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東都編
第27話 王の姫と騎士の姫
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「む……ぅ、取れない……」
あいつがいればこんな時、簡単に取ってもらえるのに。
まったくいないと不便じゃないか。
つま先立ちで塔の書棚の高い位置にある本を取ろうと腕を伸ばし、ぼやいて、つま先を下ろす。
「フューリィ……」
いまどの辺りだろうか。
東の山脈側から公国へ入るなどといっていたけれど。
「賊のいい標的じゃないか?」
目立つような馬にはしなかったし、頼まれて用意した古着を着て出て行ったけれど……よく考えたら単身だし、山賊や追い剥ぎにとっては格好の獲物になってしまうかも。
もうちょっと痩せた馬にでもしたほうがよかったかななどとひとりごちていたら、後ろから伸びてきた痩せた腕の手が、伸ばしていた私の腕の先にある本を取り出した。
「馬はいいのに越したことはありませんぞ、王女」
「爺……」
「痩せた馬でも貧乏人には手は出ません。馬に乗っている時点で旅人だろうが商人だろうが獲物となるのは避けられまいて。それならそこそこの馬がよいでしょうな」
「そうか」
爺から本を受け取って、礼を言って彼の顔を見上げた。
午後に王宮への移動は頼んだが、いまは昼前だ。
フューリィは出ていってしまったし。
「早いな。どうしたんだ?」
「いや、その……うちのが王女に菓子を持っていけとうるさくて……」
爺の言葉に、ははっと思わず乾いた笑いが出る。
悪気なく口を滑らせやすいことは知ってはいたけれど、機密は漏らす奴ではないから油断していた。
「細君に、フューリィのこと喋っていたな?」
「いやっ……あいつは口は固い」
「そうだな、爺と違って」
まったくと、彼と一緒に階下におりれば、籠一杯の焼き菓子が大机の上に乗っていた。
きっと爺も一緒に作ったのに違いない。
私はひっそり苦笑した。
「お茶を入れる。酒は無しだ」
「はい」
「それにいいところに来てくれた」
「儂に頼み事ですかな?」
厨房の火に水を入れた鍋をかけて、尋ね返した爺に頷く。
最後にトリアヌスのところへ寄るつもりだった。
今頃、トリアヌスは私に小言を言いたくてたまらなくなっているだろうと思いながら、ポットに茶葉を入れる。
「この間、お使い頼んだだろ? 暇なら手を貸してやって」
「気の進まない頼み事ですな……文官仕事はどうも」
「そう言うな。古語は法科の必須じゃない。読める者は少ないはずだし、用心深いトリアヌスのことだから文献調査の専門官や学術院への応援なんて頼まないはずだ」
「フェーベ王女あたり手伝いを買って出ているでしょう」
「そりゃ姉様の社交仕事にトリアヌスは近いから。けど他に手伝えそうなのはあのきらきらした副官くらいだろ? 三人ではちょっと大変だ」
「ちょっと大変どころではないでしょうな、普通なら」
文官仕事の規格外三人と言いたいのだろうが、それでもやっぱり大変だろうと私は息を吐いた。
それがわからない爺ではないはずなのに、結構、意地悪だ。
「機密漏洩の罰と思って協力しろ。トリアヌスの秘蔵酒を片っ端から飲んでるんだろ」
「一言余計です、反抗期かの」
私が入れたお茶の杯を傾けて喉を鳴らした爺の言葉は聞き流して、籠の中の菓子を手に取る。
そう、かつて敵どころか味方すらをも震えがらせた軍神は詩学を修め、植物を愛し、おまけに家庭的。
料理は狩猟の延長らしいが、この頃では細君に教わって菓子作りに凝っている。
