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スピンオフー第三王女と王国宰相

王女と求婚者

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 王族は十歳を迎えれば、結婚相手が決まってもおかしくない。
 現にお父様と最初の王妃様が婚約したのは、まだお父様が十五歳で王太子だった頃。
 王妃様はお父様の一つ年上の十六歳。幼馴染の傍系の又従姉またいとこ、少女の頃から勇ましく気の強い方で騎士姫様と呼ばれていたらしい。その面影は第二王女であるテティス姉様に引き継がれている。
 お父様が、成人と認められる十八歳になって二人は結婚し、二人のお姉さまと一人のお兄様を産んで王妃様は、いまのわたしとたった二つ違いの二十六歳でこの世を去った。
 とても丈夫で勇ましい方だったけれど、王太子である一の兄様を産んだ時の産褥熱が原因らしい。
 小さな頃から仲が良かった妻を失ってお父様はとても悲しんだらしいけれど、悲しみに暮れることは彼の立場が許さない。
 喪が明けた翌年にお父様は王位につき、次の年にはわたしのお母様、つまり二番目の王妃様を迎えて一年後に第二王子であるお兄様が生まれた。
 それほど間をおかず子を成した一番目の王妃様と違って、お母様がわたしを産むまではそれから六年の年月がかかった。
 王位に就いたばかりのお父様は忙し過ぎて、王国の各地に公でもお忍びでも出かけることが多く留守がちで、お母様は少しお体が弱かったからだ。
 それに結婚してすぐ生まれた子が王子で、すでに王太子である一の兄様もいらっしゃるから最初の王妃様ほどには所謂“王妃の務め”について王宮の目は厳しくはなかった。だからお父様もあまり無理をさせなかったのだと思う。
 不仲だったわけではなく戻れば必ず二人は一緒に過ごしていたそうだし、わたしの記憶にも二人が仲睦まじく寄り添っていた記憶がうっすらとある。
 
『王宮を歩くお姿には誰もがため息を漏らしたものです。慎ましやかで、美しいお姿そのままに心も綺麗なお方でした』

 いつだったか王宮に飾られたお母様の肖像画の前で立ち止まっていたわたしに、侍従長がそうお母様の回想を話してくれた。
 子供扱いからは少しずつ遠ざかり、かといって大人扱いもされない十三を過ぎた頃。
 
『どなたにも分け隔てなく優しく。気難しい大臣の方々すら表情を和らげて、王から頼まれての仲裁や説得に応じたものです』
『説得……?』
『ええ、王宮は難しいことが多いですから……ですがなにか不思議な、人々の心を落ちつかせて寛がせその言葉に耳を傾けさせるお力でも持っていらっしゃるような方でした』
『お母様はお体があまり丈夫ではなくてあまり公務にはつかなかったって、お兄様が』
『たしかに公の場にはあまりお出にならない方でしたが、若くして王位を継承したばかりだった王が、王宮で王としてのお立場を早々に固めることが出来たのは、間違いなくフェーベ王女のお母様である王妃のおかげです』
『ほとんどお部屋や離宮にいらしたのに?』
『お体が弱く、始終王の側に寄り添うことも最初の王妃様やいまの王妃様のように政務にご一緒することもなかったですが、あの方はあの方の出来ることで王妃の務めを果たしていました。最初の王妃のお子である王女や王太子のことも自分の子同様にとても慈しんでいらして、本当に。ですからお亡くなって随分月日が経ったいまでも皆様から慕われ続けている』
『ええ……』

 わたしの姿はお母様そっくりだと彼女を知る皆から言われていた。
 髪の色も目の色も、肌の白さも、声質も似ているから大きくなったらきっと王国一の美女になるだろう、楽しみだと。
 けれどそれって、誰もわたしじゃなくてお母様を見ているってことではないだろうか――?
 
『そうしてお母様の絵を眺めている面影の残るフェーベ王女に、私もつい当時の王妃にお仕えした時のことを思い出してしまいました』
『そう』

 侍従長にお母様の話を聞かせてくれたお礼を言って、お勉強の時間だからと自分の部屋に向かってお母様の絵の前から去った。
 
「まだ幼かったから、王宮でわたしをわたしとして見てくれる人は妹のティア王女とお母様のことを直接知らなくて小さな頃から遊んでくれているトリアヌスくらいしかいないって思っていたの」

