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第3章 公爵令息ランダルの過去
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十四歳の俺は、数名の騎士見習い(貴族令息)を束ねる立場になった。
『副小隊長』などという公爵令息の体面を守るために施された名ばかりのものだ。実際は『小隊長』の使い走りの役目を果たしているに過ぎなかった。
小隊長は男爵家の三男で、次代の騎士を育てる教育係として長年勤めていた。もちろん父の息がかかっていて、俺がいつどこで誰と何をしたかを把握し、管理するのがメインの仕事だった。
「お前のようなポンコツ部下を持って、俺ぁとても不幸だよ。とはいえアクアノート公爵様には恩があるからなぁ」
夜中に叩き起こされ、朝まで説教が続いたことが何度もある。小隊長は「お前のせいで寝不足だぁ」とまた俺を叱る。最後に俺が「小隊長様の時間を無駄にして大変申し訳ありませんでした」と頭を下げるまでがルーティンだった。
ちなみに騎士団においては一般的に、入団から丸三年間は見習い期間だ(だいたい十二歳から十四・十五歳まで)。
だから俺もまだ見習いだった。同時に入団して七年の古株でもあったから、俺への『特別扱い』は暗黙の了解として見て見ぬふりをされていた。
「寝ている人間を叩き起こして、朝まで叱り続けるのはまともな行為ですか? 業務の適正な範囲を超えてませんか?」
ただひとり、そう疑問を呈したやつがいた。俺が束ねる見習いのひとりで、貧乏伯爵家の嫡男クロード・ステヴァートンだ(ちなみに寮の部屋が隣同士だった)。
「いや、俺にも悪いところがあるから……」
俺は本気でそう答えた。
心の片隅に引っかかるものはありつつも、当時の俺は自尊心を失い、自己評価が限りなく低かった。まともな判断力もなかった。
「前から思ってたんですけど、ランダルさんって自分に対する評価が低すぎませんか?」
「ランダルで、いいよ。ひとつしか違わないんだし……」
俺はしどろもどろに答えた。
この茶髪で細っこい身体つきの後輩は、小隊長が外出している隙を狙って話しかけてくれたようだ(やつは父への報告のため、不定期に寮をあけていた)。
同じ貴族令息とはいえ副小隊長と見習いという立場の違いによって分断されていたから、プライベートで口をきいた部下はそれまでひとりもいなかった。
「そりゃあたしかに騎士団では、歩き方から食べ方、部屋や風呂の使い方、何から何まで指導が入ります。小隊長はあら捜しの名人で、僕も毎日叱られてるけど……ランダルさんは僕らとは違って、人格否定をされてます。僕には、いじめや嫌がらせにしか思えません」
そう言ってクロードは脱兎のごとく走り去った。
俺は寮の薄暗い廊下に立ち尽くした。相部屋の連中が珍しく全員酔いつぶれていた(実はクロードが先輩連中に領地の名酒を差し入れていた)から、割と長い時間そうしていたと思う。
これ以上状況が悪くならないように、ひたすら我慢する日々だった。「躾けてやっているんだから感謝しろ」「ろくでもないポンコツだな」「叱られるのはお前の悪いところが原因だ」などと言われ、自分の存在価値を見失っていた。
父は噂になるのを巧妙に避けながら俺をコントロールしていた。
相部屋の連中も教育係も、七歳の頃とはすっかり変わっていた(一度に入れ替えるのではなく徐々に、たっぷり金を握らせては退団させ、それぞれの故郷に帰らせていた)。
面子が変わるたびに、俺が努力すれば何かが変わるかもと淡い期待を抱いたが、何も変わらなかった。
愛の鞭であればたいていのことは許される騎士団という環境。慢性的な体調不良。判断力と思考力の低下。最悪の毎日。
俺には、この日常を変えられない。
その諦念の中にクロードが飛び込んできた。
次の小隊長の外出日、クロードが俺の耳元で囁いた。