古代の伝承によれば軍神は女神らしいけれど……若い頃は酒豪で女たらしで有名だった爺の中身が乙女顔負けというのは。あまり笑えない。
「儂としては王女に護身術の稽古のが」
「短剣なら標本相手に振り回してるし、必要ない」
「動く敵と標本は違います」
「そんな状況なら、あいつが側にいるよ」
「やれやれ、惚気られてしまった。しかし騎士団本部に向かう事といい、王女自ら公国に行くつもりですか?」
「ん? いや……」
爺の問いかけに、菓子を頬張ってもぐもぐと口を動かし飲み込む間を置いて私は答えた。
公国にはおそらく出向くことにはなりそうだけれど。
「行くまでもなく、たぶん迎えが来る」
「迎え? あやつが?」
うん、と頷いて手についた粉を軽く舐めてお茶を飲み干し、杯を置いて私は爺を見た。
私の眼差しからなにか読み取ったのか、ふむと爺が自分の顎を撫でる。
「部下を引き連れ、塔に隠れ住む第四王女を捕らえにくるはず」
「あやつが王女にそんな事……」
「する」
でなければ議会と渡り合えない。
議会は一枚岩ではないようだが、帝国と呼ばれているなにかと繋がってはいるはず。
フューリィが兄である王国王がどうしているかを探るためには、彼がいまの公国にとって使える駒であると議会に歩み寄るしかない。
彼等に警戒されているフューリィが、その警戒を緩ませるほどのなにかを提供しようとしたら、それは私しかないはず。
王宮内部といった情報もあるが、王宮はいきなり手を伸ばすには遠い。
「まったく王女は怖い」
「そうかな」
それまで、向こうがなにも仕掛けてこないといいのだけれど。
黙り込んだ私に、王女? と爺が気遣い、なんでもないと首を振る。
もし、いまのこの状況を操っている者がいたとして。
私がその者だったらどうするか。
あまり、考えたくない。
まるで見えない相手と盤上を争っているような気分だ。
不本意だけれど、フューリィは私の騎士として、騎士の働きをしてくれないと困る。
そして私は……父様の狙い通りに動くのは癪だけれど……。
「そういえば、図面のものは作ってもらってきた?」
爺が乗ってきた荷馬車に話を向けて、私が爺に尋ねれば、勿論と彼は答えた。
「あの車軸の妙な形の部品ですか? 図面を広げた途端に職人達が集まって、喧々諤々、議論を始めて大騒ぎでしたぞ」
「彼等は専門家だ……なら予定より早いけど行こう、試したい」
「やれやれ」
馬車の揺れ、あのひどい揺れがましになれば、王国の輸送能力は飛躍的に向上する。
物資は勿論、兵も疲弊させずに運べる。
*****
「ティア! 久しぶりだな、元気そうだが相変わらず細い。昼は? まだだろ? 用意させよう」
私を見るなり、私を抱き締めて挨拶する間も与えず一息にそうまくしたてて、二の姉様は私の額に頬擦りした。
熱烈歓迎してくれるのはいつもの事でうれしいけれど、武人として鍛えられた腕で抱き締められるのはちょっと、いや、かなり苦しい。
「姉様……っ」
苦しいともがけば、ああすまないと私を解放して、二の姉様こと、第二王女のテティス・アウローラ・クラススは、三つ編みに束ねた一番目の王妃様譲りな鳶色の髪を背に払って、本部指揮官の制服を纒った腰に手を置いた。
王の遠縁で幼馴染であった最初の王妃様は大層気の強い女性であったらしく、二の姉様は彼女によく似ているらしい。
中性的な顔立ちで、切れ長の目が涼し気なテティス姉様は、貴族のお嬢様方や王家の侍女達から憧憬を集めていた。
式典などに騎士団の礼装姿で現れれば黄色い歓声が上がるほどだ。
「義兄様は元気?」
「ああ、お前が正式文書なんか寄越してくれるから参謀室に缶詰で唸ってる」
「それ、元気なのか?」
「武人の癖に頭を使っているのが楽しい人だからな、私と違って」
