93 / 158
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
土方の青い時代
しおりを挟む
「まあ、お前が試衛館に来る前の話だったからな。相手ももう死んでやがるし」
「はあ……」
遅れて思考も働き始め、なるほど出会う前ならそういうこともあり得たのか、と納得する。加えて――同じ故人とは言え、土方と婚約を結ぶような相手なら、それは葛ではないな、というところにも考えが至る。
土方は、今でこそ武士以上に武士足るべしと研鑽し落ち着いているが、斎藤が試衛館に厄介になり始めた頃は、まだ今ほど『武士』が板についていなかった。試衛館の食客として腹は据わっていたが、あの頃はまだ侍としての生き方や行動がどうこうというより、良くも悪くも百姓倅の商売人という気質が抜けていなかったのだ。世情が、国勢がどうという話よりも、季節季節の田畑の実りがどうとか、市井の需要がどうとか商売相手の顔色がどうとか……のほうが、流暢に話すくらいには。
試衛館で過ごす上では当然、それをどうこう言う者など誰一人としていなかったし、今となってはそんな過去も悪くない形で新選組の運営に活かされている。が、それはそれ。葛が絡むとなれば、さすがに話は別だった。
葛自身も身分を気にするような人間ではなかったが、それでも彼女は、どうあがいたって会津松平家の嫡子だった。幼かろうとも己の身の程を理解していたし、せざるを得ない立場だった。口約束であったとしても、百姓の出である土方と婚約など結べるはずもないし、彼女なら、そんな無責任な約束は交わさなかっただろう。
土方の言う『愁介に似ていた女』が、もし葛なら……なんてことも考えかけたが、さすがに飛躍しすぎたようだ――。
そう結論付けると、自然と肩から力が抜けていく。それがどういう感情によるものなのかは、よくわからなかった。
とりあえずひと息ついてから、斎藤は改めて問いを重ねた。
「その女性と愁介殿は……そんなに、似ているのですか」
「顔だけな」
土方は、またぞろ気味悪そうに鼻の頭にしわを寄せ、吐き捨てた。
「あいつは愁介と違って小柄だったし、仮に生きてたとしたって、あんなバカでかくなれるはずもねぇ。わかってんだ、あいつなわけねぇって。ただ……」
ひと呼吸を置いて、切れ長の目が伏せられる。土方の長いまつ毛が、頬にかすかな影を落とす。
「……顔の造りが同類っつーか、ほぼ同じっつーか。とにかく、どうしたって思い出す。別に昔の女なんざ引きずってるわけでもねぇが、単純に気色悪ィだろ、亡霊を目の前に据え置かれてるみたいでよ」
実に不本意そうに、ぼそぼそと言い募られた。
そういうことならば確かに、と同情の余地があって、斎藤はゆるくあごを引いた。何より、「違うと理解しているのに、どうにも重ねてしまう」という点においては、同情を通り越して理解できてしまうのだから、妙に気まずいような気持ちすら湧く。
どう返すべきか、少しばかり迷って――……
「……土方さんにも、そんな青い時代があったんですね」
「お前がこれまで俺をどう見てたのか、よぉーくわかったよ」
心底心外そうに呻かれたが、敢えて当たり障りなく感心することで、斎藤はこの話題を出してしまったことへの気まずさを誤魔化した。
「容赦してください。それこそ出会う前の話なら、仕方がないではないですか」
「よく言うぜ。俺が生まれて間もないガキの頃から、女ァ転がしてたとでも思ってんのか」
そんなわけねぇだろ、と棘のある物言いで返されたが、実際それもありそうだと思えてしまうのだから、どうしようもない。
つつ、と視線を泳がせれば、「お前な……」と今日一番の呆れた声を投げられる。
土方はふてくされた様子で背を丸め、あぐらをかいた膝に頬杖をついて半眼を寄越した。
「普段滅多に表に出さないくせに、こんな時だけあからさまな顔してんじゃねぇよ」
「ですが、もし永倉さんや藤堂さんがその許嫁のことをご存知なければ、似たような反応になると思いますよ」
「そん……――」