「ランダルが悪いことをしたわけではないと思う。だから自分を責める必要はまったくないよ。あなたは被害者だよ」
そしてクロードはまた脱兎のごとく走り去った(俺の相部屋連中にまた酒を差し入れてくれていたが、確実に酔いつぶれているかどうか自信がなかったらしい)。
月に二・三度の小隊長の外出=相部屋連中の酒盛りという図式が出来上がると、俺とクロードは近くの物置部屋で落ち合って、ほんの数分会話をするようになった。
現状に疑問を抱きながらも、どうしたらいいかわからなかった俺にとって、それは救いのひと時だった。
孤立感が精神的なストレスになっていたことを初めて知った。俺はひとりではないと思えて、少しずつ前に進むことができるようになった。
「気が休まらなくてつらい」
「本当はこんな扱いを受けることが納得できない」
「全てを投げ打って逃げ出したい。これ以上努力なんかしたくない」
自分が抱える感情を正しく理解できるようになり、それを打ち明けることで心の負担が軽くなった。
「ランダルは同年代の中で一番強いよ」
「十二歳で学ぶ内容を、七歳でやってのけたんだから、頭もいい」
「あと、優しい。僕たちを理不尽に叱ったりしない」
クロードが俺のいいところを教えてくれた。
俺は少しずつ、自分を肯定することができるようになった。
「ランダルが十五歳になって、正式な騎士になったら、国王様と王妃様が引っ張ってくれるよ。それまでの辛抱だよ」
「そうかな……そうだよな。父さんだって、叔母様と国王様には逆らえないよな」
俺は俺が王妃の甥で、王女の従兄であることを思い出した。彼女らと国王様さえいれば、父など恐れるものではないことを。
十五歳の誕生日、そして騎士叙任式まで、あと一年もない。もうすぐ俺は自分の人生を取り戻すことができる。
そう思えば、小隊長の小言も聞き流せた。相部屋連中の嫌がらせも、そこまで気にならなくなった。
だが俺の希望は──俺の十五歳の誕生日に、完膚なきまでに叩きのめされる。
国王夫妻が外遊先で事故に巻き込まれ、エイドリアナを残して死んでしまったのだ。
『副小隊長』などという公爵令息の体面を守るために施された名ばかりのものだ。実際は『小隊長』の使い走りの役目を果たしているに過ぎなかった。
小隊長は男爵家の三男で、次代の騎士を育てる教育係として長年勤めていた。もちろん父の息がかかっていて、俺がいつどこで誰と何をしたかを把握し、管理するのがメインの仕事だった。
「お前のようなポンコツ部下を持って、俺ぁとても不幸だよ。とはいえアクアノート公爵様には恩があるからなぁ」
夜中に叩き起こされ、朝まで説教が続いたことが何度もある。小隊長は「お前のせいで寝不足だぁ」とまた俺を叱る。最後に俺が「小隊長様の時間を無駄にして大変申し訳ありませんでした」と頭を下げるまでがルーティンだった。
ちなみに騎士団においては一般的に、入団から丸三年間は見習い期間だ(だいたい十二歳から十四・十五歳まで)。
だから俺もまだ見習いだった。同時に入団して七年の古株でもあったから、俺への『特別扱い』は暗黙の了解として見て見ぬふりをされていた。
「寝ている人間を叩き起こして、朝まで叱り続けるのはまともな行為ですか? 業務の適正な範囲を超えてませんか?」
ただひとり、そう疑問を呈したやつがいた。俺が束ねる見習いのひとりで、貧乏伯爵家の嫡男クロード・ステヴァートンだ(ちなみに寮の部屋が隣同士だった)。
「いや、俺にも悪いところがあるから……」
俺は本気でそう答えた。
心の片隅に引っかかるものはありつつも、当時の俺は自尊心を失い、自己評価が限りなく低かった。まともな判断力もなかった。
「前から思ってたんですけど、ランダルさんって自分に対する評価が低すぎませんか?」
「ランダルで、いいよ。ひとつしか違わないんだし……」
俺はしどろもどろに答えた。
この茶髪で細っこい身体つきの後輩は、小隊長が外出している隙を狙って話しかけてくれたようだ(やつは父への報告のため、不定期に寮をあけていた)。
