呪われ姫の絶唱

朝露ココア

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第1章 呪縛

ドレス選び

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ルートラ公爵、ヴァルター・イムルーク・グラン。
ここグラン帝国で皇帝に次ぐ権力を持つ重鎮。
当代皇帝の弟御にあたり、嫡男のペートルスは皇位の継承権をも有していた。

政務の手腕は豪気、あるいは悪辣。
近隣諸侯には権力を盾に容赦なく迫り、勢力の拡大を置く老獪……というのが社交界の認識である。
東方の大陸との交易路も独占し、その勢いは止まるところを知らない。

ペートルスの亡き両親に代わり、公爵は孫が学園を卒業するまで当主の座に居座るつもりだった。
場合によっては孫が卒業してもなお。

「――入れ」

「失礼します」

そんなルートラ公の私室に、ペートルスが訪れる。
部屋に入った彼は優雅に礼をして公爵に傅く。

「面を上げよ」

「はっ。久方ぶりにお爺様に拝謁賜り、幸甚の至りに存じます」

「御託はよい。何かしら用件があって来たのだろう。あの『呪われ姫』のことか?」

和気あいあいとした雰囲気を微塵も感じさせない、冷徹な空間だった。
公爵は淡々と、ペートルスは相も変わらず笑顔で。
二人の仮面は決して変わることはない。

「はい。イアリズ伯爵令嬢、エレオノーラ・アイラリティル様……彼女を公爵家に無断で招致したことに関して、まずはお詫びを」

「目論見は」

「彼女は実家の伯爵家で暗殺の憂き目に遭い、こちらに避難してきました。もちろんイアリズ伯爵の許諾は得ております。暗殺の犯人を突き止めるまで、公爵家で庇護させていただければと」

公爵は返答することなく地図を広げた。
皺の寄った彼の指先は地図をなぞり、ルートラ公爵領からイアリズ伯爵領へ。

「ふむ……恩を売っておくのも悪くないか。イアリズ伯爵、あやつは第一皇子派だが……上手く取り込めば駒にはなるであろう。しかし、件の『呪われ姫』を守ったところで恩となり得るか。守る価値がなければそれまでだ」

「暗殺を企てた者が何者か、突き止めればイアリズ伯爵に降り注ぐ火の粉を払うことにもなりましょう。お爺様のお手は煩わせません」

「よい、好きにせよ。ただし本分は忘れるな」

「ありがとうございます。必ずや」

利害が一致さえすればそれでいい。
公爵もペートルスも、ただ互いの利のために動いているに過ぎない。
表面的にはペートルスは公爵に尽くしているように振る舞っているが。

「しかし……暗殺か。あの女が始末しにかかったか……仕損じるとは奴らしい。ペートルスよ、よく『呪われ姫』の呪いを消すことができたな?」

「はっ。彼女の呪いはとある処置によって抑えております。今後は研究を進め、帝国の呪術の発展にも寄与できるかもしれません」

ペートルスはしかと公爵の言葉を聞いていた。
自分の祖父は暗殺の犯人に検討がついているらしい。
だが、尋ねたところで公爵が口を割ることはないだろう。

「あの令嬢も存外に使い道があるやもしれん。適当に飼いならしておけ」

「……承知しました」

ペートルスはわずかに俯き、口を真一文字に結んだ。

 ◇◇◇◇

赤、青、紫、緑。
エレオノーラの眼前にはたくさんの輝きが翻っていた。

「どれにすればいいんだよ……」

ドレス。
それは令嬢にとって必要不可欠、己を体現する社交界の武装である。
しかし彼女は引き籠りの半生を過ごしてきた身。
どのドレスがどういう役割を持ち、流行がどんなものか……まったく知らないのだ。

というか自分のような者がドレスを用意してもらっていいのだろうか。
明らかに新品だし、サイズも大まかに合わせられている。
歓待されすぎて若干の恐怖を覚え始めていた。

「わたし青いし青のドレスでいいかな。逆に赤とかどうよ? ペートルス様の好きな色ってなんだろう……」

「茶色ですね」

「へー……なんか意外。もっと派手派手でピカピカな色がお好みかと……」

……というか、いま誰が答えたのかな。
そう思い、エレオノーラはおずおずと首を後ろに回した。

「のわあっ!? だ、だっだだっだ、誰ですか?」

「失礼いたしました。この度エレオノーラ様の侍女を仰せつかりました、レオカディア・エックトミスと申します。何度ノックしてもお返事がないので、不躾ながら勝手に入室いたしました」

「あ、そうなんですか……すみません。耳が悪くてすみません。大変なご迷惑をおかけしました」

給仕服に身を包んだ小綺麗な女性。
濃い緑髪を伸ばした長身の侍女だ。
深々と頭を下げるエレオノーラに、レオカディアは戸惑い首を傾げた。

「謝る必要はございません。周囲の雑音が聞こえなくなるほど、ドレス選びに真摯に向き合われていたということでございます」

「ああ、物は言いようですね……」

「私はエレオノーラ様の侍女です。何なりとお申しつけください。敬語は必要ありませんし、謙遜される必要もございません」

「い、いいやっ……それはちょっときついです。あ、でも困ってることなら……ドレスをどれにすればいいのか、あんまりわからなくて……」

エレオノーラは言葉づかいが歪曲している。
だからこそ懇切丁寧に、相手に敬意をもって接する意識を崩してはならない。
下手したらとんでもない暴言が飛び出てしまう可能性もあるから。

つまり『ビクビクしていた方が楽』なのだ。
自分が本性から逃げ続けていることはわかっていたが、今すぐに臆病な態度を変えることはできない。

そういうわけで、彼女は衣装棚のドレスをレオカディアに押し付ける。

「これからお風呂に入るんですけど、どれに着替えればいいです、か」

「イブニングドレスですね。こちらの落ち着いた青のドレスはいかがでしょう? 黒地のものもお似合いです」

レオカディアが最初に提示した青いドレス。
個人的にこれが一番好みなデザインだ。
露出も少ないし、派手な装飾がついていない。

「あっ。じゃあこれにします。わたしは地味な色の方が似合ってますよね……本体も地味ですし」

「いいえ、落ち着いた色合いにこそ理性が宿るのです。派手なドレスも素敵ですが、それはかえって自信のなさを示しているとも言えるでしょう。さすがはエレオノーラ様、こちらを選ばれるとはすばらしいセンスです」

「い、いや……ドレスを選んだのはレオカディア様です。わたしは何も……」

「最終的に決定を下されたのはエレオノーラ様ですよ。貴族とはかくあるべき、臣下に案を仰ぎ遂行を決定されるものです。日常の細部に宿る選択も、それは間違いなくエレオノーラ様の判断によって揺れ動いているのです。聡明なドレスの選択でございました」

「フォローの鬼……すげえ」

どんな卑屈を垂れても、レオカディアならフォローしてくれる気がする。
ペートルスが彼女を侍女に選任した理由がわかった。
なんというか、接していてあまり苦しくないのだ。
この短時間でも『他の人よりも付き合いやすそう』という実感がわいた。

「じゃあ、お風呂に行ってきます」

「私ももちろん同行いたします」

「え、ええっ!? 一緒にお風呂に入るんですか!?」

「いえ、浴室の前でお待ちしております。主人の入浴中の警護、および湯浴み後の身支度をさせていただくのも侍女の役目ですから」

「あ、そうですか……そうですよね」

また恥を晒してしまった……。
普通の貴族の常識がエレオノーラにはわからない。
あまり余計な口は開かないようにしようと、彼女は再び思い直すのだった。
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