 そう言えば、わたしのとりとめない家族の話を聞いていた男性は、お察ししますと並んで歩いていたわたしに柔らかい眼差しを向けた。
 この人は、安易な同情でわかりますなんて言葉は使わない。
 そういった機微のわかる人だった。だからトリアヌスよりも年上の年長者であってもなんだか気負わずに歳の離れた友人として接していられた。
 出会ったのは四年前、一のお姉様、第一王女のムーサ姉様のサロン。
 お茶の席に招かれてだったのだけれどその帰り際に、あなたでしょう、あの詩を書いたのはと背後からそっと声を掛けられて振り返ってしまった。
 ルフス・オルシーニ伯爵。
 お茶の席で文学の造詣が深い方だとは思っていた。
 大臣職を務める侯爵家に嫁いだムーサ姉様は、そのお屋敷に新進気鋭の芸術家を集めたサロンを形成していた。若く才能ある芸術家を支援し、王国を文化の面でも繁栄させそして民衆の娯楽にまで遠くから影響を与える。
 素晴らしい物語や詩は人の心動かし、絵や音楽は字を読めない人にも多くのことを伝えられる。
 王宮内や貴族の賞賛だけには止まらない才能を見出す目に優れているムーサ姉様のところに出入りするくらいだからと考えていたけれど、匿名で時折ひっそりとお姉様のサロンで回し読む冊子に混ぜてもらっていた詩を書いたのがわたしであると見抜かれるなんて思わなかった。
 あまりの驚きに目を見開いてただその温厚そうな顔を見詰めることしか出来なかったわたしに彼は、ご安心を誰にも言いません、と言った。
 時折現れる素晴らしい詩人の信奉者なのです、と。
 あのように静かに燃える情熱を込めた美しい恋の詩をあなたがつづっていると皆が知ればきっと大変なことになりますと、悪戯っぽく彼は片目をつぶって見せた。

「こういっては失礼かもしれないが、あなたはティア王女が生まれるまで王の子供達の中では少し立ち居位置が違っていた。他の王子や王女とは歳が離れていて、お母様譲りの美貌」
「そうなの、同腹であるはずのお兄様もなんだか丁度三つずつ離れている兄弟姉妹の中だったのよ。冷たくされたわけではないの。輪の中心に入れられているけれど一緒に手を繋いではもらえないみたいな……」

 侯爵家邸宅の庭園の色づいた木々の色が目に染みるようだった。
 昨日からムーサ姉様の招きで滞在していた。
 命を狙われるようなことがあって、表にも出せずに王宮にこもっていては気が滅入ってしまう。嫁いだとはいえ第一王女である自分のところであれば警護の心配もなく落ち着けるだろうからと。
 たしかにそうだった。
 なにより、王宮にいれば公国との関係修復に向けてティアちゃんの指揮下でなにか準備しているらしい騎士団の気配、慎重に王に反発心を持つ者や戦をしたがっているらしい人達を抑えるために動いているらしいトリアヌスやオルランドの様子が気にかかる。
 わたしは公国の件について、なんの権限も持ってはいない。
 それに、あの中庭であんな形で泣きついてしまったトリアヌスと顔を合わせることもできなくて移されたばかりで寛げない私室にこもりがちでもあった。
 だからムーサ姉様のお招きに甘えることにしたのだけれど、そこにしばらく王都に滞在するらしいオルシーニ卿も客人として滞在していた。

「お母様が亡くなった時、ムーサ姉様は成人真近の十七歳でティティス姉様は十四歳。どちらもご自分の事でいっぱいな年頃で、慕っていた王妃そっくりな、母親を亡くした三歳の異母妹なんてどう接していいかわからなかったと思うわ」

 お兄様達に至ってはなおさらでしたでしょうし。

「ティア王女くらい離れてしまったらまた別でしょうけど。なんだか間が悪いの、わたし……いつでもなんだか孤立へ向かうようなことを選んでしまうみたいで……」
「フェーベ王女」
「ごめんなさい、オルシーニ卿。折角、散歩にお誘いくださったのになんだか愚痴っぽい話ばかりしてしまっているわ」
「おや、親しい者ならではの特権と私は思っていましたが?」
「え?」

