上 下
28 / 32
第3章 ギルド生誕祭 編

第24話 父、溜息が漏れ出る

しおりを挟む
 食事を終え、後片付けを手伝うと言ってくれたカリシャ。
 しかし、グレナダは遊んでくれる人を逃さない。
 カリシャの手を引っ張り、リビングに連れ込んだのだ。
 すると、直ぐに楽しげな笑い声が響き渡る。

(これで終わりだな。そう言えば……2人の声が聞こえないな)

 あらかた皿洗いを終えた時、静かな事にふと気が付いたラディオ。
 チラリとリビングを見やると――


「……スー……スー……」

「……へへっ……」


 ソファーの上で、猫の様に丸まって眠っていたカリシャ。
 そして、その背中に被さり、ニヤケながら眠るグレナダ。
 2人の微笑ましい姿に、ラディオは思わず頬が緩む。
 その時、浴室からレミアナが歩いて来た。

「すみません、お先にお風呂頂いてしまっ――」
「しー。見てごらん」

「え?……あ~♡」

 指差した方向を見て、レミアナも微笑みを浮かべる。
 濡れた髪を一纏めにしてから、静かにラディオの手伝いを始めた。

「良く寝てますね、2人共」

「あぁ。ゆっくり寝かせてあげよう」

「はいっ♡  あ、これしまっちゃいますね」

「有難う。そうだ……レミアナ、1つ頼まれてくれないか?」

 2人で食器を片付けながら、ラディオがそう問い掛けた瞬間、レミアナの瞳に狂気が宿った。

「はいっ!!  何時でも準備は出来てますっ♡」

 お馴染みのカットソーを脱ぎ捨て、指先でメロンメロンを隠すレミアナ。
 ギリッギリのラインを攻めて、桃色の先端があわやという所まで。
 これにはラディオも――


「折角温まったのに、風邪を引いてしまうよ」

「……ですよねー」
(分かってましたよ。えぇ、分かってましたとも……もぉ~~~!!)


 いつもの様に微笑むだけ。
 遠い目をしながら、服を着直すレミアナ。
 しかし、無表情で食器をしまう背中からは、悶々とした空気が惜しげも無く噴き出している。

「2~3時間ほど家を空けたいんだが、レナン達と共に居てくれないか?」

「えっ……ど、どちらへ……?」

 クリアブルーの瞳に、今度は戦慄が走る。
 こんな時間に一体何処へ行くと言うのか。
 まさかランサリオンの夜の顔、『娼館街』……では無いとは思いたいが。

「『跳ね馬亭』に用があってね。イトを覚えているかな?」

「何だぁ~♡  あれ? でも、イトって……誰でしたっけ~!」

 心底ほっとしたレミアナだが、イトが思い出せず眉根を寄せる。
 小首を傾げる様子を見つつ、ラディオはその間にローブに着替え、娘を寝室へ運ぶ。
 戻って来ると、カリシャに毛布を掛け、戸締りの確認を済ませた。

「あっ!  イトって、こーんな目をしてる人でしたよね?」

 両目尻を指で引っ張るレミアナを見ながら、ラディオはフードを目深に被る。

「正解だ。では、行ってきます」

「はい、いってらっしゃーい♡    あ、でもラディオ様、用が済んだら、最速で最短で最速で最速で帰って来て下さいね♡」

「あぁ」

 笑いながら頷いたラディオは、跳ね馬亭へ向かう。


 ▽▼▽


 下段左側・『跳ね馬亭』――


 ジョッキを合わせる音、熱々の鉄板焼の香り、そこかしこから聞こえる人々の語らう笑い声。
 今日も大盛況の店内を、イザイラと女給達が忙しく駆け回る。

「お疲れ様ですぅ。こないな時間に呼び出してしもうて、えらいすんまへんなぁ」

「構わない。何か掴めたのだろう?」

 入店したラディオがカウンターの隅に座ると、イトが空のグラスを滑らせて来た。
 既に何杯か飲んでいる様だが、肌は白いまま、全く酔っている気配が無い。
 加えて、細目の奥は相変わらず怪しく光っている。

「えぇ、そりゃあ色々と。結果から言いますと、コルティスは完全に『黒』でしたわ。教団と繋がってますね」

「そうか。詳しく教えてくれ」

「その前に……ラディオはん、何や相当暴れはったみたいですねぇ。噂が入って来てまっせ?」

 2つのグラスに並々と酒を注ぎながら、ニヤニヤするイト。
 対して、ラディオは少し気不味そうな空気を出した。

「……バレてはいない筈なんだが」

「バレてはないですよ?  只、僕らはそういうんを仕入れるから、『情報屋』なんとちゃいます?」

「……その通りだ」

「くっくっくっ……!  まぁ、気を付けて下さいね。ではでは、本題に入りますか」

【無限の軌跡】が活動を始めたのは、およそ3年前。
 噂が立つまでは、それなりに依頼をこなす、中堅クランだったらしい。
 だが、実はこの時も、不可解な事が起こっていたのだ。

「案内人と共に半壊したパーティーが帰ってくるまでは、まぁ良かったんやけど。その後何と、生存者が数日の内に死亡、若しくは行方不明になっとったんですわ」

「……ふむ」

「何者かに処分された、と言うのが僕の見解ですけど……意味分かりはりますよね?」

 無言で頷くラディオ。
 何者かとは『深淵教団』であり、処分とは『死魂の宝珠の生贄にされた』、という事だ。

『死魂の宝珠』とは、教団が用いる強力な魔具の1つである。
 死者の魂を吸い上げ、それを糧に絶大な力を発揮するというもの。
 例えば、モンスターに使えば、その力を何十倍にも高める事が出来る。
 あのバンシーの様に。

 これは力の一端に過ぎないが、宝珠は吸い取った魂の量によって、幾らでも力を増していく。
 嘗て、数万人規模の宝珠の被害を、ラディオは見た事がある。
 1つの国が滅び、民全てがアンデッドに変えられてしまった光景を。

「コルティスを隠れ蓑にして宝珠に栄養を与えていた、という感じちゃいます?   中々賢い手ぇですわ」

「確かにな」

「わざわざ金注ぎ込んで使い捨ての効く奴隷を買うて、時間掛けて戦闘訓練までして」

 ラディオの中で、点が線として繋がり始める。
 コルティスは、入団を目指す『志願者』だ。
 奴隷を使った大量殺人で宝珠の完成に協力する事で、点数稼ぎをしていたのだろう。

「只、当初は20人前後居た案内人も、今はC+の獣人1人だけ。しかも、その獣人は仕事をこなせていない事が多いとか」

「……そうか」

 イトの言葉に、ラディオは怒りを滾らせた。
 現在、この非道な行いを強制されているのは、カリシャのみ。
 生前奴隷である彼女は、元から逆らう意思を持ちづらい。
 その弱みに付け込み、迷宮へ送り出していたのだ。

 しかし、カリシャは嫌がっている。
 初めて助けた時の傷も、仕事を途中で放棄した事が理由だろう。
 教団か冒険者かは分からないが、制裁として刺されてしまったと考えられる。

 どんなに辛かっただろう。
 だが、これで救う活路は見出せた。
 時期を見極め、動く事を決めたラディオ。

(あれは教団の者の仕業と見て、間違いないな)

 勿論、警告も忘れてはいない。
 あの短剣を投げ放ったのは、カリシャでもコルティスでも無い別の人物。
 だが、イトのお陰で、手紙に書かれた文言の意図が理解出来た。

(『邪魔をするな』、と言いたいのだろうな)

 唯一残った案内人に接触した者が、よりにもよって『カゲ』だったからこそ、教団も動いたのだろう。
 結果的に、30階層で邪魔をする事になった訳だが。

「因みに、奴等『お祭り』で何や仕掛ける気ぃ満々みたいでっせ。ラディオはんとこ、直々に来るかも分かりませんね」

「そうか。助かった」

 白金貨をカウンターの上に置くと、今回はすっと手を伸ばし、懐へしまい込んだイト。
 すると、そのまま折り畳んだ紙を取り出し、カウンターへ置き返した。

「……これは?」

「サービスですわ。ラディオはん、何や色々考えてはるんちゃいます?  中は……まぁ後で見て下さい。そいじゃまた」

 ニッと笑い、店を後にしたイト。
 残ったラディオは、紙を広げて中を確認する。
 すると、思わず感嘆の溜息が漏れ出てしまった。

(……お見通しか。流石だな、イト)

 ラディオは酒を嗜みつつ、暫くの間紙を見つめていた。


 ▽▼▽


「……スー……う、ん……あっぷ!」

 ふと目覚めたカリシャは、慌てて自分の口を塞ぐ。
 余りの動揺に、大きな声を出してしまう所だった。

 やってしまった。
 眠りに落ちてしまった。
 窓の外はもう真っ暗、早く拠点に帰らなければ。
 こんな事がバレたら、何をされるか分からない。

 掛けられていた毛布を綺麗に畳み、ソファーの上に置いたカリシャ。
 優しくて、温かくて、本当に幸せな時間だった。
 出来る事ならずっとこのままで居たいと、心から願う程に。

 真っ暗な部屋の中で、レミアナとグレナダが眠る寝室に向かって、深々と頭を下げるカリシャ。
 そして、全てを振り切る様に、音も立てずに玄関を出た。

(いつ、まで……僕……もう……!)

