159 / 216
第10章 飢える剣士の復讐
鼬の道切り
しおりを挟む
「そうか……サロン長がアルセニオを討ったのか……」
ペートルスから結末を聞いた剣術サロンの生徒たち。
彼らはみな複雑な表情を浮かべていた。
アルセニオが討たれたことはもちろん嬉しい。
だが、その一方でヴェルナーにほとんどの戦いを押しつけてしまったこと、自分たちがアルセニオに手も足も出なかったという事実は拭えない。
これまで復讐を誓って歩み続けてきた剣術サロンは、目的を失ってしまったのだ。
サロンの副長が代表して頭を下げる。
「何はともあれ……ありがとうございます。私たちを助けてくださったガスパル様に、事態の収束に向けて動いてくださっている皆さま。私たちも協力いたします」
「ありがとう。ただ……君たちは部屋で待機していてほしい」
ペートルスの一言に、剣術サロンの面々は首を傾げた。
そんな彼らに説明するようにペートルスは語る。
「一応、君たちは学園長の殺害を試みた危険人物だ。もちろんヴェルナーもね」
「……!」
「しかし君たちの今後に影響が出ることはないだろう。学園長が大きな罪を犯し、多くの被害者を生んでいたことは事実。後処理を終えるまでは大人しくしていてほしい……という意味だ。安心してくれ」
一瞬身構えた生徒たちだが、ペートルスの言葉を聞いて胸を撫で下ろす。
剣術サロンはアルセニオの被害者の集まりだ。
同情の余地は多分にあるし、実際に殺人を犯したのはヴェルナーただ一人。
後処理は面倒だが、帝国法においては生徒たちが罪に問われることはないだろう。
「しかし……サロン長はどちらに?」
「ヴェルナーの居場所はわからない。ただ、君たちには彼の帰りを待ってあげてほしい。アルセニオへの復讐という目的を失った君たちには、それが次の目標になるはずだ」
剣術サロンの生徒たちは神妙な面持ちでうなずいた。
彼らはヴェルナーを信頼している。
力への執着ばかりではない、力への尊敬だけではない。
一人の長としてヴェルナーを奉じていたのだから。
◇◇◇◇
ひとり学園の敷地から出たヴェルナー。
彼は外壁にもたれかかり、一通の手紙に目を通していた。
差出人は義父……テュディス公爵。
「……」
最後まで読み終えたヴェルナーは深く息を吐いた。
手紙を持つ手に力が入り、しわが紙面に刻まれる。
「まったく……わからんな、親父は。すべて見通していたのなら、どうして俺を止めなかった」
仮の息子とはいえ、侯爵を殺したことが露呈すれば家名に傷がつくだろうに。
手紙にはヴェルナーの復讐を肯定することと、それでもなお自分をテュディス公爵家の一員として認めることが書かれていた。
本当に甘すぎる義父だ。
感心を通り越して、ヴェルナーは呆れてしまった。
父としてはともかく、公爵としての在り方を間違えている。
罪を犯した子には然るべき罰を与えなければ、面目丸つぶれというもの。
「すまんな、親父。……俺はお前の名誉を汚すつもりはない」
ヴェルナーにとっての父はただ一人。
アラリル侯爵アルセニオではなく、テュディス公爵ベニグノだけだ。
血は繋がっていなくとも、彼を紛れもない父と認めている。
だからこそ自分がこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
今日を境に、ヴェルナーはニルフック学園から姿を消す。
貴族としての身分も捨て、ただの剣士として生きる。
これまでに歩んできた公爵令息としての人生は、アルセニオを殺すための踏み台に過ぎなかったのだから。
早々に去ろう。
そう思い立ち、ヴェルナーは足を動かした。
「おい」
耳慣れた呼び声がして足を止める。
ヴェルナーは振り返ることなく返事をした。
「……なんだ、エリヒオ」
嫌味たらしく、妙に甲高い義弟の声。
しかし今は少しだけ神妙な声色に聞こえた。
振り返らずともエリヒオがどんな顔をしているのか、ヴェルナーにはわかる。
きっと鼻の頭にしわを寄せ、憎しみを湛えているのだろう。
「どこへ行く。まだ学園の後処理が終わってないぞ」
「もう首謀者は消えた。あとはペートルスに任せておけば、万事上手くいく」
「そういう問題じゃない。お前もテュディス公爵家の一員として、立派に務めを果たせと言っているんだ。僕でさえ問題の対処に当たろうとしているんだぞ」
コツコツと靴の先で石畳を叩いて、エリヒオは文句を垂れた。
ヴェルナーの背を睨みつけて距離は縮めずに。
「すまない。俺は行くべきところがある。だが……嬉しく思う」
