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愛の決意

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肩を落としてネシウス伯爵家を去る。
屋敷に入ってから沈黙していたレオンがようやく口を開いた。

「こりゃ面倒なことになったな。がめついと噂のネシウス伯爵に倫理観を求めすぎたか?」

幼少のころからネシウス伯爵とは会っているというのに、私は彼の本性を読み違えていた。
これまではマリーズの婚約者として丁重に接してもらっていただけか。
そういうことなら……私にも考えがある。

「マリーズは救う。リディオの悪意からも、ネシウス伯爵からの強制からも。そして……私の独りよがりな献身からも解放されてくれれば、それで構わん」

「……そうかね。なぁトリスタン、俺はマリーズ嬢のことあまり知らないけど。マリーズ嬢には寄り添ってくれる人が必要なんじゃないか?」

「それが私である必要はない。私はマリーズを傷つけた。彼女とて、そんな人間と共にはいたくないだろう。彼女の望みに沿うような婚約者を見つけてやるのが償いだ」

まずはマリーズに話を聞かねば。
今すぐにでも向かいたいところだが……学園に戻らなければ。
いや、そんな場合ではないな。

「レオン、私は私用で領地に戻る。先生に伝えておいてくれ」

「ん、了解。無茶すんなよ」

「ああ。また付き添いを頼むことがあるかもしれない。そのときはよろしく頼む」

「おう。それじゃ」

別々に馬車を走らせ、私は領地への帰路をとった。
今ごろマリーズは何をしているのだろうか。
父は寝込んでいて話せているかわからないが、母がついてくれているはずだ。
不都合していないといいのだが。

ネシウス伯爵家にマリーズを帰さない口実も作らなければ。
きっとあの両親のもとに戻されれば、彼女の心はさらに傷ついてしまう。
お節介かもしれないが、今のマリーズには救いの手が必要な気がしてならなかった。

ああ、そうだ。
あの日、彼女が私に手を差し伸べてくれたように。
暗闇に満ちた未来で光となってくれたように。

私は前世の未来、今から三年後を想起した。

 ***

「……」

焼け落ちた屋敷を前にしてへたり込んでいた。
アイニコルグ辺境伯領は戦火に燃えた。
両親も家臣も民も、みな死んでいる。
私が辿り着いたときには、すでに全てが灰塵となって。

仕方のないことだ。
戦争とはそういうものだ。
とりわけ私の領地は敵国の帝国に近い場所に位置していた。
真っ先に犠牲となるのも致し方ないことだろう。

惜しむらくは私が死ねなかったことだ。
せめて民と一緒に死んでやるのが領主の令息たる私の役目だったはず。
貴族としての責務を果たせなかった。

「…………」

ああ、すべてを失った哀れな男だ。
私の手元には何も残っていない。
始まりは自分勝手な婚約破棄だった。

三年前、私は良好な関係性を保っていた令嬢との婚約を白紙にした。
あのころはそれが正しい選択だと信じていたのだ。
所詮は両親に取り付けられた婚約、彼女は私を愛していないに違いない……と。

しかし、新たに作った平民の婚約者とも破局した。
利用されていた事実に気がつかず、目先にある偽りの愛に飛びついた結果だ。
それからは孤独に学園で学び、社交を続けていたものの……どこか寂しい感覚はずっと拭えなかった。

そして起きたのが戦争だ。
平和は保てている……そう考えていたのが甘かったのだろうか。
隣の帝国がわが国に侵攻し、突如として安寧は崩された。

「私は……どこで間違えた」

問うてみるも、答えは解っているのだ。
愛する人を突き放したあの日から間違えた。
今がどんなにつらい状況でも……支えてくれる人がいれば違っただろう。

自業自得、というやつか。
いまだに国の貴族たちは侵攻してきた帝国に対して、抵抗を続けている。
本来であれば私も将官となって戦うべきなのだろうが。
正直、そんな気力はどこにもない。

守るべき民も土地も失ったのだ。
いっそここで潰えてしまえばいい。
私の命もまた。

「……誰か、いるのですか?」

ふと、静寂を破って声が聞こえた。
どこか聞き覚えがあるような、懐かしい音色だった。

倒壊した屋敷の陰から姿を現したのは、憔悴した少女。
私には彼女が誰なのかすぐにわかった。

「マリーズ?」

「トリスタン……」

顔を合わせるのは三年ぶりだ。
婚約破棄したあの日から、一度たりとも顔を合わせていなかった。
いや、合わせる顔がなかった。

マリーズは今にも倒れそうだ。
戦争が起きたのは最近だというのに、長らく戦火に身を置いていたかのように。
令嬢らしくドレスも着ておらず、手足もやせ細っている。

「トリスタン……! よかった、無事だったのね……!」

――不思議なことに。
そう、本当に不思議なことなのだが。

マリーズは私を見るや抱きしめた。
この身を覆った温かい熱に、私は形容しがたい気持ちを覚えた。
どうして私に触れられるのか、あんなに酷いことをした私に。

「どうして……」

「アイニコルグ伯爵領が焼けたと聞いて、貴方が死んでしまったのではないかって……今朝からずっと探していたのよ。でも、誰も人がいなくて……本当によかった」

違う、そうではない。
私が問うているのは『ここにいる理由』ではなく、『私を心配した理由』だ。

「なぜ私に触れられる。私は君に……あんなに酷いことをしたのに」

「貴方がいま、傷ついているから。貴方がわたしを婚約破棄して……すごく傷ついたわ。だからこそ大切なものを失った人の気持ちはわかるの。味方がいなくて悲しみに沈む人の気持ちも。そんな貴方を見たら……つい抱きしめたくなって」

「……君は、馬鹿だな。私はそれ以上の馬鹿だが」

そうだ、私は大馬鹿だった。
こんなに美しい心を持つ令嬢が、私を愛していないわけがなかった。
自分を愛してくれていた人を捨てたのだ。

「マリーズ、頼みがある」

「……なに? 甘やかすのは嫌よ」

「ああ。私を叱って、そして立ち直らせてほしい。そして君が許すなら、また私を……婚約者としてでなくていい。友人のひとりとして迎えてはくれないだろうか」

私の懇願にマリーズは静かにうなずいた。

 ***

それから二年。
私は戦場に立つ将官として登用された。
もはや領地も民もない、貴族ですらなくなった私をマリーズは支えてくれた。

彼女は私を叱責し、ときに友として寄り添い……そして戦争が終わったら領地の復興が手伝ってくれると約束してくれた。
曰く……私に婚約破棄されたあと、マリーズはリディオ伯爵令息に利用されたという。
その結果、実家からも見放され厳しい生活を余儀なくされたとか。

話を聞いているだけでも本当に罪過が募る。
せめてもの罪滅ぼしに、私は今後の生涯のすべてを彼女に捧げると決めた。


しかし、私は戦半ばで命を落とす。
せっかく再びマリーズと絆を深めたというのに……戦の結末も知らず、戦地にて息絶える。

そして気づけばあの日に戻っていた。
マリーズに婚約破棄を突きつけた、その直後に。

「今度こそ君を幸せにする」

深く魂に誓った。
今生の目的は戦争を止めること。
そしてマリーズを幸せにすることだ。
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