 坂道を少し下った所で、カリシャは思わず振り返ってしまう。
 先程までの幸せな時間が、今は遠い遠い過去の様に思えた。
 このまま消え去ってしまえたら……。
 しかし、それは叶わぬ夢。
 それに、これをやり遂げなければ、大切なものを失ってしまう。

(……やる、から……それ、だけは……ダ、メ……!)

 街道を照らす月明かりが、少女の顔に暗い影を落とす。
 少しの間佇んでいたが、再び歩き出したカリシャ。
 しかし、気付けば胸が張り裂けそうな程駆けていた。
 幸せな時間を思い出さぬ様に、二度と丘の上を振り返る事無く。


 ▽▼▽


 そっと拠点の扉を開けたカリシャ。
 幸いにも中は真っ暗で、コルティスの気配も無い。
 どうやら、何処かに行っているらしい。
 これなら、バレないかも知れない。
 音を立てぬ様に、忍び足で歩くが――


「貴様ぁ~……ヒック!  どこをほっつき歩いていたぁ!」

「ひっ……!?」


 背後から聞こえた声に、その場に凍りついてしまったカリシャ。
 痛いぐらいに鼓動を始めた心臓の音が、全身から響いて来る。
 体は震えて冷や汗が流れ、余りの恐怖に振り向く事が出来ない。

「聞いてるのかぁ!  あぁん!!」

 だが、酒の臭いを撒き散らしながら、容赦なく迫るコルティスの冷徹な声。

「奴隷の分際でぇ……ウック……ご主人、様に……挨拶もしないのかぁぁぁぁ!!」

 瞬間、カリシャの顔の真横を風切り音が通り抜け、間髪入れずに何かを叩き割る音が木霊する。
 恐る恐る下を見ると、いつもカリシャを傷つける杖が、床に食い込んでいたのだ。

「わ、私……あぁ!!  うぅ……ぐぅ……!」

 恐怖に挫けそうになりながら、どうにか言葉を発しようとした時、頬を貫く激痛がカリシャを襲った。

「ヒック……ハハ、ハハハハハッ!!」

「うぅ……ひぐっ……ごめ、なさ……あぁ!  ん……んん……!」

 聞く耳を持たないコルティスは、何度も何度も杖を振り下ろした。
 高笑いを上げながら、一切の容赦も無く。
 床に丸くなり、必死に頭を守るカリシャ。

「ごめ、なさ……うぐ!  ごめ、な……あぁ!!」

 終わりの無い苦痛に呻くカリシャは、涙を流して懇願するが、酩酊状態のコルティスは暴力を続ける。
 すると、カリシャの服装が急に気になり始めた。

「ヒック……おい!  貴様ぁ……その格好は何だぁ!  誰の許可を取って、そんな物を着ているんだぁぁぁぁ!!」

 金と黒の髪を掴み上げ、眼前に吊り上げたコルティス。
 痛みと恐怖で体が震え切っているカリシャは、血が混じった涙を流す事しか出来ない。

「ふざけた真似をしやがってぇ……!  貴様に服など必要無ぁぁぁぁい!!」

「うぁ……ゴホッ!  やめ……くだ、さ……い、や……あぁぁぁぁ!」

 髪を掴んでいる手を握り締めたコルティスは、もう片方でシャツを引き千切ってしまった。

「仕事もしない……ヒック……分際で……貴様には、仕置きが……必要だ!」

「やめ、て……うぅ……ごめ、なさ……」

 露わになった上半身のまま、コルティスはカリシャを引きずって行く。
 辿り着いたのは、鉄製の大きな扉。
 大きな南京錠を開けた先は、一畳程の狭い部屋だった。
 床から壁に至るまで石で造られた、窓も無い独房。
 天井だけは高く、目の前には輪付きの鎖が2本ぶら下がっている。

 カリシャの両腕に輪を嵌め、床に伸びた鎖を引っ張る。
 すると、頭の後ろに両腕が持ち上げられ、床にギリギリ届かぬ位置まで体が吊るされた。

「明日は仕事、だからな……顔は、勘弁……ヒック、してやる!」

「やめ、て……くだ、あぁ!!  うぐっ!  あぁぁぁぁ!!」 

「ハハハハハハハハハハッッ!!」

 恍惚に歪みきった顔を晒し、杖を振り下ろすコルティス。
 何度も、何度も、あられもない姿のカリシャを嬲るのだ。
 腫れ上がっていく体、流れる夥しい量の血飛沫。
 暫くすると、漸く満足したのか、独房を後にしたコルティス。

 襲い来る激痛の波に、最早まともに声を出す事も出来ないカリシャは、プツリと意識を失ってしまう――


 ……ぁ……ぅぇ……ぇ……


 しかし、その直前微かに動いた口は、確かにこう告げていた。
『助けて……』と。
しおりを挟む

処理中です...