 思いがけない言葉に、出会った時のように彼の顔を見つめた。
 トリアヌスより二つ年上。
 少し神経質そうな皺を目元に刻み、なにか深い憂いと影を帯びるトリアヌスと違って、温厚そうな淡褐色の瞳を持つ眼の周りはふっくらと、領民に慕われ古くから続く家の当主としての威厳や思慮深さがみえる年相応に皺も見えるけれどなんだか少年みたいな若々しさがある。
 亜麻色の髪を後ろに撫で付けて額を出し、少し四角張った、けれど厳つい感じはしない輪郭に調和のとれた目鼻立ち。少し厚みのある口元がただ温厚だけではない精悍さを添えている。
 トリアヌスのような目を見張るような美貌や人目を引きつけるオルランドのような華やかな容姿ではないけれど、魅力的な容貌の紳士だった。
 そう、魅力的といった言葉がこの人にはぴったりだ。
 適度な親しみと、だからといって馴れ馴れしく踏み込みさせない威厳と知性、そしてそれらまとめ上げただ気障な男性にはさせない悪戯っぽい機知に富む明るく快活な雰囲気。
 どうしてこんな人が、容姿だけで上辺の社交で立ち回るのが少しばかり人より長けているだけの王女でしかないわたしに求婚なんてしてきたのだろう。
 なんて。
 考えたら、少し悲しくなってしまう……だってそれはあの人トリアヌスにもきっとそのまま当て嵌まってしまうことだもの。

「どうかしました?」
「いえ、どうしてあなたのような方がと、少し自分のことを考えたら情けなくなってしまって」
「おや、それはまた……少しお疲れのようだ。この先に東屋で休みますか?」
「ええ」

 それにしても、トリアヌスが静かな夜の冷たい月を思わせる人なら、オルシーニ卿はよく晴れた秋の日の太陽のような人だ。
 よく考えたら容姿だけでなく、その立ち位置や影響力においても対照的な二人。
 平民から上級官吏となり若くして宰相にまで登り詰め、辛うじてでも王宮勢力を掌握し、王であるお父様の信頼も厚いトリアヌス。
 王国以前から続く由緒正しき古い伯爵家当主、王の戴冠式を取り仕切るのが役目の大家令で普段は王宮とは距離を置いて領地の統治に専念しているオルシーニ卿。
 宰相は本来、伯爵相当位。
 大家令は王が代替わりする時だけ権限を持つ名誉職だけれどれっきとした大臣職、常に次代の王の為に働く立場。
 そうすることの正統性が認められるとなれば、いまの王から冠を取り上げることすらできる。
 いくら普段王宮から距離を置いているからといって、冠を預かるといった役目を代々担うだけの格と清廉性を保ってきた家の当主である彼が、もしも王宮勢力に介入したとしたら蔑ろにできるものでもないだろう。
 わたしを利用することはしないと言った卿の言葉に、偽りは感じられなかったけれど。
 
「あなたは本当に……片時でも王宮を、彼を、忘れることはないのですね。フェーベ王女」

 石の柱が円形に取り囲む東屋へ案内されて、その入口に続く石段に先に進み出た卿が差し伸べてきた手に指先で寄りかかってドレスの裾を軽くもう一方の手で持ち上げて石段を登る。
 中央にやはり石を削った大きなテーブルと、それを囲むための背もたれのない石の椅子が置いてあるその一つに腰掛けた。

「どうしてそんなことを?」
「そのような表情をなさっている。わたしの申し出を前向きに考えてくれていてなにやら気の早い人はそんなあなたの様子に非公式な婚約なんて早合点しているようですが、私と彼の立ち位置を考えると気にかかるのでしょう?」
「そんなことは……」
「嘘ですね。ご自分でお気づきになっていらっしゃらないようだが、社交の場で偽りの言葉を弄する時わずかに左に視線が流れる癖をお持ちだ」
「はっ、えっ?! ど……」
「どうしてそんなことをとお尋ねなら、この屋敷で出会うより前からあなたを見ていたからです。私とて王家主催の宴となればそう簡単にお招きを辞することはできない。彼とはまた別の意味で王族であるあなたに気を配る身でもある」

 くすくすと可笑しそうに笑みの声を漏らしながら、彼は手を挙げて遠巻きに控えていた侯爵家の使用人を呼び寄せて、王女に温かいお茶をと頼んだ。
 その様子を眺めながら、ひどく子供扱いされたような気分で、いやだ……と呟きながらテーブルに両肘をついて両手で覆った顔を軽く伏せた。

「なんですか、それ……」
「私も、最初は他の者達同様ただ王宮の華と思っていました。ですが、あなたに注意を向ける彼の目線に気がついてからはね。彼も知っていますよ、あなたがどれほど取り巻きの誰かや気に留めた誰かの側で親密そうにしていようが平気なものだ。常に身辺安全かどうかしか気にしてはいない」

