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白い部屋の、白いカーテンが揺れる。窓の外に見える電線の上にはカラスが止まっていた。
「……病室か」
阿部の声は、驚くほど簡単に口から飛び出した。
ズクズクと胸と腹が痛むが、これが夢ではないのなら助かったのだろう。
と。コンコンと部屋のドアがノックされた。彼が「はい」と答えると、上司が「目が覚めたか」と一瞬安堵したような顔をしながら入ってきた。
「一応お前も当事者だからな。目が覚めたのならちょっと協力を頼む」
「はい、勿論です」
阿部はあの日あった事をそのまま上司に報告した。体の痛みにより、身を起こすのは難しかったが、それを失礼と取るような相手ではない。
「……おおよそは、遺書の通りか」
「ああ、ラブレターですね」
「あれはラブレターなのか」
上司は顔を顰めたが、本人から聞いた事だ。
「本人が言っていたので」
「そうか、ラブレター、な」
そのまま伝えれば、彼はもう一度口の中で言葉を転がした。何か思うところでもあったのだろう。
「そのラブレターによると、被害者の飲み物に睡眠薬を混入して、そのまま解体したらしい」
「そう、ですか」
解体しているとき、まだ被害者は生きていた可能性が高い。阿部はぐっと唇を噛んだ。
「犯行に至った経緯は充分に同情出来るが、殺人に手を染めてしまったらな」
「そうですね」
彼女の心は傷つけられていた。けれども傷つけた男は、命を持って贖う事態に陥った。
「ところで、彼女は」
阿部は恐る恐る、上司に問う。あの日、男の心臓を見つめて包丁を胸に突き刺した犯人。その人がどうなったのかという事は、聞かずにはいられなかった。
「……こっちの負けだ」
上司の苦虫を噛み潰した顔と、この発言で、阿部は彼女がどうなったのかを察した。
「まんまと逃げられたさ。全く、女の執念とは怖いものだな」
生きて逃げられる筈がない。自らに刃を向けた彼女が、誰にも捕らえられずにその場から逃げる方法はたった一つだけだ。
「あの世にまで追いかけて行ってしまうなんて」
命を絶った。この場合、彼女の計画が成功した、とでもいうのだろうか。
阿部も上司も、そのまま暫く無言を貫いた。
何を言うべきか、それともこのまま何も言わないべきか。どんな感情を持てばいいかさえ分からずに、彼はバラバラになったクッキーを思い描いた。
全てバラバラになり、事件自体も鳥に食べられてしまったのだろうか。
「早く治せよ」
静寂を破ったのは、上司だった。彼は苦笑いを浮かべ「次は、こんな完全犯罪なんて認めないからな」と続ける。
本当は、「次」などない。被害者も犯人も永遠に取り逃してしまったのだから。
それでも彼は、彼らは歩みを止めるわけにはいかない。それが仕事で、信念で、そして……。
「そろそろ戻る。お大事に」
上司はそう言って部屋を去っていった。再度静けさの訪れた真っ白な室内に残されたのは阿部だけだ。
「もう二度と、誰の心も救われない事件なんて御免だ」
ぽつりと呟く。
電線の上にいたカラスは、もういない。バラバラになったチョコレートも、クッキーも、もう存在しないのだ。
世界は12時で終わりにはならない。彼は歩みを止めることもなく、これからも誰かの為に駆けずり回るのだろう。
小鳥はあの日、羽ばたいてしまった。残ったのは強い心を持った男一人。
「……病室か」
阿部の声は、驚くほど簡単に口から飛び出した。
ズクズクと胸と腹が痛むが、これが夢ではないのなら助かったのだろう。
と。コンコンと部屋のドアがノックされた。彼が「はい」と答えると、上司が「目が覚めたか」と一瞬安堵したような顔をしながら入ってきた。
「一応お前も当事者だからな。目が覚めたのならちょっと協力を頼む」
「はい、勿論です」
阿部はあの日あった事をそのまま上司に報告した。体の痛みにより、身を起こすのは難しかったが、それを失礼と取るような相手ではない。
「……おおよそは、遺書の通りか」
「ああ、ラブレターですね」
「あれはラブレターなのか」
上司は顔を顰めたが、本人から聞いた事だ。
「本人が言っていたので」
「そうか、ラブレター、な」
そのまま伝えれば、彼はもう一度口の中で言葉を転がした。何か思うところでもあったのだろう。
「そのラブレターによると、被害者の飲み物に睡眠薬を混入して、そのまま解体したらしい」
「そう、ですか」
解体しているとき、まだ被害者は生きていた可能性が高い。阿部はぐっと唇を噛んだ。
「犯行に至った経緯は充分に同情出来るが、殺人に手を染めてしまったらな」
「そうですね」
彼女の心は傷つけられていた。けれども傷つけた男は、命を持って贖う事態に陥った。
「ところで、彼女は」
阿部は恐る恐る、上司に問う。あの日、男の心臓を見つめて包丁を胸に突き刺した犯人。その人がどうなったのかという事は、聞かずにはいられなかった。
「……こっちの負けだ」
上司の苦虫を噛み潰した顔と、この発言で、阿部は彼女がどうなったのかを察した。
「まんまと逃げられたさ。全く、女の執念とは怖いものだな」
生きて逃げられる筈がない。自らに刃を向けた彼女が、誰にも捕らえられずにその場から逃げる方法はたった一つだけだ。
「あの世にまで追いかけて行ってしまうなんて」
命を絶った。この場合、彼女の計画が成功した、とでもいうのだろうか。
阿部も上司も、そのまま暫く無言を貫いた。
何を言うべきか、それともこのまま何も言わないべきか。どんな感情を持てばいいかさえ分からずに、彼はバラバラになったクッキーを思い描いた。
全てバラバラになり、事件自体も鳥に食べられてしまったのだろうか。
「早く治せよ」
静寂を破ったのは、上司だった。彼は苦笑いを浮かべ「次は、こんな完全犯罪なんて認めないからな」と続ける。
本当は、「次」などない。被害者も犯人も永遠に取り逃してしまったのだから。
それでも彼は、彼らは歩みを止めるわけにはいかない。それが仕事で、信念で、そして……。
「そろそろ戻る。お大事に」
上司はそう言って部屋を去っていった。再度静けさの訪れた真っ白な室内に残されたのは阿部だけだ。
「もう二度と、誰の心も救われない事件なんて御免だ」
ぽつりと呟く。
電線の上にいたカラスは、もういない。バラバラになったチョコレートも、クッキーも、もう存在しないのだ。
世界は12時で終わりにはならない。彼は歩みを止めることもなく、これからも誰かの為に駆けずり回るのだろう。
小鳥はあの日、羽ばたいてしまった。残ったのは強い心を持った男一人。
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