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隠遁生活編
第4話 森の魔女と匿われた騎士
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嘘のつけない男だな、とカルロが昨日物資と共に持って来てくれた系図を広げて呟いた。
最初に見つけた時は下級の騎士だと思った。
行き倒れた姿は甲冑といっても簡素な胴部と足周りだけ、あまり手入れも行き届いているようにも見えなかった。
しかし、おそらく荊の薮を抜け、枝など構わずに逃げて来たのだろう。ぼろきれのように破れて残っていた泥だらけの軍衣はよく見れば手の込んだものであったし、持っていた剣は上等な造りのものだった。
おまけに腕輪にヒューペリオ公国の刻印。
公爵家に近い貴族、もしくはそこそこに地位の高い騎士。
公国の規模は小さい。元々、アウローラの一族の血縁が分岐して建てた国だ。
それに公国騎士団は公爵家の私兵でもある。
騎士の多くは平民からの志願者や中級下級貴族の子弟。
騎士団員で王の関係者の数はそれほど多くない。
元々交易もあったから五日もあれば調べさせるのは容易だった。
――フェ……、フューリィ。
「調べてすぐわかる嘘なら吐かないほうがマシだ……あ、いや、嘘ではないのか……」
フェから始まる、公国の刻印入り装身具など持てそうな該当者は簡単に見つかった。
フェリオス・ヒューペリオ・フューリィ。
「愛称名そのままではないか……まったく、隠す気があるんだかないんだか」
それに、と仕事部屋と名付けている一日の大半を過ごす部屋の広い机に両肘をつき、その両手に顎を乗せる。
私が第四王女と名乗ったのを信じていないようだし。
まあそれは無理もないこととしても。
「誰が、森の魔女だ」
ぶすり、と低く呟く。
魔女の噂の出所が自分やこの塔の事だと自覚はしているけれど、やはり人の口からそう言われると面白くはない。
「魔術なぞしらんし、乳飲み子食ったりなぞしないぞ、私は」
確かに時々、動物の骨を拾ったりしているけれど。
森の中で死んだ動物の死骸を拾って防腐処置を施し、標本作りなどもしているけれど。
毒も含む薬草の類を摘んでもいるけれど。
カエルや小鳥を生け捕ってもらって実験用に飼育していたりもするけれど。
五日に一度の物資の中に鉱物やその他器具の材料も含めてもらっているけれど。
やってくる家臣は古参の者で、カルロではない奴はちょっと怪しい姿でやってくるけれど。
塔には近づかないが、砦の城の側には定期的に王国で新しく作られた本の副本なども運び込まれるけれど。
「……あらためて並べて考えると、たしかにそんな風評流れても仕方がない気もしてきた」
うーん、と軽く唸って肘をついたまま両拳で今度はこめかみを押さえる。
おかげで人が近づいてこないのは好都合ではあるものの。
「やっぱり面白くない」
まあしかし、そんなことよりもだ。
再び机の上に広げた紙へと私は考えを切り替えた。
「騎士長にして、公爵にして代々自らを王と称する不遜なる公国王の弟君とは」
私はきっとあの男にとっては得体の知れない相手だろうしな、家の名は名乗れなかったということか。
命を助けてもらったからと、すぐ信用しないのはなかなかの思慮深さだと思う。
「知らないことにしておくか――」
内容は頭に入れた。
証拠隠滅。
紙を片手に持ち上げ、机の隅でろうそくのように火を灯し続けている、油と細い口に合わせた太さの縄を入れた瓶の炎へと紙の隅をくべた。
ボウッと音を立てて火をあげたそれを陶器の皿の上に置いて、灰になるまで眺める。
あの男は嘘があまり上手くない……というより、嘘がつけない。
辛うじて本当のところで少し隠し事をする程度。
見極めといった点では、そちらの方がいくぶんか厄介ではあるけれど、顔に出やすい。
率直で正直な人物なのだろう。
「あの体格だし、どうせ小さい頃から腕っぷしが強くて喧嘩しやすく適材適所で任命されたってとこだろう。王である兄上殿は温厚で争い事は嫌う性格と爺の話だし」
しかし、そんな男が率いている騎士団なら帝国に睨まれてあんなにあっさり迎合するとは思えないのだが。
「不義理とか言ってたな」
あっさり属国になった割には帝国側の騎士でいるのもなんだか不本意であるようなあの様子。
