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王宮編

第16話 説明する騎士と気を回す王女

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 長い一日だ。
 朝からの支度に、午後の王宮でティアの姉である第三王女との会談。
 考えていたよりずっと緊迫している王国と公国の関係、不可解な公国の様子。
 そして帝国に対するティアの疑問。
 それだけでも頭に雑多なものを詰め込まれたように感じる。
 そして俺は再び、王立学術院に行くと言ったティアについて王宮の通路を歩き、いまは王宮の裏庭だという庭園の中を歩いている。
 綺麗に刈り込まれた春には花をつける木の垣根が入り組んでいてまるで迷路のようだ。
 第三王女や宰相殿も交えて話した後、王宮の通路を歩く間、ティアはほとんど喋らず、時折考え込んで歩く速度を緩めたり、立ち止まったりして案内役にあまりなっておらず、通路の分かれ道が来るたびに俺から尋ねなければならなかった。
 あげくの果てに、目から真珠のような涙を落とした。
 これにはかなり驚いたが、とはいえそこから涙がとまらず泣き出すといったわけでもなく、一時的に感情が昂ぶってのことらしい。
 公国の様子や王国との一触即発に近い状況も気にかかるが、王宮を訪れる準備をしている時から情緒不安定気味なティアの様子も気にかかる。
 本人はなんでもないというが、とてもそんな様子には見えない。
 そもそも、可能な限り自分しか知らない使われていない通路を歩いてまで人を避けようとするのもおかしい。
 人嫌いだとか気難し屋といったものとは異なるように思える。
 
 ――ごめんなさいね。でもティアちゃんがこうも寛いで接する他人はとても珍しいの。ですから気を悪くなさらないで。
 ――お付きの騎士でも貴方はお客様として扱いましょう。

 第三王女の言葉や、護衛の騎士で来たのにも関わらず客扱いだと伝えられただけで皆が納得するところ、ティアが認めたというだけで使用人から特別視されるところ、いずれも普通はないことだ。
 つまりは王宮にいた頃のティアはそれだけ、それほどだったのだ。

 ――これほどまでに安心しきった様子で人に身を任すような王女の姿は滅多なことでは見られん。
 
 カルロ殿の言葉も思い出して、俺は、前を歩いているティアに気がつかれないようにそっとため息を吐いた。
 自分の目で見るのが早い、か。

「なあ、姉様綺麗だったろ?」
 
 突然、歩きながらそんなことを言ってきたティアに、ん……ああ、まあなどと適当な相槌打つ。
 前を歩いていると思ったらいつの間にか追いついていた彼女を見下ろせば、首を傾けてこちらを不思議そうに見上げてくる。
 仲が良さそうであったし、自慢気な話もしていた。
 俺の薄い反応が少し不満なのかもしれない。
 ティアから聞かされていた第三王女の美貌はたしかに一瞬目を奪われるものだ。向けられた微笑みにもどきりとはさせられたが、なんだか精巧な人形細工でも見て美しいと思うのに似た気分で、俺自身特別に惹かれるものはない。
 正直、第三王女のことは公国の情報収拾の伝手を持つ王国の王女以外に関心はなかった。国防の任を担っている以上防諜といった面なら多少気にかかる。
 それよりも情緒不安定気味なティアの様子のが気にかかる。
 女心に疎いことはこれまで関係した女からも部下の者達からも散々言われているから自覚しているものの、本当に成す術がない。
 俺自身の事や公国と王国の緊迫した情勢も影響していそうだから、なんとも形容しがたいもどかしさを感じていた。

「それだけ?」
「なんだ」
「いや、だって……」
「まあ、たしかにティアが自慢するだけの美女だったが、綺麗さというのなら、お前が時折見せる絵画的な綺麗さのが感心する」
「か、絵画っ?!」
「ああ、お前が宰相殿を懐柔する様子なんて物語絵のようだし、その偉そうな態度がなければ……って、ッ、何故、殴るっ」
「知らんっ」

 左腕を叩かれて、すたすたと再び前に出て歩くティアの後ろ姿に、再び俺はため息を吐く。
 本当に、よくわからん――。

 *****

 王宮の裏庭を抜け、古いが石畳に整えられた敷地に足を踏み込んでから周囲の雰囲気が一変した。
 ここがティアの言っていた王立学術院の敷地であることは想像がついたし、学生らしい者の姿もまばらだがちらほらと見える。
 王宮ではあれだけ人から姿を隠すような動きをしていたティアだったがここに足を踏み入れてからはまったく周囲の人を気にしていない。
 その黒い瞳に周囲の人の姿が見えているのかどうか怪しんでしまうほどの無頓着さだった。

 それに、なんだ……?

