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第1章 最強の父と最愛の娘 編

第7話 父、今日だけは

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タワー1階・『ギルド受付』――


「は~い、お帰りなさ~い」

「只今戻りました。此方、宜しくお願い致します」

 帰還したラディオは、早速依頼達成の報告に入った。

「少々お待ちくださいね~……はい、依頼達成で~す」

 カウンターの上に広げた大きな黒い台帳を捲りながら、ふんふんと頷く受付嬢。
 この台帳は『目録大全』とリンクしていて、目録に記録された情報を確認する事が出来るのだ。

「ゴブリンとイエロースライム討伐は完了っと。余剰討伐分は報酬に上乗せされますので~……えっ?  これは……」

 その時、討伐数の計算をしていた受付嬢の手が止まる。
 ラディオを見上げては、また台帳に目を落とし、首を傾げるのだ。

(……しまった)

 この瞬間、自分が犯したミスを悟ったラディオ。
 受付嬢は、初日の冒険者の記録の中にあった、『Cランクモンスター討伐総数』に驚いていたのだ。
 そして、ラディオの姿にも。

 実際、自身より上のランクの討伐は珍しい事では無い。
 数体であれば、むしろ良くある事だ。
 だが、今回は訳が違う。
 倒したスプリムモスキートは、何と2050匹。
  
 確かに、下層に行けば行く程、【巣窟】の出現率は上がる。
 しかし、Eランク推奨の階層では滅多に無い事であり、今回はDを飛び越えてCランク。
 これは、新米冒険者の成果としては、余りに異常だった。

「これは……そうですね……」

 ラディオはつっこまれた時の言い訳を考えるが、まともなものは浮かんでこない。
 すると、動きの止まっていた受付嬢が、何事も無かったかのように手続きを進め始めたではないか。

「……は~い、ではこちらの討伐分も加算されますね~。とすると……ちょっと待ってて貰えますか~?」

「……はい」

 カウンターの奥へ小走りで駆けて行く受付嬢。
 程なくして、片手に収まりきらない大きさの巾着袋を持って戻って来た。

「こちらが今回の報酬になりま~す。待機所の料金は引いてありますけど、中を確認されますか~?」

「いえ、このままで大丈夫です。その……お気遣い感謝致します」

 ラディオは、ギルドの素晴らしい教育に感銘を受けながら、深々と頭を下げる。
 受付嬢はニコッと微笑むと、巾着袋を優しく渡してくれた。

「いえいえっ♪  またお待ちしてま~す」

 ギルドが守り続ける信念は、言わずもがな『自由』。
 加えて、『冒険者の内情には不介入』という掟も定めている。
 この時、受付嬢は異常な討伐数しかり、【巣窟】帰りなのに傷一つ付いていない事しかり、色々と驚いてはいた。

 しかし、ラディオの年齢を鑑みるに、冒険者になる前は何かしら武勲を持つ人物だったのだろうと推測したのだ。
 そして、それすらも仕事をこなす上では、考える必要のない事である。

 様々な事情を持つ冒険者は、目立ちたがりとそうでない者に大体二分される。
 目の前で気まずそうにしている中年は後者であると判断した受付嬢は、わざわざ報酬を巾着袋で隠して持って来てくれたのだ。

 貨幣は銅貨、銀貨、金貨、白金貨の順で価値が高い。
 銅貨10枚で銀貨1枚
 銀貨10枚で金貨1枚
 金貨10枚で白金貨1枚という内訳になっている。

 Eランク依頼の報酬相場は、銅貨1~銀貨1枚。
 今回は、余剰討伐分を含めると銀貨7枚だった。
 しかし、Cランクモンスターは1匹につき、平均銀貨5枚程貰える。

 基本的に、報酬はその場で裸銭で渡す。
 だが、初日の報酬に100枚を超える白金貨があっては、目立って仕方がないだろう。

「有難う御座いました」

 ラディオは受付嬢に再度頭を下げ、待機所へ向かう。


 ▽▼▽


 タワー2階・『待機所』――


(レナンちゃん、良く寝てるなぁ)

 雑魚寝スペースで、うつ伏せになって寝ていたグレナダ。
 職員は、はだけた毛布をそっと掛け直す。
 此処は、種族で睡眠サイクルの違う子供達の為に、床がフカフカの布団になっているのだ。
 すると、すやすやと寝ていたグレナダの瞼が突然開いた。

「あっ、起きた?  おはようレナンちゃん……ってどこ行くの!?」

 一瞬ボーッとしていたが、突然出入口の方へ猛スピードで駆けて行ってしまったグレナダ。
 出遅れた職員も、とにかくその後を追う。

 しかし、何て速いのだろうか。
 今の今まで寝ていた幼児とは思えないスピードに、職員は追いつけない。
 預かり中に何かあっては大変だ。
 しかし、出入口まで来ると職員の足が止まり、『そういう事か』と安堵の顔を見せる。

「ちちぃ~!!」

「ただいま。遅くなってしまったね」

 大好きな匂いと気配を感じ取り、目を覚ましたグレナダ。
 何故かお腹の辺りを掴み、潤んだ瞳で半笑いという、良く分からない状態で走っている。
 ラディオが帰って来た嬉しさと、この数時間離れていた寂しさが同時に来た結果なのだろう。

 しゃがみ込んで両手を広げるラディオ。
 すると、グレナダは走る勢いそのままに、大きな大きな胸の中へ飛び込んで行く。

「ちちぃ♡  ちちぃ♡」

「よしよし。お土産を持って帰って来れなかったよ。ごめんね」

 ラディオは娘を抱き締めながら、笑顔でフードを被せる。
 実は、突然の起床とダッシュによって、外れてしまっていたのだ。
 しかし、こんな事もあろうかと、ラディオの準備は抜かりない。
 今日のグレナダは、角を包み込んだお団子ヘアーなのだ。

「あぁ!?  おやくそく……ごめんなさいなのだ……」

 フードの事がすっかり頭から飛んでいたグレナダは、しゅんとして俯いてしまった。
 あれだけ言われていたのに。
 でも、会いたくて会いたくてどうしようもなかった。
 下を向いたまま、小さな声でラディオに問い掛ける。

「ちち……おこる?」

 その時、ふわりと体が持ち上がり、ギュッと抱き締められた。

「怒らないさ。レナンが無事で居てくれただけで、父は幸せだよ」

「……ちちっ♡」

 『約束を破る事はいけない事だ』という認識を、娘がしっかり持っている事が、ラディオは何より嬉しかったのだ。
 寧ろ、こんなにも幼いのに、本当に良く言う事を聞いている。
 褒めこそすれ、怒るなど有り得ない。

「さぁ、帰ろう」

「あいっ♡」

 ラディオは職員に一礼をすると、ギルドを後にした。
 その腕の中に、幸せ一杯に尻尾を振って甘える娘を抱えて。


 ▽▼▽


  下段中央・『大広場』――

  
「ちち~!  みてなのだ~!」

 バザールで買い物を済ませ、夕暮れの大広場で小休止を取るラディオ達。
 噴水に駆けて行ったグレナダは、水の中に手を入れ、パチャパチャと波を立たせて遊んでいる。

「凄いね。水の中に落ちない様、気を付けるんだよ」

「あいっ♡」

 近くのベンチに腰掛け、頬を緩ませるラディオ。
 必死に波を立たせている姿を見ているだけで、こんなにも幸せな気持ちになれる。
 『自分が感じている幸せを、あの子にも与えてやりたい』……そんな事を想っていると、差し迫った問題に気が付いた。

(晩の献立を考えていなかったな)

 ギッシリと食材の詰まった紙袋の中を、ゴソゴソしながら頭を悩ますラディオ。
 すると、1つの商品が目に入り、手の動きが止まる。

(…………)

 『ぷるぷるっ!  スライム風ゼリ~』と書かれた、爽やかな青色の食品。
 無表情のまま、紙袋の一番奥へしまい込むラディオ。

(…………帰ろう)

 妙な敗北感に襲われながら、娘の元まで歩き出す。
 しかし、徐に深い溜息を吐いた。

(……若さは素晴らしい反面、色々と厄介だ――)


 ドンッ!


 瞬間、背後からの衝撃を受け転んでしまった。
 せっかく綺麗に入れた商品も、地面に散乱してしまう。

「おいお~い!  気ぃ付けろよジジィ!!」

 嘲る声と共に、ラディオの背後から冒険者の若い男達が現れた。
 皆ベロベロに酔っ払っていて、意地の悪い笑みを浮かべている。

 実は、見なくとも気配を察知していたラディオ。
 避けるのは造作もない事だったが、こういう手合いはそれで逆上してしまう。
 娘に何かあってもいけないと言う事で、わざと転ばされたのだ。

「申し訳ありませんでした。以後気を付けます」

 起き上がったラディオは男に頭を下げ、散らばった商品を拾い始める。
 グレナダはまだ水遊びに夢中だ。
 此方に気付かない内に、男達をやり過ごしたい。

 だが、中年の淡々とした態度に苛立った男。
 怯えた顔が見たかったのに、ラディオが眉一つ動かさなかったからだ。
 見ていた仲間にも馬鹿にした様に笑われ、火に油を注いでいく。

「てめっ……話終わってねぇのに勝手な事してんじゃねぇぞぉ!!」

 商品を拾っていたラディオの胸ぐらを掴み、顔を近付けて威嚇する。
 その瞬間、弾かれた様にグレナダが此方を向いた……いや、

「ちち……ちちっ……!  フーッ! フーッ!!」

 グレナダの尻尾が空高く真っ直ぐに伸び、紅玉の瞳に抑えられぬ怒りを映し出す。
 小さな体から真紅のオーラが溢れ出し、噴水がブクブクと沸き立ち始めた。

 普段は『幸せ』に溢れた生活を送り、怒りなど感じた事も無かった。
 しかし今、その身を支配するのは猛る激情。
 頭にあるのは、大好きなちちに『害意』を向けたモノを壊す事のみ。
 幼いが故に感情に支配されてしまったグレナダが、男の元へ駆け出した。

