74 / 216
第5章 留学生
緋色の貴公子
しおりを挟む
荒れに荒れた教室。
机はボロボロに斬り刻まれ、壁や天井は衝撃でへこんでいる。
ランドルフは強烈な目まいに耐え、崩れ落ちるように座った。
眼前には手足を縛られて倒れ伏す刺客。
激しい戦いの末、ランドルフは辛勝を収めた。
「まったく……この俺が刺客ごときに苦戦するとは。不意打ちしか能のない輩に、騎士として後れを取るなど……笑止千万」
彼は舌打ちしながら立ち上がろうとした。
しかし体に力が入らず、床の血に足を滑らせる。
全身を支配する虚脱感。
「毒か。毒が回りきる前に刺客を無力化できたのは幸いだが……」
深く息を吐く。
体の全身に魔力を巡らせ、毒の遅効を促すが……焼け石に水だろう。
この体ではまともに動けず、救援を呼べる見込みもない。
「……ここまでだな」
結論を下すのは早かった。
白く染まっていく視界、痺れて動かなくなる手足。
ランドルフは己の命終をすぐに悟った。
いまだ齢十六。
若くして死ぬにも程があるし、こんなところで死にたくはない。
「…………」
しかし死に方としては名誉な類だろう。
刺客に狙われていた令嬢を守り、騎士として立派な最期を迎えられるのだから。
落馬だの高血圧だので死ぬ無様な貴族よりはマシと言える。
自嘲しつつも己の功績を賞賛したランドルフは、再びゆっくりと瞼を持ち上げた。
そして近くに転がっていた騎士剣をなんとか引き寄せる。
重くて持ち上げることはできないが、せめて最後まで己のそばに。
「ヘルミーネ……すまない……」
惜しむらくは婚約者に顔を合わせられなかったこと。
最後に一度でいいから、愛しき人の顔を見たかった。
彼女を愛してやれる男なんて、自分しかいないだろうに。
ヘルミーネを遺して逝くのは不安だった。
だが生を望んでも、もはや命は尽きかけていて。
「…………」
ランドルフはゆっくりと瞳を閉じた。
これで終わりだ。
「――おい、大丈夫か!?」
不意に声がした。
ほとんどランドルフの意識は落ちかけていたが、聴覚だけはかろうじて生きている。
自分の体を何者かが抱える気配を感じ取る。
ランドルフは意識を落とした。
◇◇◇◇
ニルフック学園の外れに、立派な花園がある。
美しい景観と香りのよい花々。
高い生垣は他人の目を忍ぶにも役立ち、生徒同士の逢引にもよく利用される場所だ。
咲き誇る薔薇を眺めながら、一人の男が花園を歩いていた。
クラスBの担任教師、ソシモ――を騙る何者かが。
「おや、魔力反応が消えた。まさか一人の令嬢も始末できないとは……新人を過大評価していたようですね」
ランドルフに扮装していた刺客が無力化されたようだ。
せっかく標的を無人の教室まで誘導してやったというのに。
後進を育てる目的で新人の殺し屋を使ったが、仕損じたらしい。
「仕方ありませんねぇ。部下の尻ぬぐいをするのも上司の役目。ここは私が出ましょうか」
やれやれと嘆息し、ソシモ擬きはその場を離れようとした。
しかし咄嗟に足を止める。
こちらを値踏みするように眺める貴公子が見えたからだ。
ソシモ擬きは彼に近づくと、気だるげな調子で声をかけた。
「おーい、ペートルス・ウィガナック。ちょっといいかー?」
「ソシモ先生、ごきげんよう。何かご用でしょうか?」
「ノーラを探してんだ。夏休み前に教室の観葉植物を運ぶことになってて……ノーラがそれを手伝ってくれるんだけどな。あいつ、どこにもいやがらねー。さては逃げたか?」
「はは……では、代わりに僕がお手伝いしましょうか? すぐに終わるでしょうし」
「いやぁ……さすがにうちのクラスの仕事だしなー。三年生のお前にやらせるのは気が引けるわ。ま、あいつの場所がわかったなら教えてくれ」
片手を挙げてソシモ擬きはその場を去ろうとする。
偽装は完璧だ。
彼は一流の刺客として対象の情報を完璧に掴み、常日頃の態度も学習していた。
声色も合わせ、バレようがない……はずだったが。
「――どうしてもノーラを探したいようだね。部下が仕損じたから焦っているのかな?」
瞬間、ソシモ擬きが動いた。
目にも止まらぬ速さで懐から短刀を取り出し、ペートルスに投擲。
常人であれば防ぎようのない神業だった。
しかしペートルスはいとも容易く短刀を叩き落とした。
指先すら触れることなく、発生した衝撃波が刃先を打ち砕く。
「呪われ姫の飼い主……彼女を渡しなさい。命が惜しければね」
「誰の差し金かな? 皇帝派か、宗教派か……それとも公爵派かな?」
「……ふっ!」
言葉を交わす暇はない。
本性を現した刺客は、すかさずペートルスを屠るべく足を運んだ。
身を屈め、彼の懐に潜り込もうとした矢先。
謎の衝撃が刺客の身を吹き飛ばした。
耳をつんざく痛苦。
得体のしれない衝撃に刺客は宙を舞いながら顔をしかめた。
(これは……圧力波!)
魔術を使った素振りは見えなかった。
ペートルスの周囲に魔力はない。
そして指先ひとつ動かしていない。
何をしたのか。
刺客が瞬時に思考している隙に、ペートルスは動いていた。
その場から姿が消えている。
「どこに……!?」
背後から衝撃。
鋭い痛みが刺客の背を駆け抜ける。
自らの胸元から飛び出す銀色の刃先と鮮血。
「二手で決着か。及第点かな」
勢いよく胸を貫いたレイピアが引き抜かれる。
刺客は力なく地面に倒れた。
「い、いいのですか……私を、ここで殺しても。私を生かせば、雇い主の情報を……知れるかもしれませんよ?」
「いや、結構。プロの刺客は決して情報を吐かない。それは刺客を使う立場の僕が最もよく理解しているのでね。速やかに死んでいただこう」
ペートルスは躊躇なく刺客に止めを刺した。
何も身分を示すものを携行していないことを確認し、彼は嘆息する。
「……ノーラの居場所がバレたか。いまだ犯人は断定できていない。いったい誰が……?」
今回の一件と、イアリズ伯爵家での毒殺未遂を結びつけるのは安易だ。
あらゆる可能性を考慮し、対処に回らねばならない。
ノーラという存在はペートルスにとって失うことのできないものだった。
ゆえに彼女の命を狙う者は徹底的に排除する。
机はボロボロに斬り刻まれ、壁や天井は衝撃でへこんでいる。
ランドルフは強烈な目まいに耐え、崩れ落ちるように座った。
眼前には手足を縛られて倒れ伏す刺客。
激しい戦いの末、ランドルフは辛勝を収めた。
「まったく……この俺が刺客ごときに苦戦するとは。不意打ちしか能のない輩に、騎士として後れを取るなど……笑止千万」
彼は舌打ちしながら立ち上がろうとした。
しかし体に力が入らず、床の血に足を滑らせる。
全身を支配する虚脱感。
「毒か。毒が回りきる前に刺客を無力化できたのは幸いだが……」
深く息を吐く。
体の全身に魔力を巡らせ、毒の遅効を促すが……焼け石に水だろう。
この体ではまともに動けず、救援を呼べる見込みもない。
「……ここまでだな」
結論を下すのは早かった。
白く染まっていく視界、痺れて動かなくなる手足。
ランドルフは己の命終をすぐに悟った。
いまだ齢十六。
若くして死ぬにも程があるし、こんなところで死にたくはない。
「…………」
しかし死に方としては名誉な類だろう。
刺客に狙われていた令嬢を守り、騎士として立派な最期を迎えられるのだから。
落馬だの高血圧だので死ぬ無様な貴族よりはマシと言える。
自嘲しつつも己の功績を賞賛したランドルフは、再びゆっくりと瞼を持ち上げた。
そして近くに転がっていた騎士剣をなんとか引き寄せる。
重くて持ち上げることはできないが、せめて最後まで己のそばに。
「ヘルミーネ……すまない……」
惜しむらくは婚約者に顔を合わせられなかったこと。
最後に一度でいいから、愛しき人の顔を見たかった。
彼女を愛してやれる男なんて、自分しかいないだろうに。
ヘルミーネを遺して逝くのは不安だった。
だが生を望んでも、もはや命は尽きかけていて。
「…………」
ランドルフはゆっくりと瞳を閉じた。
これで終わりだ。
「――おい、大丈夫か!?」
不意に声がした。
ほとんどランドルフの意識は落ちかけていたが、聴覚だけはかろうじて生きている。
自分の体を何者かが抱える気配を感じ取る。
ランドルフは意識を落とした。
◇◇◇◇
ニルフック学園の外れに、立派な花園がある。
美しい景観と香りのよい花々。
高い生垣は他人の目を忍ぶにも役立ち、生徒同士の逢引にもよく利用される場所だ。
咲き誇る薔薇を眺めながら、一人の男が花園を歩いていた。
クラスBの担任教師、ソシモ――を騙る何者かが。
「おや、魔力反応が消えた。まさか一人の令嬢も始末できないとは……新人を過大評価していたようですね」
ランドルフに扮装していた刺客が無力化されたようだ。
せっかく標的を無人の教室まで誘導してやったというのに。
後進を育てる目的で新人の殺し屋を使ったが、仕損じたらしい。
「仕方ありませんねぇ。部下の尻ぬぐいをするのも上司の役目。ここは私が出ましょうか」
やれやれと嘆息し、ソシモ擬きはその場を離れようとした。
しかし咄嗟に足を止める。
こちらを値踏みするように眺める貴公子が見えたからだ。
ソシモ擬きは彼に近づくと、気だるげな調子で声をかけた。
「おーい、ペートルス・ウィガナック。ちょっといいかー?」
「ソシモ先生、ごきげんよう。何かご用でしょうか?」
「ノーラを探してんだ。夏休み前に教室の観葉植物を運ぶことになってて……ノーラがそれを手伝ってくれるんだけどな。あいつ、どこにもいやがらねー。さては逃げたか?」
「はは……では、代わりに僕がお手伝いしましょうか? すぐに終わるでしょうし」
「いやぁ……さすがにうちのクラスの仕事だしなー。三年生のお前にやらせるのは気が引けるわ。ま、あいつの場所がわかったなら教えてくれ」
片手を挙げてソシモ擬きはその場を去ろうとする。
偽装は完璧だ。
彼は一流の刺客として対象の情報を完璧に掴み、常日頃の態度も学習していた。
声色も合わせ、バレようがない……はずだったが。
「――どうしてもノーラを探したいようだね。部下が仕損じたから焦っているのかな?」
瞬間、ソシモ擬きが動いた。
目にも止まらぬ速さで懐から短刀を取り出し、ペートルスに投擲。
常人であれば防ぎようのない神業だった。
しかしペートルスはいとも容易く短刀を叩き落とした。
指先すら触れることなく、発生した衝撃波が刃先を打ち砕く。
「呪われ姫の飼い主……彼女を渡しなさい。命が惜しければね」
「誰の差し金かな? 皇帝派か、宗教派か……それとも公爵派かな?」
「……ふっ!」
言葉を交わす暇はない。
本性を現した刺客は、すかさずペートルスを屠るべく足を運んだ。
身を屈め、彼の懐に潜り込もうとした矢先。
謎の衝撃が刺客の身を吹き飛ばした。
耳をつんざく痛苦。
得体のしれない衝撃に刺客は宙を舞いながら顔をしかめた。
(これは……圧力波!)
魔術を使った素振りは見えなかった。
ペートルスの周囲に魔力はない。
そして指先ひとつ動かしていない。
何をしたのか。
刺客が瞬時に思考している隙に、ペートルスは動いていた。
その場から姿が消えている。
「どこに……!?」
背後から衝撃。
鋭い痛みが刺客の背を駆け抜ける。
自らの胸元から飛び出す銀色の刃先と鮮血。
「二手で決着か。及第点かな」
勢いよく胸を貫いたレイピアが引き抜かれる。
刺客は力なく地面に倒れた。
「い、いいのですか……私を、ここで殺しても。私を生かせば、雇い主の情報を……知れるかもしれませんよ?」
「いや、結構。プロの刺客は決して情報を吐かない。それは刺客を使う立場の僕が最もよく理解しているのでね。速やかに死んでいただこう」
ペートルスは躊躇なく刺客に止めを刺した。
何も身分を示すものを携行していないことを確認し、彼は嘆息する。
「……ノーラの居場所がバレたか。いまだ犯人は断定できていない。いったい誰が……?」
今回の一件と、イアリズ伯爵家での毒殺未遂を結びつけるのは安易だ。
あらゆる可能性を考慮し、対処に回らねばならない。
ノーラという存在はペートルスにとって失うことのできないものだった。
ゆえに彼女の命を狙う者は徹底的に排除する。
1
お気に入りに追加
115
あなたにおすすめの小説
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。
音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。
その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。
16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。
後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる