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◆ 一章六話 揺りの根 * 元治元年 八月
近藤への訴え
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凝華洞に到着すると、先に訪れた時とは違った応接用の十六畳間に通された。床の間や欄間、襖が絢爛に装飾されているが、それ以外の雰囲気は容保の私室とさして変わらず、やはり雅で少々甘ったるくて、実に京の都らしい趣がある。
上座には袴に着替えた容保がいて、下座の横手には、案の定、近藤が控えていた。
斎藤には想定できていたことだが、さすがの永倉でも近藤が待っていたことには驚いた様子だった。他の者も動揺を隠しきれず、互いの視線を交わし合っている。
「夜更けの呼び出しにも関わらずよく参った。まずは皆、こちらに座すと良い」
立ちっ放しになっていた面々に、容保は穏やかな声音で言葉をかけた。
永倉がはっとした様子でいの一番に動き、控えた場所で腰を下ろして即座に平伏した。それに倣って皆も永倉の後ろに控え、深く頭を下げる。
「会津中将様。此度は――」
「良い。そなたが永倉だな。皆も面を上げよ」
容保がやんわり制し、促す。
応じて顔を上げれば、斜め前に座る永倉の手が、緊張からかかすかに震えているのが窺えた。先に上げた声も、普段に比べればわずかに上ずっていたように思う。
斎藤から見ても常に落ち着きがある永倉の、ある意味『人らしい』姿だ。初めて目にしたような気がして、何故か――少し安堵した。
「皆からの訴状はしかと受け取った。しかし余の目から見て……そなたらは双方、まだ話し合いが足りておらぬと感じた次第だ。ゆえにこの場を設けた」
静かに告げられた言葉に、永倉が膝の上できゅっと拳を握り締める。隣に目をやると、原田や尾関なども同様で、それぞれの視線が言葉なく控えている近藤へ移された。
近藤は表情を引き締め、容保に一礼すると、威厳を保ちながらも神妙にこちらを見据える。
「皆、改めて近藤の前に進むが良い。周囲には人払いがしてある。気にせず、双方得心がいくまで話し合うと良い。余は立ち合いとしてそなたらを見守ろう」
過分なまでの恩情に、永倉が再び震える手を畳に添えて頭を下げた。皆も一礼して立ち上がると、全員、容保を上座に挟むような形で近藤と向かい合って座り直す。
「……場を設けて下さった会津様には、心より御礼申し上げます。お言葉に甘え、場をお借りして申し上げます」
小さな深呼吸を挟んだ後、永倉は臆さず率先して口を開いた。腹も据わったのか、震えも収まっている。声もいつも通り、高めながらも滞りなく通る芯のある響きに戻っていた。
容保が頷いたのを受け、永倉は改めて真っ直ぐ近藤を見据え、言った。
「俺は、近藤さんにはいつだって感謝してる。俺らを拾ってここまで引っ張ってきてくれた恩は、忘れたことなんて一度もない」
近藤は神妙にあごを引いた。しかしひとまずこちらの言い分を聞くつもりなのか、口は開かず黙している。
永倉は続けて、とうとうと訴えた。
「受けた恩は、常に行動で返してるつもりだ。返せてないなんて言わせる気はないし、それがわからないほどあんたは愚鈍じゃないはずだ。これまでそうして並び立ってきたはずだし、俺が望むのは今後も同じように並び立つことだ。
新選組は組織だし、組織にいる以上はあんたが頭だってわかってる。それは認めるし、あんた以外を頭になんて認めたくも望みたくもない。
でもその上で言いたいのが、俺らはあんたの手足なんだってことなんだよ。あんたと共に働く手足なんだ。それをあんたは、自分の手足に向かって『頭さえ満足してれば問題ない』って言えるのか? 先日、不公平を訴えた俺にあんたは『自分が局長なんだから』って言ったよな。なあ。頭さえ小綺麗なら手足は汚れて傷だらけでも、手当てもせずに放置していいと思ってる?
そうじゃないでしょ。そんなことしたら、手足なんかすぐ使い物にならなくなるって、わかんない? あんたが俺に言ったのは、そういうことなんだよ。それをわかってもらいたいんだ、俺は」
抑揚は落ち着いていたが、言葉にはかつて聞いたことがないほど熱が込もっていた。
「俺もいいか」と、そこで原田が口を挟む。
近藤の視線が移ると、原田は普段の豪快な明るさが嘘のように、低く静かに言った。
「俺ぁ新八みたいにわかりやすく言えねぇけどよ。とにかく、長年同じ釜の飯を食ってやってきたのに、急に膳を分けられたって意味わかんねぇんだよな。で、何が一番むかつくって、近藤さんがそれを何とも思ってなさそうなのが、まじに意味わかんなかったんだよ。はっきり言や、寂しくて腹が立った。土方さんや総司が言うならわかるんだぜ。でも、あんたがそれ言っちゃ駄目だろって思ったんだよ」
双方とも、やはりそれぞれの言葉に近藤への親愛が垣間見えた。
近藤が次いで斎藤に視線を移すので、斎藤は小さく頭を下げた。
「……私は言葉が上手くありません。ただ、申し上げたいことは永倉さんと原田さんがすべて言ってくださいました。同じ気持ちです」
「私もほぼ同じく……永倉さんが、余すことなく言葉にしてくださいました。今回は受け流せても、今後続けば、私自身が使い物にならなくなると、思った次第です」
同じように、尾関が斎藤よりも頭を低くして同調した。
島田も背筋を伸ばしたままぐっと平伏し、申し訳なさそうに、しかし太く軸のぶれない声で継ぐ。
「私や尾関は……永倉ほど近藤局長と親しくさせていただいているわけではございませんから、滅多なことは申し上げられません。それでも、永倉の言は間違っていないと感じるのです。今は良くても、組の今後を思えばこそ……何卒、お聞き届けいただきたい」
最後に葛山が背筋を伸ばし、神経質な声音をそのままに言った。
「近藤局長は、我々と同じ目線に立って、物事を判断してくださる方と感じていました。だからこそ、私は入隊を決め従いました。抑圧を受けたくて入隊したのではないのです。それだけです」
簡潔な言葉で、昼間のように出自がどうのとは口にしなかった。
が、やはり少しばかり棘を感じる。
上座には袴に着替えた容保がいて、下座の横手には、案の定、近藤が控えていた。
斎藤には想定できていたことだが、さすがの永倉でも近藤が待っていたことには驚いた様子だった。他の者も動揺を隠しきれず、互いの視線を交わし合っている。
「夜更けの呼び出しにも関わらずよく参った。まずは皆、こちらに座すと良い」
立ちっ放しになっていた面々に、容保は穏やかな声音で言葉をかけた。
永倉がはっとした様子でいの一番に動き、控えた場所で腰を下ろして即座に平伏した。それに倣って皆も永倉の後ろに控え、深く頭を下げる。
「会津中将様。此度は――」
「良い。そなたが永倉だな。皆も面を上げよ」
容保がやんわり制し、促す。
応じて顔を上げれば、斜め前に座る永倉の手が、緊張からかかすかに震えているのが窺えた。先に上げた声も、普段に比べればわずかに上ずっていたように思う。
斎藤から見ても常に落ち着きがある永倉の、ある意味『人らしい』姿だ。初めて目にしたような気がして、何故か――少し安堵した。
「皆からの訴状はしかと受け取った。しかし余の目から見て……そなたらは双方、まだ話し合いが足りておらぬと感じた次第だ。ゆえにこの場を設けた」
静かに告げられた言葉に、永倉が膝の上できゅっと拳を握り締める。隣に目をやると、原田や尾関なども同様で、それぞれの視線が言葉なく控えている近藤へ移された。
近藤は表情を引き締め、容保に一礼すると、威厳を保ちながらも神妙にこちらを見据える。
「皆、改めて近藤の前に進むが良い。周囲には人払いがしてある。気にせず、双方得心がいくまで話し合うと良い。余は立ち合いとしてそなたらを見守ろう」
過分なまでの恩情に、永倉が再び震える手を畳に添えて頭を下げた。皆も一礼して立ち上がると、全員、容保を上座に挟むような形で近藤と向かい合って座り直す。
「……場を設けて下さった会津様には、心より御礼申し上げます。お言葉に甘え、場をお借りして申し上げます」
小さな深呼吸を挟んだ後、永倉は臆さず率先して口を開いた。腹も据わったのか、震えも収まっている。声もいつも通り、高めながらも滞りなく通る芯のある響きに戻っていた。
容保が頷いたのを受け、永倉は改めて真っ直ぐ近藤を見据え、言った。
「俺は、近藤さんにはいつだって感謝してる。俺らを拾ってここまで引っ張ってきてくれた恩は、忘れたことなんて一度もない」
近藤は神妙にあごを引いた。しかしひとまずこちらの言い分を聞くつもりなのか、口は開かず黙している。
永倉は続けて、とうとうと訴えた。
「受けた恩は、常に行動で返してるつもりだ。返せてないなんて言わせる気はないし、それがわからないほどあんたは愚鈍じゃないはずだ。これまでそうして並び立ってきたはずだし、俺が望むのは今後も同じように並び立つことだ。
新選組は組織だし、組織にいる以上はあんたが頭だってわかってる。それは認めるし、あんた以外を頭になんて認めたくも望みたくもない。
でもその上で言いたいのが、俺らはあんたの手足なんだってことなんだよ。あんたと共に働く手足なんだ。それをあんたは、自分の手足に向かって『頭さえ満足してれば問題ない』って言えるのか? 先日、不公平を訴えた俺にあんたは『自分が局長なんだから』って言ったよな。なあ。頭さえ小綺麗なら手足は汚れて傷だらけでも、手当てもせずに放置していいと思ってる?
そうじゃないでしょ。そんなことしたら、手足なんかすぐ使い物にならなくなるって、わかんない? あんたが俺に言ったのは、そういうことなんだよ。それをわかってもらいたいんだ、俺は」
抑揚は落ち着いていたが、言葉にはかつて聞いたことがないほど熱が込もっていた。
「俺もいいか」と、そこで原田が口を挟む。
近藤の視線が移ると、原田は普段の豪快な明るさが嘘のように、低く静かに言った。
「俺ぁ新八みたいにわかりやすく言えねぇけどよ。とにかく、長年同じ釜の飯を食ってやってきたのに、急に膳を分けられたって意味わかんねぇんだよな。で、何が一番むかつくって、近藤さんがそれを何とも思ってなさそうなのが、まじに意味わかんなかったんだよ。はっきり言や、寂しくて腹が立った。土方さんや総司が言うならわかるんだぜ。でも、あんたがそれ言っちゃ駄目だろって思ったんだよ」
双方とも、やはりそれぞれの言葉に近藤への親愛が垣間見えた。
近藤が次いで斎藤に視線を移すので、斎藤は小さく頭を下げた。
「……私は言葉が上手くありません。ただ、申し上げたいことは永倉さんと原田さんがすべて言ってくださいました。同じ気持ちです」
「私もほぼ同じく……永倉さんが、余すことなく言葉にしてくださいました。今回は受け流せても、今後続けば、私自身が使い物にならなくなると、思った次第です」
同じように、尾関が斎藤よりも頭を低くして同調した。
島田も背筋を伸ばしたままぐっと平伏し、申し訳なさそうに、しかし太く軸のぶれない声で継ぐ。
「私や尾関は……永倉ほど近藤局長と親しくさせていただいているわけではございませんから、滅多なことは申し上げられません。それでも、永倉の言は間違っていないと感じるのです。今は良くても、組の今後を思えばこそ……何卒、お聞き届けいただきたい」
最後に葛山が背筋を伸ばし、神経質な声音をそのままに言った。
「近藤局長は、我々と同じ目線に立って、物事を判断してくださる方と感じていました。だからこそ、私は入隊を決め従いました。抑圧を受けたくて入隊したのではないのです。それだけです」
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