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王宮編

第23話 触れる騎士と触れた王女 **

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 塔に戻れば早々に湯を用意させられた。
 湯浴みに使うだけの大量の湯を用意するのはなかなか骨だ。
 塔に着いて、なによりも先に厨房に種火を起こし、火力を上げ、大鍋に湯を沸かし、腰まで浸かる深さの木桶に移し替える。
 一連の作業をティアに追い立てられるようにやって、彼女が使うものと思っていたら、お前の沐浴用だと言われた。
 染めた髪は湯で簡単に色が落ちるからと言いながら、木桶に移し替えた湯の加減を見てご丁寧に乾燥させた紫色の細かな花のついた薬草を彼女は撒く様に入れた。
 なんでも疲労にいいらしい。
 たしかに神経を緩めるような香りが湯に浸された薬草から立ち昇る。
 彼女を引き寄せた時に香る匂いにも似て、湯と香りの心地良さに無意識の強張りが解けるような肉体とは反対に、精神的にはなんとなく落ち着かないような気もしたが極力気にしないようにして肩に湯をかける。

 王宮を出たのは昼下がりで、移動に湯浴みの仕度にとやっていたらもう夕暮にさしかかっていた。
 塔の入口近く、厨房にほど近い、土を押し固めた場所に置いた木桶の中で身体を流し、外に出て水気を拭って下着を身に付け、残り湯で髪を洗えば、面白いように髪を染めている染料が落ちて湯は真っ赤になった。 
 まるで戦った後に返り血を洗い流したようだなとひとりごちる。

 ティアはといえば仕事部屋で壁に貼ってある広域地図を机に広げて、なにかに取り掛かっている。
 おそらくは彼女の仕事だろう。
 例の矢毒について書きまとめていた時と似た顔つきをしていた。
 俺だけ湯を使っていいのかと尋ねたら、王宮を出る前に済ませてきたらしい。
 それだけが王宮に戻った時の楽しみだとティアは言った。
 彼女付きの侍女もいれば王族の世話をする使用人にも事欠かない王宮であれば、たしかにそんな贅沢も容易い。
 実際、俺にあてがわれた客間にも浴室があり、常時湯は用意されていた。
 出来る限り身の清潔を保つのが騎士の習慣とはいえ、こんな一日と空けず頻繁に湯を独占して使うことはあまりない。

 そもそも、塔の生活においても衛生管理は徹底されている。
 動けるようになってからはほぼ毎日清拭のための湯と布が用意され、寝床の敷布は五日に一度はティアによって剥ぎ取られ取り替えられていた。
 ティア曰く、傷で命を落とすより傷を治す過程で命を落とす者がはるかに多い、お前も多くの兵を預かる者ならわかるだろうという事で、それは頷ける。
 集団、とりわけ戦地での生活における衛生管理は、兵の生存率に影響する。
 学術院で医科を修めているから出た言葉だろうが、俺の看護をしていた時といい、王宮でフェーベ王女や宰相殿を交えての話し合いの時といい、あいつはまるで軍医や指揮官のような時がある。 
 指揮官――。

「……いや、まさかな」

 不意に浮かんだ考えを、俺は声に出して否定した。
 だが、消えずに残った。

 実際に戦って、王国軍の恐ろしさは、技術力と練度だと俺は思っている。
 誰でも使える威力の強い武器を持たせ、戦略重視で効率的な動きをする。
 精鋭でなくても成果を上げ、生存率を高めるための訓練を繰り返しているそんな印象だった。
 あれ程の技術力があれば、熟練の兵士により強力な一点物の高度な武器を与えることを考えそうなものなのに、もっと単純でしかし単純だからこそ厄介なものを量産し配備している。
 例えばそれ程力を使わずとも、強く真っ直ぐに矢を飛ばす弓。
 王国の弓兵は実際厄介だった、名手を倒せば適当に蹴散らせるものではなく一律に精度がいい。歩兵の防具も軽く強度に優れたものを使っている。
 