 行き交う人の中にティアを認めては驚きの色を浮かべたり、どこかそわそわしたり、中には見詰めるような様子を見せる者がいるのも気にかかる。
 大抵、簡素なシャツに沈んだ色のローブを着ていて、ティアより少し年上か俺と同世代に見える男性でなんとなく面白くない。
 それとなく不躾な視線を遮るように立ち位置に気を配れば、まるで本当にティアを警護する近衛騎士のようで、ここにきてようやく役柄に慣れてきたのかなどとティアに揶揄からかわれてしまい、思わず眉間に皺が寄った。

 “人嫌いの王女”、“本愛ずる姫”など称されているのはティアが話すような揶揄やゆではなくて、もしかして憧憬の念からなのでは?
 
 そんなことを考えていたら、通り過ぎた東屋とは異なるなにかの施設らしい建物が見えてきて、建物の中から裏口の門らしき所へ一人の老年に差し掛かった男が出てくるのが見えた。
 明らかにティアを出迎える様子だったため、それこそ警護に近い気分で一瞬だけ身構えれば、それを側で感じとったのだろう、ティアは俺を制するように左腕の袖を掴んだ。

「あの方は王立学術院のフネス院長だ」

 短い説明だが合点がいった。
 昨日、ティアがカルロ殿に渡していた、矢毒に関する考察を書いたものを宛てた相手だ。
 白くなった蓬髪に同じく白い髭を顎に豊かに蓄え、痩せているように見えるがローブに覆われた体格はがっしりと骨太な印象だった。
 頑健そうな老人だ、そう思った。
 それに奇妙な圧を感じる。
 カルロ殿の不気味な威圧感とも異なる、なにか蓄積された重みを感じるような圧であった。

「ああ、ティア王女!」
「フネス院長! わざわざこんなところに立って私を待っていたのですか?!」

 この学術院の最高責任者であるらしい男は、やや大げさな感嘆の響きと共に両腕を広げた歓迎の仕草でティアを迎えた。
 そんな男に日頃なにかと偉そうな態度のティアが敬意を表すだけでなく慌てて駆け寄った様子から見て、相当の尊敬と信頼を置いている相手であるようだ。

「まさか。いらっしゃるならこちらからだろうと近くの部屋で仕事しながら待っていました。貴女が来れば若い学者共が落ち着きを無くしてすぐにわかる」
「揶揄うのは止してください」
「昨日届けられたあの考察。医科の者達は朝からまるで巣を突かれた蜂のように大騒ぎだ。あれは実に興味深い。これまで痛みを誤魔化すものといった麻酔の認識を治療補助の術へと変えさせるものです」
「出来たならの話です」
「人間の考え及ぶ事はいずれ叶うか、その方法のどこかに誤りがあるかわかるものだ。神が作った真理の探究よりはずっと容易い。大胆な施術方法については馬を使っての実験方法を検討しています」
「ありがとうございます」

 嬉しそうに微笑んだティアに、何故自分がここにいるのかも忘れて見惚れてしまう。
 王宮にいる時とはえらい違いだ。
 まるで魚が水に戻されたかのように生き生きとして見える。
 ここはおそらくティアにとって王女といった立場もその他のしがらみも忘れ、自分の探究心のままに振る舞える場所であり、それが許される場所なのだろう。
 あの塔にいてさえも、王宮の延長だったのだと俺は知った。

 なにが人嫌いだ。こんなに素直な態度で学問に励まれたら師としては可愛くて仕方がないに違いない。師だけでなく先輩諸氏もまたしかり。
 それは出迎えたフネス院長の態度から見てもわかる。
 ティアの側に控えるように立っている俺のことなどいつまでたっても眼中にない様子であるし。

「矢毒に関する話もしたいのですがフネス院長、今日はお願いがあって参りました」
「うん?」
「薬の工房を見せてくださいませんか。こちらにいるこの者と一緒に」
「工房を?」

 男が、ぎろりと目だけ動かしようやく俺を見た。
 ティアに向ける眼差しとはまったく違う。
 いかにも気難しそうで、文官でも武官でもないのに重い圧の塊を押し付けてくるような視線に一瞬怯む。
 
「ここの支援者である貴女はともかく、部外者は入れない決まりです。なにせ機密と危険物を集めたような場所だ。一度例外を作れば際限がなくなる」
「考察に記した矢毒を受けた男が彼です。筋弛緩への応用もその方法も彼がいたからこそ着想を得たものです」
「ふむ。たとえそうであっても見たところ騎士のようであるし、入る必要のある者とは思えません。不調法な人間を入れて事故を起こされても困る」

