呪われ姫の絶唱

朝露ココア

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第9章 惑わぬ佯狂者の殉教

エルメンヒルデ=あしら

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ヒトの成長は早い。
出会ったときは幼子だったエルメンヒルデも、すでに少女と呼べる年頃となっていた。

肉体の成長に伴い、彼女の力もまた飛躍的に伸びていく。
巫女の力はすでに同年代に比肩する者はおらず、シュログリ教に秘匿された神秘のほぼすべてを身につけたという。

周囲の者や両親は、エルメンヒルデの覚醒を『天賦の才』と言う。
だが――違う。
彼女のソレは波濤の如く、とめどない妄執によって形作られている。

エルメンヒルデ・レビュティアーベの『神化』は止まるところを知らない。

「おはよう、あしら! 今日も巫女のお仕事だよ!」

ひと頃の朝。
エルメンヒルデは快活な声で私を迎えた。
契約を結んだ当初の内気な彼女はもうおらず、時の流れに漂白された。

『元気にしていた方が他人に喜んでもらえる』という学習をしたのだろう。
これもまた一種の『万能への道程』に違いない。

『向ウ処ハ 如何ニ続ク』

「今回はね、疫病が流行った村に向かうよ。ま、疫病なんてエルンの巫女の力があれば一瞬で治せちゃうよね!」

エルメンヒルデは次期巫女長として、かつ辺境伯令嬢として、悩める人々を救う修験に出ていた。
一日たりとも休まず人々に尽くし、今はその名声を各地に広めている最中。
驚異的な彼女の力は、諸侯を驚愕させるには充分すぎた。
今回の疫病も難なく殲滅できるだろう。

「ほら、行くよ行くよ! 絡繰出して!」

『了』

私は手ずから絡繰を創り出す。
忙しき主の助けとなるため、移動の際は私が作る絡繰を使う。
鳥を模した空中飛行型の絡繰である。

絡繰に乗り込むと、エルメンヒルデは不服そうに息を漏らした。

「はぁ……なんで巫術で飛べないんだろう。神様なら空くらい普通に飛べるのにな」

『……』

「いっそ新しく空を飛べる巫術を作っちゃおうかな? なんとなくできそうな気がするんだよねぇ」

彼女のすべての原動力、それは神の模倣に通ず。
神の代理たる口寄せ巫女ならばかくあるべき……と常に万能を目指している。
幼少期からひたすら親に教育を叩き込まれた結果だろう。
神の代理人以外に、存在の仕方がわからないのだ。

