11 / 25
第2章
6.利用価値
しおりを挟む
寝間着の胸元には、アラスターが贈ってくれたブローチが美しく輝いていた。
エリシアは三面鏡に映る自分を見ながら、この1か月というもの頭から離れなかったことを口にした。
「アラスター殿下は、どうして私によくしてくださるんですか? 王太子だから、私もいち国民だからという理由だけで、ここまではできないと思います」
頬を上気させて、ぼうっとした顔をしていたアラスターが目をぱちぱちとさせた。
「そろそろ、真の目的を明かしてくださると嬉しいのですが。昔からずっと無条件に愛してくれる人がほしかったけれど、そんなのは夢物語です。私に利用価値があるのなら教えてください」
「エリシア……」
「私のような人間は、厚遇されちやほやされる嬉しさよりも、お返しの義務感が重荷になるのです。昔から親切にされると、どんな裏があるんだろうって急速に焦りが募って、耐えきれないほどの切迫感が生じるんですよ。すみません、嫌な性格で」
アラスターはゆっくりと首を横に振った。
「……国中から虐げられてきた人間は、やはりそう簡単に人を信用しないか」
エリシアも首を横に振った。
「殿下が誠実な方だということはわかっています。ただ『白馬の王子様がきたっ!』って脳内お花畑になれないだけです」
うーむと首をひねって、エリシアは真っすぐにアラスターを見つめた。
「なにしろ筆頭公爵家の令嬢に、公衆の面前でぴしゃりと一発食らわしたわけですから。その波紋は国王様や王妃様にまで及び、お二人の顔に泥を塗ることになります。いくら王太子様でも、シンクレア公爵家が使用人を虐待してるからという理由だけで、あのような暴挙に及ぶはずがない。そうですよね?」
エリシアの言葉に、アラスターは感服したような表情になった。
「君は聡明だね。シンクレア公爵家で、迫害されて育ってきたとは思えない」
「専門家による指導を受けずとも、私には耳がありましたから。異国で言うところの『門前の小僧習わぬ経を読む』というやつです」
「さすがは付き添い役だ。シンクレア公爵家の子どもたちより、君の方が優秀だったことは間違いない。どんな課題も頭の中でこなしていたんだろう」
アラスターはため息をついて、窓際のソファに座った。
「ある意味で、これまでの僕の人生は君を救うためにあったんだ。そのことだけは信じてほしい」
押し殺した声で言い、アラスターは「隣に座ってくれるかい」と微笑んだ。アリシアはうなずき、そっと腰を下ろした。
「君も知っての通り、百年前の『大厄災』でこの世界は魔物で溢れた。必死に対抗手段を探したが、状況は絶望的だった。しかし王族や貴族の間に『魔力』を持つ者が現れた」
アラスターは真剣なまなざしで、さらに言葉を続けた。
「尊い身分の者たちは、魔法の力で魔物たちを排除することができるようになった。そして、魔物に対処することは権力者としての地位を示すことと同義になった。しかし──」
「しかし貴族の地位にいながら、魔力を発現できない家があった」
アラスターの言葉が終わらないうちに、エリシアは口を開いた。
「アージェント伯爵家、いまはもうなくなってしまった私の実家。大厄災のあと、魔力が発現しなかったのは悪事を働いたからだと責められ、不祥事を起こしたと騒がれ、王家から領地を取り上げられ……社会的に抹殺された」
「ああ。紛れもない事実だ」
アラスターは形のいい唇を歪めた。
「なぜアージェント家だけ魔力が発現しなかったのか。それは大いなる謎のひとつだ。王家を含めて、もはや誰も当時のことを知らない。そのことについて、誰ひとりとして研究しようとはしてこなかったからだ」
吐き捨てるように言って、アラスターは体をひねって真っすぐエリシアを見た。
「アージェント家の人々が、領地の人々のために勇敢に闘ったという記録は、ちゃんと残っているんだ。王家も、他の貴族も、自分たちを守ることに必死で──誰ひとり救援に駆けつけられなかった中で、長期間戦い続けている。一族の誰にも魔力がなかったなんて信じられないくらいに」
「そ、そうなんです! おじい様の、そのまたおじい様の日記帳に全部書いてありますっ!」
エリシアは興奮して立ち上がった。いままでこんなことを言ってくれた人はいなかった。何をされても『魔力がないのが悪い』で一件落着だったから。
「僕は幼少期から、アージェント家についてじっくり調べてきた。そして、本当にアージェント家の人々は魔力と無縁だったのか、疑問に思うようになったんだ」
アラスターも勢いよく立ち上がる。エリシアは小首をかしげた。
「でも……私はもちろん、お父様も、おじい様も魔法は使えませんでした。火の力も、風も土も、水も」
「そうだね。でも僕は、この世界にはそれ以外の魔法が存在するんじゃないかと思うんだ。目に見えにくい、わかりにくい、そんな魔法が。ただその研究をするには、調査対象とじかに接する必要がある。君を王宮に連れ帰ってだね、その、四六時中僕の側にいてもらわないと……」
「それはつまり? なるほどわかりました。要するに私は実験用のモルモットというわけですね。お役に立てるかは未知数ですが、身命を賭して調査に協力します」
「いやそうだけど、理解が速くて助かるけど……っ!」
「任せてください! 私、立派なモルモットとして、徹底的に研究されてみせますっ!!」
エリシアは俄然やる気が湧いてきた。アラスターは自分の利用価値について、あれこれ考えてくれていたのだ。アージェント家の末裔のために、そんな崇高なことをしてくれる人がいるなんて。
「そうだけどそうじゃない……」
すっかり興奮しきっているエリシアの耳に、アラスターの小さな声が届いた。
エリシアは三面鏡に映る自分を見ながら、この1か月というもの頭から離れなかったことを口にした。
「アラスター殿下は、どうして私によくしてくださるんですか? 王太子だから、私もいち国民だからという理由だけで、ここまではできないと思います」
頬を上気させて、ぼうっとした顔をしていたアラスターが目をぱちぱちとさせた。
「そろそろ、真の目的を明かしてくださると嬉しいのですが。昔からずっと無条件に愛してくれる人がほしかったけれど、そんなのは夢物語です。私に利用価値があるのなら教えてください」
「エリシア……」
「私のような人間は、厚遇されちやほやされる嬉しさよりも、お返しの義務感が重荷になるのです。昔から親切にされると、どんな裏があるんだろうって急速に焦りが募って、耐えきれないほどの切迫感が生じるんですよ。すみません、嫌な性格で」
アラスターはゆっくりと首を横に振った。
「……国中から虐げられてきた人間は、やはりそう簡単に人を信用しないか」
エリシアも首を横に振った。
「殿下が誠実な方だということはわかっています。ただ『白馬の王子様がきたっ!』って脳内お花畑になれないだけです」
うーむと首をひねって、エリシアは真っすぐにアラスターを見つめた。
「なにしろ筆頭公爵家の令嬢に、公衆の面前でぴしゃりと一発食らわしたわけですから。その波紋は国王様や王妃様にまで及び、お二人の顔に泥を塗ることになります。いくら王太子様でも、シンクレア公爵家が使用人を虐待してるからという理由だけで、あのような暴挙に及ぶはずがない。そうですよね?」
エリシアの言葉に、アラスターは感服したような表情になった。
「君は聡明だね。シンクレア公爵家で、迫害されて育ってきたとは思えない」
「専門家による指導を受けずとも、私には耳がありましたから。異国で言うところの『門前の小僧習わぬ経を読む』というやつです」
「さすがは付き添い役だ。シンクレア公爵家の子どもたちより、君の方が優秀だったことは間違いない。どんな課題も頭の中でこなしていたんだろう」
アラスターはため息をついて、窓際のソファに座った。
「ある意味で、これまでの僕の人生は君を救うためにあったんだ。そのことだけは信じてほしい」
押し殺した声で言い、アラスターは「隣に座ってくれるかい」と微笑んだ。アリシアはうなずき、そっと腰を下ろした。
「君も知っての通り、百年前の『大厄災』でこの世界は魔物で溢れた。必死に対抗手段を探したが、状況は絶望的だった。しかし王族や貴族の間に『魔力』を持つ者が現れた」
アラスターは真剣なまなざしで、さらに言葉を続けた。
「尊い身分の者たちは、魔法の力で魔物たちを排除することができるようになった。そして、魔物に対処することは権力者としての地位を示すことと同義になった。しかし──」
「しかし貴族の地位にいながら、魔力を発現できない家があった」
アラスターの言葉が終わらないうちに、エリシアは口を開いた。
「アージェント伯爵家、いまはもうなくなってしまった私の実家。大厄災のあと、魔力が発現しなかったのは悪事を働いたからだと責められ、不祥事を起こしたと騒がれ、王家から領地を取り上げられ……社会的に抹殺された」
「ああ。紛れもない事実だ」
アラスターは形のいい唇を歪めた。
「なぜアージェント家だけ魔力が発現しなかったのか。それは大いなる謎のひとつだ。王家を含めて、もはや誰も当時のことを知らない。そのことについて、誰ひとりとして研究しようとはしてこなかったからだ」
吐き捨てるように言って、アラスターは体をひねって真っすぐエリシアを見た。
「アージェント家の人々が、領地の人々のために勇敢に闘ったという記録は、ちゃんと残っているんだ。王家も、他の貴族も、自分たちを守ることに必死で──誰ひとり救援に駆けつけられなかった中で、長期間戦い続けている。一族の誰にも魔力がなかったなんて信じられないくらいに」
「そ、そうなんです! おじい様の、そのまたおじい様の日記帳に全部書いてありますっ!」
エリシアは興奮して立ち上がった。いままでこんなことを言ってくれた人はいなかった。何をされても『魔力がないのが悪い』で一件落着だったから。
「僕は幼少期から、アージェント家についてじっくり調べてきた。そして、本当にアージェント家の人々は魔力と無縁だったのか、疑問に思うようになったんだ」
アラスターも勢いよく立ち上がる。エリシアは小首をかしげた。
「でも……私はもちろん、お父様も、おじい様も魔法は使えませんでした。火の力も、風も土も、水も」
「そうだね。でも僕は、この世界にはそれ以外の魔法が存在するんじゃないかと思うんだ。目に見えにくい、わかりにくい、そんな魔法が。ただその研究をするには、調査対象とじかに接する必要がある。君を王宮に連れ帰ってだね、その、四六時中僕の側にいてもらわないと……」
「それはつまり? なるほどわかりました。要するに私は実験用のモルモットというわけですね。お役に立てるかは未知数ですが、身命を賭して調査に協力します」
「いやそうだけど、理解が速くて助かるけど……っ!」
「任せてください! 私、立派なモルモットとして、徹底的に研究されてみせますっ!!」
エリシアは俄然やる気が湧いてきた。アラスターは自分の利用価値について、あれこれ考えてくれていたのだ。アージェント家の末裔のために、そんな崇高なことをしてくれる人がいるなんて。
「そうだけどそうじゃない……」
すっかり興奮しきっているエリシアの耳に、アラスターの小さな声が届いた。
47
お気に入りに追加
1,311
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
この野菜は悪役令嬢がつくりました!
真鳥カノ
ファンタジー
幼い頃から聖女候補として育った公爵令嬢レティシアは、婚約者である王子から突然、婚約破棄を宣言される。
花や植物に『恵み』を与えるはずの聖女なのに、何故か花を枯らしてしまったレティシアは「偽聖女」とまで呼ばれ、どん底に落ちる。
だけどレティシアの力には秘密があって……?
せっかくだからのんびり花や野菜でも育てようとするレティシアは、どこでもやらかす……!
レティシアの力を巡って動き出す陰謀……?
色々起こっているけれど、私は今日も野菜を作ったり食べたり忙しい!
毎日2〜3回更新予定
だいたい6時30分、昼12時頃、18時頃のどこかで更新します!
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……

私は聖女(ヒロイン)のおまけ
音無砂月
ファンタジー
ある日突然、異世界に召喚された二人の少女
100年前、異世界に召喚された聖女の手によって魔王を封印し、アルガシュカル国の危機は救われたが100年経った今、再び魔王の封印が解かれかけている。その為に呼ばれた二人の少女
しかし、聖女は一人。聖女と同じ色彩を持つヒナコ・ハヤカワを聖女候補として考えるアルガシュカルだが念のため、ミズキ・カナエも聖女として扱う。内気で何も自分で決められないヒナコを支えながらミズキは何とか元の世界に帰れないか方法を探す。
婚約破棄された聖女は、愛する恋人との思い出を消すことにした。
石河 翠
恋愛
婚約者である王太子に興味がないと評判の聖女ダナは、冷たい女との結婚は無理だと婚約破棄されてしまう。国外追放となった彼女を助けたのは、美貌の魔術師サリバンだった。
やがて恋人同士になった二人。ある夜、改まったサリバンに呼び出され求婚かと期待したが、彼はダナに自分の願いを叶えてほしいと言ってきた。彼は、ダナが大事な思い出と引き換えに願いを叶えることができる聖女だと知っていたのだ。
失望したダナは思い出を捨てるためにサリバンの願いを叶えることにする。ところがサリバンの願いの内容を知った彼女は彼を幸せにするため賭けに出る。
愛するひとの幸せを願ったヒロインと、世界の平和を願ったヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(写真のID:4463267)をお借りしています。

世界を捨てる、5年前 〜虐げられた聖女と青年の手紙〜
ツルカ
恋愛
9歳の時に神殿に連れてこられた聖女は、家族から引き離され神に祈りを捧げて生きている。
孤独を抱えた聖女の元に、神への祈りの最中、一通の手紙が届く。不思議な男からの手紙。それは5年に渡る、彼女と彼の手紙のやり取りの始まり。
世界を超えて届く手紙は、別の世界からの手紙のようだ。
交わすやりとりの中で愛を育んでいき、そして男は言う。
必ず、助けに行くと。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる