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東都編

第32話 未熟な王女と巧みな王女

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 ――お前の国はどんなところなんだろうな?
 ――ん?
 ――私は王都から出たことがないから……お前の国どころか他の街すらどんなか知らない。

「まさか、こんなことで王都以外の街に行くことになるなんて」
 
 王宮入口の白っぽい石造りの長い階段途中の踊り場でひっそりひとりごちた。
 下を見れば、広場のように開けてる場所は人が右往左往して、掛け合う声や馬や荷台を運ぶ音で騒がしい。
 学術院併設の医院から炭の粉やいくつかの薬と薬草を分けてもらい、トリアヌスと新米医官を伴って王宮に戻れば、すでに文官、武官、従士や下男等が準備に動いていた。
 騎士団本部に知らせを届けたのはトリアヌスの副官だったそうで、おそらくは彼の働きだろう。
 きらびやかで気位の高いこれぞ貴族といった人の想像を形にしたような男だが、仕事が出来るトリアヌスが信頼する右腕だった。
 皆、私に気がついて一瞬驚き頭は下げるがすぐに仕事に戻るところは、トリアヌスや騎士団総長の日頃の統率の賜物だなと思う。
 王国運営の組織は、少なくとも王都においてはよく機能している。
 方針決定に慎重な議論がなされる前提がなけば、なかなか危うい面があるなと人々が慌ただしく動く様を眺めながらそんなことも考えた。
 統率が取れているということは、方針が決まれば一気にその方向へと動くということだ。
 トリアヌスをはじめ上層の役人、貴族が就くと職して辛うじて王国に残されている大臣職の責任は重い。
 もちろん最終的な決定を下す王も。
 王太子である一の兄様は、いずれこの国のなにもかもを王である父様から引き継いで背負う。
 想像したくない大変さだ、末っ子でよかった。

「ティア王女、いま若干不謹慎なこと考えておられませんでしたか?」
「おられてないぞ」

 部下を見る目なままこちらをぎろりと見たトリアヌスに、即答する。
 ただの事実だ。不謹慎かどうかはそう思う者の側の話だ。
 それに散々仕事を頼んだ後だったから、あまり刺激したくない。
 表には出してないけれど、ものすごく苛立っているのは伝わってくる。

 母様が初恋の人らしいってカルロに聞いたことあるし……私と父様との間でしか交わされていないものを正式な公国に対する王国の方針だと人がなんて力技なことに加えて、公国建国経緯の調査なんかも頼んでいたし。
 普段の仕事もあるだろうし。
 フェーベ王女にお願いするしかなさそうだと、ぽつりと呟いたトリアヌスにお前も行く気か? と尋ねれば、前代未聞の事ですからと彼は答えた。

「この情勢下で現王妃の故郷を狙っての無差別攻撃。対処しなければ明日の通達が無意味になる恐れも」
「そうだな」

 トリアヌスも考えることは同じなようで、情勢とは無関係として処理するか、理由がつけられる形に処理したいのだろう。
 現王妃の故郷が狙われたことで、現王に仇なしたも同じと王宮はにわかに殺気立っていた。
 外部の者でも問題だし、内部の者でも大問題となる。
 頭を抱えて叫びたいくらいの気分に違いない。

「公式に出るのは初めてなの上にこの状況下で落ち着いて……なにが王族としては欠陥品ですか? ティア王女」
「落ち着いてないぞ」 
 
 ただ動けないだけだ。
 東都は、王都から一番近い地方都市だけれど、それでも急使をやって丸一日半かかる。
 つまりいまから出ても現地到着は、被害が出て二日以上は過ぎたあとになるということだ。
 出てしまったら引き返せない。
 最低限の情報と状況を把握してからでないと取り返しがつかなくなる。
 ものすごく苛々しながら二報目を待ってる、と言えばご無礼をとトリアヌスは頭を下げた。

「いいけど。そういったことはフェーベ姉様にしか言わないと思ってた」
「フェーベ王女?」
「だって私はいつも子供扱いで、姉様に話すような大人の話はしないだろ」
「大人の話……ただの愚痴です」
「なにを頼んでも完璧な王国宰相の愚痴なんて聞ける人間、きっと五指にも満たないと思うけど」

 フェーベ姉様はするりと人の側に寄り添って、胸の奥深くにしまってあることを話してもいいような気にさせてくれる不思議なところがある。
 小さな頃からトリアヌスも知らない秘密をいっぱい姉様には話している。
 だからきっとトリアヌスもそうなのだろうと思っていた。

「買い被り過ぎです」
「ん?」
「拝命したからには、完璧な王国宰相でありたいとは思っていますがね」

 ひとまず毒抜きの炭の粉を持てるだけ持たせた急使を先に送り出し、私とトリアヌスは下級官吏が持ってきた東都の人員と備蓄されている薬品類の直近の報告書を確認しつつ、医官一人に役人と武官数名と一般的な物資をまとめた先発隊を出立させて、組分けした医官二名と武官数名に待機の指示を出し、ニ報目を待つ。

 各都市と王都間の緊急の通信には鳩を使っていた。
 馬よりもずっと早いが、被害発生から、第一報を書いて送るまで半刻は使うだろう。
 飛ばされた鳩が王都に戻ってくるまで一刻から二刻の間。
 少し早めの昼食の後、茶番のような会議をしてと考えたら、昼時から一刻ほど過ぎている。
 被害が起きたのは午前中、人々が活気づいた時間帯でこれは微妙だった。
 早朝に被害が出ていないから、昨晩毒が撒かれた可能性は低い。
 けれど口にしてすぐ症状の現れる毒か、朝一番に口にして時間が経って症状が現れる遅効性の毒か判断に迷う時間帯だ。

 少し離れて新米医官が控えていた。
 なにせさっき登用されたばかりだから、だれの下になるとも決まっていない。
 王宮どころか王都にもいなかったようだから階段の下にいても邪魔なだけ。指揮命令系統外の者を入れたら混乱する。
 とはいえ、治療経験豊富な医官は貴重で意見を聞ける者が一人欲しい。
 諸々事情が重なっての特例措置だった。
 王宮の医官は三人、彼等を含めて王都内の医官全員集めても十数人程、王都といっても広いから急には全員集められないし、全員を東都に送る訳にもいかない。
 当番などの体制の組み直しもあって監督職の医官も余裕がない。
 地方はもっと少ない。
 
「一体なにをしているのだ……っ」

 トリアヌスが小さく毒づくのが聞こえた。
 部下でも届かない二報目にでもない。
 目下、戦を回避したい国の総指揮官に対しての文句であることはすぐにわかった。
 文句を言いたくなる気持ちはわかるが、きっとようやく本来いた場所に戻れたかどうかといったくらいだろうから、それは無茶な文句だ。

「時間的にまだ難しいと思うぞ」
「わかっていますが、つい」

 誰が聞いているかわからない。いまの状況への文句にも聞こえる言葉を選ぶくらいには冷静で、トリアヌスもわかってはいる。
 ただそれでも言いたかったのだろう。

 ちゃんと着いて公国の王都には入れただろうか。
 途中で怪我などしてないといいけれど……危険の多い道を選んだみたいだったし。
 あいつに対してもこちらはただ待つ事しかできない。
 来てくれなければ動けない。

「いやなものだな。ただ待つだけというのは」

 ――本当よね。

 ざわっと、周囲がどよめいて場の空気が一気に変化した。
 声がするより早く、声のした方向を振り向いていたトリアヌスが身を屈め、周辺の者達の頭がそれにつられて動く。
 ほらみろ、同じ王女でも私とはまったく違うじゃないかと言いたくなった。

「待ちくたびれちゃったから来たわ」
「フェーベ王女、どうしてっ」
「“事故の可能性もあるから、調べがつくまでむやみに憶測を働かせぬように”と、王妃様からお言葉を預かってきました。宰相の貴方から皆に伝えて」
「は」

 淑やかで大きな声ではないのに、周囲の人の耳に届く声が母様の言葉を伝える。
 事故といった、ある意味いまの情勢下では楽観的な可能性を示す言葉に、あっという間に周囲の殺気だった空気が揺れる。
 
「多くの人はそうあって欲しい言葉を聞くものよ。漠然とした不安があるならなおさら」

 頭を下げたトリアヌスを労うように自然に近づき、すぐそばにいる私以外にはきっと誰の耳にも聞こえないだろう、密やかな囁き声で早口に彼にそう伝えるフェーベ姉様に、ああ、こういったの姉様にしか出来ない事だとため息が出た。

「ティア王女を公国との関係修復の使者に立てたこと、お父様から聞きました」
「フェーベ姉様?」
「たしかにまだ若い第四王女ならあちらも警戒を緩めてくれるかもしれません。とはいえいまあちらは帝国領、難しい交渉となるでしょう。外交を担っていた貴方が助けてあげて頂戴、トリアヌス」

 トリアヌスが、踊り場に片膝をついて「かしこまりました」と返すのに、姉様は満足そうに頷いて蜂蜜色の髪を揺らして私に顔を向けた。
 きっとこれは姉様の機転なのに違いない。
 もうこれで父様の、王の考えは皆に伝わったも同然だ。
 緊張状態でいる相手を警戒させないための第四王女と、それを背後から援護する宰相。
 元々の通達と内容そのものは変わらないけれど、人の受け止め方は大いに違う。
 打ち合わせ無しのこんな連携、この二人でなければ絶対に無理だ。
 姉様はきっと明日一部の者にだけ通達されるはずだった事柄を、たったいま父様から簡単に聞かされたばかりに違いないのだから。
 そして姉様の言葉からトリアヌスはそれを全部読み取って、わざわざひざまずいたに違いない。
 
 にっこりとフェーベ姉様が私に微笑みかける。
 周囲一帯を魅きつけてしまうような微笑みだった。
 姉様は王家の社交を一手に引き受けている王宮の華だとずっと思っていたけれど。
 もしかしたら、それだけではないのかもしれない。
 トリアヌスが密かにフェーベ姉様に護衛をつけているのは、姉様に熱を上げる貴族の子弟から姉様を守るためと聞いていたけれど、他の悪意からも守っているような気がした。
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