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出立
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「なんだ、その小綺麗な服は」
ハルトリー辺境伯から迎えが来る当日。
父ウンベルトはクラーラの姿を見て苦言を呈した。
普段着ているような質素な服や黒いローブではなく、青を基調としたレースつきのドレスを着ている。
今の彼女はさながら深窓の令嬢であった。
「あら、お父様。これは私費で用意したものですのであしからず。それに嫁ぎに行くというのに、みすぼらしい恰好をしていては情けないでしょう? リナルディ家の家格を落とさないためにも必要なことです。いくら私が嫌いとはいえ、これくらいは許容してくださいまし」
「ふん……相変わらず口の減らない奴だ。昼すぎになればハルトリー家からの迎えが来るはず。それまで適当に過ごしておけ。できるだけ当家から物は持ち出すんじゃないぞ」
「心得ております。お父様の大嫌いな黒魔術に関する道具以外、ほとんど持っていきませんわ」
出て行く最後の日まで、リナルディ家は嫌味たっぷりであった。
徹頭徹尾悪意のある一家にクラーラは内心で苦笑する。
姉からも最後の嫌味を言われたし、もはや清々しい。
優雅にお辞儀をしてクラーラは外に出る。
もちろんロゼッタも付き添いで。
庭の手入れをする経済的な余裕もなく、リナルディ家の壁は貴族の家とは思えぬほど煤けていた。
経済的困窮の理由は至って明快。
一家がクラーラを除いて散財しているから。
使用人たちへの給金も年々減って、このままではどうなってしまうことか。
仮にハルトリー辺境伯からの助成金があっても、あの家族のことだから己のために浪費するだろう。
「使用人が不憫ね。どうしましょう」
「本当におっしゃるとおりです。お嬢様にみんなついていければよかったのですが……さすがにハルトリー辺境伯家に、使用人全員で押し寄せるのはダメですよね」
「ふふっ、そうね。でも彼らはみな有能だわ。リナルディ伯爵家に勤め続ける必要もないでしょうし、そのうち次の職場を探すでしょう。そうなると困るのは残された一家だけれど……他家の者になる私には関係ないわ」
瞳を閉じる。
風が泣いていた。
この領地に吹く風すべてが嘆いているのかもしれない。
風は、きっと民の怨みつらみも乗せているのだろう。
愚かなリナルディ家による政治への怨みを。
「……ごめんなさいね、何もできなくて」
できることなら民を救ってあげたい。
貴族の家に生まれた者として、あの愚かな家族から逃してあげたい。
しかしクラーラにそれほどの権力はなかった。
悔恨を前に、クラーラは瞳を閉じ続ける。
◇◇◇◇
それから。
陽がまぶしく大空に座す時刻。
クラーラとロゼッタは迎えの馬車を正門前で待っていた。
こんなときにも家族の見送りはなし。
迎えの馬車はすぐにわかった。
ハルトリー辺境伯の印章を馬車に掲げ、他の馬車とは一線を画する毛並みのよい馬で走ってきたから。
轍を刻みながら、徐々に大きくなる車輪の音。
クラーラは姿勢よく馬車が来るまで立ち続けた。
心地よい蹄の音がやがて止まる。
御者は馬車から降りて恭しく一礼した。
見目麗しい金髪の少年。
襟の形の整った執事服に身を包み、頭のてっぺんからつま先まで小綺麗で。
彼も貴族かしら――とクラーラは直感を覚えた。
「お初にお目にかかります。私はハルトリー辺境伯使用人、ジュスト・フィンツィと申します。リナルディ伯爵令嬢、クラーラ様をお迎えに上がりました」
非常にこなれた、流麗な所作。
教育の質の高さがうかがえる。
「ごきげんよう。私がクラーラ・リナルディですわ。お迎えに上がっていただき、ありがとうございます」
礼節には礼節をもって。
クラーラも相応の態度でカーテシーした。
礼を受けたジュストは不意を突かれる。
辺境からはるばるやってきたはいいものの、相手は王都の伯爵令嬢。
さてどんなワガママ娘が登場するかと身構えていたところに。
こんなに礼節のある令嬢が待ち構えているとは。
「わが主、レナート・ハルトリーは辺境での任があるため、代理で伺いました。ご承知おきくださいませ」
「辺境伯様はお忙しいですものね。少しでも私が辺境伯様を支えてあげられる立場になればよろしいのですが……」