あははっ、と元一連隊を束ねる女指揮官だった姉様は快活に笑った。
騎士団参謀の義兄様と結婚し、いまは騎士団本部付訓練指揮官の役目についている。
まあ要するに、新人騎士や従士の教練や、即席で集めた民兵の訓練を請け負う教官職だ。
自分より強い男でなければ結婚しないと豪語していて、年頃になった際に自分に結婚を申し込んできた者達をまとめて退けるつもりで婿取りの競技を催し、自分よりひ弱な義兄様の知略に負けて潔く結婚したらしい。
子供が出来てからは、前線から後方に移った。
テティス姉様が訓練指揮官になってから、騎士団の統率は飛躍的に向上し、同時に脱落者が三倍になったとか。
騎士団本部の貴賓室で、肉が多めな昼食を胃が反乱を起こしそうだと思いながら姉様と一緒に食べ、彼女と同腹の兄様姉様達の近況を聞く。
トリアヌスの下で法の仕事に携わる一の兄様はともかく、一の姉様は婚家の邸からほとんど出てこないからどうしているのかさっぱりだったけれど、文化振興を担っている一の姉様の元に集っている芸術家達の間では新しい芸術の気運高まっているのだそうな。
「ふうん」
「そういえば、聞いたぞ。お前なにやら近衛の騎士といい仲だそうだな」
「ぅ……グぅ、んー……っ!!」
テティス姉様の突然の言葉に、肉片を喉に詰まらせかけて唸りながらとんとん胸を叩き、大慌てで水を飲んでゴクリと喉を鳴らして肉片を飲み込む。大きく息を吐いた。
「あ、や……それは」
「珍しく王宮に顔を出して、父上にも御目通りしたとか。まさかフェーベよりも早くお前が相手を定めるとはなぁ。まだ成人したばかりなのに」
ああ、そうか……テティス姉様には伝わっていないのか。
「一体、どんな縁で、近衛のどの隊の男だ?」
「えっと……その」
「ん?」
自分が見定めてやるといった気満々な表情で迫るテティス姉様に観念して、フューリィについて打ち明ければ、予想通りに姉様の打ち付けた拳がテーブルを揺らした。
公国の騎士長?!
昼食の食器が跳ねてカシャンと音を立てる。
椅子から立ち上がった姉様に、姉様落ち着けと溜息まじりに宥めたものの、まあそれで収まる姉様ではない。
「落ち着いていられるかっ、公国騎士長といえば敵と見做せば子供も容赦なく斬り皆殺しにすると評判の冷酷無比な恐ろしい男だぞっ。どうしてそんな奴がお前と……」
しかもそうか。
テティス姉様から見たら、あいつ敵国の騎士長だった。
暢気者のお人好しなフューリィも、この人から見れば敵に回せば厄介なフェリオス公国騎士長というわけか。
「うーん、拾った……から?」
「は?」
「ほら例の矢毒。あれで塔に行き倒れてきたから人命救助で手当てして、捕虜にして……まあ成り行きというか」
「ティア、お前そんなっ」
「いい奴……だぞ? 体力馬鹿で敵に回したらたしかに厄介な奴かもだけど……」
説明が面倒くさい。
テティス姉様には爺経由で伝えておけばよかった。
「そ、それにっ、たぶん姉様より強い!」
「私より……」
ぴくりと姉様の綺麗な弓形の眉山が動く。
テティス姉様の自分より強い男というのは、何故か私にも適用されているらしい。
あの爺とほぼ互角だし、いや本気の勝負は見ていないからわからないけれど少なくとも爺がいきいきするくらいには手練れだと言い添えれば、はあっと大きな溜息を吐いてテティス姉様は姿勢を直した。
爺と面識があると伝えたのは正解だったようだ。
テティス姉様は軍神カルロに全幅の信頼を寄せている。
いうなればフェーベ姉様にとってのトリアヌス。
彼女にとってフューリィが軍神カルロと会って斬り捨てられていない事実は大きな意味を持つ。
