呂布の軌跡

灰戸礼二

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エン州の覇権1 蝗害、劣勢

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その後、曹操は無理を押して何度も出兵するが戦局を打開するにいたらない。それどころか度々負けた。だが濮陽での一戦のような決戦が行われることはなく、戦略的には膠着状態が百余日も続いた。エン州軍は曹操を攻めあぐねたというよりも意識して現状維持を試みたのだろう。曹操の根拠地は少ないが、青州兵以外の兵もその指揮下にいる。彼らはエン州の住民であり、今は敵でもいずれは支持を取りつけたい豪族の私有民である兵も多い。

自軍敵軍双方に被害を出す決戦は積極的に挑みたくなかったというのがあるだろう。そうしなくとも、自然に曹操の軍は瓦解するとも読んでいたに違いない。

曹操は濮陽攻めに失敗してからも呂布やエン州軍の首脳部が予想した以上に善戦しているが、大勢を覆すにはいたらなかった。エン州軍の勝利は目の前である。悪ければ曹操は補殺され、良くても袁紹の元へ逃げ込んで一部将として生きることになるだろう。もう英雄たる存在にはなりえなかったはずだ。

しかし誰しもが予想しなかった事象により、戦況は大きく変わる。

蝗の発生である。蝗というのは厳密には日本の分類でいうイナゴ科の昆虫ではなくバッタ科の昆虫のことを指す。本邦では被害は少ないが、ユーラシア大陸では各地各時代で農作物に大きな被害を出しており、文献にも度々登場する。中国では数千年前の殷代の甲骨文字にも記録が残っている。
トノサマバッタの一種である彼らは諸条件が重なると大量に発生し、穀類だけでなく草木、はては紙や綿などの植物性製品までも食い散らかしていく。

言うまでもなく兵糧などは飛蝗に食い尽くされ、両軍共に継戦能力は失われた。戦争は勝敗がつかないまま終結した。

呂布らは荒廃したエン州を治めなければならない。政権が機能していれば中央政府が保管する食糧を輸送するなどして当面の危機を脱することはできたはずだ。だがもはや国家機能が事実上失われている以上、それもままならない。

曹操らの抱える人員も元青州黄巾党の非戦闘員などがおり、相当数いたはずだが、おそらくこの時期は盟主の袁紹より援助を受けていたはずだ。袁紹の支配領域と曹操の支配する三城は地理的に比較的近い。

それに棗祗という東阿県の県令は後に曹操へ農政改革を献言・実行して多大な成果を挙げた優秀なテクノクラートであり、この頃もかなりの兵糧の備蓄をしていた様子だ。後に彼が東阿を本拠とした曹操軍に糧食を提供して軍を飢えさせなかったという功績を賞されたという記述もあり、彼の存在が蝗害後の曹操軍の積極的な軍事行動を可能にした大きな一因ではあるだろう。

曹操に敵対するエン州は広い視点では反袁紹の旗を掲げることになったため、強いて言えば二袁の一方である袁術の陣営に属する状態であった。だが陣営の旗頭である袁術はこの時期、以前に曹操との戦争で戦略的敗北を喫してから、本拠を新たに九江郡に定めたばかりであった。地理的にも遠く、エン州を支援する余裕もない。

さらにいえば呂布らの抱える領城、人口は曹操よりもはるかに多く、呂布らは彼らを養う必要があった。それは事実上、誰が統治者であっても不可能である。

しかしどのような事情であれ、支配者が変わったばかりでその領民が飢えれば支持を失う。呂布らは求心力を急速に失いつつあった。

仕切り直しになったが、曹操と呂布らの戦いは続く。




高順と呂布は進軍している。兵糧が嵩む騎兵はなく、一部の将校以外は騎乗していない。純粋な歩兵部隊である。兵達の質はあまり良くはなく、数もそう多くはない。錬成された精鋭を持つ豪族たちは戦の終結に伴い各々の根拠地に帰ったからだ。自分たちの土地も蝗害によって荒廃しており、その復興を最優先にするのは当然といえた。

従軍するのは食い詰めた小作農や土地の復興が見込めないほどの蝗の被害を受けた濮陽近隣の農民たちである。

とりあえず家族を連れて濮陽に入り、従軍すれば食える。それだけを理由に彼らは兵士になった。士気が高かろうはずがない。だが特に家族がいる者については逃亡のリスクが少ないというのは大きいプラスの要素だといえる。

人望の厚い呂布が代表としてそんな兵たちを率いることにより多少なりとも士気を上げ、戦力を水増ししようということだが、どこまでうまくいくかは不明瞭だ。

呂布が率いる軍の戦略目的は漠然としている。要は曹操の勢力を削る遊撃部隊であるのだが、それは呂布個人の将才頼みの作戦とも呼べないものである。だがその作戦は他ならぬ呂布自身が提案したものであった。

呂布は河内兵を河内郡へ、騎兵を中心とした兵団を呂布の故郷のヘイ州へ派遣し、募兵を行わせている。募兵に参加していない者たちは主にエン州兵の調練に当たっていた。だがその行為はすぐに成果が出る性質のものではない。

蝗害で領民たちが飢えており、それに抜本的な打開策を打ち出せない現状ではエン州側の支配力は日に日に落ちていく。少なくとも何かしらの積極策を打ち出す必要があった。不利な状況であっても西方はエン州政権がしっかり抑えているが、曹操の根拠地のあるエン州東部の支配力は心もとない。特に北東部は既に曹操の勢力圏と化しているため、まだぎりぎりエン州政権側が優勢な南東部の支配を盤石にしておく必要があった。そのための呂布の出兵である。エン州側からは高順の他に陳宮と張バクも呂布と行動を共にしている。高順は別にしても他の二人はエン州政権の実質的なトップであるといっていい。彼らが動くということはこの行動はかなり重要視されていることになる。濮陽には張バクの弟の張超が残り諸事を司ることとなっていた。

エン州南東部の山陽郡を目指す一行であったが、その道中にある済陰郡乗氏県というところは大豪族の李氏が治める地域である。以前に李乾という一族の有力者が曹操の命を受けて鎮撫にあたり、この地域を曹操の敵に回さなかったという経緯があった。エン州政権は優勢な状況下で李乾を自軍へ招いたが、李乾はあくまでも首を縦に振らなかった。そのため李乾は殺され、それからしばらくは少なくともこの地域はエン州側の敵ではなかったのだが、蝗害の際にその一族である李進という者が主権を奪回して再び曹操側についていた。一族には終始一貫して曹操に味方をしている者もおり、李進が旗幟を明らかにした今では一族総出で曹操に与していることになる。

呂布はこの乗氏県の攻略を試みたものの早々に諦めてその地を通過し、その更に南東の山陽郡に入った。そこで呂布は新たに軍を集めた。

挙兵からここにいたるまでは西暦194年の間に起きた出来事である。曹操と呂布らは年の前半は壮絶に死闘を繰り広げたが、後半は停滞した状況にあった。再度両雄が刃を交えるのは西暦195年に入ってからだ。

呂布のいる山陽郡とエン州政権の本拠地である東郡濮陽県から南東の山陽郡へいたるまでの間に済陰郡があることは先ほど述べた。曹操はここの攻略を試みた。済陰郡を掌握できればエン州政権の勢力圏同士の連絡を絶つことができるからだ。そうすればまだエン州政権の影響力の強い山陽郡を曹操が平定し易くなる。
兵理に適った基本戦略であり、もちろんそれくらいのことはエン州政権の面々も理解している。自然と両者の兵は済陰郡へ集中していった。

曹操は済陰郡の郡都である定陶へ攻め寄せた。西暦195年の春のことである。この行動には先ほど述べた地理的な要因とは別の理由がある。呂布の誘引だ。

曹操にとっても呂布の存在は無視できないが、直接対決で度々破れている相手だ。その兵力は衰えつつあるとはいえ、遭遇戦であれば勝てるとも言い切れない。

しかし、予め呂布らに備えた形で布陣を行い、待ち受ける形であれば曹操には勝算があった。

呂布たちは山陽郡から救援にかけつけるため出兵していた。曹操が待ち受けていることは百も承知である。だが曹繰の手に乗る以外の方策を呂布たちは持たなかった。

遠征するのであれば兵糧を運ぶための牛馬や、その飼料などもいる。だが蝗害で飢えたエン州の民たちは牛馬を潰して食べてしまった者も多く、飼料も蝗によって著しい被害を受けていた。兵糧そのものに余裕もないが、兵糧運搬能力も減衰している。自然とその行動は通常よりも遅くなるため、その動きが曹操に探知されやすいということはエン州軍の大きな弱点であった。

諸要因で総合的な補給能力が相対的に優れていた曹操が蝗害後の戦略的主導権を握っていたのは当然のことだ。

頼みの綱の騎兵部隊も手元におらず、騎乗できるのはある程度の階級以上の指揮官か斥候や伝令のみであった。呂布は編成面でも曹操に対し優位に立てないまま戦端を開くこととなった。全ては曹操の目論見通りであった。


緻密な計算の元で創出させた状況を蝗害などという偶発的な事象でひっくり返された陳宮は天を怨みながら政務にあたっていたが、呂布と共に濮陽を出てからはもっぱら曹操軍を殺戮する軍略を練ることで気を紛らわせていた。

募兵で集まった兵達は良くも悪くも相応の兵である。濮陽から率いてきている兵のように農業で食えなくなったため従軍したような良民たちが多い。

募兵に応じた者の数は多すぎた。多くても半分、できれば三分の一くらいまで兵を絞って精鋭とまではいかないまでも、それなりの錬度を持つ兵を中核とした軍に再編成する必要性を陳宮は感じていた。そもそも今の数を維持できるための金穀がない。
これより前、許容できる以上の人間を雇い入れることに疑問を感じた呂布が陳宮から打ち明けられた策があった。呂布は良い顔はできなかったが、立場的に反対もできない。その策は毒を孕むが有用であったし、それに呂布は所詮外様の人間であったからである。

実は定陶に結集した兵の数は曹操軍のそれよりもエン州軍のそれは多かった。もちろん兵力は安易に兵数には比例しない。兵力は曹操側に軍配があがるだろう。

エン州軍の総指揮は陳宮が執り、呂布はその補佐に入った。

曹操軍は定陶県の南城という城を攻めていた。エン州軍を迎え撃つにしても、この南城があるため、ある程度の兵力貼り付けておく必要があった。つまり全軍をあげて呂布に対抗できない。そこに留意して戦術的工夫を行えばどうとでも戦いようがあったのだが、あえて陳宮は無造作に募兵したばかりの兵をぶつけることに決めた。

これには意味がある。これまでのエン州軍は小規模な軍集団の寄せ集めであった。逆にいえば兵の数の割に指揮官が多数いたということでもある。だから彼らを細分化して運用することもできたし、曹操以上に柔軟に戦列や陣形を変化させることができた。大局においてエン州軍が優勢であれば多寡の差はあれど、兵を率いる豪族たちは功名を争い懸命に戦った。陳宮は張バクに進言して抜け駆けの功名を決して功名として認めさせなかったし、活躍の機会はなるべく均等に与えていた。エン州軍の強さの根本は呂布とは無関係で、陳宮の采配とそれを全軍に徹底させる張バクの統率力により支えられてきたのである。

そしてそのことを曹操はよく知っていた。もはやエン州軍が優勢であるという情勢ではなく、往事ほどの強さはなかろうと予測できるが曹操は油断しなかった。エン州軍が小細工を弄しても対応できるだけの柔軟性を全軍に持たせた。つまり部隊と部隊の間隔を広く取り、運動しやすいような態勢でエン州軍を迎え撃ったのである。

「見よ、高将軍。曹操も随分とこちらを過大評価してくれたものだ」

「勝てるかもしれませんな」

少なくともこの戦いに関してだけは、という言葉を飲み込んで高順は陳宮の次の言葉を待つ。

「卿は本部付の全兵を率いて突出してくれ。呂将軍と並ぶのだ」

「全兵ですか?」

「そうだ。予備隊も含めた全てだ。見ての通り曹操の部隊は大きく広がっている。戦端が開かれればこちらに何の作戦もないことがばれる。そうなれば奴らは我が軍の弱い箇所に殺到してくること疑いない」

「それまでに殺せるだけ殺しておくと」

「そうだ。さあ、これ以上長々と喋らせてくれるな。既に私は卿に指示を出した。時は黄金よりも貴重なのだ」

畏まって動き始めた高順は陳宮が感心するほどの早さで軍をまとめると進発した。この時代の行軍の速度は我々が考えている以上に遅い。戦端が開かれる直前に高順は呂布と轡を並べることができた。

「陳太守からの指示で」

その言葉と高順の率いてきた兵の数を見て、呂布は全てを理解した。

「思い切ったことをなされますな。曹操が兵を一部迂回させてがら空きの本部を突いてくれば困ったことになるでしょうに」

「その場合は戦列後方の兵を反転させるしかありません。しかし曹操相手に真正面から兵をぶつけるのであれば、曹操が兵の配置を変える以前に最大兵力をぶつけるのが最も有効でしょう」

「まあ、そうですな」

兵力の集中投入が軍事の基本であり、逐次投入が愚であることは言うまでもない。だが敵の陣容から兵数は兎に角として、兵力を完全に推し量るのは難しい。見立て違いは容易に起こり得る。その結果として開戦してから左翼に配置した兵を右翼に配置すべきであったと後悔することもあるだろうし、逆もまたあり得る。また兵の配置自体が間違っていなくとも、例えばある方面全体が混乱した場合は、その場にいない、つまり混乱していない部隊を投入して時間を稼ぎ、その間に混乱を沈静化させることもできる。同じ戦場における一定数の予備兵力の存在は意義のあるものであり、最初から全兵力を叩き込むのはかなりリスキーな行為でもあった。

だが大勢が曹操に傾きつつあり、エン州政権が落ち目の現状ではリスクを取らなくては勝ちを得にくいというのもまた事実である。

「見てください呂将軍、曹操も我々の軍容を見て慌ただしく軍を動かしているようですぞ」

たしかに高順の言うとおり曹操は部隊の間隔を詰めさせている。エン州軍が近づくにつれて、企図している部隊運用法を正しく読みとったのだろう。だが少し遅い。

後方から太鼓の音が数度聞こえた。兵たちの足を急がせよとの合図である。曹操軍がきちんと整列するまで待ってやる義理はないのだから当然である。

「さしあたり緒戦はこちらの優位に進みそうですね」

高順は会話をやめて自分の部隊に戻り、開戦に備えた。

曹操軍から射かけられた弓に応戦もせずエン州軍は前進し、両軍の間には激しい白兵戦が始まった。弓戦を避けたのには理由がある。射兵は騎兵の次に錬度によって兵力が増減する兵であり、エン州軍にはそれなりの技量を持つ射兵の数が揃っていなかったからである。

もちろん機先を制するため何らかの射撃は必要であるため、戦列前方の者たちは石をそれぞれが手にしていた。部隊同士がぶつかり合う直前、各部隊長から合図が出る。

「投擲」

 兵たちは一斉に手に持った石を曹操軍の部隊に投げつけた。それはそれなりの効果を生み出した。部隊最前列に存在していた盾と矛で武装した長兵の壁は統一感を失い、あちこちで綻びを見せたのである。

「吶喊」

部隊長たちが口々に声高く叫ぶと、まずは矛などの長獲物を持たされた兵が曹操軍の戦列の乱れた箇所をさらに突き崩す。彼らの後ろに続いて、短い獲物と盾を装備した兵が突入して白兵戦に入る。それに続きその他の兵たちも次々と曹操軍と刃を交わし始める。