「そのお言葉、わが主がお聞きになればさぞお喜びになるかと。それでは参りましょうか」
促されるままクラーラとロゼッタは馬車に乗る。
ああ、なんというか……すごく豪華。
中は広いし、内装は豪華でドレッサーまで備え付けてある。
それだけ本気でクラーラを迎えたいということなのだろう。
御者台に乗るかと思われたジュストだが、彼は同じく馬車の中に入ってきた。
代わりにジュストの隣に座っていた老齢の執事が御者台にいる。
「ご令嬢と同席するのは失礼というものですが、婚約に際してどうしてもお伝えしなければならない事項があります。馬車の中で、旦那様に関するお話をさせていただきたく」
「ええ、ぜひお願いします。私の旦那様となる……レナート様のことを少しでも知っておきたいですもの。相手を知っているほど、初対面の印象もよろしくなるでしょう」
婚約に理解を示すクラーラに、ジュストは内心でほっとする。
自分の主人は少しワケありなので説明しておかねばならない。
婚約の承諾を確認するのはその後で充分だ。
「結論から申し上げますと。わが主、ハルトリー伯は『嘘がつけない』のです」
「嘘がつけない? まあ、誠実な方ですのね」
「いえ、そういう意味ではなく……ああ、いやいや。誠実なお方ではあるのですが。戯れのように嘘をつくことも、本音を隠して物事を言うこともできないのですよ。とある魔術による副作用なのですがね」
冗談でもお世辞でも、嘘偽りを述べることができない。
人の社会は時として嘘が関係性のエッセンスになる。
とりわけ貴族社会においては。
社交界というものは嘘、欺瞞、虚構が渦巻く戦場。
レナート・ハルトリーはその観点から言えば、戦場に立つことすらできていない。
とある魔術による副作用。
ジュストはそう語った。
「……もしや黒魔術による副作用ではありませんか?」
「おや、ご存知なのですね。さすがはリナルディ伯のご息女。魔術に対する造詣の深さ、おみそれいたします」
「ええと……まぁ、はい。私は黒魔術が専門ですので」
「なるほど。では、すでにお察しかもしれませんね。黒魔術は非常に大規模なものを行使した際、術者に副作用が発生します。レナート様は常に大規模な黒魔術を維持していますので、嘘を述べることができない制約が発生しています」
クラーラが黒魔術の専門だと知っても、ジュストは何ら気にしていなかった。
やはり白魔術至上主義はリナルディ家の特徴のようだ。
というか、白魔術以外を軽視しすぎといったところか。
馬車に揺られながらクラーラは考える。
それほど大きな黒魔術を、常時展開しなくてはいけない理由は何だろうか……と。
「そういうわけですので、レナート様は社交界に出たことがあまりありません。王都に行ったこともほとんどありませんから……クラーラ様のように、たいへんお美しい女性を前にすると動揺されてしまうかもしれませんね」
「あら、お上手で。嘘がつけないということで『こんな女と婚約を結びたくない』なんて言われないとよろしいですけれど」
「ははは、レナート様は本当に女性と縁がありませんから。きっとクラーラ様を見れば一目ぼれでしょう。ええ、間違いありません」
自分の容姿をできるだけよく見せる努力はしているものの、クラーラにはどこか自信が欠けていた。
リナルディ家で受けた心の傷跡。
深く、深く、刻まれている。
自分は出来損ない。白魔術が使えない凡愚。
――傷が癒える日は来るだろうか。
いつの日か何もかも笑い飛ばして、幸せに生きれるときは。
(どうかしら。ええ、どうでもいいわね)
横たわる諦観は拭えない。
車窓から流れていく風景のように、移り変わることもない。
彼女は微笑み、目的地に着くまでロゼッタとジュストと談笑にふけった。
「到着です。――お帰りなさいませ、クラーラ様。今日からここが貴方のご自宅です」
馬車が正門を通り、庭園の舗道を往く。
よく手入れされた庭園だ。
色とりどりの花々が咲き誇り、噴水が虹の橋をかけている。
とても静かで美しい屋敷だった。
赤褐色の壁で出来た大きな大きな屋敷。
ここが今日からクラーラの家となる。
「ええ、ありがとうございます。それでは……お会いしましょうか。私の旦那様に」
華々しい庭園とは裏腹に、緊張が織り交ざったクラーラの声色。
されど彼女は臆さずに進んだ。
自分の居場所はここにしかないのだから。
ハルトリー辺境伯から迎えが来る当日。
父ウンベルトはクラーラの姿を見て苦言を呈した。
普段着ているような質素な服や黒いローブではなく、青を基調としたレースつきのドレスを着ている。
今の彼女はさながら深窓の令嬢であった。
「あら、お父様。これは私費で用意したものですのであしからず。それに嫁ぎに行くというのに、みすぼらしい恰好をしていては情けないでしょう? リナルディ家の家格を落とさないためにも必要なことです。いくら私が嫌いとはいえ、これくらいは許容してくださいまし」
「ふん……相変わらず口の減らない奴だ。昼すぎになればハルトリー家からの迎えが来るはず。それまで適当に過ごしておけ。できるだけ当家から物は持ち出すんじゃないぞ」
「心得ております。お父様の大嫌いな黒魔術に関する道具以外、ほとんど持っていきませんわ」
出て行く最後の日まで、リナルディ家は嫌味たっぷりであった。
徹頭徹尾悪意のある一家にクラーラは内心で苦笑する。
姉からも最後の嫌味を言われたし、もはや清々しい。
優雅にお辞儀をしてクラーラは外に出る。
もちろんロゼッタも付き添いで。
庭の手入れをする経済的な余裕もなく、リナルディ家の壁は貴族の家とは思えぬほど煤けていた。
経済的困窮の理由は至って明快。
一家がクラーラを除いて散財しているから。
使用人たちへの給金も年々減って、このままではどうなってしまうことか。
仮にハルトリー辺境伯からの助成金があっても、あの家族のことだから己のために浪費するだろう。
「使用人が不憫ね。どうしましょう」
「本当におっしゃるとおりです。お嬢様にみんなついていければよかったのですが……さすがにハルトリー辺境伯家に、使用人全員で押し寄せるのはダメですよね」
「ふふっ、そうね。でも彼らはみな有能だわ。リナルディ伯爵家に勤め続ける必要もないでしょうし、そのうち次の職場を探すでしょう。そうなると困るのは残された一家だけれど……他家の者になる私には関係ないわ」
瞳を閉じる。
風が泣いていた。
この領地に吹く風すべてが嘆いているのかもしれない。
風は、きっと民の怨みつらみも乗せているのだろう。
愚かなリナルディ家による政治への怨みを。
「……ごめんなさいね、何もできなくて」
できることなら民を救ってあげたい。
貴族の家に生まれた者として、あの愚かな家族から逃してあげたい。
しかしクラーラにそれほどの権力はなかった。
悔恨を前に、クラーラは瞳を閉じ続ける。
◇◇◇◇
それから。
陽がまぶしく大空に座す時刻。
クラーラとロゼッタは迎えの馬車を正門前で待っていた。
こんなときにも家族の見送りはなし。
迎えの馬車はすぐにわかった。
ハルトリー辺境伯の印章を馬車に掲げ、他の馬車とは一線を画する毛並みのよい馬で走ってきたから。
轍を刻みながら、徐々に大きくなる車輪の音。
クラーラは姿勢よく馬車が来るまで立ち続けた。
心地よい蹄の音がやがて止まる。
御者は馬車から降りて恭しく一礼した。
見目麗しい金髪の少年。
襟の形の整った執事服に身を包み、頭のてっぺんからつま先まで小綺麗で。
彼も貴族かしら――とクラーラは直感を覚えた。
「お初にお目にかかります。私はハルトリー辺境伯使用人、ジュスト・フィンツィと申します。リナルディ伯爵令嬢、クラーラ様をお迎えに上がりました」
非常にこなれた、流麗な所作。
教育の質の高さがうかがえる。
「ごきげんよう。私がクラーラ・リナルディですわ。お迎えに上がっていただき、ありがとうございます」
礼節には礼節をもって。
クラーラも相応の態度でカーテシーした。
礼を受けたジュストは不意を突かれる。
辺境からはるばるやってきたはいいものの、相手は王都の伯爵令嬢。
さてどんなワガママ娘が登場するかと身構えていたところに。
こんなに礼節のある令嬢が待ち構えているとは。
「わが主、レナート・ハルトリーは辺境での任があるため、代理で伺いました。ご承知おきくださいませ」
「辺境伯様はお忙しいですものね。少しでも私が辺境伯様を支えてあげられる立場になればよろしいのですが……」
「そのお言葉、わが主がお聞きになればさぞお喜びになるかと。それでは参りましょうか」
促されるままクラーラとロゼッタは馬車に乗る。