まあ、私が間に入らなれければ斬り捨てられていたかもだけど。
「つまり、カルロも認めているというわけだな?」
「うん」
「父上とも会っていると」
「うん」
「という事は、公国は真に敵対してはいない。お前が出向いてきたのもそういったわけか」
あの人が部屋に籠る筈だ……と、ぼそりとテティス姉様は呟いた。
「父様から、王国と公国の本格的な衝突を避けるよう私もあいつも言われている」
「ふむ、その先の話は皆としたほうが良さそうだな」
テティス姉様の言葉に私は頷いた。
「ものすごく嫌だけど……今回ばかりは王国騎士団を動かすことになるかもしれない。ものすごく嫌だけど、おまけに王家に反発心を持つ大臣や貴族の横槍が入ることや他にも色々予想される以上、先手を打つしかない。ものすごく嫌だけど……」
「ティア?」
「本当にものすごく嫌なんだぞ……この間、この件に関する王の代行権を父様から貰った」
ガタガタとテティス姉様が椅子から降りて跪いたのに、そういうのいいからと私は肩を落とす。
「そうは言うが、妹とはいえ、まさしく公国との件で出向いてきたお前はいま王の代わりだ」
「だからものすごく嫌だって言った……」
父様の狙い通りに動くのは癪だけど……あの人は、本当に自分が楽することには容赦がない。
フューリィが先に単独で父様に会ってしまったから、彼を父様の手駒として取られた。
そしてフューリィも私を人質に取られている。
元々そうするつもりだったけれど、互いに協力して動かなければ一緒になれない条件を課せられてしまった。
後からよくよく考えたら、真面目なトリアヌスを使ってそうなるように絶対仕向けてる。
母様までトリアヌスを通じて、私が癇癪を起こさないように釘を刺す役に使うなんて。
誰を巻き込み動かせばいいか、その手段、狡猾さにおいて父様は天才的だ。
本当に、ものすごく嫌だけど……。
王なんだから、自分で動いてくれればいいのに。
私は玉座で暢気にしているに違いない父親に胸の内でぼやいた。
あいつがいればこんな時、簡単に取ってもらえるのに。
まったくいないと不便じゃないか。
つま先立ちで塔の書棚の高い位置にある本を取ろうと腕を伸ばし、ぼやいて、つま先を下ろす。
「フューリィ……」
いまどの辺りだろうか。
東の山脈側から公国へ入るなどといっていたけれど。
「賊のいい標的じゃないか?」
目立つような馬にはしなかったし、頼まれて用意した古着を着て出て行ったけれど……よく考えたら単身だし、山賊や追い剥ぎにとっては格好の獲物になってしまうかも。
もうちょっと痩せた馬にでもしたほうがよかったかななどとひとりごちていたら、後ろから伸びてきた痩せた腕の手が、伸ばしていた私の腕の先にある本を取り出した。
「馬はいいのに越したことはありませんぞ、王女」
「爺……」
「痩せた馬でも貧乏人には手は出ません。馬に乗っている時点で旅人だろうが商人だろうが獲物となるのは避けられまいて。それならそこそこの馬がよいでしょうな」
「そうか」
爺から本を受け取って、礼を言って彼の顔を見上げた。
午後に王宮への移動は頼んだが、いまは昼前だ。
フューリィは出ていってしまったし。
「早いな。どうしたんだ?」
「いや、その……うちのが王女に菓子を持っていけとうるさくて……」
爺の言葉に、ははっと思わず乾いた笑いが出る。
悪気なく口を滑らせやすいことは知ってはいたけれど、機密は漏らす奴ではないから油断していた。
「細君に、フューリィのこと喋っていたな?」
「いやっ……あいつは口は固い」
「そうだな、爺と違って」
まったくと、彼と一緒に階下におりれば、籠一杯の焼き菓子が大机の上に乗っていた。
きっと爺も一緒に作ったのに違いない。