そんなはずはない、と言いたかったのだろう。しかし、結果としては否定しきれなかったらしい。今度は土方のほうが視線を泳がせて、口をつぐんだ。斎藤からすれば至極真面目な所感だったため、さもあろう。
不服そうに黙りこくってしまった土方にささやかな苦笑を返し、斎藤は「すみません」と改めて謝罪した。
「意図せずでしたが、結果として随分と踏み込んだことを伺ってしまいました」
「いや、まあ、それは別にいいんだが……斎藤」
土方は前傾していた姿勢を正し、ふと真っ直ぐに斎藤を見据えた。
「こっちも改めて訊いておきてぇんだが、お前、愁介をどう見てるんだ」
「はあ……」
遅れて思考も働き始め、なるほど出会う前ならそういうこともあり得たのか、と納得する。加えて――同じ故人とは言え、土方と婚約を結ぶような相手なら、それは葛ではないな、というところにも考えが至る。
土方は、今でこそ武士以上に武士足るべしと研鑽し落ち着いているが、斎藤が試衛館に厄介になり始めた頃は、まだ今ほど『武士』が板についていなかった。試衛館の食客として腹は据わっていたが、あの頃はまだ侍としての生き方や行動がどうこうというより、良くも悪くも百姓倅の商売人という気質が抜けていなかったのだ。世情が、国勢がどうという話よりも、季節季節の田畑の実りがどうとか、市井の需要がどうとか商売相手の顔色がどうとか……のほうが、流暢に話すくらいには。
試衛館で過ごす上では当然、それをどうこう言う者など誰一人としていなかったし、今となってはそんな過去も悪くない形で新選組の運営に活かされている。が、それはそれ。葛が絡むとなれば、さすがに話は別だった。
葛自身も身分を気にするような人間ではなかったが、それでも彼女は、どうあがいたって会津松平家の嫡子だった。幼かろうとも己の身の程を理解していたし、せざるを得ない立場だった。口約束であったとしても、百姓の出である土方と婚約など結べるはずもないし、彼女なら、そんな無責任な約束は交わさなかっただろう。
土方の言う『愁介に似ていた女』が、もし葛なら……なんてことも考えかけたが、さすがに飛躍しすぎたようだ――。
そう結論付けると、自然と肩から力が抜けていく。それがどういう感情によるものなのかは、よくわからなかった。
とりあえずひと息ついてから、斎藤は改めて問いを重ねた。
「その女性と愁介殿は……そんなに、似ているのですか」
「顔だけな」
土方は、またぞろ気味悪そうに鼻の頭にしわを寄せ、吐き捨てた。
「あいつは愁介と違って小柄だったし、仮に生きてたとしたって、あんなバカでかくなれるはずもねぇ。わかってんだ、あいつなわけねぇって。ただ……」
ひと呼吸を置いて、切れ長の目が伏せられる。土方の長いまつ毛が、頬にかすかな影を落とす。
「……顔の造りが同類っつーか、ほぼ同じっつーか。とにかく、どうしたって思い出す。別に昔の女なんざ引きずってるわけでもねぇが、単純に気色悪ィだろ、亡霊を目の前に据え置かれてるみたいでよ」
実に不本意そうに、ぼそぼそと言い募られた。
そういうことならば確かに、と同情の余地があって、斎藤はゆるくあごを引いた。何より、「違うと理解しているのに、どうにも重ねてしまう」という点においては、同情を通り越して理解できてしまうのだから、妙に気まずいような気持ちすら湧く。
どう返すべきか、少しばかり迷って――……
「……土方さんにも、そんな青い時代があったんですね」
「お前がこれまで俺をどう見てたのか、よぉーくわかったよ」
心底心外そうに呻かれたが、敢えて当たり障りなく感心することで、斎藤はこの話題を出してしまったことへの気まずさを誤魔化した。
「容赦してください。それこそ出会う前の話なら、仕方がないではないですか」
「よく言うぜ。俺が生まれて間もないガキの頃から、女ァ転がしてたとでも思ってんのか」
そんなわけねぇだろ、と棘のある物言いで返されたが、実際それもありそうだと思えてしまうのだから、どうしようもない。
つつ、と視線を泳がせれば、「お前な……」と今日一番の呆れた声を投げられる。
土方はふてくされた様子で背を丸め、あぐらをかいた膝に頬杖をついて半眼を寄越した。
「普段滅多に表に出さないくせに、こんな時だけあからさまな顔してんじゃねぇよ」
