櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◇ 二章一話 切望の春 * 元治二年 一月

立場と志

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「先のお客様方は……いつも、ここが天子様の都であるということさえ、気にかけていない様子で……やはり、思想のある方々とは違うのだろうか、と……」

 嘆くようなとつとつとした言葉に、斎藤と沖田、愁介は自然と顔を見合わせた。

 それはそうだ。そもそも新選組や会津は日々、『思想を持っているからこそ狼藉を働く者達』を取り締まっているのである。むしろ今の都においては、無思想に暴れる相手を見かけるほうが、それはそれで平和なのかもしれないとすら思う。

 今日こんにちにおいてもそうだ。斎藤自身、散歩なんてして、一見正月からのんびりしているようではあるが……かと言って、実際は手放しで油断ができるほどの余裕があるわけでもなかった。

 新選組は正月明けすぐ、土佐勤王党の残党による大坂城乗っ取りを阻止した、などという手柄も立てていたし、昨年末までは幕府による長州征討もおこなわれていた。斎藤自身は当時、都での待機組であったため、諸事の渦中にはいなかったのだが――そんな斎藤でさえ感じるほど、やはり国の情勢は昨年までと変わらず落ち着かないままだ。

 長州征討に関しては結局、幕府と長州は直接の衝突がないままひとまずの和睦がなされたのだが――……聞くところによればその折、長州では内乱が発生し、攘夷派とそれに反する一派で武力衝突が起きていたともいう。

 今でこそ長州側も大人しくなっているが、内乱が起こる程度には長州国内が落ち着いていなかったわけで、いつまた過激派が動き出さないとも限らない。仮に国内が落ち着いたとして、国を抜ける浪士が増えれば、またそういった輩が都へ寄り集まってきて、昨年の池田屋の一件で露呈したような過激行動を目論む可能性も否めない。

 ――そんな諸事を考えれば、先の女の物言いは、随分と無知で平和呆けしたもののように思えた。

 が、同時に、自嘲も浮かんだ。それこそ昨年の今頃の斎藤ならば、置かれた立場に関わらず、今の女と変わらぬほど、あるいはそれ以上に国のあれそれに関心を持てずにいたのだから。それを思えば、斎藤自身、人のことをどうこう言えたものではない。

「……うーん。思想とか、関係ないと思いますよ。思想を持ってても、己の力を持て余して乱暴しちゃうような人も、いらっしゃるわけですし」

 沖田が、少し困ったような、苦みを含んだ笑みで答えた。

「まあ、そもそもオレ達だって、細かく言っちゃえば思想なんてバラバラだもんね」

 次いで愁介も苦笑いをこぼすと、女が驚いたように「えっ」と短い声を上げた。

「皆様、同じ新選組でいらっしゃるのに、ですか?」
「あ。オレは新選組隊士じゃない、ただの二人の友人みたいな感じなんですけど」

 愁介が曖昧に答えれば、女は「左様で……?」と困ったようにうなずいた。かと思えば、そのまま斎藤と沖田のほうへ視線を流してくる。

「同じ隊に属してるからって、全員がまったく同じ考えで動いていたら、それはそれで人間、怖くありません?」

 沖田は小さく身震いするように両手を上げ、おどけて答えた。

 斎藤も否定せず軽く肩をすくめると、女は「なるほど」と妙に納得したような声で独りつ。

「申し訳ありません、出過ぎたことをお訊ね致しました」

 深く頭を下げた女は、話している内にすっかり落ち着きを取り戻したのか、次に顔を上げた時にはそれまでよりしゃっきりと背筋を伸ばしていた。

「改めまして、此度はお助けくださり、まことにありがとう存じます」
「あ。落ち着いたなら、料亭まで送りましょうか?」

 愁介が気遣うように微笑みかける。

 ところが女は眉尻を下げ、ふるりと首を横に振った。

「お心遣い、大変ありがたく存じますが……店のご主人や女将さんに心配をかけたくないので……」
「ああ、一人でも大丈夫なら、気にしないでください。さっきの男達も、あれだけ全力で逃げといて、またすぐに出てくるってこともないだろうし……」
「そうですね。とはいえ、重々お気をつけて」

 愁介と沖田の声掛けに、改めて女は深々と頭を下げる。

「ご恩を伏せてしまう形となり、申し訳ありません。よろしければ是非、皆様で店にお立ち寄りくださいませ。それでは」

 女は丁寧に言って、そのまましっかりした足取りで踵を返していった。

 が、その背を軽く眺めた後、改めて斎藤は沖田、愁介と三人で視線を交わし合ってしまう。

「……お立ち寄りくださいって、店の名前も聞いてないけどね」

 愁介が小首をかしげて苦笑する。

 斎藤は「まあ、聞いたところでわざわざ店まで行くこともないでしょうが」と軽く肩をすくめた。すると沖田も女の背を横目に眺めやりながら、「何だか、不思議な人でしたねえ。色々と」と、さして興味もなさそうに、ただ苦笑して呟く。

 何となく狐にでもつままれたような気分で、斎藤は雪の踏み荒らされた濁った雪道に視線を落とした。
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