 ティアが僅かに顔を顰めて肩を落とした。
 なかなか頑なな人物だ。
 
「この男はむやみに周囲のものに触れたり詮索する者ではありません。私が保証します……だめですか?」

 本当に、こういった時に発揮されるティアの可憐さときたら一国の王も手玉に取れそうだ。
 いや現に取られているか、俺が。
 王ではないが、一応王位継承権は持っている。
 
「ティア、機密のある場所に人をむやみに立ち入れさせないのは俺もわかる。お前が無理を通そうとすればフネス院長も困るだろう。俺自身何故お前がそこへ連れていこうとしているのかもわかっていない」
「フューリィ」
「ふむ、たしか不調法な騎士ではなさそうだ。しかし身分を偽っている者では、いくら王女がその身を保証すると言っても承知しかねる。立ち話もなんだからこちらへ来なさい」

 フネス院長の言葉に驚いたのは俺だけではなかったようで、ティアも何故と言いたげな表情で目を見開いてぽかんとしている。
 いいから来なさい、後に立つ騎士殿もと再び促され、俺達は彼の後をついて建物の中へと入る。
 幾度か折れ曲がる細い廊下の先にある小部屋へと通された。

 *****

 小部屋はまるで、牢獄の独房のようだった。
 簡素なベッドと机と椅子、人が向き合う形に座る小さなテーブルセットがあり、他にはなにもない。
 一つ開いている窓には鉄格子がはまっている。
 フネス院長は泰然とした様子で机の椅子に腰掛け、ティアにテーブルの席に座るよう勧め、彼女はそれに従った。
 学術院の責任者と王女というよりは、師に呼び出された学生といった構図だった。 

「大昔に使っていた試験部屋です。ここに近づこうとする者は滅多におりません。ティア様」
「はい」
「ここの学生であった頃から何度か注意してきたはずです。貴女は結論を急いで論理を展開する悪い癖がある。医科にいたから助かったが、法科を専門とする学生であったならいくら知識に秀でていても落第だと私が申し上げたのをお忘れか」
「うっ……いいえ、院長」

 しょげたようにうなだれ返事をしたティアに、落第……と後ろに立っていた俺が呟けば、うるさいっと毒づかれた。

「公国の貴人よ、貴方も、そこへ座りなさい」
「何故、俺が公国の者と……」
「言葉だ。敬称にかかる発音が王国と公国では微妙に異なる。訛りはなく個々の単語の発音は美しい。そのような言葉を話す者でティア王女と親しい。それなりの立場にいる者であると推測できる」
「なるほど」

 ティアが敬意をもって接するのも頷ける。
 公国にも王国と同じように学術院はある。
 高等教育の場で、王国の教育制度に倣い、文法や弁論、算術や音楽など数科目ある基礎科目を一通り学んだ後、司祭科、法科、医科に分かれより専門的に学ぶ。
 ここは王国王都の学術院だ。この大陸最高水準の叡智が結集する場所といっても過言ではない。
 そんな学術院の院長だ、多くの学問に通じているのに違いない。
 元は王国から分かれたといった歴史背景から公国は言語の上では王国と共通している。
 少し話しただけで、こんな見抜かれ方をするとは思わなかった。
 
「俺……いや、私は公国王の実弟にして公国騎士長のフェリオス・ヒューペリオ・フューリィという者です、フネス院長」

 俺は一礼し、勧められたティアの真向かいの席に腰掛け、膝の上で手を組んでフネス院長殿に向き直った。
 この人には嘘や誤魔化しは通用しないだろう。
 そしてカルロ殿や宰相殿のように事情を考慮するといった甘さもない。
 王宮関係者にとって、公国との関係は重要項目であるかもしれないが、実際に戦争が始まるといったことでもない限り学術院にそんな国同士の利害の話など直接的には関係ない。
 
「私がここへ連れてこられた理由は知らされていないので申し上げられないが、ティア王女が酔狂な思いつきで動く人ではないことは知っている。どうか彼女の話を聞いてもらえませんか。おそらくは彼女は私と公国の為に考えて、ここに私を連れてきたはずです」

 院長殿は髭を軽くつまんだだけで一言も発しない。
 それもそうかと俺は息を吐いた。
 人間関係から見ても、仮に俺がティアとなにかしらの結びつきがあるとして弟子と関係があるからといってなんだといった話だろう。

