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其の二.この少女、気掛り
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「どーも、お父さんは、自分の娘で着せ替えして楽しんでたみたいでぇ」
「はあ」
「衿にフリルの付いた白いブラウスに、ペチコートのフリルを見せる水玉のフレアスカートとか? お花の刺繍が胸元にある朱色のニットワンピースとか? お人形さんみたいな服を着せられてたわけ」
「それで?」
「あと、髪の毛も……うーん、背中くらいまではあったかな? 左右をこう、後ろに持ってってリボン結んでたんだけど。そのリボンもね。レースとか、サテンとか、ビロードとか、まあとにかく毎日違うの結んでたの。あっ、クリーム色のレースのがお気に入りだったんだけど」
ずずずっと、クリームソーダの器の底で彼女が咥えたストローが音を立てる。
それにしてもこの店の注文は、アイスコーヒーは冷コーで、レモンスカッシュはレスカと略すのに、クリームソーダは何故クリームソーダなのだろうか。
「えっ、もうないじゃーんっ。まあいいや。それから靴も、ワンストラップのエナメル靴や刺繍やリボンの付いた靴で、刺繍のはさっき話した朱色のワンピースに合わせてあってね。けど、スニーカーとか運動靴とかは学校指定以外は買ってくれないの」
しかし、毎度毎度、こうもとりとめのない話を一人でよく話し続けられるものだ。
手元のアイスコーヒーのグラスに刺さった細いストローを軽く回して、底に溜まる甘みを均等にしながら、私は半ば呆れ半ば感心する。
「まあ、中身はともかく。遠目にはいつも可愛らしい服着た女の子だったわけよ」
「わけよ、ではないでしょう」
「うん?」
俺はため息を吐くと頬杖をつき、再度アイスコーヒーのストローを回す。
グラスの中で、氷がカランと微かな音を立てた。
「それは、八歳のあなたがピアノ教室帰りに、鼻息荒くした見知らぬ大学生のお兄さんに拉致されそうになる理由にはなりません」
「とりあえず、教本の角で眉間を滅多打ちして、怯んだ隙に叫びながら全力疾走で逃げた」
眉間、人体における急所の一つである。
可愛らしいいふりふりした格好の非力な幼女がまさかそんな反撃に出るとは、さぞその大学生のお兄さんとやらも驚いただろう。
「いま考えると、掴まれたのが自転車の荷台だったの幸いだったかも……」
そう言って。
十和は、グラスの底に残ったクリームを掬ったスプーンを咥えて、両腕で彼女自身を抱きしめるようにして身震いしている。なにか思い出したくないことを思い出したようだ。
「あなた、今までよく無事でしたね」
「まあねー」
「まずその幼少時から高校二年生の現在に到るまで、通学路に露出狂が三人、ローテーションで現れるという時点であり得ないと思うのですが」
「違うよ、小寺さん。三人ローテーション体制は小学校だけで、いまは一人が三箇所ローテーション」
「どちらも対して変わりませんせんよ……露出狂はともかく」
「ともかくなの? え、なにそれひどくない?」
わざとらしく両頬に掌を当てて顔を顰めて、非難めいた声を上げた十和に、慌てて私は、んんんっと喉を鳴らすような咳払いをして彼女を静かにさせる。
舞台に立つわけではないのに発声練習はするらしく、彼女の声はよく通る。
「いや、ともかくではないのですが……ともかくになってしまうでしょうっ! あなたの場合!」
「わ、なんで……逆ギレ……」
「例えば、放課後毎に校庭にやって来て鉄棒教えてくれる謎の体操男とか!」
「それは小学校だねえ」
「執拗にあなたの筆箱にムカデを入れ続け、怯えるあなたの反応を楽しむクラスメイトとか!」
「それは中学」
「使ってない教室に呼び出すだけならまだしも、椅子積み上げたバリケードの中で個人面談する担任の先生とか」
「高校受験の進路相談だったからプライバシー保護の一環? 将来の夢は舞台女優ですって言ったら、君とはいまから仲良くしておこうって」
おい、下心みえみえだ。
その当時二十七歳だったという、公立中学校勤務の国語教師!