「はぁ?」
「エリヒオが自主的に誰かを助けようとするくらい、成長したことが嬉しい。名誉のためでも、虚栄心のためでもいい。義兄の俺が偉そうに何を……と思うかもしれんが、純粋にそう感じただけだ」
エリヒオは自分のことを嫌いだが、それでも身近に育ってきた相手だ。
だからヴェルナーは義弟の成長が嬉しかった。
わずかな進歩だとしても……義父を支える芽が育っている。
「ふん……僕は公爵令息だからな。迷える者を救う責務がある。だが、お前はどうした? こういうとき、お前はまっすぐに困っている人を救いにいくような奴だろう。こんなところで逃げ腰になって……気持ち悪いぞ」
「……そうだな。俺は逃げる。今まで正道を歩み、強さを求めてきたのは……そうする必要があったからだ。今はもう立派に、貴族の自覚を持って振る舞う必要はない」
ヴェルナーは歩みだした。
ニルフック学園の敷居をまたぐことはもうないだろう。
ただ一振り、アルセニオを斬った剣だけを携えて。
エリヒオは彼の後を追うことなく、ただ黙って立ち尽くしていた。
義兄がどうするつもりなのか、何も事情を知らないが。
どことなく尋常ならざる背景があることは察している。
もう二度と自分の目の前には現れないのではないかとも……薄々感じていた。
「勝手にしろ。でもな……ヴェルナー。たぶん、僕だけじゃテュディス公爵家は上手く回せない。父上の後釜に座るには、ちょっと器と知性が足りていないからな」
「…………」
「優秀な補佐役は欲しい。ついでに護衛してくれるくらいの実力があれば文句なしだな。心当たりがあれば、いつでもテュディス公爵家につれてこい」
「……ああ」
短く返事をしたヴェルナーの背がどんどん遠ざかる。
とうに彼はニルフック学園生徒の制服は着ていない。
声を出してももう届かない。
それくらい義兄が遠ざかったころ、エリヒオは小さくつぶやいた。
「……待ってるからな」
ペートルスから結末を聞いた剣術サロンの生徒たち。
彼らはみな複雑な表情を浮かべていた。
アルセニオが討たれたことはもちろん嬉しい。
だが、その一方でヴェルナーにほとんどの戦いを押しつけてしまったこと、自分たちがアルセニオに手も足も出なかったという事実は拭えない。
これまで復讐を誓って歩み続けてきた剣術サロンは、目的を失ってしまったのだ。
サロンの副長が代表して頭を下げる。
「何はともあれ……ありがとうございます。私たちを助けてくださったガスパル様に、事態の収束に向けて動いてくださっている皆さま。私たちも協力いたします」
「ありがとう。ただ……君たちは部屋で待機していてほしい」
ペートルスの一言に、剣術サロンの面々は首を傾げた。
そんな彼らに説明するようにペートルスは語る。
「一応、君たちは学園長の殺害を試みた危険人物だ。もちろんヴェルナーもね」
「……!」
「しかし君たちの今後に影響が出ることはないだろう。学園長が大きな罪を犯し、多くの被害者を生んでいたことは事実。後処理を終えるまでは大人しくしていてほしい……という意味だ。安心してくれ」
一瞬身構えた生徒たちだが、ペートルスの言葉を聞いて胸を撫で下ろす。
剣術サロンはアルセニオの被害者の集まりだ。
同情の余地は多分にあるし、実際に殺人を犯したのはヴェルナーただ一人。
後処理は面倒だが、帝国法においては生徒たちが罪に問われることはないだろう。
「しかし……サロン長はどちらに?」
「ヴェルナーの居場所はわからない。ただ、君たちには彼の帰りを待ってあげてほしい。アルセニオへの復讐という目的を失った君たちには、それが次の目標になるはずだ」
剣術サロンの生徒たちは神妙な面持ちでうなずいた。
彼らはヴェルナーを信頼している。
力への執着ばかりではない、力への尊敬だけではない。
一人の長としてヴェルナーを奉じていたのだから。
◇◇◇◇
ひとり学園の敷地から出たヴェルナー。
彼は外壁にもたれかかり、一通の手紙に目を通していた。
差出人は義父……テュディス公爵。
「……」
最後まで読み終えたヴェルナーは深く息を吐いた。
手紙を持つ手に力が入り、しわが紙面に刻まれる。
「まったく……わからんな、親父は。すべて見通していたのなら、どうして俺を止めなかった」
仮の息子とはいえ、侯爵を殺したことが露呈すれば家名に傷がつくだろうに。
手紙にはヴェルナーの復讐を肯定することと、それでもなお自分をテュディス公爵家の一員として認めることが書かれていた。
本当に甘すぎる義父だ。
