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第12章 呪われ公の絶息
勇気、惑いの中で
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ルートラ公爵家、地下室にて。
ヴァルターは皺だらけの手で魔法陣を描いていた。
「…………」
何日間、何週間も籠もりきりで。
孫が反乱を起こしたという報を聞いても、彼は動かずにいる。
不老不死の禁術。
今は亡きアルセニオが厳重に保管していた書物に記されていた、知られざる術である。
呪術なのか邪法なのか、はたまた理外の異術なのか。
熟練の魔術師であるヴァルターをもってしても判然としない。
だが、決して贋作ではない。
反乱を起こした孫が持ってきたものだが、ヴァルターの長い経験がこれを真作だと認めている。
おそらくペートルスは禁術の準備が整うまでにヴァルターを殺す算段なのだろう。
研究に釘付けにするために、あえて本物の禁術書を渡したか。
「伝令です、ペートルス率いる反乱軍が公爵家の間近に迫っています!」
「…………」
扉が開き、衛兵が血相を変えて入ってきた。
ペートルスの策は万端、ルートラ公爵家の兵力すべてを知悉していた。
政務の多くを祖父の代わりに行っていたペートルスが、軍事力を測りかねるはずもない。
言葉を返さぬヴァルターに、衛兵は必死に語りかける。
「閣下! 急ぎご命令を!」
「――いつ、儂が儀式の邪魔をしろと言った」
「かはっ……!?」
瞬間、衛兵の首から鮮血が飛ぶ。
鈍い音を立てて崩れ落ちる体躯。
血だまりを踏み越え、重い足を動かす。
「……落ち着いて筆も持てんか。物事には順序がある……が、今ばかりは優先すべきことを変えるとしよう」
ヴァルターの手足は震えていた。
――死ぬのが怖い。
死を恐れるのは人として当然の摂理。
狡猾老獪たるヴァルターとて例外ではなかった。
自分がいない未来が、グラン帝国が想像できない。
なんとしても死にたくない、消えたくないのだ。
ゆえに彼は、不老不死の禁術の研究を最優先事項としていた。
しかしながら、こうも邪魔されては仕方がない。
「身の程を知れ、愚か者が」
黒き杖を携え、ヴァルターは久方ぶりに地下室を抜け出した。
◇◇◇◇
雨が降っている。
イニゴは雨に打たれながらも、果敢に先陣を切って敵を薙ぎ倒していた。
「だっはっはっ! 暴れんのは久しぶりだなぁ!」
戦場を踏み潰す姿はまるで戦車。
かつて山賊団を束ねていたイニゴの気勢は伊達ではない。
コルラードやミクラーシュらが後門の狼ならば、彼は前門の虎。
ルートラ公爵軍はイニゴの猛攻にただ耐え凌ぐしかなかった。
「恩は返す、それが俺らの流儀なもんでさぁ!」
ペートルスに潰された山賊団の面々は、一人残らず救われたのだ。
誰も誅されることなく、辺境の村々や町の警護や工務に割り当てられた。
そして彼らは今、イニゴとともに反撃の狼煙を上げる。
しかし忘れてはならない。
イニゴのさらに前を往き、誰よりも勇ましく華麗に舞う貴公子を。
「イニゴ、あまり出すぎないように。この戦は――僕のものだからね」
衝撃波。
地を駆けた衝撃が敵兵を薙ぎ、天を駆けた衝撃は飛来する魔術や矢を撃ち落とす。
テモックにまたがって無双するペートルスは、遊覧するように戦場を飛んでいた。
「すみません、ペートルス様ァ! 先はお譲りしますぜ!」
「僕がルートラ公爵を下す。……でなければ、この戦に意味はない。最前線を往き、敵将の首を取るは我が剣のみ」
ペートルスの視線の先に敵軍はなかった。
彼方に見ゆる彼の生家、ルートラ公爵家のみ。
あの場所がきっと、己が墓標となるだろう。
◇◇◇◇
雨音を聞きながら、フリッツは魔石を磨いていた。
磨き上げた青い魔石をかざしてみる。
まるで亀裂が入ったように、魔石の内に稲妻が走った。
反乱が起こった直後、フリッツには帰還命令が出た。
彼だけではない。
ニルフック学園に在籍する生徒のほとんどは、実家から帰宅するように命じられた。
もはや学び舎に子息を預けている場合ではないのだ。
帝国の今後を憂う。
フリッツは瞳を細め、魔石越しに暗雲を眺めた。
「失礼いたします。フリッツ様、来客がお見えになりました」
「お客様が……? 父上にではなく、私に?」
「ノーラ・ピルットと名乗る女性ですが……いかがいたしましょうか?」
「……! 通してください」
フリッツは慌てて立ち上がる。
彼は急いで階下へ向かい、セヌール伯爵家の正門に走った。
彼の目に飛び込んできたのは、全身が濡れたノーラだった。
ひどく雨に打たれ、青髪の毛先から水が滴っている。
衰弱した様子のノーラを見てフリッツは慌てて彼女を支える。
「ピルット嬢! いったいどうされたのですか……?」
「フリッツ様……」
濡れていたのは彼女の服や髪だけではない。
目元から、一筋のあたたかい涙が流れる。
「わたし……どうしたらいいのか、わからなくて。でも、何かしなくちゃって……」
ノーラはイアリズ伯爵家を飛び出し、学園に戻った。
だが、そこに人の影はなく。
まるで時間が止まったかのように、もぬけの殻となっていた。
ヴェルナーも、マインラートも、エルメンヒルデも行方が知れず。
もはや頼みの綱はフリッツしかなかった。
「……まずは落ち着きましょう。入浴の支度をしますから。侍女が案内します」
フリッツはノーラに優しく語りかけた。
今、ノーラは大切な人を救うために足掻いている。
不安で不安で仕方ない。
それでも不安の中に失われぬ勇気があることを、フリッツは確かに見ていた。
ヴァルターは皺だらけの手で魔法陣を描いていた。
「…………」
何日間、何週間も籠もりきりで。
孫が反乱を起こしたという報を聞いても、彼は動かずにいる。
不老不死の禁術。
今は亡きアルセニオが厳重に保管していた書物に記されていた、知られざる術である。
呪術なのか邪法なのか、はたまた理外の異術なのか。
熟練の魔術師であるヴァルターをもってしても判然としない。
だが、決して贋作ではない。
反乱を起こした孫が持ってきたものだが、ヴァルターの長い経験がこれを真作だと認めている。
おそらくペートルスは禁術の準備が整うまでにヴァルターを殺す算段なのだろう。
研究に釘付けにするために、あえて本物の禁術書を渡したか。
「伝令です、ペートルス率いる反乱軍が公爵家の間近に迫っています!」
「…………」
扉が開き、衛兵が血相を変えて入ってきた。
ペートルスの策は万端、ルートラ公爵家の兵力すべてを知悉していた。
政務の多くを祖父の代わりに行っていたペートルスが、軍事力を測りかねるはずもない。
言葉を返さぬヴァルターに、衛兵は必死に語りかける。
「閣下! 急ぎご命令を!」
「――いつ、儂が儀式の邪魔をしろと言った」
「かはっ……!?」
瞬間、衛兵の首から鮮血が飛ぶ。
鈍い音を立てて崩れ落ちる体躯。
血だまりを踏み越え、重い足を動かす。
「……落ち着いて筆も持てんか。物事には順序がある……が、今ばかりは優先すべきことを変えるとしよう」
ヴァルターの手足は震えていた。
――死ぬのが怖い。
死を恐れるのは人として当然の摂理。
狡猾老獪たるヴァルターとて例外ではなかった。
自分がいない未来が、グラン帝国が想像できない。
なんとしても死にたくない、消えたくないのだ。
ゆえに彼は、不老不死の禁術の研究を最優先事項としていた。
しかしながら、こうも邪魔されては仕方がない。
「身の程を知れ、愚か者が」
黒き杖を携え、ヴァルターは久方ぶりに地下室を抜け出した。
◇◇◇◇
雨が降っている。
イニゴは雨に打たれながらも、果敢に先陣を切って敵を薙ぎ倒していた。
「だっはっはっ! 暴れんのは久しぶりだなぁ!」
戦場を踏み潰す姿はまるで戦車。
かつて山賊団を束ねていたイニゴの気勢は伊達ではない。
コルラードやミクラーシュらが後門の狼ならば、彼は前門の虎。
ルートラ公爵軍はイニゴの猛攻にただ耐え凌ぐしかなかった。
「恩は返す、それが俺らの流儀なもんでさぁ!」
ペートルスに潰された山賊団の面々は、一人残らず救われたのだ。
誰も誅されることなく、辺境の村々や町の警護や工務に割り当てられた。
そして彼らは今、イニゴとともに反撃の狼煙を上げる。
しかし忘れてはならない。
イニゴのさらに前を往き、誰よりも勇ましく華麗に舞う貴公子を。
「イニゴ、あまり出すぎないように。この戦は――僕のものだからね」
衝撃波。
地を駆けた衝撃が敵兵を薙ぎ、天を駆けた衝撃は飛来する魔術や矢を撃ち落とす。
テモックにまたがって無双するペートルスは、遊覧するように戦場を飛んでいた。
「すみません、ペートルス様ァ! 先はお譲りしますぜ!」
「僕がルートラ公爵を下す。……でなければ、この戦に意味はない。最前線を往き、敵将の首を取るは我が剣のみ」
ペートルスの視線の先に敵軍はなかった。
彼方に見ゆる彼の生家、ルートラ公爵家のみ。
あの場所がきっと、己が墓標となるだろう。
◇◇◇◇
雨音を聞きながら、フリッツは魔石を磨いていた。
磨き上げた青い魔石をかざしてみる。
まるで亀裂が入ったように、魔石の内に稲妻が走った。
反乱が起こった直後、フリッツには帰還命令が出た。
彼だけではない。
ニルフック学園に在籍する生徒のほとんどは、実家から帰宅するように命じられた。
もはや学び舎に子息を預けている場合ではないのだ。
帝国の今後を憂う。
フリッツは瞳を細め、魔石越しに暗雲を眺めた。
「失礼いたします。フリッツ様、来客がお見えになりました」
「お客様が……? 父上にではなく、私に?」
「ノーラ・ピルットと名乗る女性ですが……いかがいたしましょうか?」
「……! 通してください」
フリッツは慌てて立ち上がる。
彼は急いで階下へ向かい、セヌール伯爵家の正門に走った。
彼の目に飛び込んできたのは、全身が濡れたノーラだった。
ひどく雨に打たれ、青髪の毛先から水が滴っている。
衰弱した様子のノーラを見てフリッツは慌てて彼女を支える。
「ピルット嬢! いったいどうされたのですか……?」
「フリッツ様……」
濡れていたのは彼女の服や髪だけではない。
目元から、一筋のあたたかい涙が流れる。
「わたし……どうしたらいいのか、わからなくて。でも、何かしなくちゃって……」
ノーラはイアリズ伯爵家を飛び出し、学園に戻った。
だが、そこに人の影はなく。
まるで時間が止まったかのように、もぬけの殻となっていた。
ヴェルナーも、マインラートも、エルメンヒルデも行方が知れず。
もはや頼みの綱はフリッツしかなかった。
「……まずは落ち着きましょう。入浴の支度をしますから。侍女が案内します」
フリッツはノーラに優しく語りかけた。
今、ノーラは大切な人を救うために足掻いている。
不安で不安で仕方ない。
それでも不安の中に失われぬ勇気があることを、フリッツは確かに見ていた。
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