現在、同い年、同じく公僕である身として情けなさに涙が出……るわけはないが嘆かわしい。
まったく、と。
私は彼女の顔を眺める。最後にとっておいたさくらんぼの茎が、薄く色づく口元から飛び出している。
黒目がちな大きな目と表情豊かな色白な丸顔は可愛いらしいと言えなくもないが、ごく普通の少女だ。
少なくとも、周囲及び通りすがりの者を狂わせる魔性の美少女ではない。
「で、現在は校内ストーカー約一名に悩まされていると」
保健室の先生が色々と不審であるらしく女性も油断ならないらしい。
ある日、ちょっとした偶然の出会いをきっかけに、茶飲み友達のようになってしまっている少女。
しかし彼女は女子高生、私は市役所勤めの公僕。
第三者の目から見て、親密そうに見えるに違いないこの現場を見られれば、あらぬ疑惑を生むだろうことは目に見えている。
友人知人に職場の同僚ましてや上司の知るところとなれば、かなり面倒な釈明をしなければならなくなるだろう。
二人の間に疚しいことはなに一つない、というより女子高生に手を出すなど有り得ない。
コーヒーも苦いといって飲めない、まだ子供だ。
しかしながら、会って話を聞くたびに気がかりが増える少女ではある。
魔性の美少女ではないのだが、ごく一部のよろしくないのをどうにも引きつけやすい。
「あと、怪文書?」
「怪文書?」
こくりと頷いて、脇に置いた学校指定らしい鞄をごそごそいわせて十和は一通の封筒を取り出した。
おもむろに中に入った三つ折りの便箋を取り出して開き、淡々とその内容を私に読み上げる。
「――昨日の君は本屋で一時間も立ち読みをしていましたね。立ち読みはタダ読みで本屋にとっては泥棒同然、そんないけない君には……」
「もう結構です。十和さん」
「いいの? ここからが、めくるめくレッツお仕置きプレイな世界なのに。青春の有り余るエロへの情熱と妄想をエロの巨匠もびっくりな圧倒的筆致で書き上げた秀作だよ、小寺君」
「気持ち悪いしかない、18禁怪文書だ……」
「しかもほら見たまえ、今時珍しい定規で筆跡を隠した手書き文字」
名探偵よろしく、私に示すように手紙をテーブルに置いてその薄気味悪い文字を指し示し、解説しながらふむふむと頷いている。
聞けばここ一ヶ月、三日に一度は届いているらしい。
どう考えてもその差出人は危険で、面白がっている場合ではないと思わず後頭部を抱えてしまう。
「大丈夫だよー、小寺さん」
ずるりと少々だらしなくボックス席のソファの角に斜めにもたれて寛ぐと、十和は私の顔をみてへらりと微笑む。
向けられて、あまりいい気はしない人を食った笑みだ。
「本当にヤバいのはわかる」
私としては、わかる日常に身を置いているのが気の毒だ。
そう言いたかったが、なんだかそれも安全な場所から勝手に憐れむような言葉に思えて止めた。
「察知したら全力で逃げるよ。我ながら、よくこの身を守り抜いているとは思うよー。本当っ、こんな残念かつ嬉しくもないモテ方もないっ」
「そういうのは、モテとは言わないんですよ」
「そーだよねえ。わたし、普通の男の子からはぜーんぜんっだし。まともっていったら小寺さんくらい?」
「私を数に入れないでください。青少年保護育成条例に反した覚えはありません」
「違ーうっ! ここは、“えっ、オレもしかしてこのかわいいJKに告られてる?”って、どきっとするところ!」
芝居がかった調子の中途半端に低めた声で不可解な台詞を言って、スプーン片手にむずがるように体を左右に捻り、両足をバタバタと動かしながら妙なごねられ方をされても困る。
大体、誰がオレで、誰がかわいいJKか。
「生憎、JKは守備範囲外です」
「もーっ、小寺さん冗談通じなーい! 面白くないーっ」
世の中、もててもてて困っている人種がいるとは聞くが。
彼女の場合、別の意味でもててもてて困っていると言える。
変質者やその他諸々……彼女にとってはもはや日常の風景の一部。
そのため少女は『黙殺』という技を体得した。
「なにか食べますか、十和さん?」
「ナポリタン」
「ミートソースかボンゴレかピザトーストしかありませんよ、この店は」