 ――あれはただの麻痺毒ではないから戦場での使用は直ちに止めさせた。狩猟用の毒がどういった毒かよく知りもしない馬鹿者の思いつきでお前たちと応戦した小隊に広まっていたらしい。

 よく、考えてみたら。
 いくら薬や医術に詳しいからといって、戦場と無縁な、あんな雛みたいに小さく可憐であどけなさも抜け切らない若い王女の一声で、王国軍全体の軍規が直ちに正されるものなのか?
 カルロ殿の口添えで、軍神の影響力がいまだ健在といっても、もう彼は引退している身で総長も参謀も別にいる。指揮官だって複数でけして一枚岩といったわけでもないだろうに右向け右と異論もなく。
 濡れた頭を振って水滴を落とし、手櫛で髪を後ろに撫で付け、ズボンを履き、使った湯を始末して塔の仕事部屋へ入れば、ティアは丸椅子にかけた腰を浮かせて、大机に広げた地図に身を乗り出してた。
 難しい顔をしていたが、俺の気配に気がつくと黒髪を揺らしてこちらを見て、やっぱりその髪が好きだと言って微笑み、また地図に向き直る。

「ずっと地図とにらめっこしていたのか?」
「まあな」

 こちらを見ずに地図に向き合ったまま答えたティアの背後から近づき、彼女の頭越しに地図を見下ろせば、地図の上に小指の先ほどの大きさの植物の種が印の様に三つ置かれている。
 的確な位置だ。
 
「お前の国はどんなところなんだろうな?」
「ん?」
「私は王国から出たことがないから……お前の国どころか王都以外の他の街すら知らないし」
「それにしては、よくわかってる」

 首を捻って俺を振り仰いだティアの顔を見下ろし、華奢な肩越しに腕を地図へと伸ばす。

「ここは地面が荒く見通しも悪い、そしてここは湿地帯で底なし沼が点在している。攻め入るのも難しいがこちらの守りも弱い」

 言いながら、二つの種を地図の脇へと弾いて、残った種に指を置く。

「だが、公国の王都に攻め入るなら下手に進みにくい場所より真正面。俺なら城郭の門番を買収する。城郭に門は五つあるが買収するならこの街道沿いの西門だ。この門の側は特に家が密集していて俺たちも動きが取りにくい」
 
 はあ……と、ティアの呆れ返った溜息が聞こえた。

「フューリィ……」
「ん?」
「お前……自分が公国の騎士長で私が王国の第四王女だって事を忘れていないか?」
「いや」
「いま私に話したことは、立派な背信行為だ」
「お前が公国を侵略しようとか支配しようとかいった考えならそうなるかもな」

 そう言って薄く笑えば、もういいとばかりに肩を落としてふてくされた顔で丸椅子に腰掛けたので苦笑しながら、後ろから腕を回した。
 彼女が地図の上に見ていたのは、地形ではなくきっと今後の物事の動き。この先起こる考えられる出来事なのに違いない。いくつもの物事の分岐の組合せ。

「公国王都へ兵を動かすつもりか?」
「場合によってはそうなるかも……なるべくそういった無駄なことは避けたいけれど、そうしないと収まりがつかないかもしれない」

 耳打ちすれば、そうぼそぼそと答えながら腕のなかで体の向きを変えたティアが俺をみて黙った。 
 その顔が白く、透き通るようでさらりと黒髪が肩から落ちて俺の腕をくすぐった。
 話題と、こうしていることが随分ちぐはぐで合っていないように思える。
 奇妙な沈黙だった。

「聞かないほうが、よかったか?」
「いい、別に」
「よくはないだろ……お前だって、俺の前でこんな地図広げて隠そうともしないで」
「お前だって、王国と争うなんて思ってないだろ」