私はひっそり苦笑した。
「お茶を入れる。酒は無しだ」
「はい」
「それにいいところに来てくれた」
「儂に頼み事ですかな?」
厨房の火に水を入れた鍋をかけて、尋ね返した爺に頷く。
最後にトリアヌスのところへ寄るつもりだった。
今頃、トリアヌスは私に小言を言いたくてたまらなくなっているだろうと思いながら、ポットに茶葉を入れる。
「この間、お使い頼んだだろ? 暇なら手を貸してやって」
「気の進まない頼み事ですな……文官仕事はどうも」
「そう言うな。古語は法科の必須じゃない。読める者は少ないはずだし、用心深いトリアヌスのことだから文献調査の専門官や学術院への応援なんて頼まないはずだ」
「フェーベ王女あたり手伝いを買って出ているでしょう」
「そりゃ姉様の社交仕事にトリアヌスは近いから。けど他に手伝えそうなのはあのきらきらした副官くらいだろ? 三人ではちょっと大変だ」
「ちょっと大変どころではないでしょうな、普通なら」
文官仕事の規格外三人と言いたいのだろうが、それでもやっぱり大変だろうと私は息を吐いた。
それがわからない爺ではないはずなのに、結構、意地悪だ。
「機密漏洩の罰と思って協力しろ。トリアヌスの秘蔵酒を片っ端から飲んでるんだろ」
「一言余計です、反抗期かの」
私が入れたお茶の杯を傾けて喉を鳴らした爺の言葉は聞き流して、籠の中の菓子を手に取る。
そう、かつて敵どころか味方すらをも震えがらせた軍神は詩学を修め、植物を愛し、おまけに家庭的。
料理は狩猟の延長らしいが、この頃では細君に教わって菓子作りに凝っている。
古代の伝承によれば軍神は女神らしいけれど……若い頃は酒豪で女たらしで有名だった爺の中身が乙女顔負けというのは。あまり笑えない。
「儂としては王女に護身術の稽古のが」
「短剣なら標本相手に振り回してるし、必要ない」
「動く敵と標本は違います」
「そんな状況なら、あいつが側にいるよ」
「やれやれ、惚気られてしまった。しかし騎士団本部に向かう事といい、王女自ら公国に行くつもりですか?」
「ん? いや……」
爺の問いかけに、菓子を頬張ってもぐもぐと口を動かし飲み込む間を置いて私は答えた。
公国にはおそらく出向くことにはなりそうだけれど。
「行くまでもなく、たぶん迎えが来る」
「迎え? あやつが?」
うん、と頷いて手についた粉を軽く舐めてお茶を飲み干し、杯を置いて私は爺を見た。
私の眼差しからなにか読み取ったのか、ふむと爺が自分の顎を撫でる。
「部下を引き連れ、塔に隠れ住む第四王女を捕らえにくるはず」
「あやつが王女にそんな事……」
「する」
でなければ議会と渡り合えない。
議会は一枚岩ではないようだが、帝国と呼ばれているなにかと繋がってはいるはず。
フューリィが兄である王国王がどうしているかを探るためには、彼がいまの公国にとって使える駒であると議会に歩み寄るしかない。
彼等に警戒されているフューリィが、その警戒を緩ませるほどのなにかを提供しようとしたら、それは私しかないはず。
王宮内部といった情報もあるが、王宮はいきなり手を伸ばすには遠い。
「まったく王女は怖い」
「そうかな」
それまで、向こうがなにも仕掛けてこないといいのだけれど。
黙り込んだ私に、王女? と爺が気遣い、なんでもないと首を振る。
もし、いまのこの状況を操っている者がいたとして。
私がその者だったらどうするか。
あまり、考えたくない。
まるで見えない相手と盤上を争っているような気分だ。
不本意だけれど、フューリィは私の騎士として、騎士の働きをしてくれないと困る。
そして私は……父様の狙い通りに動くのは癪だけれど……。
「そういえば、図面のものは作ってもらってきた?」
爺が乗ってきた荷馬車に話を向けて、私が爺に尋ねれば、勿論と彼は答えた。
「あの車軸の妙な形の部品ですか? 図面を広げた途端に職人達が集まって、喧々諤々、議論を始めて大騒ぎでしたぞ」
「彼等は専門家だ……なら予定より早いけど行こう、試したい」
「やれやれ」
馬車の揺れ、あのひどい揺れがましになれば、王国の輸送能力は飛躍的に向上する。
物資は勿論、兵も疲弊させずに運べる。
*****
「ティア! 久しぶりだな、元気そうだが相変わらず細い。昼は? まだだろ? 用意させよう」
私を見るなり、私を抱き締めて挨拶する間も与えず一息にそうまくしたてて、二の姉様は私の額に頬擦りした。
熱烈歓迎してくれるのはいつもの事でうれしいけれど、武人として鍛えられた腕で抱き締められるのはちょっと、いや、かなり苦しい。
「姉様……っ」
苦しいともがけば、ああすまないと私を解放して、二の姉様こと、第二王女のテティス・アウローラ・クラススは、三つ編みに束ねた一番目の王妃様譲りな鳶色の髪を背に払って、本部指揮官の制服を纒った腰に手を置いた。
王の遠縁で幼馴染であった最初の王妃様は大層気の強い女性であったらしく、二の姉様は彼女によく似ているらしい。
中性的な顔立ちで、切れ長の目が涼し気なテティス姉様は、貴族のお嬢様方や王家の侍女達から憧憬を集めていた。
式典などに騎士団の礼装姿で現れれば黄色い歓声が上がるほどだ。
「義兄様は元気?」
「ああ、お前が正式文書なんか寄越してくれるから参謀室に缶詰で唸ってる」
「それ、元気なのか?」
「武人の癖に頭を使っているのが楽しい人だからな、私と違って」
あははっ、と元一連隊を束ねる女指揮官だった姉様は快活に笑った。
騎士団参謀の義兄様と結婚し、いまは騎士団本部付訓練指揮官の役目についている。
まあ要するに、新人騎士や従士の教練や、即席で集めた民兵の訓練を請け負う教官職だ。
自分より強い男でなければ結婚しないと豪語していて、年頃になった際に自分に結婚を申し込んできた者達をまとめて退けるつもりで婿取りの競技を催し、自分よりひ弱な義兄様の知略に負けて潔く結婚したらしい。
子供が出来てからは、前線から後方に移った。
テティス姉様が訓練指揮官になってから、騎士団の統率は飛躍的に向上し、同時に脱落者が三倍になったとか。
騎士団本部の貴賓室で、肉が多めな昼食を胃が反乱を起こしそうだと思いながら姉様と一緒に食べ、彼女と同腹の兄様姉様達の近況を聞く。
トリアヌスの下で法の仕事に携わる一の兄様はともかく、一の姉様は婚家の邸からほとんど出てこないからどうしているのかさっぱりだったけれど、文化振興を担っている一の姉様の元に集っている芸術家達の間では新しい芸術の気運高まっているのだそうな。
「ふうん」
「そういえば、聞いたぞ。お前なにやら近衛の騎士といい仲だそうだな」
「ぅ……グぅ、んー……っ!!」
テティス姉様の突然の言葉に、肉片を喉に詰まらせかけて唸りながらとんとん胸を叩き、大慌てで水を飲んでゴクリと喉を鳴らして肉片を飲み込む。大きく息を吐いた。
「あ、や……それは」
「珍しく王宮に顔を出して、父上にも御目通りしたとか。まさかフェーベよりも早くお前が相手を定めるとはなぁ。まだ成人したばかりなのに」
ああ、そうか……テティス姉様には伝わっていないのか。
「一体、どんな縁で、近衛のどの隊の男だ?」
「えっと……その」
「ん?」
自分が見定めてやるといった気満々な表情で迫るテティス姉様に観念して、フューリィについて打ち明ければ、予想通りに姉様の打ち付けた拳がテーブルを揺らした。
公国の騎士長?!