「さ、行こうか」

翼を伸ばし、絡繰が動きだす。
アナト辺境伯領は広大ながらも、空を飛べば目的地の村まではすぐに着く。

風を受けて虚空を見つめていたエルメンヒルデ。
飛行の最中、彼女は何かに気づいたように顔を上げた。

「……声。あしら、止めて!」

言われるがまま絡繰を停止させる。
エルメンヒルデは即座に絡繰から飛び降りていった。

『……』

即座に後を追い降下する。
この高さから落下すれば無傷では済まないが……そこは我が主。
結界の術によりすべての衝撃を消した。

エルメンヒルデの視線の先、そこには巨大な熊とひとりの少年がいた。
ヒトが野生動物に襲われているらしい。
エルメンヒルデはすかさず炎を迸らせ、熊を焼き殺した。

「……天誅。そこの男の子、無事かな?」

「あ……だ、誰か助けてくれたの……?」

血だまりの中に沈む少年。
彼は困惑し、そして苦痛に顔を歪めながら天を仰いだ。

目がない。
爪牙に眼球を裂かれ、視力を失っているようだ。
そして片足も熊に食われている。

「もう大丈夫。神の使いたる、シュログリ教の巫女が救いにきましたよ」

優しい声色でエルメンヒルデは語りかける。
彼女は少年の片足に力を籠め、治癒の巫術を発動する。
一瞬のうちに少年の傷口は塞がり、足が再生していく。

普通の治癒魔術ではここまで急速に再生させることはできない。
これもまた、彼女の卓越した手腕が為せる技だろう。

「次は目……だけど。あしら、これって……」

『創痍之双眸ハ 治ス能ハズ』

「そうだよねぇ……無血管組織と網膜の修復が同時にできない巫術だと、眼球の修復は難しいか。どうしようかなぁ」

人を救うのは巫女の仕事のうちのひとつ。
だが、救えないものもある。
命が助かっただけマシだと思い、少年の視力回復は諦めるしかないだろう。

私がそう考えたとき、エルメンヒルデはパンと手を打った。

「――そうだ! あの巫術を使おう。あしら、眼球って絡繰で作れる?」

彼女の問いに私は面食らった。
まさか絡繰の眼球を少年の目に仕込むつもりだろうか。
作れないことはないが、懸念される事項はいくつもある。

第一に、人間の肉体に適合するかは不明なこと。
人間に対して体の組織を作って提供したことがないのだ。

第二に、少年の目を絡繰にしてしまうと、その事実が広まって騒ぎになる可能性があること。
私の権能は、私にしか使いこなせない。
絡繰の技術を見た科学者が、謎の技術に腰を抜かすことになるかもしれない。

それらの懸念をエルメンヒルデに伝えると、彼女は問題ないと言い放った。

「大丈夫! とりあえず、あしらは目玉作って待っててねぇ」

私が眼球の創造を始めると同時、少年の前に傅くエルメンヒルデ。
彼女は手を打ち合わせ、魔力を少年の眼窩に向けて術を諳んじた。

「巫術――『交換式・贄』」

ぐしょりと、歪な音が響いた。
エルメンヒルデの目元から噴出した血の奔流。
私はその光景を見て絶句する。

いつしか少年の顔には碧の瞳が戻り、光を取り戻していた。
だが……

「う、うわあぁっ!?」

彼は度を失ったように絶叫し、這う這うの体で走り去っていった。
当たり前の反応だ。
目前に眼球のない、血まみれの少女が屈みこんでいたのだから。

「お、元気に走っていったね! もう足はしっかり動かせるみたい。よかったよかった」

『……何故』

エルメンヒルデが発動した術式。
それは等価交換の巫術だ。
自身の肉体を代償とし……相手の肉体を再生させる禁忌に近い秘術。
彼女は一切の躊躇いを見せず、己の両の眼を差し出した。

「あしらー、眼球嵌めてよ。このままじゃ何も見えないよー?」

『…………』

気が進まぬまま、エルメンヒルデに絡繰の眼球を埋め込む。
可能な限りヒトの肉体に適合するように作ったが……どうだろうか。
眼球を嵌められた彼女は、周囲を見渡して何度も瞬きした。

「お……おおっ!? すごい、さっきよりも綺麗に見えるよ! しかも拡大・縮小もできるし……魔力の流れも見えやすい! すごいじゃん、あしら!」

主は喜んでいる。
喜んでいるが……そうではない。
私は到底、彼女と喜悦を共有する気持ちにはなれなかった。
眼球が適合したのは不幸中の幸いだが、何よりも恐ろしいのは。

『何故湮滅 己之双眸』

「なんでって……困った人を助けるのは当然でしょ? 『神様ならそうする』よ?」

人倫を知らぬ私でさえ断言できる。
この少女はおかしい、狂っている。
まさしくヒトならざる、神の代理であると言えよう。

「さ、人を救ったことだし。疫病が流行ってる村もちゃちゃっと救っちゃおう!」

もう矯正はできない。
私と出会った瞬間、すでにエルメンヒルデは狂っていたのだ。

 ◇◇◇◇

惨劇はそれから後、しばらくして訪れた。
私は召喚を受け、エルメンヒルデのもとに舞い降りた。
そこに佇んでいたのは――返り血に染まった彼女と、床に倒れる彼女の母親だった。