白兵戦に持ち込めば兵としての技量の差はほとんど影響しない。訓練された射兵も長兵も関係ない。

後は士気の差である。陳宮は濮陽に家族を残している者たちを特に戦列前方へ配置するよう指示していた。逃亡さえしなければ、彼らの家族を決して飢えさせないという約定を交わし、志願させたのだ。もちろん前もってたっぷりと報酬を払っている。エン州で名の通った陳宮ならではの手法で彼は死兵を作り出した。

戦術も何もない平押しの力と力の勝負である。崩れそうになるエン州軍の部隊を留めるのは呂布や高順をはじめとした有能な指揮官の率いる部隊の勇戦と、陳宮が配した士官たちによる督戦であった。士官たちたちは命令不服従の兵達を情け容赦なく斬り殺していく。軍の規律が厳しいことは募兵の際に兵達へ事前に説明している。それを承知の上で彼らは従軍しているのだから、怯懦を見せる兵が死ぬことに陳宮の心は痛痒を感じない。酷薄ではあるが不義ではない。だが呂布などはそこまで割り切れないため、心中穏やかでなかった。彼らは好む好まざるを関わらず家族を食わせるための手段がなかったから厳しい条件を呑んで従軍しているのだから、陳宮の言葉は詭弁といえる。

「ものども、臆するな、この私がいる限り負けはせぬ」

大音声で呂布はその存在感を誇示して自ら血戦している。乱戦には不適当な馬は従者に命じて後方に下がらせているため、呂布は徒歩で戦っていた。

呂布は乱戦の中で一人、長獲物である戟を使っていた。矛は今でいう槍に近い、突くのを目的とした武器で、戈という鎌のような刃が横に延びて主に敵を引っかけたり薙いだりする武器もある。この矛と戈の役割を併せ持つ武器を戟という。今でいう槍の刃の根本あたりから湾曲した刃がまた別に生えている武器だ。手戟という片手で扱うものもあるのだが、呂布の使っている長戟は集団戦には不向きな武器である。同士討ちの危険性があるからだ。だが呂布はあえて戟を選び、突出して戦うことで敵味方の耳目を一身に集めていた。突き、薙ぎ、払う。くるくると縦横無尽に戦場を乱舞する呂布の姿に曹操軍は恐懼し、エン州軍は勇躍していた。少なくとも呂布が視界に入る範囲ではエン州軍が劣勢に立つことはなかった。

しかし、個の勇で戦況を変えることなどできはしない。高順などの優れた指揮官がいる場所はそれなりの善戦を続けていたが、戦場全体を見渡すとエン州軍は徐々に押されはじめた。所々で部隊が大きく崩れるような箇所も出てくる。陳宮やその幕僚たちは自身でそこへ出向き部隊としての機能を復旧させて再投入する、部隊の持ち場を変えるなど、懸命に戦列の維持に努める。その甲斐あってか、日没まで戦場の均衡はぎりぎり保たれた。

日没と共に両者は兵を引き、夜半に呂布たちは南城に入城した。


「被害は予想以上に大きいようです」

建物内に収容しきれず路上に寝かされている負傷兵たちを見て呂布は溜め息をつく。

「計算通りだ」

陳宮の図った通り状況は進展し、曹操軍も少なからず被害を受けた。濮陽から連れてきた兵たちは別にして、山陽郡で募った兵たちに陳宮はそれほど期待もしていないし思い入れもない。先ほどの戦いでも戦列の半ばに配置し、白兵戦という状況が出来上がってから彼らは投入されていた。肝心な緒戦で用いるに足る錬度は彼らにはなかったからだ。数が減ればそれ以上兵糧を食われずに済むし、ただ数が減るにしても武器を振り回しているのだから少しくらいは曹操軍の数を減らしてくれるだろう、山陽郡の兵が二人で曹操軍の兵を一人道連れにしてくれるだけでも上出来というわけだ。
戦闘は百の訓練に勝る。錬兵と軍の再編成を同時に行い、さらに曹操の兵力を削るという陳宮の策は概ね成功した。

「それはわかりますが、卿はもう少し憂色を顔に出した方がよろしいでしょう」

陳宮の顔に貼りつくむっつりとした表情は、数字を勘定する官吏を彷彿とさせる。そんな顔で兵を見るのは非常に良くないと呂布は思う。

「なぜなのだ。私は私の義務を果たす。彼らは彼らの義務を果たした、その結果ではないか」

「危ういですなあ」

「なんと?」

呂布の漏らした呟きは陳宮の耳にも入ったが、呂布は陳宮の聞き返す声を黙殺した。

為政者として飢えた民を救えぬばかりか、窮状を逆手に取り、家族を実質的に人質として命を賭けさせて何が信義なのか。彼らは過酷であると宣言された戦場に来ることを選んだのではない。蝗により今期の収穫が見込めなくなった以上、他に家族を食わせることができなかったため従軍せざるをえなかったのだ。口さがない者ならばエン州軍の指導者たちにそう言うだろう。

しかしこの戦争はエン州の主として推戴されながら、何らエン州に益することのない対外戦争にのめり込んだ曹操に原因はある。曹操の支配が続く限り同じ災禍は繰り返されるはずだ。戦い、死んでいく兵達は哀れではあるが悪辣な支配者に対する自衛戦争の色が濃いこの戦いではエン州は上も下も一丸となっていたし、なるべきであった。

これは呂布も共有する気持ちであるが、だからといって兵を顧みない陳宮の姿勢は間違っている。支配者層に生まれ、支配者層で育った陳宮には彼らが弱者であることを直視することができないのかもしれない。生まれは豪族だが兵と共に寝食を共にして生きてきた呂布や高順との大きな違いだ。

それを言っても詮なきことではあろう。言ったところで理解をしてもらえるとも思えない。だが兵の気持ちを汲み取れない指揮官は劣勢に弱い。

呂布にはエン州の先行きについて暗いものが立ち込めているように思えた。





曹操は兵力が増強された城を攻めあぐね、数日後に兵を引いた。

曹操は呂布を打ち破ったと称したし、呂布らは定陶を守りきったと喧伝した。つまりは痛み分けである。

募兵した兵は半分が何らかの形でエン州軍を離れた。今回の戦いでもう従軍の意志がなくなった者たちは解き放たれたし、重傷を負った者たちは治療後に幾ばくかの金穀をもらって郷里へ帰ることを許された。なおも軍に残る者へは当初よりも割り増しした俸給が約束された。

だが根本的な補給の問題はなんら解決せず、主導権はなお曹操の元へ留まり続けていた。

戦術家として曹操に引けを取らないつもりでいる呂布も、戦略レベルでの駆け引きは能力の枠外にある。呂布にできるのは与えられた状況の中で最善を尽くすことだけであった。


一旦兵を引いた曹操は夏になって再度出兵する。

まずは以前呂布が攻めて落とすことができなかった乗氏県の東にある、山陽郡鉅野県に駐屯していた軍営を攻めた。そこには薛蘭と李封という人物がいる。彼らはそれぞれ別駕、治中という州長官の補佐役のような地位についているエン州政権の重要人物である。李封はおそらく李乾の一族に連なる者であり、地域にそれなりの影響力を持っていたのであろう。李乾を殺した後もこの済陰郡・山陽郡付近を治めていた者と思われる。

曹操軍の主力の青州兵は元々流賊だったこともあり、よく歩く。エン州軍が曹操軍の動きを捕捉できた頃には鉅野の近隣に迫る勢いであった。

呂布自身が精兵を率いて急いで救援にかけつけたものの、曹操の用兵によって既に両名は討たれており、敗兵を収容した後ですぐに軍を引いた。

これは非常にまずい事態である。鉅野が落ちたという結果もまずいが、落ちる過程がまずい。曹操の行軍を探知できず、みすみす各個撃破を許した形になる。

曹操の行軍は早く、支配領域が広がっているため進攻ルートは複数ある。勢力が弱まったエン州軍の諜報能力ではその全てをチェックすることができなかったのだ。

呂布は敗兵たちと率いてきた一部の兵を定陶県の南城に預け、自身は現在エン州政権の根拠地の一つとなっていた東緡県へ戻った。
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