櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月

敵の撤退

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「――この方で最後ですかね!」

 不意に正面から駆けてきた男の手によって、まさに最後に残った一人の首が、見るも鮮やかに刎ね飛ばされた。

「げえっ、総司! 何でお前、突然現れておいしいとこ持ってくかな!」

 永倉の非難に、一つ空咳をした沖田が「えへへ」と笑いながら姿勢を正す。

「善良なる意思においての助太刀ですよぉ」
「善良なる意思とやらで綺麗に首を刎ねられたほうは、たまったもんじゃなかろうけどね」

 苦笑して、永倉は「南無」と片手でホトケを拝んだ。

「……ったく、突っ走って行きゃあがって」

 血刀を拭う沖田の後ろから、今度はそんなぼやきを漏らしながら土方が歩み寄ってくる。

 途端、平隊士達が慌てたように背筋を伸ばして一礼した。

「あれま、土方さん。九条河原の本陣にいるはずの副大将がどうしたのさ?」
「様子見がてら直々に伝令に来てやったんだよ、ありがたく思え」

 茶化す永倉に、土方はあごを上げて不遜に答えた。

 永倉は意地悪く口の端を引き上げて「ウチもまだまだ人手不足ってこったねぇ」と刀を鞘にしまう。

「それで、戦況は」

 斎藤が低く問うと、土方は静かに瞬いて表情を引き締めた。

「敵の本隊が天王山に退きやがった。新選組は後を追う。お前らもついて来い」

 有無を言わせぬ命令に、永倉は軽い調子で手を挙げて答える。

「あいよ、了解。近藤さんもそれ知ってるの?」
「まだだ。斎藤、伝令頼めるか。局長らは伏見稲荷関門への救援に行っている。程近くにいるはずだ」

 簡潔な指示に、特に不都合もないので「承知しました」と斎藤は頷いた。

「伝令だけなら、斎藤先生のお手をわずらわせずとも、我々が……」

 蟻通が名乗り出るが、土方は固く首を横に振る。

「街中にゃまだ残党が潜んでやがる。あちこちから火の手も上がってやがるし、今の状況じゃ斎藤が適任だ」
「私が行くって言ってるのに。近藤先生のところに行きたかったのに」
「まだ咳してやがる風邪っ引きが、我侭ァ抜かしてんじゃねぇよ」

 拗ねた声を出す沖田の頭を、土方は小気味良い音を鳴らして引っぱたいた。

 戦闘の間に乱れたのであろうぼんぼり髪が揺れ、沖田は一層不満げにむくれる。

「……では、行って参ります」

 どこか恨めしげな沖田の視線をこめかみで受け流しながら、斎藤は軽く頭を下げた。

 そうして土方の脇を通り抜けようとしたところで、

「……山南さんの様子が気になる」

 ぼそりと告げられ、斎藤は軽くあごを引いて心得た旨を示した。

 ところどころを火事に阻まれたが、途中で賊に出くわすこともなく斎藤は別隊を指揮する近藤と山南の元へ駆けつけた。

 御所の手前で賊を食い止めていた近藤達の戦況も、ほぼ片が付いたようだった。しきりに響いていた砲声も止んでいる。今や耳に触れるのは、小道の隙間から漏れ聞こえる残党狩りの喧騒のみとなっていた。

「そうか、本隊が天王山に……どうりで敵も少なかったはずだ」

 報告すると、近藤は煤や返り血で汚れた頬を荒々しく拭って納得の声を上げた。話を聞いてすぐ、伏見稲荷関門の総指揮をとっていた大垣の将に、山南が話を通しに行く。

「――近藤さん、残りは大垣兵のみで大丈夫だと。撤収の許可を得ました」

 駆け戻ってきた山南は、残暑のきつい戦場の中においても寒そうに見えるほどの青い顔で報告を上げた。声はしっかりしているが、なるほど、土方が気にかけていたのはこれだろうかと察する。

「……山南副長。本隊が逃げたとはいえ、後はもはや主戦力の欠いた残党の始末です。お先に屯所に引き上げられては」

 斎藤の進言に、山南はわずかに表情を強張らせた。

 しかし近藤もふむと相槌を打ち、「そうしてくれ、山南さん」と気遣わしげに眉尻を下げる。

 元より近藤も気にかけていたのだろう。どうやら山南は後ろで指示を飛ばしていたらしく、近藤とは違い、多少煤けてはいるものの目立った汚れもなかった。

「しかし、近藤さん……」
「大丈夫、斎藤くんの言う通り後は残党狩りだ。指揮は私とトシがいれば事足りるだろう」

 だから案ずることはない、と肩に手を置く近藤に、山南は一瞬、酷い苦痛を噛み締めるかのような顔をした。

 が、目の錯覚だったかと思うほど瞬時に表情を落ち着かせて、

「申し訳ありません……では、お言葉に甘えて」
「斎藤くん、山南さんをお送りしてくれ」
「承知しました」

 近藤に頭を下げた時、ふと斎藤の目に、山南の手が映り込んだ。

 爪を立てるように脇腹を押さえるその手に、わずかに血がついている。新選組の羽織が黒いため、手の下がどうなっているのかはわからないが――。

「……怪我を?」

 近藤に背を向けて歩き出したところで問いかけると、山南は小さく肩を揺らした。

「いや……大したことはないよ」
「まさか銃弾でも……」
「問題ないから!」

 伸ばしかけた手を遮るように、強く拒絶を示された。

 ――仮に銃弾をかすめたにしても、大した傷ではないな。

 腹から声を返されたことでそう判断し、斎藤は大人しく引き下がった。

 すまない、と山南が妙にか細く言ったが、斎藤は特に気に留めず「いえ」と平坦な声を返す。

「屯所に戻られましたら、手当てなさってください。……藤堂さんに叱られますよ」

 山南が驚いたように目を丸くして斎藤を見る。

 何となしに気まずさを感じ、斎藤はそれ以上何も言わず口をつぐんだ。

「……ありがとう、斎藤くん。良ければ、あの子に無茶しないようにと伝えてくれるかい」

 静かに告げられた言葉は、別段明るくはなかったものの、山南のことを語った藤堂の声音によく似ていた気がした。
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