「あしら、来てくれたんだ。ちょっと相談したいことがあってね」

常変わらぬ様子でエルメンヒルデは笑う。
彼女は足元で転がる母親を見て、シュログリ教式の祈りを捧げた。

「お母様がね、もうこんな活動はやめなさい……って。変なことを言ってきたの。働きすぎだとか、最近のあなたはおかしいとか」

『……』

「でも休んだりしてたら万能には近づけないし、まだまだ至らない。変だよね……お母様は巫女長を育ててる自覚が足りないんじゃないかって、そう言ったら怒られた」

『問然レバ 弑逆之母』

「そうそう、邪魔だし消した方がいいと思ったんだ。お母様の言う通りにしてたら、シュログリ教はますます衰退していく。焔神様が失望されて、姿を見せなくなってるんだから。優秀な巫女がいないからだよ」

シュログリ教の発展のために必要な犠牲だ。
もはや私も主の暴挙を猜疑することはなくなっていた。
一度は服従を誓い、命を捧げた身。
どこまでも随身する腹積もりだ。

「あしら。これ、絡繰にできる? 事故死に見せかけることもできるけど、社交のことを考えると母親はまだいてくれた方がいいと思うんだよねぇ」

『是 自律行動式 創出絡繰人身』

「おっ、さすがー! あしらの絡繰は精巧だからバレないと思うけど、バレたらそのときはそのとき。『必要なこと』をしようね」

倫理など初めからなかった。
我らはシュログリ教のため、ヒトのため、神の代理として駆動し続ける。

「っ……」

エルメンヒルデが飛び跳ねた瞬間、彼女は足をふらつかせた。
咄嗟に魔力で支える。
彼女は照れくさそうに笑った。

「あはは……ちょっと働きすぎかな? もう……いっそ体が全部あしらの作った絡繰なら、疲労とか感じないのに!」

その後、すぐに彼女は巫女の仕事に向かっていった。

 ◇◇◇◇

いくら神を目指しても、結句ヒトの子に過ぎなかったのだ。

『…………』

ある日の朝、エルメンヒルデは冷たくなっていた。
心臓は止まっている。
これがヒトの死だ。


過労死。
それが我が主の死因だった。
万能を目指し続けた異端の少女は、志半ばで呆気なく死んだ。

たとえ私を傅かせても、圧倒的な力を有していても。
ヒトの身である限り、肉の器である限り、死からは逃れられない。

『エルメンヒルデ』

名を呼ぶ。返事はない。
彼女の骸を見下ろして、私は筆舌に尽くしがたい感覚を覚えた。

そうか。
これが――喪失か。

ヒトの心など生涯解せぬつもりだった。
理解するつもりも、寄り添うつもりもなかった。

だが……私はいつしか、エルメンヒルデを大切な友として認識していたのだ。

『混乱 壊 不解 喪失 不可逆』

魂が叫びを上げている。
またしても悪霊に戻ってしまいそうだった。
私、私は……彼女のために何かしてあげられただろうか。

『息吹ケ 音ヲ吐ケ!』

狂乱し、主の体にしがみついた。
霊体が彼女の肌をすり抜ける。
この身では……触れることすら叶わないのか。

あしら、あしら、あしら。
彼女がくれた名前。
彼女が歩んだ万能への奇跡、意志。

無為にしてなるものか。
ここで終わらせれば、終始シュログリ教のために生きた主が報われない。

『――転生魂魄 転成憑依 継承』

すかさず彼女の肉体に飛び込んだ。
霊体を馴染ませ、主を喪った器を満たす。


私がエルメンヒルデ・レビュティアーベを継ぐ。
大丈夫、まだ誰にも彼女の死は伝わっていない。
シュログリ教のためを思えば……これが最適解だ。
神の代理人はまだ途絶えてはいない。


だって、

「――彼女カミサマならそうする」
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