同じ貴族令息とはいえ副小隊長と見習いという立場の違いによって分断されていたから、プライベートで口をきいた部下はそれまでひとりもいなかった。
「そりゃあたしかに騎士団では、歩き方から食べ方、部屋や風呂の使い方、何から何まで指導が入ります。小隊長はあら捜しの名人で、僕も毎日叱られてるけど……ランダルさんは僕らとは違って、人格否定をされてます。僕には、いじめや嫌がらせにしか思えません」
そう言ってクロードは脱兎のごとく走り去った。
俺は寮の薄暗い廊下に立ち尽くした。相部屋の連中が珍しく全員酔いつぶれていた(実はクロードが先輩連中に領地の名酒を差し入れていた)から、割と長い時間そうしていたと思う。
これ以上状況が悪くならないように、ひたすら我慢する日々だった。「躾けてやっているんだから感謝しろ」「ろくでもないポンコツだな」「叱られるのはお前の悪いところが原因だ」などと言われ、自分の存在価値を見失っていた。
父は噂になるのを巧妙に避けながら俺をコントロールしていた。
相部屋の連中も教育係も、七歳の頃とはすっかり変わっていた(一度に入れ替えるのではなく徐々に、たっぷり金を握らせては退団させ、それぞれの故郷に帰らせていた)。
面子が変わるたびに、俺が努力すれば何かが変わるかもと淡い期待を抱いたが、何も変わらなかった。
愛の鞭であればたいていのことは許される騎士団という環境。慢性的な体調不良。判断力と思考力の低下。最悪の毎日。
俺には、この日常を変えられない。
その諦念の中にクロードが飛び込んできた。
次の小隊長の外出日、クロードが俺の耳元で囁いた。
「ランダルが悪いことをしたわけではないと思う。だから自分を責める必要はまったくないよ。あなたは被害者だよ」
そしてクロードはまた脱兎のごとく走り去った(俺の相部屋連中にまた酒を差し入れてくれていたが、確実に酔いつぶれているかどうか自信がなかったらしい)。
月に二・三度の小隊長の外出=相部屋連中の酒盛りという図式が出来上がると、俺とクロードは近くの物置部屋で落ち合って、ほんの数分会話をするようになった。
現状に疑問を抱きながらも、どうしたらいいかわからなかった俺にとって、それは救いのひと時だった。
孤立感が精神的なストレスになっていたことを初めて知った。俺はひとりではないと思えて、少しずつ前に進むことができるようになった。
「気が休まらなくてつらい」
「本当はこんな扱いを受けることが納得できない」
「全てを投げ打って逃げ出したい。これ以上努力なんかしたくない」
自分が抱える感情を正しく理解できるようになり、それを打ち明けることで心の負担が軽くなった。
「ランダルは同年代の中で一番強いよ」
「十二歳で学ぶ内容を、七歳でやってのけたんだから、頭もいい」
「あと、優しい。僕たちを理不尽に叱ったりしない」
クロードが俺のいいところを教えてくれた。
俺は少しずつ、自分を肯定することができるようになった。
「ランダルが十五歳になって、正式な騎士になったら、国王様と王妃様が引っ張ってくれるよ。それまでの辛抱だよ」
「そうかな……そうだよな。父さんだって、叔母様と国王様には逆らえないよな」
俺は俺が王妃の甥で、王女の従兄であることを思い出した。彼女らと国王様さえいれば、父など恐れるものではないことを。
十五歳の誕生日、そして騎士叙任式まで、あと一年もない。もうすぐ俺は自分の人生を取り戻すことができる。
そう思えば、小隊長の小言も聞き流せた。相部屋連中の嫌がらせも、そこまで気にならなくなった。
だが俺の希望は──俺の十五歳の誕生日に、完膚なきまでに叩きのめされる。
国王夫妻が外遊先で事故に巻き込まれ、エイドリアナを残して死んでしまったのだ。
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