「ですが、もし永倉さんや藤堂さんがその許嫁のことをご存知なければ、似たような反応になると思いますよ」
「そん……――」
そんなはずはない、と言いたかったのだろう。しかし、結果としては否定しきれなかったらしい。今度は土方のほうが視線を泳がせて、口をつぐんだ。斎藤からすれば至極真面目な所感だったため、さもあろう。
不服そうに黙りこくってしまった土方にささやかな苦笑を返し、斎藤は「すみません」と改めて謝罪した。
「意図せずでしたが、結果として随分と踏み込んだことを伺ってしまいました」
「いや、まあ、それは別にいいんだが……斎藤」
土方は前傾していた姿勢を正し、ふと真っ直ぐに斎藤を見据えた。
「こっちも改めて訊いておきてぇんだが、お前、愁介をどう見てるんだ」
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
北海帝国の秘密
尾瀬 有得
歴史・時代
十一世紀初頭。
幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。
ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。
それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。
本物のクヌートはどうしたのか?
なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?
そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?
トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。
それは決して他言のできない歴史の裏側。
架空世紀「30サンチ砲大和」―― 一二インチの牙を持つレバイアサン達 ――
葉山宗次郎
歴史・時代
1936年英国の涙ぐましい外交努力と
戦艦
主砲一二インチ以下、基準排水量五万トン以下とする
などの変態的条項付与により第二次ロンドン海軍軍縮条約が日米英仏伊五カ国によって締結された世界。
世界は一時平和を享受できた。
だが、残念なことに史実通りに第二次世界大戦は勃発。
各国は戦闘状態に入った。
だが、軍縮条約により歪になった戦艦達はそのツケを払わされることになった。
さらに条約締結の過程で英国は日本への条約締結の交換条件として第二次日英同盟を提示。日本が締結したため、第二次世界大戦へ39年、最初から参戦することに
そして条約により金剛代艦枠で早期建造された大和は英国の船団護衛のため北大西洋へ出撃した
だが、ドイツでは通商破壊戦に出動するべくビスマルクが出撃準備を行っていた。
もしも第二次ロンドン海軍軍縮条約が英国案に英国面をプラスして締結されその後も様々な事件や出来事に影響を与えたという設定の架空戦記
ここに出撃
(注意)
作者がツイッターでフォローさんのコメントにインスピレーションが湧き出し妄想垂れ流しで出来た架空戦記です
誤字脱字、設定不備などの誤りは全て作者に起因します
予めご了承ください。
桔梗の花咲く庭
岡智 みみか
歴史・時代
家の都合が優先される結婚において、理想なんてものは、あるわけないと分かってた。そんなものに夢見たことはない。だから恋などするものではないと、自分に言い聞かせてきた。叶う恋などないのなら、しなければいい。
戦国ニート~さくは弥三郎の天下一統の志を信じるか~
ちんぽまんこのお年頃
歴史・時代
戦国時代にもニートがいた!駄目人間・甲斐性無しの若殿・弥三郎の教育係に抜擢されたさく。ところが弥三郎は性的な欲求をさくにぶつけ・・・・。叱咤激励しながら弥三郎を鍛え上げるさく。廃嫡の話が持ち上がる中、迎える初陣。敵はこちらの2倍の大軍勢。絶体絶命の危機をさくと弥三郎は如何に乗り越えるのか。実在した戦国ニートのサクセスストーリー開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる