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徐州支配3 安定
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まがりなりにも一枚岩となった呂布の陣営は、次に徐州への侵略者である袁術への対策に乗り出した。
ここまで呂布は袁術に対して悪感情を持ってはいなかった。だが袁術が陳宮を唆したことは呂布への明白な害意である。その害意を無視することはできなかった。
それに政略的にも河内兵の蜂起は悪い影響を及ぼしていた。呂布が自陣営すら統御できていないという印象を徐州人士たちは受け取った。これを覆すには何らかの結果を出す必要がある。
それを成し得たのは自助努力ではなく、劉備の存在だった。なんと劉備はこのタイミングで呂布に降った。
劉備は言う。呂布は自陣営の内輪もめをさらしたことによって、さらに徐州人士から信頼を勝ち得ることが難しくなった。その呂布に自分が協力してさしあげよう、と。
徐州を鎮める方策を欲している呂布に自分を売り込んだのだ。
呂布は劉備を支持する豪族から、間接的な支持を受けることが可能になった。劉備は自分の存在感を保ったままで呂布に対する矛を収めることができた。双方にとって価値のある妥協である。
「私のような不徳の者が畏れ多くも徐州を治めるという大役を担いましたが、やはり行き届かないところがあり、丹陽兵の離反を招いてしまいました。呂将軍が混乱を鎮めてくれなくては徐州は四分五裂するところであったのですから、感謝の言葉も御座いません」
賢しげに調子の良いことをいう劉備を呂布は好きになれなかった。だが小利口な敵は愚かな味方に勝る。この者は自分の損することはしないだろう。だからある程度の信頼をしても良いという考えは呂布陣営の中で一致した。
呂布は以前に劉備から命じられて駐屯していた小沛へ、逆に劉備を駐屯させた。もちろん劉備が個人的に持つ兵団は解体されず、下ヒにいた劉備やその個人的な部下・兵たちの家族は返された。
劉備が焦って袁術に降伏していればその部下や兵は家族の元へ帰ろうと陣を脱し、劉備の勢力は弱体化しただろう。呂布に降伏していればその勢力は解体されていただろう。対袁術の姿勢を一貫して崩さず時を待った劉備の戦略が実った形だ。
袁術からすると予定外の展開となったが、侵攻を諦めるほどのことでもない。呂布と直接対峙するのを避け、袁術は劉備を討つという名目で小沛へ攻め込んだ。
劉備は呂布へ援兵を要請する。呂布陣営の一部の者たちはこの要請を断ることを主張する。袁術に劉備を殺させれば呂布の手は汚れない。劉備が死んだことを確認した上で徐州を糾合し、侵略者袁術を打ち払う方策を練れば良いというわけだ。
しかし呂布は劉備を支援することを迷いなく決した。劉備が死んでも徐州人士が自分を支持するか不明瞭な点と、小沛が陥ちれば北方の瑯邪郡に割拠する臧覇らとの連絡線ができてしまい、もしも袁術と連合された場合に呂布は包囲される形となってしまうためだ。袁術は異民族や山賊・流賊などのアウトローな勢力を自陣営に引き込む手練手管に長けている。独立を尊ぶゾウハたちが袁術陣営に引き込まれる可能性は大いにあった。
呂布と袁術の軍は対峙したが、結局袁術は呂布の率いる軍を攻めずに兵を引いた。形としては劉備と袁術の戦いを呂布が仲裁した形になる。
どこの馬の骨ともわからない劉備という私人を攻めることを袁術は躊躇しない。劉備には徐州人の支持があるとはいえ、その立場はあくまでも公的なものでない以上、正当性がないためだ。
だが呂布は朝廷から与えられている官位も高く、袁術の恩人でもある。袁術と袁紹の一族の一部は董卓によって殺されたのだが、その仇を討ったこと。また曹操に痛めつけられていた袁術が勢力を再興できたのは、呂布と曹操がエン州にて戦ったことによって得られた時間があったからだという事実。この二つの恩を施された相手を攻めるには相応の理由がいる。
また、公的にも呂布の評判は良い。理由は袁術へ施した恩と同じだ。董卓を斬ったことと、徐州を曹操から救ったという二点は呂布の名声を高めていた。
さらに呂布は戦上手である。蝗害が起こるまでは曹操と互角以上に渡り合っていたのだ。かつて曹操に惨敗した袁術からすれば開戦に踏み切るのは勇気がいることだったに違いない。
だからこそ袁術は呂布のいる下ヒを攻めず、劉備のいる小沛を攻め落として呂布への圧力をかけようと画策したのだった。しかしそれが成らなかったため、袁術は作戦を変えた。
袁術からすれば徐州を直接統治できるにこしたことはなかったが、そうでなくとも戦略目的は達せられるのだ。要は徐州が袁紹派閥につかず、消極的であっても袁術派閥についてくれればいいのである。
袁術は方針を一転、呂布を懐柔し、支援することに決めた。
呂布の支持を袁術が公言したことにより、呂布は徐州支配に対する後押しを得た。徐州人士は一部を除き、劉備を積極的に支持しているわけではない。徐州の安寧が図れるのであればそれでいいのだ。
袁術は言外に呂布へ語りかける。徐州支配の手助けを私がしてやろう、だから私の味方になれ。その場合、劉備などという匹夫は無価値どころか一部豪族からの強い支持を受けているだけに有害であろう、と。
人の価値は取り巻く環境により簡単に変わる。たしかに袁術の呂布支持の姿勢により劉備の存在意義は絶無になった。
呂布は袁術を信頼したわけではないが、少なくとも勢力がしっかりしているだけに不合理な動きはしないであろうとも思われた。曹操を共通の敵としている以上、協調する意義はある。命を狙われたことはひとまず棚上げし、呂布は袁術との停戦に合意した。袁術はそのコネを使って諸豪族に働きかけ、呂布の徐州支配を助けた。
勢力の基礎は固まったと判断した呂布は劉備を攻め、小沛を陥とした。劉備は曹操の元へ逃げ込んだ。呂布の挙兵からおおよそ一年が経った西暦196年の12月のことであった。
曹繰は後に劉備に兵を分けてやり、再度小沛を支配し、駐屯させた。沛国は徐州と豫州の境界上に細長く存在している。
ちなみに小沛を含む沛国には大きな勢力を持つ大豪族陳家が存在しており、曹繰と呂布との間に立って強かに立ち回っていた。
その陳家が徐州を混乱させることになるのだが、それは後の話であり、二転三転した徐州の情勢は暫時の小康を得ることになった。
ここまで呂布は袁術に対して悪感情を持ってはいなかった。だが袁術が陳宮を唆したことは呂布への明白な害意である。その害意を無視することはできなかった。
それに政略的にも河内兵の蜂起は悪い影響を及ぼしていた。呂布が自陣営すら統御できていないという印象を徐州人士たちは受け取った。これを覆すには何らかの結果を出す必要がある。
それを成し得たのは自助努力ではなく、劉備の存在だった。なんと劉備はこのタイミングで呂布に降った。
劉備は言う。呂布は自陣営の内輪もめをさらしたことによって、さらに徐州人士から信頼を勝ち得ることが難しくなった。その呂布に自分が協力してさしあげよう、と。
徐州を鎮める方策を欲している呂布に自分を売り込んだのだ。
呂布は劉備を支持する豪族から、間接的な支持を受けることが可能になった。劉備は自分の存在感を保ったままで呂布に対する矛を収めることができた。双方にとって価値のある妥協である。
「私のような不徳の者が畏れ多くも徐州を治めるという大役を担いましたが、やはり行き届かないところがあり、丹陽兵の離反を招いてしまいました。呂将軍が混乱を鎮めてくれなくては徐州は四分五裂するところであったのですから、感謝の言葉も御座いません」
賢しげに調子の良いことをいう劉備を呂布は好きになれなかった。だが小利口な敵は愚かな味方に勝る。この者は自分の損することはしないだろう。だからある程度の信頼をしても良いという考えは呂布陣営の中で一致した。
呂布は以前に劉備から命じられて駐屯していた小沛へ、逆に劉備を駐屯させた。もちろん劉備が個人的に持つ兵団は解体されず、下ヒにいた劉備やその個人的な部下・兵たちの家族は返された。
劉備が焦って袁術に降伏していればその部下や兵は家族の元へ帰ろうと陣を脱し、劉備の勢力は弱体化しただろう。呂布に降伏していればその勢力は解体されていただろう。対袁術の姿勢を一貫して崩さず時を待った劉備の戦略が実った形だ。