まあどこの国も一枚岩ではないだろうけど。
宰相に相談して本気で公国を探らせてもいいけれど、宰相に相談となるとあの男をここに置いていることを話さないといけないわけで……。
「どう口止めしたものか考えるだけでも面倒臭い」
眉間に皺が寄ったのが自分でもわかった。
まあ、もう少し事情が見えてからでもいいかとひとまずこの件については区切りをつけた。
しかし、あの男の丈夫さには呆れる。
もうさらに三日もすればきっと立って動くことも出来るだろうし、傷も、肩よりも浅い胴の傷なら、あと十日もすれば傷口を塞ぐのに縫った糸を抜いても大丈夫だろう。
色々と急場しのぎだったからカルロに包帯や王宮医の所にある薬なども持ってきてもらったけれど、包帯と消毒薬以外はあまり必要なさそうだ。
ここにある薬は所詮は実験用、ほとんど私の手作り品だから治療向けじゃない。
学術院の薬の工房や薬師が作った薬のほうが安全だ。
私が詳しいのは薬そのものの働きで、用法用量は保証できても品質は保証できない。
それにしてもこれまで狩猟用にしか使っていなかったものが、戦地に転用されていたなんて……誤射した時に使う解毒薬もあるからと簡単に考えたのだろうが、どこの馬鹿が思いついたのか。
まったくもって、危険すぎる。
カルロに指示して、直ちに国境前線の指揮官に止めさせるよう取り計らってもらったから、もう使われないだろうけれど。
報告では一部の小隊で自然発生的に転用が生じていたようで――多分、単純に敵を打ち負かすための武器強化の工夫の一つとして下級の従士か兵から広まったんだろう。
意識は正常なまま麻痺で息の根を止める毒の作用もよくわかっていなかったのだろうが、生きながらじわじわ窒息死させるなど、死の恐怖からみたら首をはねて即死より残酷だ。
味方に当たるかもしれないし、戦闘中に当たれば誤射した時とは違ってすぐ手当もできない。
使用していた隊は厳しく咎め、上官、指揮官は監督不行届の処分となった。
老いたりとはいえ、かつては軍神と恐れられていたらしい元騎士団総長の一喝に、騎士団全体震え上がったそうな。
久々に騎士団の大広場で声を張り上げ喉を痛めた上に、お前が国境の様子を見にいってくれていなければどうなっていたかなどと第二王女から頭まで下げられ、王からはやはり戻ってこんかと説得までされて往生しましたぞ……なんて苦情も言われてしまったけれど。
あまり興味はないけれど、カルロが王宮で聞き込んできた戦況の情報によれば、状況は悪くもないが良くもない拮抗状態だそうで、帝国は練度は低いが人数が厄介でなによりも王国に攻め入るにあたって中継点として公国が属国になっているのが面倒であるということだった。
「まあたしかに公国が属国になっている以上、帝国の補給線も堅いし戦力的にもだろうから……二の兄様には頭の痛い問題だろうな」
壁に貼ってある近隣諸国も含めた大地図へと目をやって、肩をすくめた。
一番目の兄様は主に法務関係を、二番目の兄様は王国の経済を、家臣と共に護っている。
王国の備蓄は防衛に十分足りるけれど、あまり長期化させたくはないと考えているはず。
「まあ、私がいま考える事じゃない」
そんなことより、あの男が早く動けるようになるといいな。
あんな彫像のような身体、骨格や筋肉の動きがよく観察できそうで。
*****
「やはり……お前、魔女だったか」
仕事部屋で小鳥に針を打っていたら背後からそんな声が聞こえたて振り返れば、亜麻の下履き姿で裸の上半身裸を包帯で巻かれた男が立っていた。
まだ食事が取れるようになって二日しか経っていないのに。
「回復が早いな」
それだけ言って、小鳥に戻る。
実験中だし、勝手に起き上がってきたのを咎めるのはひとまず後回しだ。
針には背後の男を苛んだのと同じ毒を薄めて塗ってあった。
しばらくして手の中で小鳥がぐったりしたところで解毒薬を塗った針を再び打ち、飼育箱にそっと戻して、軽く手を合わせた。
生きてはいるが、本来なら無用の苦しみを私の都合で与えてはいる。
「一体、なんのまじないだ」
背後で短気そうな低い声を発した男にため息を吐いて、再び私は振り返った。
布で仕切った彼の病室の前に男はまっすぐ立っていた。
少なくとも足先はもう麻痺していないようだ。