 静かな、綺麗な声だった。
 白い顔を俺に近づけるように、ティアが首を伸ばす。
 目を伏せて、差し出された唇に唇で触れる。
 もう何度触れたかもわからない。
 
 長くさらさらと揺れるティアの黒髪が、彼女の頭を掴む俺の指の間を滑り落ちる。
 初めてティアにそうした時のように触れるだけで一度離して、そして噛み付くように味わっていた。
 ティアは拒まない。
 口の中を舌で探れば、応えるように絡めてくる。
 最初は恐る恐る触れてくる程度だったのに……濡れた音と吐息を漏らし、俺の首に腕を回す。
 いつまでもそうしていたくなるが、ゆっくりと離れた。

「……ティア」
「恋って……なんだろう?」

 腕の中に、華奢な体がおさまっている。
 尋ねられて、俺にもわからないと答えた。

「自分でも思いがけないよ……フューリィが離れたら寂しい。でもそれより寂しいのはお前が公国に戻ったあと、何事もなくきっとこれまでと同じようにここで暮らして王女としての仕事もしてしまうだろう自分だ。なにも変わらない」
「ティア?」
「お前どうせこう思ってるんだろっ」

 俺の胸に伏せていた顔をばっと音を立てるように勢いよく上げて、ティアは急に声を荒げた。
 吸い込まれそうな黒い瞳が潤んだ光を浮かべ、頰を紅潮させて、怒っているのは明らかなのに綺麗だなんて思ってしまって、黙って眺めていたら拳で左胸を軽く打たれた。

「万一、離れたままになっても私は若くて王女だからいくらでも相手がいるだろうって、そうなる事を考えて、私の本意じゃないとかなにもかも片付けてからとか言って、ここまでなんだろっ」
「ティア」
「戻ってくるつもりだし、お前は私の捕虜で、私のものなんだろっ! 全部って言ったくせにっ!」
「おいっ……急に怒りながらいろいろ一緒くたに言われてもだな……っ」

 宥めようとしたら両の拳を交互に動かして暴れられた。
 胸や顎を打たれて結構、痛い。
 お前なあ……と、両手首を掴みとったら、まるでむきになったように椅子から立ち上がって唇を奪われた。
 小さな舌が隙間から忍び込む。
 本当に、最初は……なんて考えかけて、そういや最初はこいつからだったかと思い出した。
 離れていく唇の赤さと、まだ自分の口元に残っている感覚に胸がざわつくような欲望を覚えた。
 きらきらした黒い瞳が俺をじっと見詰めている。
 冷静なようでそうでもない。
 笑ったり不安がったり、それに結構怒りっぽい。
 そういえば矢毒の解毒をどうするといった話で、突然怒り出したこともあった。

「……私が誰か他の相手をみつけてもいいんだ、フューリィは」
「そうじゃないっ」
「その考えは結論としてそうなるだろっ」
「初婚の年若い王女なんて、大体貰い受ける側は自分が最初の男だって期待するものだ。特に貴族の男なんて自分のことは棚上げで……そういったくだらない男の小ささでお前が下手に貶められてもとっ……」
「だからそれって、結局、私がお前以外と一緒になるって将来を前提にしての考えだろっ!」

 甘やかな口付けの後とは思えない、低く凄むような声と睨みつけてくる眼差しについ俺も声を荒げて反論すれば、痛いところを突かれてうっ……と、言葉に詰まった。
 そもそもこいつに口で勝てるわけがない。

「ほらみろ」
「……ティア」
「戻って、一緒にいてくれる気なんだろ? だったら」

 だったら……。
 取り返しのつかないことくらい、しろ。

 消え入りそうな声でそう囁き、俺の左腕に熱を帯びた頰を隠すようにして黙り込んだティアを、気づいたら腰から抱き寄せていた。

「フューリィ?」
「こんな迫られ方、これまで一度だってないぞ」
「欲しいものがあるなら手に入れられるよう努力しろって、トリアヌスに昔教わった」
「宰相殿は少し違う意味で教えたのじゃないか、それ」
「同じだ。フューリィが……」
「ん?」
 
