櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章三話 竹取の月 * 元治元年 六月

斎藤の出自

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「あ……?」

 柴が廊下に出てすぐのところで立ち止まり、振り返って斎藤をまじまじと見据えてきた。

「……何か?」
「いえ、その……貴殿とはどこかでお会いしたことが、あったでしょうか?」

 柴の言葉に、斎藤は眉をひそめた。

 同時に原田が興味津々といった様子で、わずかに身を乗り出す。

「おう、何だよ。顔見知りだったのか?」
「……池田屋の折ではなく?」

 原田の問いかけを聞き流しながら柴に返すと、柴は曖昧に口をつぐみ、何かをひねり出そうとするかのように眉根を寄せた。

「いやぁ……もっと前、でしょうか……?」

 まさか、黒谷で姿を見られたのだろうか――?

 訝るが、人目のある場所では常に笠を目深にかぶって顔を晒さないようにしている。背格好はともかく、まじまじ見られて訝られるほど容姿が容易にばれるはずはなかった。

「……申し訳ありませんが、人違いでは?」

 何にせよさっさと誤魔化したほうが良さそうだと、斎藤はざっくり切り捨てた。

「あるいは知らぬ間に京の街中ですれ違ったことなら、あったやもしれませんが」
「いや、京……ではねぇと思います」
「なれば尚のこと、思い違いをなさっているのではと。手前は明石の出なれば、会津の方々と交わることなど、そうはないと思いますので」

 しれっと告げると、原田が「まぁ、そりゃそうだわな」と相槌を打つ。

 ――斎藤が明石の出というのは、嘘のようで、実は本当の話である。明石で過ごした記憶など全くないが、それでも斎藤が生まれた当時、父は明石の御家人の身分を買っており、斎藤も葛に仕え始めるまではそこで暮らしていた、らしい。ゆえに新選組の中でもそういうことで話が通っているのである。

 当然、仮に会津との関係などを勘ぐられても、この『本当』があれば大体は誤魔化せるから、というためのものでもあるわけだが。

 案の定、柴も幾度か目を瞬かせた後、すぐに頬をゆるめて頭を下げた。

「左様ですか……妙なことを申しました」
「いえ」
「おい、柴さんよ。そろそろ急いだほうがいいかもしんねぇぞー」

 原田が再び口を挟むと、黙って成り行きを見ていた永倉が「お前が言うなよ」と間髪容れず突っ込んだ。

 しかし柴は笑うでもなく、生真面目に「いげねッ」と肩を跳ね上げる。

「お手間を取らせました。行ってめえりやす!」

 柴は踵を返し、慌てて道場に駆けていった。

「……江戸では会ってないの?」

 柴の足音が雨音にまぎれ聞こえなくなった頃、ぽつんと永倉が呟きを漏らした。

 視線を返すと、永倉はあぐらをかいた膝に肘をついて、上目に斎藤を見ている。

「……江戸で、ですか? 柴さんと?」
「うん。京では会ってない、って言ってさ、そこから出身まで話が飛んだから。お前、少なくとも間に二年は江戸にいたじゃんか? 柴さんも江戸勤めしたことあるかもだし」

 何気ないような物言いだったが、永倉に言われると、何か勘ぐられているのだろうかという気になる。

 斎藤は苦く眉根を寄せて、粗雑な手つきで首元を引っかいた。

「……覚えていません。江戸にいた頃のこと自体、記憶が曖昧ですから」
「ああ。何があったか知らねぇけどお前、あの頃は市に出されたマグロみたいな目ぇしてたもんなぁ」

 原田がケラケラと茶化して笑う。

 斎藤は否定せず、というより否定できず「はあ」と平坦に相槌を打った。

「まぁ、今も大して変わっていないという自覚はありますが」
「斎藤は絶対ぜってぇ生きるの損してるよな! もっと楽しめよ!」

 眩しい笑顔を振りまく原田に、

「俺さぁ、時たま左之が馬鹿なのか阿呆なのかわからなくなるって言うか、無駄にうらやましくなる時あるわ」

 永倉も呆れたように肩をすくめ、深く嘆息した。

「何だ、褒めてんのか貶してんのか、どっちだ?」

 訝る原田を「褒めてる褒めてる」とあしらって、永倉は改めて斎藤を見やる。

「ごめんね斎藤、別に深い意味はないのさ。ちょっと気になっただけだから」
「はぁ……そうですか」
「引き止めて悪かったね。早く着替えて、体、休めてちょーだいな」

 言って、永倉は申し訳なさそうにひらりと手を振った。

 斎藤は形だけ返礼し、

「では、私も失礼します」
「おうさ、おやすみー」
「風邪引くなよ!」

 明るい声に送り出されながら、ようやく副長室に足を向ける。

 ザアザアと、相変わらず止む気配のない大粒の雨が、土や草木をかしましく打っている。

 次第に強くなってくる眠気に思考を遮られながらも、斎藤は改めて柴の顔と自身の記憶を照らし合わせた。

 ——やはり、江戸でも会っていないな。

 しばらく考えて、ぼんやりそう結論付ける。

 江戸にいた当時、葛のことに囚われすぎて記憶が曖昧だったのも事実だが、同時にあの頃は、会津に対して最悪な印象を抱いていた時期でもある。柴が平然と口にしていたような会津訛りを耳にすれば、必ず印象にも残っているだろう。

 しかし、記憶にない。ということは、やはり会ってはいないのだ。

 とすれば、本当に柴の勘違いか、黒谷で見かけられてしまったか、あるいは――……

「……いや。それこそあり得ないか」

 ぼそりと自己完結して、斎藤は濡れた髪を軽くかき上げた。
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