櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月

禁門の戦

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 睨み合いが続いていた長州との戦の火蓋が切られたのは、それからおよそひと月後、七月の半ばを過ぎた頃だった。

 数日前まで人々が行き交い、生活をしていた大通りに、砂と煙がもうもうと舞っている。大砲の放たれる轟音と喚声、刀や槍のぶつかりあう甲高い音が入り乱れ、丸三日続いている戦に、それまで存在していた都の日常など忘却の彼方だった。

 雅さなど欠片もない、埃と硝煙、血と汗のにおいが、都中に充満している。

「……ッ! ああクソッ、かすった!」

 日暮れも程近い時刻、銃弾が飛び交う中、商家の陰に隠れて道向こうを確認しようとした永倉が大きく身をのけ反らせた。

大事だいじありませんか」

 すぐ後ろにいた斎藤が口早に問うと、永倉は誠の羽織を片肌脱ぎし、口と手を使って着物の袖を破きながら「問題もんらいねえれー」と頷き返す。

 斎藤は永倉の手を制し、手当てを代わった。診たところ、それなりに血は出ているが左腕ということもあり、刀を握るに不都合なさそうだった。

「ちぇ、面倒くせぇなぁ……」

 永倉は変わらず銃弾が飛んでくる大通りを、傍らの商家の出格子越しに覗き見た。斎藤が腕に布をきつく巻きつけている間に、口の中で相手の人数や地形をぶつぶつと確認して目を光らせる。

「――よし。斎藤、蟻通ありどおし宿院しゅくいん

 応急手当が終わると同時に、永倉が振り返る。永倉は斎藤とその背後に控えていた平隊士に声をかけ、淡々と指示を出した。

「ちょい遠回りして向かいの通りに行ってくれるか。敵の小隊は銃持ちで十人足らず、こっちは七人。あちらさんの弾切れを待ってもいいんだが、せっかくだしちょいと不意でも衝いてやりましょうや」
「本隊の様子も気になりますし、妥当ですね」

 斎藤が頷くと、池田屋の折、斎藤と共に土方隊に加わっていた蟻通が、至極真面目くさった顔で「永倉先生の仇討ちですね!」と意気込んだ。

「おい待て、死んでねぇよ!?」

 頓狂な永倉の言葉に、他の平隊士達が揃ってブッと息をふき出す。変わらず銃弾が飛び交い、遠くで砲声が鳴り響く中、この通りだけ張り詰めていた空気がわずかにゆるんだ。

 蟻通は慌てた様子で「ああっ、いえ、そういう意味でなく!」と手を振り回した。

「わかってるよ! この傷の仕返し、してくれるってんでしょ!」

 何度も頷く蟻通の肩を、永倉は「ありがとさん、よろしく頼むわ」と軽く叩く。

「……それじゃあ、斎藤」
「心得ました。向こうに回り次第、敵の側面を叩きますから……」
「おう。銃弾が止んだ一瞬で、俺らもここから飛んでくよ」

 互いの瞬き一つを合図とし、斎藤は蟻通と宿院を連れて小道を奥へ駆け抜けた。

「……戦況は、どうなっているのでしょう」

 道角の一つ一つで敵がいないかを確認しながら進んでいると、宿院がひそやかに呟いた。

「まず、こちらは負けない」
「言い切れてしまうのですか?」

 端的な斎藤の返しに、宿院は不思議そうに問い重ねる。

「俺達が日々、市中を巡回しているのはこういう時に地の利を得るためだ。俺達は今、迷わず目的地に疾走できているが、これまで一部の人間しか京に上らず、ろくに都を知らない長州兵が同じことをしようとしても、まず不可能だ」
「裏道は、地図には載ってませんものね!」

 蟻通が補足するように明るく言い、宿院が「なるほど」と納得の声を上げる。

「とは言え、街中に火付けでもされて焼け野原にされては後々面倒だ。負けぬからといって手を抜くより、さっさと終わらせたほうが都合はいい」

 言っている側から、遠くで火事と思われる煙が立ち上るのが視界の端に映った。同じくそれを目にした二人も、気を引き締めるように息を詰める。

 そうこうしている間に、先刻いた通りの、敵を挟んだ向かいの小道にたどり着いて、

「このまま突っ込むぞ!」

 気合い一刀、腰の獲物を抜刀しながら、斎藤達は永倉側に向けて銃を構えている長州兵隊に三人揃って斬りかかった。

 一番手前にいた兵が、ひあ、と引きつった悲鳴を漏らす。それが道いっぱいに響くより前に肩先から刃を振り下ろすと、粘質性の血が足元にぼたぼたと滴り落ちた。

「よっしゃァ、突っ込め!」

 永倉の声が清々しいほどよく通り、残りの隊士達と共に駆けつけてくる。十対七、勢いで圧倒した斎藤ら七人は、あっという間にその場を制し、

「――この方で最後ですかね!」

 不意に正面から駆けてきた男の手によって、まさに最後に残った一人の首が、見るも鮮やかに刎ね飛ばされた。
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