常人とは普段の鍛え方が違うのだろう、八日も寝たきりでいたにしてはふらつきもなくしっかりしている。
「まじないじゃなく実験だ。お前を苛んだ毒を与え方を変えたり薄めたりして様子を見ている。解毒薬も同様に」
「は?」
「毒も解毒薬も毒には変わりない。だが、お前のおかげでちょっとした発見もあった。矢毒が回っている体は筋肉が緊張しない。だから傷を塞ぐのが楽だ。うまくすれば薬に使えるかもしれない。ただ少量でもやっぱり麻痺はおきて呼吸を止める危険があるから、そこが問題だな」
「解毒薬があるんだろう?」
思慮深いかもしれないけれどあまり賢くはないなと、私は男に近づいた。
「な、なんだ……」
「解毒したら、せっかくの効果が消えてしまうだろっ」
近づいて私より二周りは大きな右手を取れば、抵抗するように指が動いた。
立って歩ける平衡が取れているからそうだとは思ったが、もう指先の麻痺も回復している。
素早く全身を軽く見る。
行き倒れてきた時より、少し肉が削げ落ちたように見えるがそれは仕方がない。
顔色はそれほど悪くない。
けれど、あまり長い時間立っているのもまだよくないだろう。
「お前の場合は、たまたま偶然いい具合に毒と解毒薬の作用の釣り合いが死なない程度でとれただけだ」
「そ、そうなのか?」
上目に頭一つ半分高い位置にある男の顔を見上げて頷く。
「大体、狩猟用の毒で誤射して慌てて解毒する以外、人に用いた例がいままでない。今回だって殺傷目的だし……もう一度やれと言われたら無理だ。あと許可なく勝手に起き上がるなっ!」
「なっ、寝ていた時から思っていたが、お前ちょっと偉そうだぞっ」
「私がいなかったら死んでいた男がなにを言っている。寝床に戻って座れ」
「……医者じゃないなんて言って、医者みたいに」
ぶつぶつ言いながら不承不承といった様子ではあったが、私が手を引くのに従って大人しく男は戻り寝台に腰掛けた。素直でよろしい。
床に屈んで両手で男の左手を包み、拳を作らせまた開くように指を動かせれば、察したのか繰り返してくれた。
こういった飲み込みはいいらしい。
「ふむ、ひとまず毒に関してはもう平気だ。少しずつなら動いていいぞ。切られた傷はまだ塞がりきってはいないから鍛錬はもちろん急に激しく動いたりも厳禁」
「体が鈍る」
「物事には順序というものがある。まずは傷を治すのが先、体力だって自分で思っているより落ちているはずだ。もう一度言っておくが、お前がいまこうして私と喋っているのは、ありとあらゆる運がものすごくよかったからだ。二度はない。まったく――」
手にしている男の左手を額に、私は頭を下げた。
この男は助かったが、おそらく同じ矢を受けて酷な死に方をしたこいつの配下の兵も沢山いるはずだ。
「おい……?」
「あれはただの麻痺毒ではないから戦場での使用は直ちに止めさせた。狩猟用の毒がどういった毒かよく知りもしない馬鹿者の思いつきでお前たちと応戦した小隊に広まっていたらしい」
物事には順序がある。私は王族だからこの男を捕虜にするにしても、王国の落ち度で被害を被った当事者にはまず先に詫びるのが筋だろう。
「味方も嬲り殺すようなものが使われているのを見過ごした上官も指揮官も馬鹿者だが、これは王国の落ち度といっていい話だ。じき軍規にも加える。申し訳ない」
「え……いや、えっ……お前……?!」
「ん?」
左肩を軽く掴まれて、顔を上げるように揺さぶられ男の顔を見れば、動揺と困惑がいっぺんに現れたなんとも表現しがたい顔で男は瞠目していた。
「止めさせたって……王国……軍規って……」
「うん?」
勢いよく男が立ち上がり、つられて私も立ち上がった。
注意したそばから急に体を動かすなと口を開きかけたら、すかさず足元に片膝をついて頭を下げた男に、へ? と間抜けな声が出てしまった。
「ご無礼を――」
あ、いまか……いま信じたのか。
魔女と思い込まれるのはちょっと気にくわないけれど、容態や毒のことのがはるかに重要事項だから、私をなんと思っていようがどうでもいい考えでいたけれど。
「そういった、相手の立場で態度を変えるのあまりよくないと思うぞ」
見下ろしながらそう言えば、男はなにか物言いたげに顔を上げ、そうしてぐぅと呻いて、その精悍な顔を歪めて横転した。
右肩と胴の傷を押さえている。
