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第9章 惑わぬ佯狂者の殉教
残された時間
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今日も今日とてクラスNの講義だ。
生徒が全員集まったことを確認し、ペートルスが切り出す。
「今日の講義を始めようか。発表担当は……ヴェルナーだったかな?」
「ああ」
短く返事をし、ヴェルナーが立ち上がる。
彼は手慣れた様子で黒板に文字を書き、研究の要点をまとめていく。
ヴェルナーの特殊な力は『魔力がないこと』。
魔力がないにも拘わらず、謎の魔術が使えるのだ。
「……前回の発表では、俺の魔術と相似した現象について述べた。今日の発表でも引き続き、別の伝承について紹介する」
三年生にもなると、研究はかなり煮詰まってくる。
魔力の波動を調べるとか、高名な魔術師に見てもらうとか……そういう基礎的な領域はとうに過ぎ去って。
それでもなお正体が明らかにならないので、ヴェルナーは伝承の類を探るしかない現状に陥っていた。
しかし、ノーラは肝心のヴェルナーの魔術を見たことがない。
本人が頑として披露を拒絶するのだ。
おかげで『こんな感じの魔術』という漠然としたイメージしか湧いていない。
「例に漏れず、『黒き術』に関連する文献を調べてきた。今回発表するのは『影の精霊』の伝承だ」
曰く、ヴェルナーの魔術は『黒い』という。
黒くて、しなやかに伸びて、魔術と同じ波動が観測される。
……という情報だけ、クラスNの生徒たちは知っており、実物は見たことがない。
ヴェルナーが語った単語に、フリッツが反応を見せる。
「『影の精霊』……聞いたことがあります。どこかの地域に伝わる民話だったかと」
「書物によれば……影の精霊使いはその名の通り、影の精霊術を使いこなしたそうだ。俺の術と同じものかはわからんが、文献を読み漁ってきた」
「でもよ、ヴェル先のソレは魔術に分類されるんだろ? 精霊術じゃないなら、こんな伝承を漁っても意味ないだろうよ」
「すでに影魔術から闇魔術、呪術に至るまで可能性は模索した。俺としても意味のない研究だとは思うが……案外手がかりになる情報があるかもしれん」
マインラートの指摘にヴェルナーは歯切れ悪く答えた。
自分の研究が煮詰まり、あらぬ方向へ突き進んでいることは自覚している。
しかし三年間にもわたる研究の中で、思いつく限りの研究はあらかた着手してしまった。
「それで? 今回は何か進展があったのかな?」
「……いや。この文献には、影の精霊術師が使った術も記されているが……どうにも俺のものとは性質が違うようだ。影の精霊術は日差しがあると使えなくなるそうだが、俺の魔術はどこでも使うことができる。結局、何も進展はなかった」
無表情にヴェルナーはかぶりを振った。
彼の様子を見て、ノーラは内心で思う。
ヴェルナーは研究に心底興味がないのではないか……と。
いつも彼はそうなのだ。
少しだけ関連がありそうな分野を調べて進展はなし。
これを毎回繰り返しているだけだ。
同じことをマインラートも感じているのか、ヴェルナーをからかうように言った。
「どうせさ、ヴェル先はやる気がないんだろ? 俺は一度だってあんたの魔術を見せられたことがないし、本気で自分の力を解明したいなら、もっと協力的なはずだ。もう今日の講義は終わりにしようぜ」
「……俺は自らの意志でニルフック学園に入学し、クラスNに入ったのだ。少なくとも貴様よりは研究に向き合っている」
「ヴェルナーの言う通りだよ、マインラート。人が熱心に研究しているのに、からかうものじゃない」
ペートルスから叱責が飛ぶ。
注意を受けたマインラートは鼻を鳴らして黙り込んでしまう。
ヴェルナーが研究に消極的という意見においては、ノーラも同意見なのだが。
ペートルスの視点では、ヴェルナーが熱心に見えているのだろうか。
三年生は見えている次元が違うのかも。
「チッ……とにかく俺が発表できることは、これがすべてだ。次回は別の資料を探してこよう」
早々に終わってしまった講義。
気まずい雰囲気が漂う中、先導してくれるのはいつもペートルスだ。
「次回……とは言っても、ヴェルナーの発表はしばらく先になるね。一年生の発表が終わったら、冬休みに入るから」
再来週から冬休み。
そろそろ生徒たちも帰省の準備を始めるころだ。
ノーラは自宅に義母がいるため帰省できないのだが……。
フリッツは言葉の節に寂しさを滲ませて呟いた。
「ペートルス卿とヴェルナー先輩の発表も、残すところ数回ですね」
「そうだね。卒業論文もそろそろ完成させないと。ヴェルナーは順調に進んでいるかな?」
「俺の心配は不要だ。お前は自分の論文に集中しろ。執筆作業をしている姿を一度も見たことがないぞ」
クラスNに所属する生徒は、卒業時にこれまでの研究成果を論文として出すことになっている。
ノーラはあと二年も先のこと……と楽観視しているが、二年生の顔は若干強張っていた。
「もうすぐペートルス様とヴェルナー様が卒業……そしてわたしたちも先輩になるのか。早いなぁ……」
独り言ちたノーラに対して、隣のエルメンヒルデが声を上げる。
「このメンバーでいられるのも残りわずか。そう考えると、思い出とか作っておきたくない? ノーラちゃん?」
「ん……まあ、そうだね。冬休みの間に何かできたらいいけど」
ペートルスとの思い出は秋に作った。
だが、その他の先輩との思い出は作っていない。
せっかくだから六人全員で何かしたいものだ。
ノーラの返答を聞いたエルメンヒルデは勢いよく立ち上がった。
「うんうん、できたらいいよね!? というわけで……クラスNのみんなを、シュログリ教の神楽に招待するよ!」
生徒が全員集まったことを確認し、ペートルスが切り出す。
「今日の講義を始めようか。発表担当は……ヴェルナーだったかな?」
「ああ」
短く返事をし、ヴェルナーが立ち上がる。
彼は手慣れた様子で黒板に文字を書き、研究の要点をまとめていく。
ヴェルナーの特殊な力は『魔力がないこと』。
魔力がないにも拘わらず、謎の魔術が使えるのだ。
「……前回の発表では、俺の魔術と相似した現象について述べた。今日の発表でも引き続き、別の伝承について紹介する」
三年生にもなると、研究はかなり煮詰まってくる。
魔力の波動を調べるとか、高名な魔術師に見てもらうとか……そういう基礎的な領域はとうに過ぎ去って。
それでもなお正体が明らかにならないので、ヴェルナーは伝承の類を探るしかない現状に陥っていた。
しかし、ノーラは肝心のヴェルナーの魔術を見たことがない。
本人が頑として披露を拒絶するのだ。
おかげで『こんな感じの魔術』という漠然としたイメージしか湧いていない。
「例に漏れず、『黒き術』に関連する文献を調べてきた。今回発表するのは『影の精霊』の伝承だ」
曰く、ヴェルナーの魔術は『黒い』という。
黒くて、しなやかに伸びて、魔術と同じ波動が観測される。
……という情報だけ、クラスNの生徒たちは知っており、実物は見たことがない。
ヴェルナーが語った単語に、フリッツが反応を見せる。
「『影の精霊』……聞いたことがあります。どこかの地域に伝わる民話だったかと」
「書物によれば……影の精霊使いはその名の通り、影の精霊術を使いこなしたそうだ。俺の術と同じものかはわからんが、文献を読み漁ってきた」
「でもよ、ヴェル先のソレは魔術に分類されるんだろ? 精霊術じゃないなら、こんな伝承を漁っても意味ないだろうよ」
「すでに影魔術から闇魔術、呪術に至るまで可能性は模索した。俺としても意味のない研究だとは思うが……案外手がかりになる情報があるかもしれん」
マインラートの指摘にヴェルナーは歯切れ悪く答えた。
自分の研究が煮詰まり、あらぬ方向へ突き進んでいることは自覚している。
しかし三年間にもわたる研究の中で、思いつく限りの研究はあらかた着手してしまった。
「それで? 今回は何か進展があったのかな?」
「……いや。この文献には、影の精霊術師が使った術も記されているが……どうにも俺のものとは性質が違うようだ。影の精霊術は日差しがあると使えなくなるそうだが、俺の魔術はどこでも使うことができる。結局、何も進展はなかった」
無表情にヴェルナーはかぶりを振った。
彼の様子を見て、ノーラは内心で思う。
ヴェルナーは研究に心底興味がないのではないか……と。
いつも彼はそうなのだ。
少しだけ関連がありそうな分野を調べて進展はなし。
これを毎回繰り返しているだけだ。
同じことをマインラートも感じているのか、ヴェルナーをからかうように言った。
「どうせさ、ヴェル先はやる気がないんだろ? 俺は一度だってあんたの魔術を見せられたことがないし、本気で自分の力を解明したいなら、もっと協力的なはずだ。もう今日の講義は終わりにしようぜ」
「……俺は自らの意志でニルフック学園に入学し、クラスNに入ったのだ。少なくとも貴様よりは研究に向き合っている」
「ヴェルナーの言う通りだよ、マインラート。人が熱心に研究しているのに、からかうものじゃない」
ペートルスから叱責が飛ぶ。
注意を受けたマインラートは鼻を鳴らして黙り込んでしまう。
ヴェルナーが研究に消極的という意見においては、ノーラも同意見なのだが。
ペートルスの視点では、ヴェルナーが熱心に見えているのだろうか。
三年生は見えている次元が違うのかも。
「チッ……とにかく俺が発表できることは、これがすべてだ。次回は別の資料を探してこよう」
早々に終わってしまった講義。
気まずい雰囲気が漂う中、先導してくれるのはいつもペートルスだ。
「次回……とは言っても、ヴェルナーの発表はしばらく先になるね。一年生の発表が終わったら、冬休みに入るから」
再来週から冬休み。
そろそろ生徒たちも帰省の準備を始めるころだ。
ノーラは自宅に義母がいるため帰省できないのだが……。
フリッツは言葉の節に寂しさを滲ませて呟いた。
「ペートルス卿とヴェルナー先輩の発表も、残すところ数回ですね」
「そうだね。卒業論文もそろそろ完成させないと。ヴェルナーは順調に進んでいるかな?」
「俺の心配は不要だ。お前は自分の論文に集中しろ。執筆作業をしている姿を一度も見たことがないぞ」
クラスNに所属する生徒は、卒業時にこれまでの研究成果を論文として出すことになっている。
ノーラはあと二年も先のこと……と楽観視しているが、二年生の顔は若干強張っていた。
「もうすぐペートルス様とヴェルナー様が卒業……そしてわたしたちも先輩になるのか。早いなぁ……」
独り言ちたノーラに対して、隣のエルメンヒルデが声を上げる。
「このメンバーでいられるのも残りわずか。そう考えると、思い出とか作っておきたくない? ノーラちゃん?」
「ん……まあ、そうだね。冬休みの間に何かできたらいいけど」
ペートルスとの思い出は秋に作った。
だが、その他の先輩との思い出は作っていない。
せっかくだから六人全員で何かしたいものだ。
ノーラの返答を聞いたエルメンヒルデは勢いよく立ち上がった。
「うんうん、できたらいいよね!? というわけで……クラスNのみんなを、シュログリ教の神楽に招待するよ!」
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