昼食の食器が跳ねてカシャンと音を立てる。
椅子から立ち上がった姉様に、姉様落ち着けと溜息まじりに宥めたものの、まあそれで収まる姉様ではない。
「落ち着いていられるかっ、公国騎士長といえば敵と見做せば子供も容赦なく斬り皆殺しにすると評判の冷酷無比な恐ろしい男だぞっ。どうしてそんな奴がお前と……」
しかもそうか。
テティス姉様から見たら、あいつ敵国の騎士長だった。
暢気者のお人好しなフューリィも、この人から見れば敵に回せば厄介なフェリオス公国騎士長というわけか。
「うーん、拾った……から?」
「は?」
「ほら例の矢毒。あれで塔に行き倒れてきたから人命救助で手当てして、捕虜にして……まあ成り行きというか」
「ティア、お前そんなっ」
「いい奴……だぞ? 体力馬鹿で敵に回したらたしかに厄介な奴かもだけど……」
説明が面倒くさい。
テティス姉様には爺経由で伝えておけばよかった。
「そ、それにっ、たぶん姉様より強い!」
「私より……」
ぴくりと姉様の綺麗な弓形の眉山が動く。
テティス姉様の自分より強い男というのは、何故か私にも適用されているらしい。
あの爺とほぼ互角だし、いや本気の勝負は見ていないからわからないけれど少なくとも爺がいきいきするくらいには手練れだと言い添えれば、はあっと大きな溜息を吐いてテティス姉様は姿勢を直した。
爺と面識があると伝えたのは正解だったようだ。
テティス姉様は軍神カルロに全幅の信頼を寄せている。
いうなればフェーベ姉様にとってのトリアヌス。
彼女にとってフューリィが軍神カルロと会って斬り捨てられていない事実は大きな意味を持つ。
まあ、私が間に入らなれければ斬り捨てられていたかもだけど。
「つまり、カルロも認めているというわけだな?」
「うん」
「父上とも会っていると」
「うん」
「という事は、公国は真に敵対してはいない。お前が出向いてきたのもそういったわけか」
あの人が部屋に籠る筈だ……と、ぼそりとテティス姉様は呟いた。
「父様から、王国と公国の本格的な衝突を避けるよう私もあいつも言われている」
「ふむ、その先の話は皆としたほうが良さそうだな」
テティス姉様の言葉に私は頷いた。
「ものすごく嫌だけど……今回ばかりは王国騎士団を動かすことになるかもしれない。ものすごく嫌だけど、おまけに王家に反発心を持つ大臣や貴族の横槍が入ることや他にも色々予想される以上、先手を打つしかない。ものすごく嫌だけど……」
「ティア?」
「本当にものすごく嫌なんだぞ……この間、この件に関する王の代行権を父様から貰った」
ガタガタとテティス姉様が椅子から降りて跪いたのに、そういうのいいからと私は肩を落とす。
「そうは言うが、妹とはいえ、まさしく公国との件で出向いてきたお前はいま王の代わりだ」
「だからものすごく嫌だって言った……」
父様の狙い通りに動くのは癪だけど……あの人は、本当に自分が楽することには容赦がない。
フューリィが先に単独で父様に会ってしまったから、彼を父様の手駒として取られた。
そしてフューリィも私を人質に取られている。
元々そうするつもりだったけれど、互いに協力して動かなければ一緒になれない条件を課せられてしまった。
後からよくよく考えたら、真面目なトリアヌスを使ってそうなるように絶対仕向けてる。
母様までトリアヌスを通じて、私が癇癪を起こさないように釘を刺す役に使うなんて。
誰を巻き込み動かせばいいか、その手段、狡猾さにおいて父様は天才的だ。
本当に、ものすごく嫌だけど……。
王なんだから、自分で動いてくれればいいのに。
私は玉座で暢気にしているに違いない父親に胸の内でぼやいた。
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◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
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