「言わんこっちゃない」
やっぱり賢くはないなと、私は息を吐いた。
最初に見つけた時は下級の騎士だと思った。
行き倒れた姿は甲冑といっても簡素な胴部と足周りだけ、あまり手入れも行き届いているようにも見えなかった。
しかし、おそらく荊の薮を抜け、枝など構わずに逃げて来たのだろう。ぼろきれのように破れて残っていた泥だらけの軍衣はよく見れば手の込んだものであったし、持っていた剣は上等な造りのものだった。
おまけに腕輪にヒューペリオ公国の刻印。
公爵家に近い貴族、もしくはそこそこに地位の高い騎士。
公国の規模は小さい。元々、アウローラの一族の血縁が分岐して建てた国だ。
それに公国騎士団は公爵家の私兵でもある。
騎士の多くは平民からの志願者や中級下級貴族の子弟。
騎士団員で王の関係者の数はそれほど多くない。
元々交易もあったから五日もあれば調べさせるのは容易だった。
――フェ……、フューリィ。
「調べてすぐわかる嘘なら吐かないほうがマシだ……あ、いや、嘘ではないのか……」
フェから始まる、公国の刻印入り装身具など持てそうな該当者は簡単に見つかった。
フェリオス・ヒューペリオ・フューリィ。
「愛称名そのままではないか……まったく、隠す気があるんだかないんだか」
それに、と仕事部屋と名付けている一日の大半を過ごす部屋の広い机に両肘をつき、その両手に顎を乗せる。
私が第四王女と名乗ったのを信じていないようだし。
まあそれは無理もないこととしても。
「誰が、森の魔女だ」
ぶすり、と低く呟く。
魔女の噂の出所が自分やこの塔の事だと自覚はしているけれど、やはり人の口からそう言われると面白くはない。
「魔術なぞしらんし、乳飲み子食ったりなぞしないぞ、私は」
確かに時々、動物の骨を拾ったりしているけれど。
森の中で死んだ動物の死骸を拾って防腐処置を施し、標本作りなどもしているけれど。
毒も含む薬草の類を摘んでもいるけれど。
カエルや小鳥を生け捕ってもらって実験用に飼育していたりもするけれど。
五日に一度の物資の中に鉱物やその他器具の材料も含めてもらっているけれど。
やってくる家臣は古参の者で、カルロではない奴はちょっと怪しい姿でやってくるけれど。
塔には近づかないが、砦の城の側には定期的に王国で新しく作られた本の副本なども運び込まれるけれど。
「……あらためて並べて考えると、たしかにそんな風評流れても仕方がない気もしてきた」
うーん、と軽く唸って肘をついたまま両拳で今度はこめかみを押さえる。
おかげで人が近づいてこないのは好都合ではあるものの。
「やっぱり面白くない」
まあしかし、そんなことよりもだ。
再び机の上に広げた紙へと私は考えを切り替えた。
「騎士長にして、公爵にして代々自らを王と称する不遜なる公国王の弟君とは」
私はきっとあの男にとっては得体の知れない相手だろうしな、家の名は名乗れなかったということか。
命を助けてもらったからと、すぐ信用しないのはなかなかの思慮深さだと思う。
「知らないことにしておくか――」
内容は頭に入れた。
証拠隠滅。
紙を片手に持ち上げ、机の隅でろうそくのように火を灯し続けている、油と細い口に合わせた太さの縄を入れた瓶の炎へと紙の隅をくべた。
ボウッと音を立てて火をあげたそれを陶器の皿の上に置いて、灰になるまで眺める。
あの男は嘘があまり上手くない……というより、嘘がつけない。
辛うじて本当のところで少し隠し事をする程度。
見極めといった点では、そちらの方がいくぶんか厄介ではあるけれど、顔に出やすい。
率直で正直な人物なのだろう。
「あの体格だし、どうせ小さい頃から腕っぷしが強くて喧嘩しやすく適材適所で任命されたってとこだろう。王である兄上殿は温厚で争い事は嫌う性格と爺の話だし」
しかし、そんな男が率いている騎士団なら帝国に睨まれてあんなにあっさり迎合するとは思えないのだが。
「不義理とか言ってたな」
あっさり属国になった割には帝国側の騎士でいるのもなんだか不本意であるようなあの様子。
まあどこの国も一枚岩ではないだろうけど。
宰相に相談して本気で公国を探らせてもいいけれど、宰相に相談となるとあの男をここに置いていることを話さないといけないわけで……。
「どう口止めしたものか考えるだけでも面倒臭い」
眉間に皺が寄ったのが自分でもわかった。
まあ、もう少し事情が見えてからでもいいかとひとまずこの件については区切りをつけた。
しかし、あの男の丈夫さには呆れる。
もうさらに三日もすればきっと立って動くことも出来るだろうし、傷も、肩よりも浅い胴の傷なら、あと十日もすれば傷口を塞ぐのに縫った糸を抜いても大丈夫だろう。
色々と急場しのぎだったからカルロに包帯や王宮医の所にある薬なども持ってきてもらったけれど、包帯と消毒薬以外はあまり必要なさそうだ。
ここにある薬は所詮は実験用、ほとんど私の手作り品だから治療向けじゃない。
学術院の薬の工房や薬師が作った薬のほうが安全だ。
私が詳しいのは薬そのものの働きで、用法用量は保証できても品質は保証できない。
それにしてもこれまで狩猟用にしか使っていなかったものが、戦地に転用されていたなんて……誤射した時に使う解毒薬もあるからと簡単に考えたのだろうが、どこの馬鹿が思いついたのか。
まったくもって、危険すぎる。
カルロに指示して、直ちに国境前線の指揮官に止めさせるよう取り計らってもらったから、もう使われないだろうけれど。
報告では一部の小隊で自然発生的に転用が生じていたようで――多分、単純に敵を打ち負かすための武器強化の工夫の一つとして下級の従士か兵から広まったんだろう。
意識は正常なまま麻痺で息の根を止める毒の作用もよくわかっていなかったのだろうが、生きながらじわじわ窒息死させるなど、死の恐怖からみたら首をはねて即死より残酷だ。
味方に当たるかもしれないし、戦闘中に当たれば誤射した時とは違ってすぐ手当もできない。
使用していた隊は厳しく咎め、上官、指揮官は監督不行届の処分となった。
老いたりとはいえ、かつては軍神と恐れられていたらしい元騎士団総長の一喝に、騎士団全体震え上がったそうな。
久々に騎士団の大広場で声を張り上げ喉を痛めた上に、お前が国境の様子を見にいってくれていなければどうなっていたかなどと第二王女から頭まで下げられ、王からはやはり戻ってこんかと説得までされて往生しましたぞ……なんて苦情も言われてしまったけれど。
あまり興味はないけれど、カルロが王宮で聞き込んできた戦況の情報によれば、状況は悪くもないが良くもない拮抗状態だそうで、帝国は練度は低いが人数が厄介でなによりも王国に攻め入るにあたって中継点として公国が属国になっているのが面倒であるということだった。
「まあたしかに公国が属国になっている以上、帝国の補給線も堅いし戦力的にもだろうから……二の兄様には頭の痛い問題だろうな」
壁に貼ってある近隣諸国も含めた大地図へと目をやって、肩をすくめた。
一番目の兄様は主に法務関係を、二番目の兄様は王国の経済を、家臣と共に護っている。
王国の備蓄は防衛に十分足りるけれど、あまり長期化させたくはないと考えているはず。
「まあ、私がいま考える事じゃない」
そんなことより、あの男が早く動けるようになるといいな。
あんな彫像のような身体、骨格や筋肉の動きがよく観察できそうで。
*****
「やはり……お前、魔女だったか」
仕事部屋で小鳥に針を打っていたら背後からそんな声が聞こえたて振り返れば、亜麻の下履き姿で裸の上半身裸を包帯で巻かれた男が立っていた。
まだ食事が取れるようになって二日しか経っていないのに。
「回復が早いな」
それだけ言って、小鳥に戻る。
実験中だし、勝手に起き上がってきたのを咎めるのはひとまず後回しだ。
針には背後の男を苛んだのと同じ毒を薄めて塗ってあった。
しばらくして手の中で小鳥がぐったりしたところで解毒薬を塗った針を再び打ち、飼育箱にそっと戻して、軽く手を合わせた。
生きてはいるが、本来なら無用の苦しみを私の都合で与えてはいる。
「一体、なんのまじないだ」
背後で短気そうな低い声を発した男にため息を吐いて、再び私は振り返った。
布で仕切った彼の病室の前に男はまっすぐ立っていた。
少なくとも足先はもう麻痺していないようだ。
常人とは普段の鍛え方が違うのだろう、八日も寝たきりでいたにしてはふらつきもなくしっかりしている。
「まじないじゃなく実験だ。お前を苛んだ毒を与え方を変えたり薄めたりして様子を見ている。解毒薬も同様に」
「は?」
「毒も解毒薬も毒には変わりない。だが、お前のおかげでちょっとした発見もあった。矢毒が回っている体は筋肉が緊張しない。だから傷を塞ぐのが楽だ。うまくすれば薬に使えるかもしれない。ただ少量でもやっぱり麻痺はおきて呼吸を止める危険があるから、そこが問題だな」
「解毒薬があるんだろう?」
思慮深いかもしれないけれどあまり賢くはないなと、私は男に近づいた。
「な、なんだ……」
「解毒したら、せっかくの効果が消えてしまうだろっ」
近づいて私より二周りは大きな右手を取れば、抵抗するように指が動いた。
立って歩ける平衡が取れているからそうだとは思ったが、もう指先の麻痺も回復している。
素早く全身を軽く見る。
行き倒れてきた時より、少し肉が削げ落ちたように見えるがそれは仕方がない。
顔色はそれほど悪くない。
けれど、あまり長い時間立っているのもまだよくないだろう。
「お前の場合は、たまたま偶然いい具合に毒と解毒薬の作用の釣り合いが死なない程度でとれただけだ」
「そ、そうなのか?」
上目に頭一つ半分高い位置にある男の顔を見上げて頷く。
「大体、狩猟用の毒で誤射して慌てて解毒する以外、人に用いた例がいままでない。今回だって殺傷目的だし……もう一度やれと言われたら無理だ。あと許可なく勝手に起き上がるなっ!」
「なっ、寝ていた時から思っていたが、お前ちょっと偉そうだぞっ」
「私がいなかったら死んでいた男がなにを言っている。寝床に戻って座れ」
「……医者じゃないなんて言って、医者みたいに」
ぶつぶつ言いながら不承不承といった様子ではあったが、私が手を引くのに従って大人しく男は戻り寝台に腰掛けた。素直でよろしい。
床に屈んで両手で男の左手を包み、拳を作らせまた開くように指を動かせれば、察したのか繰り返してくれた。
こういった飲み込みはいいらしい。
「ふむ、ひとまず毒に関してはもう平気だ。少しずつなら動いていいぞ。切られた傷はまだ塞がりきってはいないから鍛錬はもちろん急に激しく動いたりも厳禁」
「体が鈍る」
「物事には順序というものがある。まずは傷を治すのが先、体力だって自分で思っているより落ちているはずだ。もう一度言っておくが、お前がいまこうして私と喋っているのは、ありとあらゆる運がものすごくよかったからだ。二度はない。まったく――」
手にしている男の左手を額に、私は頭を下げた。
この男は助かったが、おそらく同じ矢を受けて酷な死に方をしたこいつの配下の兵も沢山いるはずだ。
「おい……?」
「あれはただの麻痺毒ではないから戦場での使用は直ちに止めさせた。狩猟用の毒がどういった毒かよく知りもしない馬鹿者の思いつきでお前たちと応戦した小隊に広まっていたらしい」
物事には順序がある。私は王族だからこの男を捕虜にするにしても、王国の落ち度で被害を被った当事者にはまず先に詫びるのが筋だろう。
「味方も嬲り殺すようなものが使われているのを見過ごした上官も指揮官も馬鹿者だが、これは王国の落ち度といっていい話だ。じき軍規にも加える。申し訳ない」
「え……いや、えっ……お前……?!」
「ん?」
左肩を軽く掴まれて、顔を上げるように揺さぶられ男の顔を見れば、動揺と困惑がいっぺんに現れたなんとも表現しがたい顔で男は瞠目していた。
「止めさせたって……王国……軍規って……」
「うん?」
勢いよく男が立ち上がり、つられて私も立ち上がった。
注意したそばから急に体を動かすなと口を開きかけたら、すかさず足元に片膝をついて頭を下げた男に、へ? と間抜けな声が出てしまった。
「ご無礼を――」
あ、いまか……いま信じたのか。
魔女と思い込まれるのはちょっと気にくわないけれど、容態や毒のことのがはるかに重要事項だから、私をなんと思っていようがどうでもいい考えでいたけれど。
「そういった、相手の立場で態度を変えるのあまりよくないと思うぞ」
見下ろしながらそう言えば、男はなにか物言いたげに顔を上げ、そうしてぐぅと呻いて、その精悍な顔を歪めて横転した。
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しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
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