櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月

沖田と斎藤

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 張り詰めた空気が、十畳そこそこの板張りの道場に立ち込める。

 新選組が設立されて後、前川邸の米蔵の脇に建てられた真新しい道場は、しかし日々の男達の血汗が染みて、いくら掃除をしていても既に建設から数十年は経つかのような厳然たる佇まいになっている。

 六月も末にさしかかったある日の昼下がり。開け放たれたままの木戸と格子窓の隙間からは、まだまだ鳴き止む気配のない蝉の声と、変わらず湿り気を帯びた夏の空気が流れ込んでくる。

 そんな中、道場の中央――張り詰めた空気を発している当人である斎藤と沖田は、周りの空気も、音も何一つ気に留めることなく、ただひたすらに互いだけを睨み据えていた。

 既に対峙してどれほどの時が経っただろうか。

 他の隊士達は稽古の手を止め、固唾を飲んで二人を見守っている。

 斎藤は静かに瞬いて、下段に構えた木刀の先を小手先だけで揺らした。しかし正眼に構えて対峙している沖田は、誘いに乗らず未だ微動だにしない。

 首元にじわりと汗が滲む。

 けれど、それを不快に感じることはなかった。

 汗のべたつきも、やかましさも、暑さも、まるで他人事のようだ。

 感じられるのは沖田から差し向けられる射抜くような視線、そしてわずかでも気を抜けば刺し貫かれるだろうという緊張感のみ。

 心地良いと思う。

 ――手に持つものが木刀でなく、真剣であれば良かったのに。

 考えた瞬間、斎藤は長い静止を打ち破り大きく足を踏み出した。低く構えていた腕を返し、沖田の手にあった木刀を弾き上げる。

 沖田が弾き上げられた木刀を流れるように返し、斎藤の首元に向かって真一文字に薙いだ。身を屈めてこれをかわし、沖田の足元に刃を滑らせると、沖田も大きく跳んでこれをかわす。

 上段からと下段から、同時に刃を振り下ろし振り上げ、ガァンッ……と太い木刀の弾かれる音が響いた。

 乾いた音が二本分ヽヽヽ、床板を転がっていく。

「……あれ? 折れちゃった」

 途端、それまでの鋭さを一瞬にしてかき消した沖田が、呆気に取られたような声を上げた。同時に、張り詰めていた道場の空気がふっとゆるむ。

「……えっと、引き分け、か?」

 道場の隅にいた隊士が、窺うように漏らす。

 斎藤は視線を返すことなく「違う」と低く一蹴した。

「沖田さんの勝ちだ」
「え? ですが斎藤先生……」
「えぇ、まぁ、私の勝ちですね」

 戸惑う平の隊士達に、沖田はすっきりした笑顔を向けた。

 互いに折れた木刀の切っ先は――振り上げた斎藤が空を切り、沖田のそれは斎藤の右肩すれすれをかすめて振り下ろしきられていた。

 それを視認し、斎藤は腕を下ろしながら立ち上がる。

「真剣なら、例え刃が折れていても俺の腕が肩先からもげている」
「もぐほど私、怪力じゃないですけど……まぁ失血死を狙える程度には勝ちました!」
「何が『寝たきりで腕が鈍ったから相手をしてくれ』だ。それで鈍っているなら沖田さん以外、足の動かせない沼地で刀だけ振り回してるのと大差ない」

 呆れ交じりに言って折れた木刀を拾い上げると、反対側に転がった木刀を拾った沖田は清々しく表情をほころばせてぼんぼり髪を揺らす。

「それは言いすぎですけど、思うほど鈍っていなかったのは確かでした」
「……何よりだ」

 平隊士達が駆け寄ってきて、割れた木刀を「処分しておきます」と取り去っていく。

 斎藤はそのまま外に出ると、下駄を突っかけて道場脇にある井戸に歩み寄った。

 屋根の下を出た途端、それまで完全に忘れていた暑さとやかましさが覆いかぶさるように降りかかってくる。

「――でも斎藤さん、あんまり本気で勝ちに来てくれないからなぁ」

 井戸から水を汲み上げていると、後を追ってきた沖田が苦笑交じりにぼやいた。
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