感心を通り越して、ヴェルナーは呆れてしまった。
父としてはともかく、公爵としての在り方を間違えている。
罪を犯した子には然るべき罰を与えなければ、面目丸つぶれというもの。
「すまんな、親父。……俺はお前の名誉を汚すつもりはない」
ヴェルナーにとっての父はただ一人。
アラリル侯爵アルセニオではなく、テュディス公爵ベニグノだけだ。
血は繋がっていなくとも、彼を紛れもない父と認めている。
だからこそ自分がこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
今日を境に、ヴェルナーはニルフック学園から姿を消す。
貴族としての身分も捨て、ただの剣士として生きる。
これまでに歩んできた公爵令息としての人生は、アルセニオを殺すための踏み台に過ぎなかったのだから。
早々に去ろう。
そう思い立ち、ヴェルナーは足を動かした。
「おい」
耳慣れた呼び声がして足を止める。
ヴェルナーは振り返ることなく返事をした。
「……なんだ、エリヒオ」
嫌味たらしく、妙に甲高い義弟の声。
しかし今は少しだけ神妙な声色に聞こえた。
振り返らずともエリヒオがどんな顔をしているのか、ヴェルナーにはわかる。
きっと鼻の頭にしわを寄せ、憎しみを湛えているのだろう。
「どこへ行く。まだ学園の後処理が終わってないぞ」
「もう首謀者は消えた。あとはペートルスに任せておけば、万事上手くいく」
「そういう問題じゃない。お前もテュディス公爵家の一員として、立派に務めを果たせと言っているんだ。僕でさえ問題の対処に当たろうとしているんだぞ」
コツコツと靴の先で石畳を叩いて、エリヒオは文句を垂れた。
ヴェルナーの背を睨みつけて距離は縮めずに。
「すまない。俺は行くべきところがある。だが……嬉しく思う」
「はぁ?」
「エリヒオが自主的に誰かを助けようとするくらい、成長したことが嬉しい。名誉のためでも、虚栄心のためでもいい。義兄の俺が偉そうに何を……と思うかもしれんが、純粋にそう感じただけだ」
エリヒオは自分のことを嫌いだが、それでも身近に育ってきた相手だ。
だからヴェルナーは義弟の成長が嬉しかった。
わずかな進歩だとしても……義父を支える芽が育っている。
「ふん……僕は公爵令息だからな。迷える者を救う責務がある。だが、お前はどうした? こういうとき、お前はまっすぐに困っている人を救いにいくような奴だろう。こんなところで逃げ腰になって……気持ち悪いぞ」
「……そうだな。俺は逃げる。今まで正道を歩み、強さを求めてきたのは……そうする必要があったからだ。今はもう立派に、貴族の自覚を持って振る舞う必要はない」
ヴェルナーは歩みだした。
ニルフック学園の敷居をまたぐことはもうないだろう。
ただ一振り、アルセニオを斬った剣だけを携えて。
エリヒオは彼の後を追うことなく、ただ黙って立ち尽くしていた。
義兄がどうするつもりなのか、何も事情を知らないが。
どことなく尋常ならざる背景があることは察している。
もう二度と自分の目の前には現れないのではないかとも……薄々感じていた。
「勝手にしろ。でもな……ヴェルナー。たぶん、僕だけじゃテュディス公爵家は上手く回せない。父上の後釜に座るには、ちょっと器と知性が足りていないからな」
「…………」
「優秀な補佐役は欲しい。ついでに護衛してくれるくらいの実力があれば文句なしだな。心当たりがあれば、いつでもテュディス公爵家につれてこい」
「……ああ」
短く返事をしたヴェルナーの背がどんどん遠ざかる。
とうに彼はニルフック学園生徒の制服は着ていない。
声を出してももう届かない。
それくらい義兄が遠ざかったころ、エリヒオは小さくつぶやいた。
「……待ってるからな」
23
お気に入りに追加
115
あなたにおすすめの小説
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。
音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。
その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。
16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。
後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる