櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章二話 暮れの橋 * 元治元年 六月

問題だらけですよ

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「……御礼を、申し上げます」

 永倉達の部屋を後にし、離れへ続く渡り廊下に来たところで、斎藤はようやくぽつりと告げた。

 周りに人の気配がないことを確認してから足を止め、後ろの愁介を振り返る。

「え、お礼って……何が?」

 愁介は不思議そうにどんぐり眼を瞬かせて、沖田とほぼ同じ、拳一つ分ほど低い位置から斎藤を見上げ返してきた。

 その視線を受け止めながら、斎藤は淡々と懺悔する。

「一年以上もにいたにも関わらず、私は新選組を測り損ねていました。彼らが会津に牙を向く可能性を、さして考えていなかったのです」
「ああ、それは……オレと斎藤じゃ視点ヽヽが違うってのも、あったと思うんだけど」

 愁介は合点がいったように苦笑して、手持無沙汰に首の後ろを撫でた。

「まあ、どっちにしてもお礼を言われることじゃないよ。言った通り、家老達のやり方が気に食わなかったってのも本当だしね。それが結果として功を奏しただけでさ」
「……貴殿のことも、認識を改めなければなりませんね」

 呟くと、愁介は「うん?」とやわらかく首を傾けた。

「……ご無礼を承知で申し上げますが、貴殿を疑う気持ちが消えたわけではありません。ただ、お若いながらも真に会津を思うお気持ちはご立派なものと――」
「ん!? ちょっと待った!」

 言葉の途中で、愁介が遮るように右手を挙げて斎藤の眼前に突きつけた。

 斎藤が口をつぐむと、手のひら越しに見える愁介の眉間に、ぐぐっとしわが寄せられる。

「何か……?」
「いや、斎藤……あのさ。お、お若いって……確かにオレは若者に分類される歳だけど、お前に言われるとすごく違和感があるっていうか……」
「はい?」

 意味がわからず首をかしげると、

「お前、オレがいくつだと思ってるわけ?」
「……十六、七ではないですか?」

 素直に答えた途端、愁介は頬を上気させて、

「し……ッつれい甚だしいわ! オレは二十歳だ! お前と一つしか違わんわ!」

 憤慨しきりのその言葉に、けれど斎藤はとっさに反応が返せなかった。

「え……はあ」
「はあ、じゃないよ! お前オレのこと元服したての子供だと思ってたわけか!? あー、そう。そういうこと! そりゃそういう反応にもなるよね、どうりでおかしいと思ったんだよ、腹立つなぁ!」

 愁介はまくしたてるように言って、突然、拳を振りかぶってきた。

 驚き半分、それを胸元にねじ込まれる寸でのところで左手のひらに受け止めると、愁介は行儀悪くも軽く舌打ちをして、斎藤を睨み上げてくる。

「つーか父上に聞かなかったの? 斎藤、お前さぁ……」

 苦い顔で言いかけて、ところが愁介はそこでふと言葉を呑み込んだ。

 一瞬で気概が失せたように腕を下ろし、唇に指の節を当てて視線を下げる。

 何かを考え込んでいるらしい愁介とは反対に、斎藤は全く頭の整理がつかず、ただ黙して待つしかできなかった。年齢を読み違えていたらしいことは把握できたが、それ以外の愁介の言葉の意味が今一つ理解しきれない。