「ジジィ!  どこ見てん――何だ!?」

 苛立つままにラディオを睨み付けていた男も、やっと気が付いた。
 空間を歪ませながら、迫り来るに。

「ちち……!  ちちぃぃぃぃ!!」

 オーラを爆発させ疾風の如く迫り来るグレナダ。
『ひっ!?』と小さく悲鳴を上げた男は、尋常ではない魔力に当てられ、思わず手が緩む――


「レナン!  父は大丈夫だから……落ち着いて」


 その隙に抜け出したラディオが、直ぐ様娘を抱き止めた。

「ち、ち……?  うぅ……」

 すると、溢れていたオーラが鎮まり、尻尾もダランと垂れ下がっていく。

「ひぐっ……ち、ち……うわぁぁぁぁぁぁん!」

 しかし、自分でも言い様の無い感情の波に怯え、泣き出してしまったグレナダ。
 そんな娘に、優しく微笑みながら、ゆっくりと言葉を掛けていくラディオ。

「レナンは良い子だね。父の為に怒ってくれたんだろう?  父は、凄く嬉しかったよ。だから、怖がらなくても良いんだ」

 すると、グレナダは徐々に落ち着きを取り戻し、やがて泣き止んでいく。
 娘の頬を拭いながら、ラディオが優しく問い掛けた。

「レナン、父と一緒に食べ物を拾ってくれるかい?  転んで落としてしまったんだ」

「ぐすっ……あい」

 静かに頷いた娘を降ろしてやると、転がった林檎を拾いに駆けて行く。

「何だ……くそっ!  このガキッ……ふざけんじゃねぇぞぉぉ!!」

 その時、男の怒りが再燃してしまった。
 足元に寄って来たグレナダ目掛け、拳を振り下ろす――


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「貴様……!  何をしている……!!」


 が、グレナダに届く事は無かった。
 何故なら、万力の様な力で手首を捻り上げられているからだ。
 先程とはまるで違う、底無しの闇を思わせる瞳で睨む中年によって。
 だが、有り得ない……離れた場所に居た筈なのに。

「……聞こえないのか」

「ひ、ひぃっ……許し……ぐわぁぁぁぁ!  あぁぁぁぁぁぁ!!」

 尚も増していく力によって、骨を粉々に砕かれている様な激痛が全身に走る。
 だが、懇願する事も許されず、男は只々悲鳴を上げるしかなかった。

 ラディオは、自分に対する事で怒る事など滅多に無い。
 全ては、グレナダに対する要らぬトラブルを避ける為。
 しかし、その娘に危機が迫ったとあらば話は別だ。
 娘を護る為に、他の何を捨ててでも全力で立ち向かう。

 滾る怒りを抑える事もせず、男を睨み続けるラディオ。
 すると、意識が飛びそうな激痛と、形容し難い恐怖に晒され、男は下半身を濡らし始めてしまった。
 それでも消えない激情の片をつけようと、男を軽々と吊るし上げたその時――


「ちち……おうちかえるのだ?」


 ズボンが引っ張られる感触に目線を落とすと、林檎を差し出しながら、此方を見上げる娘の姿があった。
 涙の跡を残した頬、少し赤みを帯びた瞳。
 それでも、精一杯笑顔を浮かべて、大好きなちちの名を呼ぶのだ。

「レナン……そうだね、帰ろう。拾ってくれて有難う」

「……あいっ♡」

 これ以上、こんな姿は見せるものではない。
 娘の優しさに触れて、やっと冷静さを取り戻したラディオ。
 一先ず、恐怖で固まっている仲間の所へ男を放り投げた。

 そして、娘を抱き上げ、さっと残りを拾い、門に向かって歩き出す。
 だが、恐怖に震える男達の横を通り過ぎる時、ふと足を止めた。

「娘に感謝しろ。二度と危害を加えようなんて思うな……次は無いぞ」

 そう言うと、ラディオは再び歩を進める。
 残された男達は、暫くの間放心状態でその場に固まっていた。


 ▽▼▽


 パンパンの紙袋と、すやすやと眠る娘を抱えて家路を歩くラディオ。
 少しニヤけているグレナダの頬を撫でながら、今日の出来事を思い返す。

(少々……やり過ぎてしまったか)

 目立つ事は避けなければならない、それは重々承知している。
 広場には、それなりに人の目もあった。
 今日の事で、色々と弊害が起きてしまうかも知れない……そんな事を考えていると、グレナダがムニャムニャと寝言を漏らす。

「うん……ち、ち……♡」

 安心感に包まれ、穏やかに寝息を立てるグレナダ。
 そんな娘を見て、ラディオは決意を新たにした。
 明日からは、いつもの様に気を付けよう。
 だが、今日だけは……これでも良い。

(この子を護る為なら、私は……どんな事でも喜んでやるさ)
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