 フェリオス・ヒューペリオ・フューリィが欲しいよ……私は――。

 雛のように軽く柔らかな身体を抱きかかえている耳元で、まるで道を惑わせる精霊の誘いのように綺麗な声で囁かれたら、完全降伏するしかない。

*****

 毒と失血で意識を失って。
 最初に目が覚めた時、天の国かと思った。
 些細な光でもきらきらと輝きを放つ結晶が、天上の微かな音を奏でる。
 多くの人間を斬り殺してきた俺は地の国に落ちるはずなのに、何故だと。
 だから、すぐそばに黒髪の女神がいることに気がついて、ああそうかこれから裁かれるのかと考えた。
 女神ではなく、俺に一服盛るつもりでいた王国の第四王女で、そして俺は死なずに生きていたわけだが……。

 その綺麗な黒髪が、あてがわれている俺の寝床のシーツの上に広がってつやつやと光を放っているのをすくい取った手に絡めて口付ける。
 ただ世話をされていただけの頃、さらさらと揺れるこの髪に触れてみたかった。
 けれど頭を撫でるのはおかしいし、ましてや抱き寄せるのはもっとおかしい。

「大丈夫か?」

 ぐったり目を閉じているティアの顔を見下し、こめかみから頰を唇でなぞりながら尋ねれば、ん……と億劫そうな返事とともに首に回ってきた片腕に苦笑する。
 一度で、済ませられそうにないことを自覚しながら、そこへ意識を向けまいとしていた。
 微笑んでいたが明らかに辛そうであったし、快楽でというより耐えていた疲労が滲んでいるように見える。

 これまで物好きな女か、街の女かのどちらかで。
 こんな髪の先から足の裏まで滑らかな、無垢の娘なんて抱くのは初めてだ。

「どこか……」
「……妙な感じだ」

 どこか痛むかと尋ねる途中で、顔を顰めてティアが遮った。
 こういったことに女はもっと感傷的になるものかと思っていたが、ティアは当てはまらないらしい。いや世の女が本当にそうなのかも実のところ知らないのだが。

「まだお前が“いる”感じがする」

 ぼそりと呟かれた言葉に、腹の下が熱くなる。元々が消化不良気味。当然だ、いくら俺が武骨者でも初めて男を受け入れる若い娘相手に、戦の後に自分を取り戻す為にするような情欲任せに突き入れ責め立てるようなこと出来る訳がない。

「ん……」

 寝惚けているように薄眼を開けるティアが甘い吐息が漏らす。
 吸い付くような肌の内腿に掌で触れていた。
 
「ぅ……ふっ……」

 色々試して弄りたくなるほどティアは反応して、俺でなくても相手などいくらでもと考えていた自分がもはや信じられない。もし他の男が触れたなら俺は間違いなくそいつを八つ裂きにする。
 聖女を犯して快楽に堕としているような背徳的な気分にすらなる、清冽な色香だった。

「俺がいるって、どこに?」
「あ、やぁっ……っ、ぅん」

 くちゅっと指先に絡む水音と、ティアの胎内から溢れ落ちてくる生温い微かな血と互いの体液の匂いに、自分の口元がだらし無く弛緩するのを覚える。
 甘いだけの声に、指ならもう大丈夫そうだと、ゆっくりと中から掻き出すように指先を沈ませながら、制止の言葉を漏らすティアの唇を塞げば付け根まで沈めた指の先がひくりと柔く締め付けられた。最初の跡は殆ど掻き出したというのに、あらたに溢れてきたものに中は満たされて熱を帯び始めている。堪らなかった。

 はっぅ…、だめ……まだ……。

 合わせている唇から、吐息と共に切れ切れに聞こえる言葉紡ぎだす舌ごと封じて、ひくつくティアの動きに合わせるように緩やかに指を抜き差しすれば、背を反らして捻るように腰を浮かせ、閉じている目の端から涙を零した。
 頰にきらきらした涙の筋が細く引かれた後、少しだけ開いた瞼から黒い瞳が近すぎて焦点が合わない様子で俺を見て、また閉ざし、首に回っていた腕の手が俺の頰を捉えて、自ら絡ませ直すように俺の舌に応じる。
 しばらく夢中で、ほぼ同時に息を吐いて唇を離し、指を抜けばとろりと出て行く俺の指先を追いかけるように蜜が流れ落ちて一帯の湿りが増した。

「ティア……」

 自分でも可笑しくなるほど、熱く震えた掠れ声が出た。
 繰り返し、彼女の名を口にしながら口元から首筋へと唇を移動させ、細い肩の線をなぞって腕で落ちて斜めにまだ王宮でつけた跡も生々しい鎖骨を端から中心に向かって辿って、胸元へと降りていく。
 
「あぅ、あっ……ふッ、そ、そこだめだ……っ、ぁん」

 仰向けに寝そべっていたティアに覆い被さるようにしていたのを、ティアの背中から腕に抱え込むように上体を起こして、丸い膨らみの右の先端部にしゃぶりつけば、狩った獲物が逃げようとばたつくように身を捻って暴れるティアの腰を回している左腕で自分の身体に引きつけ拘束する。 
 
「やっ、ぁ……あ、あ、んぅ、ふぁッ、だっ、ぁん……ぃッ、フェリ……っ、あッ、ああッん!!」

 熱に浮かされたような表情でうわ言のように漏れる声が一際高くなった。
 まるでかじりついてくれとばかりになっている果実のごとく固く膨らんでいる左胸の頂きを咥えて吸い上げ、同時に空いている右手の指を再び、ティアの胎内なかへと後ろから潜りこませれば、アッと短い吐息を声とともに漏らして俺の首にしがみつく。

 フェリオス……。
 
 切なげな声が、この頃あまり呼ばれることがない名を呼んだ。
 肩に頭を乗せてしがみついているその耳元に唇を当てて、どうしたと尋ねる。
 
「お前の……思うような、王女じゃないか、も……私――」

 ぁ……んっ、と喘ぐ吐息に切れ切れになった言葉が届いて、俺は堪らない思いでティアを抱きしめる。抜いた指先が淫らな水音を立てたのが同時に耳に付いた。
 情欲と、情欲とはかけ離れた感情に翻弄され、一瞬、混乱する。

「俺だって、違うかもしれない……」

 どちらからともなく唇を合わせる、こんな狂おしいような気分で交わす口付けを俺は知らない。
 華奢な身体は白く滑らかで、力加減を迷うほど柔らかい。
 細い首、簡単に壊れそうな肩、掌に包める丸い胸から続く平らな腹部と綺麗な曲線を描くしなやかな腰、すらりと伸びて悩ましく俺に絡めてくる脚……。
 
「ティア」

 欲望に塗れた声がでた。
 吸い込まれそうな黒い瞳で俺を見つめるその目の瞼に唇を落とし、頰や額、鼻の頭や顎先に口付ければくすぐったそうにティアは笑った。

「人懐っこい犬みたい」

 そう、くすくす笑いながら、俺の両頬を両手に挟んで同じように俺の顔に唇で触れて、左頬に添えた手で俺の髪を梳いた。

「治療していた時、髪をちょっと触りたかった。私と違って柔らかそうでお日様の光みたいで……私の知らない外の風の匂いがする」
「どうして……俺を気に入った?」

 ティアの手が髪を弄っているのはそのままに、俺は頭の位置を落として彼女の体を少し持ち上げるようにして淡い影になっている鎖骨窪みに顔を埋めながら尋ねれば、さあと苦笑交じりにティアは返答した。