 ――『そういう反応』? 『どうりでおかしい』……何が、おかしいのか。

 掴めずにいると、少しして、愁介が射抜くように斎藤を見据え上げてきた。

「あのさ。一つ、訊いていい?」
「……答えられることでしたら」
「お前、池田屋で……『死ねると思った』って言ったでしょう。あれ、どういう意味?」

 真っ直ぐに問いかけられて、しかし斎藤は思わず眉根を寄せてしまった。

 何故、今それを蒸し返すのか――。

 池田屋から後、しばらく多忙にかまけて忘れていた息詰まりの感覚が、あっという間によみがえり、気分が悪くなってくる。

「……どうも何も、そのままの意味ですが」

 取り繕う余裕さえなく端的に答えると、愁介の眉間にもまた深いしわが刻まれていった。

「……そうか。わかった」

 愁介は頷くと、斎藤の脇をすり抜けて、

「土方さんの部屋、離れの角ってことはあそこでしょう? 案内ありがとう、もういいよ」

 愁介の声は、それまでとは打って変わり、冷え切った氷のように硬いものとなっていた。

 *-*-*-*-*-*-*-*

「えっ、もしかして置いてきちゃったんですか! 愁介さんを、土方さんのところに!」

 斎藤が一人で部屋に戻ると、それだけで何か察したらしい沖田が、こぼれ落ちんばかりに目を見開いて頭を抱えた。

「ああ、まぁ……。何か問題でも――」
「問題だらけですよ! あの二人、今の状態じゃ絶対に険悪になっちゃいますもん……!」

 斎藤の言葉を取って返しながら、沖田は掛け布団を跳ね上げて勢い良く立ち上がる。

 が、その瞬間に立ちくらみをしたらしく、体がぐらりと斜めに傾いだ。

 斎藤はとっさに手を伸ばし、沖田の腕を掴み止めた。触れた肌は着物越しでもわかる程度に熱く、元気そうな表情とは裏腹に朝方よりも熱が上がっているらしいことが窺える。

 回復しきらないところへ愁介がやってきて、はしゃいだせいだろうか。

 言葉には出さず眉をひそめると、沖田はそれだけで察したらしく、「あ、何ですかその顔」と唇を尖らせた。

「別に、子供みたいにはしゃいだせいとか、そんなじゃないですからね」
「……自覚があるなら何よりだ」

 溜息をつけば、沖田は「ちぇー」と目を伏せて拗ねてしまった。

 かと思えば、クスクスとおかしそうに肩を揺らして、

「……すみません、調子に乗っちゃったのは事実です。でも大丈夫ですよ、この程度の熱、すぐに下がりますから」

 沖田はひと息つくと、斎藤の手から離れて「ありがとうございます」と背筋を伸ばした。

「とにかく、二人を放っておくと惨事になりそうですから、私ちょっと行ってきますね」

 明るく笑って歩き出すものの、やはりその足取りはどこか覚束なかった。

 やれやれと首元を引っかいて、斎藤は再び沖田の腕を取り、軽く担ぐように肩を貸す。

「あ……すみません、ありがとうございます」
「別に……というか、放っておいてもあんたが困ることはないだろうに。物好きだな」

 ぼやくと、沖田は甘んじて斎藤に体重を預けながら、ぼんぼり髪を揺らして首を傾けた。

「そんなこと言ったら、斎藤さんだって私のこと放っておけばいいのにってお話になりません?」
「……俺は面倒が嫌いなだけだ」
「えーっ、矛盾してませんか」
「いや、全く。沖田さんが倒れたら後で面倒を見るのは同室の俺だろう」
「あ、なるほど……」

 沖田は「してやられました」と舌を出して視線を上げた。

 けれどすぐに「まぁどっちにしても斎藤さんって優しいですよね」なんて斜め上辺りからの解釈を返されて、斎藤は苦く顔をしかめるしかない。

 ――そうして沖田と共に離れへとんぼ返りしてみれば、

「ちょ……っ、総司! あの人どうにかしてよ、こっちの姿見るなり『何しに来た』『出てけ』ばっかりでまともにオレの話聞いてくれないんだけど!」
「おい総司、何でこんなヤツ屯所に上げてやがるんだ、会津からの使者ってんならともかく、外の人間を易々と中に引き入れてんじゃねぇよ!」

 まさに沖田の読み通り、土方の部屋ではすったもんだが繰り広げられている真っ最中だった。
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