ファミレスとは名ばかりな、個人経営の少々広い喫茶店に毛が生えたような店である。
いや、今時の喫茶店よりひどい。いくら個人経営でもこれはない。
品数の少ないメニューを手に、私はボンゴレにするかと考える。
「店長さんに頼んだら作ってくれるって」
「どうですかね」
「はあ」
「衿にフリルの付いた白いブラウスに、ペチコートのフリルを見せる水玉のフレアスカートとか? お花の刺繍が胸元にある朱色のニットワンピースとか? お人形さんみたいな服を着せられてたわけ」
「それで?」
「あと、髪の毛も……うーん、背中くらいまではあったかな? 左右をこう、後ろに持ってってリボン結んでたんだけど。そのリボンもね。レースとか、サテンとか、ビロードとか、まあとにかく毎日違うの結んでたの。あっ、クリーム色のレースのがお気に入りだったんだけど」
ずずずっと、クリームソーダの器の底で彼女が咥えたストローが音を立てる。
それにしてもこの店の注文は、アイスコーヒーは冷コーで、レモンスカッシュはレスカと略すのに、クリームソーダは何故クリームソーダなのだろうか。
「えっ、もうないじゃーんっ。まあいいや。それから靴も、ワンストラップのエナメル靴や刺繍やリボンの付いた靴で、刺繍のはさっき話した朱色のワンピースに合わせてあってね。けど、スニーカーとか運動靴とかは学校指定以外は買ってくれないの」
しかし、毎度毎度、こうもとりとめのない話を一人でよく話し続けられるものだ。
手元のアイスコーヒーのグラスに刺さった細いストローを軽く回して、底に溜まる甘みを均等にしながら、私は半ば呆れ半ば感心する。
「まあ、中身はともかく。遠目にはいつも可愛らしい服着た女の子だったわけよ」
「わけよ、ではないでしょう」
「うん?」
俺はため息を吐くと頬杖をつき、再度アイスコーヒーのストローを回す。
グラスの中で、氷がカランと微かな音を立てた。
「それは、八歳のあなたがピアノ教室帰りに、鼻息荒くした見知らぬ大学生のお兄さんに拉致されそうになる理由にはなりません」
「とりあえず、教本の角で眉間を滅多打ちして、怯んだ隙に叫びながら全力疾走で逃げた」
眉間、人体における急所の一つである。
可愛らしいいふりふりした格好の非力な幼女がまさかそんな反撃に出るとは、さぞその大学生のお兄さんとやらも驚いただろう。
「いま考えると、掴まれたのが自転車の荷台だったの幸いだったかも……」
そう言って。
十和は、グラスの底に残ったクリームを掬ったスプーンを咥えて、両腕で彼女自身を抱きしめるようにして身震いしている。なにか思い出したくないことを思い出したようだ。
「あなた、今までよく無事でしたね」
「まあねー」
「まずその幼少時から高校二年生の現在に到るまで、通学路に露出狂が三人、ローテーションで現れるという時点であり得ないと思うのですが」
「違うよ、小寺さん。三人ローテーション体制は小学校だけで、いまは一人が三箇所ローテーション」
「どちらも対して変わりませんせんよ……露出狂はともかく」
「ともかくなの? え、なにそれひどくない?」
わざとらしく両頬に掌を当てて顔を顰めて、非難めいた声を上げた十和に、慌てて私は、んんんっと喉を鳴らすような咳払いをして彼女を静かにさせる。
舞台に立つわけではないのに発声練習はするらしく、彼女の声はよく通る。
「いや、ともかくではないのですが……ともかくになってしまうでしょうっ! あなたの場合!」
「わ、なんで……逆ギレ……」
「例えば、放課後毎に校庭にやって来て鉄棒教えてくれる謎の体操男とか!」
「それは小学校だねえ」
「執拗にあなたの筆箱にムカデを入れ続け、怯えるあなたの反応を楽しむクラスメイトとか!」
「それは中学」
「使ってない教室に呼び出すだけならまだしも、椅子積み上げたバリケードの中で個人面談する担任の先生とか」
「高校受験の進路相談だったからプライバシー保護の一環? 将来の夢は舞台女優ですって言ったら、君とはいまから仲良くしておこうって」
おい、下心みえみえだ。
その当時二十七歳だったという、公立中学校勤務の国語教師!
現在、同い年、同じく公僕である身として情けなさに涙が出……るわけはないが嘆かわしい。
まったく、と。
私は彼女の顔を眺める。最後にとっておいたさくらんぼの茎が、薄く色づく口元から飛び出している。
黒目がちな大きな目と表情豊かな色白な丸顔は可愛いらしいと言えなくもないが、ごく普通の少女だ。
少なくとも、周囲及び通りすがりの者を狂わせる魔性の美少女ではない。
「で、現在は校内ストーカー約一名に悩まされていると」
保健室の先生が色々と不審であるらしく女性も油断ならないらしい。
ある日、ちょっとした偶然の出会いをきっかけに、茶飲み友達のようになってしまっている少女。
しかし彼女は女子高生、私は市役所勤めの公僕。
第三者の目から見て、親密そうに見えるに違いないこの現場を見られれば、あらぬ疑惑を生むだろうことは目に見えている。
友人知人に職場の同僚ましてや上司の知るところとなれば、かなり面倒な釈明をしなければならなくなるだろう。
二人の間に疚しいことはなに一つない、というより女子高生に手を出すなど有り得ない。
コーヒーも苦いといって飲めない、まだ子供だ。
しかしながら、会って話を聞くたびに気がかりが増える少女ではある。
魔性の美少女ではないのだが、ごく一部のよろしくないのをどうにも引きつけやすい。
「あと、怪文書?」
「怪文書?」
こくりと頷いて、脇に置いた学校指定らしい鞄をごそごそいわせて十和は一通の封筒を取り出した。
おもむろに中に入った三つ折りの便箋を取り出して開き、淡々とその内容を私に読み上げる。
「――昨日の君は本屋で一時間も立ち読みをしていましたね。立ち読みはタダ読みで本屋にとっては泥棒同然、そんないけない君には……」
「もう結構です。十和さん」
「いいの? ここからが、めくるめくレッツお仕置きプレイな世界なのに。青春の有り余るエロへの情熱と妄想をエロの巨匠もびっくりな圧倒的筆致で書き上げた秀作だよ、小寺君」
「気持ち悪いしかない、18禁怪文書だ……」
「しかもほら見たまえ、今時珍しい定規で筆跡を隠した手書き文字」
名探偵よろしく、私に示すように手紙をテーブルに置いてその薄気味悪い文字を指し示し、解説しながらふむふむと頷いている。
聞けばここ一ヶ月、三日に一度は届いているらしい。
どう考えてもその差出人は危険で、面白がっている場合ではないと思わず後頭部を抱えてしまう。
「大丈夫だよー、小寺さん」
ずるりと少々だらしなくボックス席のソファの角に斜めにもたれて寛ぐと、十和は私の顔をみてへらりと微笑む。
向けられて、あまりいい気はしない人を食った笑みだ。
「本当にヤバいのはわかる」
私としては、わかる日常に身を置いているのが気の毒だ。
そう言いたかったが、なんだかそれも安全な場所から勝手に憐れむような言葉に思えて止めた。
「察知したら全力で逃げるよ。我ながら、よくこの身を守り抜いているとは思うよー。本当っ、こんな残念かつ嬉しくもないモテ方もないっ」
「そういうのは、モテとは言わないんですよ」
「そーだよねえ。わたし、普通の男の子からはぜーんぜんっだし。まともっていったら小寺さんくらい?」
「私を数に入れないでください。青少年保護育成条例に反した覚えはありません」
「違ーうっ! ここは、“えっ、オレもしかしてこのかわいいJKに告られてる?”って、どきっとするところ!」
芝居がかった調子の中途半端に低めた声で不可解な台詞を言って、スプーン片手にむずがるように体を左右に捻り、両足をバタバタと動かしながら妙なごねられ方をされても困る。
大体、誰がオレで、誰がかわいいJKか。
「生憎、JKは守備範囲外です」
「もーっ、小寺さん冗談通じなーい! 面白くないーっ」
世の中、もててもてて困っている人種がいるとは聞くが。
彼女の場合、別の意味でもててもてて困っていると言える。
変質者やその他諸々……彼女にとってはもはや日常の風景の一部。
そのため少女は『黙殺』という技を体得した。
「なにか食べますか、十和さん?」
「ナポリタン」
「ミートソースかボンゴレかピザトーストしかありませんよ、この店は」
ファミレスとは名ばかりな、個人経営の少々広い喫茶店に毛が生えたような店である。
いや、今時の喫茶店よりひどい。いくら個人経営でもこれはない。
品数の少ないメニューを手に、私はボンゴレにするかと考える。
「店長さんに頼んだら作ってくれるって」
「どうですかね」
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