 最初は、たちの悪い貴族の子弟とも親しくするあなたに幼い頃から半ば側近のように仕え、あなたのことなら手に取るようにわかるだろう彼は気が気ではないだろうと、半ば同情的に、半ば面白半分にあなた方の様子を眺めていたのですが。

「やがてそんな微笑ましいことではないことに気がついた」

 当然のようにわたしの隣の入口に近い側の椅子に腰を下ろして、彼は少し声を抑えてそう言った。そのわずかに固くなった声の抑揚に少し背筋に緊張を覚える。
 オルシーニ卿がわたしのことを知っているのは求婚を受けた際に聞いていたけれど、まさか出会う以前からだなんて思ってもいなかった。
 だって出会う前、卿とは通りすがりに軽く挨拶する以外に言葉を交わしたこともなく、それに彼は王宮の社交からは遠ざかっていたし、わたしは王族といっても王位は遥か遠い。

「王宮から聞こえてくる若き平民宰相の手腕、その裏にある王宮の人間関係のつながりの糸には必ずあなたもいる。彼が気がついているもの、気がついていなさそうなもの、彼自身が頼ったもの、すべて」
「オルシーニ卿」

 無意識に背筋は伸びて、彼の横顔を見つめていた。
 はたから見ればなにか話している彼に熱心に耳を傾けているようにも見えるかもしれない。けれどもういまや慣れ親しんでいるといってもいいくらいの独特の気配を感じていた。
 この人も“裏側の役目”を持っている。

「次代の王の正統性を見極めその権威を認め、皆を納得させるためだけに存在する大家令。どういうわけか代々そんな役目を負って、王家や他諸侯とはまた違った立ち居位置で王国に存在してきた家の当主をやっている。まあ蛇の道は蛇というやつです。それも生まれたての可愛らしい白蛇のような王女と違い歳を重ねた大蛇。あなたが持つものを私の家なら眠らせることができる、私の申し出に真実味が増したでしょう?」
「たしかに、増しましたけれど……」

 にっこりとこちらを見て笑顔を見せたオルシーニ卿に、呆気に取られてしまった。
 蛇の道は蛇。それが本当ならわたしのような王族といった立場を利用した子供が思いつきで作った手製のおもちゃのような情報網どころではないものを持っていることになる。
 けれどそんなものがあるのならその片鱗くらい、王家や王宮や自分以外でそういったものがある気配くらいは察知してもおかしくない。諸侯の中にだって独自に情報を集めている家はある。

「まあ、王家や王宮とは使い道が違いますから、独特なものながらオルシーニ家の目と耳は多い。その辺の諸侯の諜報もどきと一緒にされては困る。その気になれば公国も情勢くらいなら掴める」
「そんな警戒するしかないようなこと仰っていいの?」
「ええ、求婚者に隠し事はしません。それにあなたみたいな人ならやがて気がつく、隠すだけ無駄だ。そういった意味でも選択肢の一つとして悪くないはずです」

 そう真面目な顔して、自分を指差したオルシーニ卿に思わず苦笑してしまう。
 悪くないって……この人本当に私に求婚しているつもりで言っているのかしら。

「びっくりして愚痴や落ち込みも忘れたでしょう。ああ、お茶が届いたようだ」

 足音と食器がぶつかる音にいち早く気がついて彼は立ちあがると、侯爵家の使用人を指示してお茶とお菓子をテーブルに並べさせると、あとは私がやるから給仕は不要だと言って使用人を下がらせた。
 客人といっても私たちはお互い警護される立場にあるからまったく無人の場所に二人きりなんて有り得ない。それは王宮でトリアヌスとでも同じだった。たとえ私室で人払いしていたとしても壁の向こうには護衛や侍女がいる。
 完全な二人きりはない、けれど会話を聞かせないことは出来る。

「一度、あなたとこうして二人きりでゆっくりお話したいと思っていました。王宮では私は部外者同然でそれが難しい」

 お茶を器に注ぎながらそう言って、小皿に泡立てた卵白を焼いたお菓子まで取り分けてくれた彼にお礼を言って、お姉様に頼んだのねと尋ねれば、彼はええと笑いながら自分はお茶を入れた器だけを手に再び腰掛けた。

「目下求婚中で受けてはいただけそうなのですがと相談したら二つ返事で請け負ってくれましたよ。あなたの詩を知っていますからね、あなたがことごとく縁談を断るのは許されない辛い恋でもしているのではないかと心配している」
「お姉様ったら……」
「そう心配させて仕方のない詩を綴り、実際に縁談を断り続けている」
「そうですが……知りませんでした。オルシーニ卿がそんな意地の悪いお方だったなんて」
「私が傷心のあなたを優しく慰めその寂しさにつけ込み口説き落とそうとするような愚行を犯すとでも? そんな最悪の選択はない。あなたは強く気高い、おまけに少々逆風に燃える厄介な向きもある。そんなことをすれば永遠に手に入らない」

 たしかに、ここで口説かれても嫌だけれど……ああ、なんだか子供扱いするなと怒るティアちゃんの気持ちがわかるようだわ。なんなのこの、まるで――。
 まるで。
 あの人といる時のような……。

「頬を膨らませるのは食べるか飲むかしてからにしては、フェーベ王女?」
「そうします」

 お茶を飲めば、喉を通るその熱さと体の内側から暖められたことにほっと息を吐く。
 思っていたより体が冷えていたことに気がついて、そして温かなお茶の器を持つ手から冷えが消えて無意識に体に入っていたらしい力が緩んでいくと同時に、そういえばずっとどこか緊張していたかもしれないと思った。
 こんなに寛いだ気持ちになったの、いつぐらいぶりだろう。
 毒騒動の前から、なんだかトリアヌスとは前のように自然な様子ではいられなくなっていた気がする。
 
「なかなか表情豊かだ」
「え?」
「他の人々がいる王宮やサロンでお見かけする時はまるで絵に描かれた理想の王女のような優雅な微笑みしか見られない、ですがそれなら絵だけで十分だ。そうでしょう?」

 たしかにいつも穏やかで、お姉様のサロンでは場を和ますような機知に富んだ会話をする方だけれど、こんな人を翻弄するようなことを言う方だったかしら?
 
「あら、でも大半の殿方はいつも微笑みを絶やさないような奥方がお好みなのでは?」
「大半はね。その大半ではない側ということで。そもそもがあなたの健気にして一途な恋心による振る舞いを見つめる彼の視線がきっかけであなたに興味を抱いた男ですから、私は」

 どういうこと、と尋ねたわたしに、会話を戻しましょうとオルシーニ卿は言って、“彼”とはまた別の意味で王族の方々に気を配る身である私は、あなたが奔放に振る舞い、彼があなたの身の安全だけに注意を向けていることを微笑ましく眺めているうちに、あなたの働きに気がついた。
 再び先程の会話をおさらいして、オルシーニ卿は口元にお茶の器を運んで一息吐くと器を置いて、テーブルの上に両手を組み合わせる。
 
「あなたの働きは、新王体制下で起きた王宮の権力闘争を水面下で鎮めた前王妃以上と言ってもいい。どうしてもその姿と社交や慈善活動に目は向くものの、あなたはある部分ではティア王女以上に現王の持つ資質を受け継いでいる」
「そんなこと」
「現王の考えるところをあなたほど理解する方は、おそらく他の王女王子の中にはいらっしゃらないでしょう。にも関わらず王女としてあなたはあまりに非力で不遇だ。少なくとも護られる優先順位はティア王女同等でもいい」
「オルシーニ卿、わたしは……」
「ただ一人のために発揮されている資質なのでなければ――」

 絶句したわたしに、わたしは……なにと言おうとしましたかと彼は尋ねた。
 穏やかで柔らかい声だった。
 違う、と仰りたかった――。
 促すような彼の言葉に頷く。
 かさかさと周囲の木々の葉が微かな風に乾いた音を立てる。
 鮮やかな赤や焦げ茶色や黄色の葉に彩られた侯爵家邸宅の庭園は、まるで華やかに織られた布地のようだわと思いながら、じわじわと胸に迫ってくるような形容しがたい感情のさざ波から気をそらせる。

「そう、あなたのなさっていることは役目ではなく役目も兼ねた私欲ではないかと、そう私は疑った。その頃にはもう――」
「もう……?」
「あなたに魅せられていた。第一王女のところで時折目にする素晴らしい恋の詩に織り込まれた象徴が彼を示すものであなたが書いたものと悟った時に決定的になった。私もまた王族の方々を単に気にかけるといった役目ではなく私欲に堕ちたというわけです」

 わたしに恋を囁く言葉なんて何度も聞いた。
 それこそ飽きるほど、けれど誰の言葉もそれはただの声として流れていった。
 そしてわたしは呼吸するようにそんな人たちに偽りの言葉を囁き微笑みその手を取って見詰めることすらできた。
 自分の姿が、声が、微笑みが、仕草が、すべてあの人のために使える道具になると知っていたから。そのことであの人がわたしを気遣って心を傷めたとしても、あの人が向かう方へ進むことを止めない限りは。

「最初から、わたしの……」
「ええ、私は彼に思い寄せるあなたの輝きに惹かれた。まるで燃え盛る火の熱で形作られた硝子細工。美しく強く冷たく、そして恐ろしく脆い……」

 頬に彼の親指が触れていることに気がついていた。
 目の端か零れ落ちた涙を子供のように拭われていることも。

「つい間近で眺めたくて近づいたが、こういったことは……欲が出てしまう」
「オルシーニ卿……」
「想い人と結ばれないのは辛い」

 相手が自分を思ってくれているのならなおさら……私も覚えがあります。
 幸い神はあなたに対してほど残酷ではなく、死といった諦めのつく形にしてくれた。
 傷も時が癒してくれたが、あなたの傷はこのままでは深くなるばかり……。
 
「私はもう若者のように情熱を新たに燃やせるような歳ではないですから、利害の絡まない友人として近くで眺めていられるだけで十分だった。が、とても見ていられない」

 誰の言葉も、ただの声として流れていくはずなのに。
 だって誰も彼も、わたしがただ王宮の華でしかないから恋を囁く。
 なにがあっても毅然とただ優雅に微笑む理想の王女でいるわたしだから。
 けれど、この人は――。

「命にかかわることがあってもなお頑なに彼がその輝きから目を背けるというのなら、私が手に取る。砕け散ってしまう前に」
「……オルシーニ、きょ……っ……」

 触れるのは頬の涙を子供にするように拭うためだけ。
 彼の上着の袖を濡らすわたしに彼は触れようとしない。
 ただ、頭の側で囁くだけ。
 
 どうかルフスと、フェーベ王女。
  
「少なくとも四年も友人なのですから私たちは。王女はなかなか打ち解けてくださらない、まるで庭に居ついているのに懐かない猫のようだ」

 唐突なため息に、なあにそれと彼に寄りかかってしまっていた身を起こして、引きかけた涙を指で押さえて拭えば、いるのですよ私の屋敷にと彼は肩をすくめた。

「庭に白い猫が住みつてもう一年くらいなのですが、いまだに撫でようとして手を出しても引っ掻かれてしまう」
「まあ、わたしそんな引っ掻いたりは……」
「しませんか?」

 真っ直ぐにわたしを見詰め、そう問いかけてきた彼に言いかけた唇を閉じて、テーブルに向き直りお茶の器を手に取って俯く。
 熱を込めた眼差しを向けてきた、男の人の顔を見せた彼をきちんと見ることができなかった。

「なんだか子供だわ……わたし」
「私は随分年上ですからね。あなたは妻というよりは娘といってもおかしくない。なんなら養女でもいいですが、しかし流石にここまで育った王女をそうできるかどうか……ああでもそうなればどこかに嫁に出さなければいかない。やはりだめです」
「あなたって人を見誤っていたわ」
「領民や商人からもよく言われます。情勢が落ち着くまで早くても春まではかかるでしょう。まだ時間はある。王もどこかに行ったきりで正式な申し込みではないし、急いで応えようとしなくてもいい」
「そういった言い方、わたしもよく使ったわ」
「応えられない相手の微かな罪悪感につけ込み、相手の言葉を引き出すための常套句」
「わたしそういった言葉を使うような王女なのよ」
「美しいものというのは――」

 それがどれほど純真無垢であろうと、どこか見る者を狂わすような毒を持つものだ。
 あなたならわかるでしょう、問いかけられてそうかもしれないと胸の内で答える。
 あの人がそうだから。
 とても綺麗で優しくて善良だけれど、なにか狂おしいような毒を含む鋭さを隠し持っている。

「だからこそ心惹かれる」 
 
 しばらくこの人の側にいてもいいのかも知れない。
 わたしはきっとあまりにあの人の近くにい過ぎて……あの人の輝きに魅入られ過ぎている。
 
「いまのあなたには寄りかかる枝が必要だ」
「そうかもしれない。もし応えられなかったら?」
「なにも。見返りを期待して口説く男と一緒にされては困る。これでも古い貴族らしく気位の高い男です、フェーベ王女」 

 そう、微かに目を細めた年長の友人にして求婚者に、くすりと笑んでしまった。
 本当に、久しぶりになんのためでもなく笑んだ気がした。
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 ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。  就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。  ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。  しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。  無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。  文章を付け足しています。すいません

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