「こんなところに行き倒れてきて迷惑だなって、死んだら森に運ばなきゃいけないじゃないかって思ったけれど、間に合うなら助けたかった。泥と血塗れの体を洗ったりしている時にはもう絶対助かって欲しかった。お前が誰でも関係ない。案外、お前の身体に惹かれたのかも……私も盛る年頃だ……」
「それは運が良かったな、俺も」

 昨日とは別の場所を吸い上げる、アッ、とティアが声を立てて僅かに身を震わせる。こんなことでも感じるらしい。 
 ティアが欲しかった、心の底から。
 互いに思い合っていても、体を重ねても、ティアは手に入らない。
 手に入れるためには公国と王国の決定的な衝突を避け、公国の主導権を公爵家に取り戻し、帝国を退けなければならない。それは絶対条件だ。
 でなければティアは――敵国の騎士長に蹂躙された王女に、いや、それで済むならまだましかもしれない。
 きっとティアは王国の軍事に関わっている。

「お前はいい王女だ」
「本当に?」

 震える声が尋ねる。
 その震えが俺に官能を刺激されてなのか、別のことでなのかはわからなかった。

「それに王女じゃなくても……綺麗だ」
「なんだ、お互い見た目だな」
「そうだな」
 
 二人して笑い合い、再び口付けを交わす。
 
「ティア……」

 ほとんど吐息だけで尋ねれば、ティアも悩ましいようなため息の中で応えた。
 ゆっくりと持ち上げていたティアの身体を自分の腰の位置へと落としていく。
 溢れ出た蜜に蕩けている入口に触れたと同時に、びくっとティアの全身が強張ったのを感じたが、彼女の頰に唇を落としながらそのまま進めていく。

 あ、あああッ……っぅ、く……、あぁ……んっ。

 喘ぐティアの唇を奪って深く合わせながら細波さざなみのように小刻みに震える身体を支え、入口で慣らすように上下させれば、一層高く俺を煽り立てる喘ぐ声と絡みついてくるようなティアの内部に、いますぐ奥まで貫いて激しく突き上げたい衝動を、歯を食いしばって抑え込む。
 んっ……あぁぅ……っ。

 口付ける合間に漏れる声と吐息、さらさらと滑る黒髪が揺れて俺の頰を叩く。

「……む」
「ん?」
 
 頼む……焦らすな。
 鼻先に囁かれ、まだ痛むだろうとか苦しがるのではないかとか考えていたことも忘れて、俺はティアの身体を押し付ける。
 奥深くまで貫き、抉るように上下に腰を動かせば、アアッ……と高く悲鳴に近い声を上げて、ティアは俺にしがみついた。

「あ、ああ……フェ……リっ、フューリィ! だめ、や、おく……ああぁっ、なにかっ…」
「嫌か?」

 ふるふると黒髪が揺れ、お前は意地悪だとなじる泣き濡れた声が耳に絡みつく。
 フューリィ……フェリオス……と、目を閉じて俺の名を繰り返し、しゃくりあげては震えて俺を締め付けるティアを眺め、熱を帯びる肌を掌で撫でる。
 綺麗だ。
 肉体の快感と、快感を切り離しても離れがたい心地良さが満ちてくる。
 ティア……と名前を口にしたのが限界だった。

「ああッ……ぁッ」

 果てたところをさらに絞り取るように触れている柔らかな襞が何度も俺を締め付ける、ぐったりと力なく俺に崩れてきたティアを腕の中に抱えながら、俺も息を吐いた。
 取り返しのつかない、こと。
 きっと互いに同じ事を考えている。

「ティア……」

 浅く乱れた呼吸がまだ落ち着かないティアの頰を手の甲で撫で、どんな形でも必ず戻ると静かに囁く。
 うっすらと開いた目で俺を見つめ微笑んだティアに、俺は、覚悟を決めた。
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