ああ、なんというか……すごく豪華。
中は広いし、内装は豪華でドレッサーまで備え付けてある。
それだけ本気でクラーラを迎えたいということなのだろう。
御者台に乗るかと思われたジュストだが、彼は同じく馬車の中に入ってきた。
代わりにジュストの隣に座っていた老齢の執事が御者台にいる。
「ご令嬢と同席するのは失礼というものですが、婚約に際してどうしてもお伝えしなければならない事項があります。馬車の中で、旦那様に関するお話をさせていただきたく」
「ええ、ぜひお願いします。私の旦那様となる……レナート様のことを少しでも知っておきたいですもの。相手を知っているほど、初対面の印象もよろしくなるでしょう」
婚約に理解を示すクラーラに、ジュストは内心でほっとする。
自分の主人は少しワケありなので説明しておかねばならない。
婚約の承諾を確認するのはその後で充分だ。
「結論から申し上げますと。わが主、ハルトリー伯は『嘘がつけない』のです」
「嘘がつけない? まあ、誠実な方ですのね」
「いえ、そういう意味ではなく……ああ、いやいや。誠実なお方ではあるのですが。戯れのように嘘をつくことも、本音を隠して物事を言うこともできないのですよ。とある魔術による副作用なのですがね」
冗談でもお世辞でも、嘘偽りを述べることができない。
人の社会は時として嘘が関係性のエッセンスになる。
とりわけ貴族社会においては。
社交界というものは嘘、欺瞞、虚構が渦巻く戦場。
レナート・ハルトリーはその観点から言えば、戦場に立つことすらできていない。
とある魔術による副作用。
ジュストはそう語った。
「……もしや黒魔術による副作用ではありませんか?」
「おや、ご存知なのですね。さすがはリナルディ伯のご息女。魔術に対する造詣の深さ、おみそれいたします」
「ええと……まぁ、はい。私は黒魔術が専門ですので」
「なるほど。では、すでにお察しかもしれませんね。黒魔術は非常に大規模なものを行使した際、術者に副作用が発生します。レナート様は常に大規模な黒魔術を維持していますので、嘘を述べることができない制約が発生しています」
クラーラが黒魔術の専門だと知っても、ジュストは何ら気にしていなかった。
やはり白魔術至上主義はリナルディ家の特徴のようだ。
というか、白魔術以外を軽視しすぎといったところか。
馬車に揺られながらクラーラは考える。
それほど大きな黒魔術を、常時展開しなくてはいけない理由は何だろうか……と。
「そういうわけですので、レナート様は社交界に出たことがあまりありません。王都に行ったこともほとんどありませんから……クラーラ様のように、たいへんお美しい女性を前にすると動揺されてしまうかもしれませんね」
「あら、お上手で。嘘がつけないということで『こんな女と婚約を結びたくない』なんて言われないとよろしいですけれど」
「ははは、レナート様は本当に女性と縁がありませんから。きっとクラーラ様を見れば一目ぼれでしょう。ええ、間違いありません」
自分の容姿をできるだけよく見せる努力はしているものの、クラーラにはどこか自信が欠けていた。
リナルディ家で受けた心の傷跡。
深く、深く、刻まれている。
自分は出来損ない。白魔術が使えない凡愚。
――傷が癒える日は来るだろうか。
いつの日か何もかも笑い飛ばして、幸せに生きれるときは。
(どうかしら。ええ、どうでもいいわね)
横たわる諦観は拭えない。
車窓から流れていく風景のように、移り変わることもない。
彼女は微笑み、目的地に着くまでロゼッタとジュストと談笑にふけった。
「到着です。――お帰りなさいませ、クラーラ様。今日からここが貴方のご自宅です」
馬車が正門を通り、庭園の舗道を往く。
よく手入れされた庭園だ。
色とりどりの花々が咲き誇り、噴水が虹の橋をかけている。
とても静かで美しい屋敷だった。
赤褐色の壁で出来た大きな大きな屋敷。
ここが今日からクラーラの家となる。
「ええ、ありがとうございます。それでは……お会いしましょうか。私の旦那様に」
華々しい庭園とは裏腹に、緊張が織り交ざったクラーラの声色。
されど彼女は臆さずに進んだ。
自分の居場所はここにしかないのだから。
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