教に指示して出来ることはしているのだろう。
 弟が体が動くようになれば傷が開くかもしれないのにすぐ鍛錬しようとする男なら、この兄は頭が働くようになれば神経張って障りが出るかもしれないのにすぐあれこれと考えを巡らせる男か。
 そこは、兄弟だ。
 
「“事実があまりに事実らしい”」
「ん?」
「貴女の言葉が気になってね。私の信頼している武官に丁度よい者がいるので調べさせた。たしかになにか動いている節は見えるものの、動くならもっと巧妙に動く……そういった人だ」
「クラウディス候か」
「既得権益ばかりに目を向ける、典型的な公国貴族に誤解されやすいが私やグリエルモとは異なる考え方で公国の行末を思っている。公爵家や司教と敵対しているわけじゃない、第三王女殿下もそう仰っていたのでは?」

 やっぱり社交とか外交とかまつりごととか性に合わないと思いながら頷いた。
 公国は厄介だと、フェーベ姉様は言っていた。
 いくつかの派閥に分かれているのは王国も同じだけれど、それが如何様にも変化する。
 大きくは王である公爵家、そして議会に司教派と侯爵派、厄介な中立派。
 中立派の中核、伯爵であるデキウス家の当主は、まんべんなくどこともお付き合いのあるやり手。体面よりも才気ある方を好むような考えの持ち主なら交渉余地はあるかもと。
 そして。

「侯爵派を率いる、クラウディス候は典型的な公国貴族であり誠実が服を着ているようと、もし候が絡んでいたのならそれは候の行き過ぎた正しさ」
「本人に聞かせてやりたいな……いや、その前に彼女の評をぜひ拝聴したい」
「止めておいたほうがいいと思うぞ」
「私が王国で苦手な人は三人いる。王国王と宰相閣下、そして第三王女殿下」
「ふうん」
「まもなく四人になりそうだ、ティア王女」
「恩人じゃなかったのか?」
「恩人なのは変わらないが、どうも……我々には見えていないものも見ながら、この状況をどう動かすか考えているように思えてならない」

 はあっ、と私はため息を吐いた。
 やっぱりフェーベ姉様やトリアヌスのようなのは性に合わない。

「生憎と私は、ある事実や現象があれば、それを引き起こしているものはなにかといったことにしか頭が働かない。人の感情とか……機微? そういったことも本当のところよくわからない」
「ティア王女?」
「これまで読んできた本の物語とか歴史とか、人がある状況下においてどんな反応をするかなんていった例には事欠かないからな、いくつかの系統に分けて概ねこうなるだろうといった予測に立ち慮ることは出来るけれど」
「ティア王女……話がよく見えないのですが……」
「だからっ、フューリィと会うまで、“さみしい”とはどういうことかもよくわからなかったくらいなんだ。まつりごととか社交とか無理に決まっているだろう!」
「無理……」
「とにかく! 王国は公国のために動く義理はない。義理はないけどいまのままでは困る。公国だって困ってるだろう? 王国が介入ではなく公国のために動く理由と取り決めがいる。でないと双方内部で納得が得られない」

 私の言葉に、ぽかんと呆気にとられたように私を見ているウルカヌスに若干気恥ずかしさを覚えながら、だってこれが二度目公務なんて理不尽すぎるだろと呟いて、トリアヌスが教えてくれたかなり無理筋といった建前の手順を話し、そしてラテオの話を打ち明ける。
 なにをどう思ったか考えも読み取れない表情で、ウルカヌスは目を伏せて黙って私の話を聞き、そして――寝具に倒れて若干呼吸が危なくなるほど、笑った。

「ウルカヌス王……?」

 単純に私に呆れるなり、馬鹿にしてなり、愉快に思ってといった感じではなくなにか自棄やけをおこしたような暗いものを感じる笑い方なのが若干気になるものの、私に敵意を向けるといったことはなさそうなので、最後には本気で苦しそうに震わせる背を落ち着かせようと撫でながら、薬湯を用意するかと尋ねれば大丈夫だと断られた。

「色々と……考えを巡らせ思い悩んでいた自分が、馬鹿みたいに……思えてね……」
「無理に喋るな」

 お茶の杯は床に、寝台に身を乗り出して体を起こそうとしているウルカヌスの背を抱えるように助ける。ほぼ寝たきりで体力が削げ落ちているとはいえ、よくこれまで王なんて役目を務めてこられたなと思うくらい虚弱だ。

「王国と公国は一つにしてはいけない気がする」
「その根拠は?」
「わからない。なにか伝え聞いているとかないのか? あの時、私はその可能性に気づかなくてただ一つにすることを必死に考えてしまったけれど」 

 二つに分かれた国を再び一つにするためにどうすればいいか?
 その問い自体が間違っている可能性だってある。

「一度、尊厳公と話したい」
「話ができるかどうか……怪しいものですよ」
「え?」
「見た方が早い」

 ウルカヌスはそう言って、大きく息を吐いた。
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