袁術からすると予定外の展開となったが、侵攻を諦めるほどのことでもない。呂布と直接対峙するのを避け、袁術は劉備を討つという名目で小沛へ攻め込んだ。
劉備は呂布へ援兵を要請する。呂布陣営の一部の者たちはこの要請を断ることを主張する。袁術に劉備を殺させれば呂布の手は汚れない。劉備が死んだことを確認した上で徐州を糾合し、侵略者袁術を打ち払う方策を練れば良いというわけだ。
しかし呂布は劉備を支援することを迷いなく決した。劉備が死んでも徐州人士が自分を支持するか不明瞭な点と、小沛が陥ちれば北方の瑯邪郡に割拠する臧覇らとの連絡線ができてしまい、もしも袁術と連合された場合に呂布は包囲される形となってしまうためだ。袁術は異民族や山賊・流賊などのアウトローな勢力を自陣営に引き込む手練手管に長けている。独立を尊ぶゾウハたちが袁術陣営に引き込まれる可能性は大いにあった。
呂布と袁術の軍は対峙したが、結局袁術は呂布の率いる軍を攻めずに兵を引いた。形としては劉備と袁術の戦いを呂布が仲裁した形になる。
どこの馬の骨ともわからない劉備という私人を攻めることを袁術は躊躇しない。劉備には徐州人の支持があるとはいえ、その立場はあくまでも公的なものでない以上、正当性がないためだ。
だが呂布は朝廷から与えられている官位も高く、袁術の恩人でもある。袁術と袁紹の一族の一部は董卓によって殺されたのだが、その仇を討ったこと。また曹操に痛めつけられていた袁術が勢力を再興できたのは、呂布と曹操がエン州にて戦ったことによって得られた時間があったからだという事実。この二つの恩を施された相手を攻めるには相応の理由がいる。
また、公的にも呂布の評判は良い。理由は袁術へ施した恩と同じだ。董卓を斬ったことと、徐州を曹操から救ったという二点は呂布の名声を高めていた。
さらに呂布は戦上手である。蝗害が起こるまでは曹操と互角以上に渡り合っていたのだ。かつて曹操に惨敗した袁術からすれば開戦に踏み切るのは勇気がいることだったに違いない。
だからこそ袁術は呂布のいる下ヒを攻めず、劉備のいる小沛を攻め落として呂布への圧力をかけようと画策したのだった。しかしそれが成らなかったため、袁術は作戦を変えた。
袁術からすれば徐州を直接統治できるにこしたことはなかったが、そうでなくとも戦略目的は達せられるのだ。要は徐州が袁紹派閥につかず、消極的であっても袁術派閥についてくれればいいのである。
袁術は方針を一転、呂布を懐柔し、支援することに決めた。
呂布の支持を袁術が公言したことにより、呂布は徐州支配に対する後押しを得た。徐州人士は一部を除き、劉備を積極的に支持しているわけではない。徐州の安寧が図れるのであればそれでいいのだ。
袁術は言外に呂布へ語りかける。徐州支配の手助けを私がしてやろう、だから私の味方になれ。その場合、劉備などという匹夫は無価値どころか一部豪族からの強い支持を受けているだけに有害であろう、と。
人の価値は取り巻く環境により簡単に変わる。たしかに袁術の呂布支持の姿勢により劉備の存在意義は絶無になった。
呂布は袁術を信頼したわけではないが、少なくとも勢力がしっかりしているだけに不合理な動きはしないであろうとも思われた。曹操を共通の敵としている以上、協調する意義はある。命を狙われたことはひとまず棚上げし、呂布は袁術との停戦に合意した。袁術はそのコネを使って諸豪族に働きかけ、呂布の徐州支配を助けた。
勢力の基礎は固まったと判断した呂布は劉備を攻め、小沛を陥とした。劉備は曹操の元へ逃げ込んだ。呂布の挙兵からおおよそ一年が経った西暦196年の12月のことであった。
曹繰は後に劉備に兵を分けてやり、再度小沛を支配し、駐屯させた。沛国は徐州と豫州の境界上に細長く存在している。
ちなみに小沛を含む沛国には大きな勢力を持つ大豪族陳家が存在しており、曹繰と呂布との間に立って強かに立ち回っていた。
その陳家が徐州を混乱させることになるのだが、それは後の話であり、二転三転した徐州の情勢は暫時の小康を得ることになった。
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