「いま公国は、王が病に倒れ、本来ならば王の務めを補完する議会が実質的に国の実権を握っている状態にあります。王が体調を崩し、私が王都を離れてすぐ帝国の侵略にあって抵抗するまでもなく議会は降伏を決め公国は帝国の属国となりました」

 フューリィ……と、ティアが声をかけてきたのに俺は彼女を振り返り、お前が何を考えているのかはわからないがフネス院長は王宮関係者とは違う、まずは俺がここにいる理由の説明が必要だと話せば、なにか納得いかなさそうな色を浮かべた黒い瞳がじっと見つめてきたが特に反論はなかった。

「私は公国王の弟で騎士長ですが、議会から睨まれ、すべての物事から遠ざけられている。加えて一ヶ月程前に国境の争いで、ティア王女が関心を向ける矢毒を受けて右肩や腹部も負傷し瀕死の体で戦場を逃れたところを彼女に助けられました。脱走兵の扱いや謀殺のおそれもあり傷が治るまで、表向き生死不明行方知れずの状態で、あくまで一負傷兵を助けただけの彼女の捕虜として匿われています」

 ひとまずここまでが自分がティアの側にいる経緯と言葉を切って、フネス院長を見る。
 表情や様子に変化はなかったが、続けなさいと促されて頷いた。

「先程、王宮で第三王女のフェーベ王女、王国宰相のトリアヌス殿の二人と会談し、王国と公国がこのままでは本格的に戦になりかねない状況にあることを知った。そしてまた公国王、つまり私の兄もその消息が掴めないような状態であることも。兄は元来虚弱の質ではあるが、帝国侵略を受けてから約四ヶ月もそのような状態にあるのはいくらなんでもおかしい」
「ぅん?」
「ティア王女は、公国王は“王や国の為にも知られてはいけない状態”で適度に弱ったままでいるのではないかと。そして気がかりなところをこれから見に行くと、私を伴い、ここ王立学術院を訪ねたのです」

 話を一通り終えれば、しばらく沈黙の時間が流れた。
 その間、フネス院長は軽く目を伏せて顎髭を摘んでは撫でおろすようにしていたが、やれやれと嘆息すると俺ではなくティアを見た。

「師に気遣いは無用だとも、何度も言い聞かせたはずですがそれもお忘れか」
「まだそうなると決まったわけでもないのに、王宮の事情に学術院まで巻き込みたくない。それにここを疑っていると思われたくなくて……」
「ここを疑う?」
「ティア王女は、学術院の工房から薬が流出したのではと考えている。そうですね?」

 院長殿の問いかけに、ティアは頷いた。
 
「純度の高い薬の材料が揃っているのはここ王立学術院の薬学工房です。一般に出回らない薬物も多くある。例えば麻酔にも使うナルケの実の汁を精製した麻薬とか。この男も連れていけばなにか気がつくこともあるかもしれないけれど嘘がつけない男だしなにを考えているかわかりやすいから……」
「おい」
「だって実際そうだろう?!」
「ぐっ、ぅ」
「ティア王女、公国にも薬の工房はあります」

 フネス院長の言葉に、いえと俺は反論した。

「公国製の薬は王国製のものと比べたら数段質が落ちます。薬や医術は王国が最も進んでいる。宮廷医、少なくとも兄上を診る者が与える薬は王国製です。もし薬を使って弱らせるなら王国製のものを使う。相手は王だ、粗悪品で失敗はできない」

 俺の言葉にフネス院長は、ふむと思案するように低く唸った。
 
「もし兄が王国製の薬で弱らされている可能性があるのなら、公国騎士長として調査する義務がある。ティア王女の考えは捨て置けない。公国騎士長として王国とその王立学術院に調査のための協力を要請します」
「非公式の要請と跳ね除けることもできるが、ティア王女がいては宰相閣下が動くでしょうな。あの男はなぜ王立学術院こちらに法科を修めに来なかったのか。師弟のしがらみで牽制することもできない上に、難しい事情も力技な理屈を組み立て通してしまう頭の切れを持った厄介な男だ。どちらにしても手続きは踏まれる。学術院としては応じるしかない」
「フネス院長」
「これは一つ貸しです。ティア王女。もっとも貴女に対しては返しきれない借りがあるのでその返済に充てるだけのものですが」

 そう肩をすくめた院長殿に、ティアはまったく思い当たるところがないといった様子で瞬きをして自分はなにもしていないと首を傾げた。
 学術院への支援なら、それに見合うだけのものを貰っていると。

「支援って?」
「ああ、学術院の建物は王家が建てたもので、私が成人した時に王族の財産として分け与えられたものだから支援と称して無償貸与している」
「無償?! 財産ということは維持改修費もお前の負担だろ?」
「まあな」
「まあなって」
「私が考案し学術院が実用化したものには、その製造や流通量に対して一定の率で考案権利金が発生するからそこから出してる。学術院の建物を所有した時はどうしたものか悩んだがトリアヌスに相談したらそうすればいいって」
「宰相殿?」
「賃料は取らず無償貸与して、私の収入の中で維持した方が王国に納めるものも少なくて済むからと、あいつ商人の家の生まれだからかそういったことにやたら詳しくて」
「お前、王族なのに国になにか納めてるのか?」
「収入が国に還元することが義務付けられる一定額を超えていると聞いている。権利金を課しているといっても微々たる率なはずなんだが、砂金も集めれば金塊になるということらしい」
「らしい……」
「トリアヌスに任せているからよくわからない」
「市場に出回っている薬に騎士団採用の兵器等、ティア王女の考案権利金は莫大なはず。つまりは実用化し製造権の一部を持っている王立学術院もその恩恵に預かっている。直接の師でなかったら私もティア王女にはあまり強く物は言えない」
「それこそ無用の気遣いです。フネス院長っ……ん、なに額を押さえてうなだれてるんだ、フューリィ?」
「いや……よくよく考えてみたらと……」

 王国は厳しい。王族であっても私物は自身の財産で賄うものと前に聞いた。
 塔にあるものを金に変えたらと考えたら、書籍だけでも莫大だ。
 加えて様々な薬や鉱石、水晶や金属を加工したもの……それにティアの簡素だが日常着るものとしては上等すぎる布地を惜しげもなく使用した衣服。
 俺の治療に使われたものや着替え、剣の修復……頓着していなかったがそれだけでもちょっとした額になっているはずだ。
 第一、王族が国に還元を求められるほどって一体どれだけだ。
 
 *****

「今頃、そこに気がついたとは実に公国貴族らしい経済観念のなさですな。フューリィ殿」

 王立学術院から再び王宮に戻り、用意された客間に案内されながら学術院でのことを宰相殿に話せば呆れられた。

「ええ、たしかに莫大ですよ。なにせティア王女が十三歳で学術院を卒業してからこれまで、無数のものが実用化されている。兵器等はそれなりに高価で配備となれば数も多いしおまけに消耗品。公国に出回っているものもある」
「そうか……」
「家督を継がないフューリィ殿では、財産目当てと言われかねない」
「ぐっ」
「冗談だ。大抵の王国の貴族とて貴殿と同じくであるのだから。管理を任されているが権利の一部を国に譲渡すべきと進言しようか考えるくらいで。成人したティア王女に他のご兄姉のように土地の割譲がされなかったのはそのためもある」
「そんな財産持ちで、よく塔で独居なんかできているな」
「毎度金のかかるものの手配を頼んではきますが、着飾るだとか使用人を沢山侍らせるだとかいった方向の虚栄や贅沢にはまったく無関心な方ですからね」
「なるほど」

 扉の前で別れたティアの部屋から、廊下を数分歩いた場所の部屋に通される。
 通された部屋を見渡して驚いた。
 浴室が付いている。
 それに天蓋付きの寝台に敷き詰められた寝具が絹だ。
 
「客人用の部屋だからな。傷があるから湯に浸かることはしないだろうが。清拭用の湯なら廊下に控えている者に言ってもらえればいつでも用意できる」
「あ、ああ」
「で、学術院はどうだったのだ?」
 
 閉めた部屋の扉にもたれて尋ねてきた宰相殿を俺が振り返れば、わたしがいけ好かない貴殿にただ客間の案内のためだけに現れるとでもと肩をすくめたのに、いやと俺は答え、部屋のテーブルセットに宰相殿を促した。

「ティアの考える通りだった。かといって帝国がまやかしとはまだ半信半疑だが」
「しかし公国の者が王立学術院の工房など簡単に出入りできるはずがない」
「それもだが、公国の議会はただ踊らされているに過ぎない。そんなことが出来るものなのかと思うが」

 面倒なことになった、と宰相殿がテーブルの上で手を合わせてぼやく。
 彼の立場なら、頭の痛いことだろう。

「一連の首謀者は王国に縁の者である可能性が高い――」
 
 宰相殿の呟きに、俺は、ただの負傷兵だったはずが気がつけばとんでもない渦の中にいたものだと内心自嘲しながら頷いた。
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