呪われ姫の絶唱

朝露ココア

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第10章 飢える剣士の復讐

ヴェルナー・ノーセナック

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すべてを失った俺は家を出た。
母が遺した手紙を頼りに、途方もない路を往く。

「奴さえ……いなければ……」

脳裏に焼きついたアルセニオの顔。
奴が憎い。
母さんは奴に殺されたんだ。

復讐してやる。
いつの日か、必ず――アルセニオを殺す。

報いを受けるその日まで。
首を洗って待っていろ。
牙を研ぎ、刃を磨き、絶対に。

「……テュディス公爵」

母の遺書には、テュディス公爵家に仕えている知人を頼るように記されていた。
見ず知らずの他人を頼るなんて気に食わない。
それに……俺のような怪しい子どもを迎えてくれるわけがない。

だが、利用できるものがあるならば。
アルセニオに復讐するために踏み台にできるものがあるならば。
俺はなんだろうと使ってやる。

 ◇◇◇◇

道で行き倒れていた俺を拾った男がいた。
その男こそ……テュディス公爵ベニグノ。
彼は泥塗れの俺をその手で拾い上げ、海辺の城に連れ込んだ。

母の遺書を読んでベニグノは神妙な面持ちを浮かべる。
遺書にはアルセニオに関することは書かれておらず、ただ自分の身が病で長くないことのみが記されていた。
だが……母さんを殺したのはアルセニオに違いない。

「君の母は、ウチの近衛兵の知己だったようだね。幼くして母を亡くして孤独に……さぞ大変だっただろう」

目元に皺を寄せて笑ったベニグノ。
その大きな手が俺の頭を撫でた。
こいつは……貴族なのに、泥塗れの俺を小汚いと思わないのだろうか。
奇特な奴だ。

「そうだね……まずはお風呂に入って、ご飯をたくさん食べて、よく寝てから話をしよう。君も疲れただろう?」

「……」

「あはは……さすがにまだ元気に話す気にはなれないよね。大丈夫、誰も君を責めたりはしない。今はゆっくり……傷を癒そう」


ベニグノが呼んだ従者に案内され、俺は浴室へ通される。
見たこともないくらい大きい浴室で、俺が住んでいた家よりも広い。
俺が戸惑っていると従者が屈みこんで服のボタンに手をかけてきた。

「体を綺麗にしましょう。ご主人様は仰せです。あなたを家族の一員として迎え入れるように……と」

「……」

俺にはわからない。
見ず知らずの薄汚い子どもに、ここまで親切にしてくれる理由が。
何か裏があるんじゃないかと。
疑心が募って止まない。

服を脱がされ、従者が俺の首飾りに手をかけようとする。
瞬間、俺は従者の手を跳ね除けた。

「っ……!」

「お、おや……どうかされましたか? もしやその首飾りに大切な思い出が?」

「母さんの……形見、だ」

返答を聞くと従者は柔らかく笑う。

「なるほど、それは失礼いたしました。でしたら……そちらの首飾りは常におそばに置いておきましょう。水に濡れないように注意してくださいませ」

本当に理解できなかったんだ。
この大人たちの優しさが。
アルセニオの無機質な感情を味わった直後だからこそ、素直にはなれなかった。



入浴し、豪勢な飯を食べて、眠って。
今までにないくらい快適な環境で過ごしても、俺の心は一向に晴れなかった。

テュディス公爵家にやってきた翌日。
俺はベニグノと向かい合っていた。

「ヴェルナー。調子はどうだい? 朝ごはんは美味しかったかな?」

「…………」

「ははっ、そうか。ウチの料理人の腕は帝国随一だからね! 気に入ってくれたら嬉しいな」

こちらが答えていないのに、ベニグノは明るく話し続ける。
これが大人なりの配慮だってことは、幼心にわかっていた。
親を喪ったばかりの俺を元気づけようとしてくれているのだと。

だが、俺がその配慮に答える必要はない。
考えるべきことは――アルセニオを殺すことだけだ。

「それで、驚かないで聞いてほしいんだけどね。君をウチの養子として迎えようかなって話になったんだ」

「……俺を?」

「お、話してくれたね! そう、君を。いやぁ……私にはエリヒオっていう一人息子がいるんだけどね。あの子だけだと少し不安だし、兄として仲良く育ってくれたらなって。もちろん強制はしない。ヴェルナーがウチの養子になってくれるのなら……っていう話さ」

もしも俺が公爵家の養子になれば、活動の幅がずっと広がる。
奴へ復讐を果たす機会もまた……手繰り寄せられるだろう。

「……なる」

ふたつ返事で了承した。
身分も権威もどうでもいいが、使えるものは使う。
今の俺が頼れるのはこの縁しかないのだから。

「おおっ、そうかそうか! じゃあ君は今から私の息子だ! ハハハッ、パパと呼んでくれてもいいんだよ!?」

「断る」

ベニグノは子どものようにはしゃぎだした。
いい歳した大人が何をしているんだか。

その後、俺は義弟のエリヒオを紹介され、テュディス公爵夫人や使用人たちとも顔を合わせた。
俺のことを気に入らない奴も多くいたみたいだが……それは仕方ない。
急に現れて公爵令息を名乗りだした小僧がいれば、嫌悪感を抱く者もいるだろう。

だが、周囲の抑圧や嫌悪など。
俺の憎悪の前にしてみれば泡沫のようなものだった。

 ◇◇◇◇

「……今日も棒振りかよ」

養子に入ってから約半年。
庭で訓練用の剣を振るう俺に、義弟のエリヒオが顔をしかめて寄ってきた。

「……」

「飽きないのか、それ」

「……あぁ」

「お前……ちょっと変だぞ」

知っている。
エリヒオの嫌悪はもっともだ。
俺はアルセニオへの妄執に囚われ、それ以外のすべてが見えていない。

それでいい。
俺は復讐だけを愚直に貫き通し、生涯の終着点にするべきだ。

――強さを。
比類なき強さを、求め続ける。
必ずこの手で母さんの仇を討ってやる。

「お前はテュディス公爵家の養子になったんだ。領地経営に勉学、社交とか……やるべきことはいっぱいあるだろ。もう剣術は充分だ」

「エリヒオは……俺より領地経営も勉学も、成績が悪かったと思うが」

「うっ。そ、それは! お前のようなだらしない兄を持って、やる気が削がれているからだ!」

「そうか。すまんな」

口先だけの謝罪を告げ、鍛錬を再開する。
エリヒオは不服そうに庭の柱にもたれかかった。

 ◇◇◇◇

ある日。
俺は珍しく冷や汗をかいていた。

「……ない」

形見の首飾りが――ない。
母さんが身につけていた形見が……。
枕元に常に置いていたはずなのに。

咄嗟に私室の外へ飛び出す。
昨夜、浴場に置いてきてしまったのかもしれない。
部屋に持ち帰った記憶があるが、思い違いの可能性もある。

「そんなに急いでどうした?」

廊下を走る俺の前にエリヒオが立った。

「首飾りを知らないか。俺がいつも身につけているものだ」

「ああ。それならお前が寝てる間に、僕が捨ててやったぞ」

「は……?」

「アレがお前の過去を縛っているんだろう? 大切なものかもしれないがな、過去を捨てる決心も必要だぞ。誉れ高きテュディス公爵家の一員になったことを自覚し、これからは未来と向き合って……」

「貴様!」

掴みかかる。
エリヒオの憎たらしい顔面を睨みつけ、体ごと壁に叩きつけた。

「なっ……何をする! 放せ!」

「返せ、今すぐに! どこにやった!」

「も、もう商人に流した……返せない。なんだよ……そんなに首飾りが大事なら、また新しいのを父上に買ってもらえよ。そんなに怒らなくたって……」

あり得ない。
俺が持ち出した、母さんの唯一の形見だ。
勝手に人の所有物を捨てるなんて……こいつの倫理観はどうなっている!?

俺が茫然自失する間に、エリヒオは強引に手を振り払う。
奴は過呼吸になって俺を睨みつけた。

「これだから……平民上がりの養子は下品で困る。お前に暴力を振るわれたって、父上に言いつけてやるからな!」

「……好きにしろ」

俺はすぐに城を飛び出し、エリヒオが首飾りを売ったという商人の後を追った。
だがついぞ見つけることはできず。
俺は母さんとのつながりを失ってしまった。

それでも……胸の奥にわだかまる憎悪は消えない。
必ず、奴に報いを。
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