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第二章 婚約破棄
二度目の初登校日
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どうやら時を遡ってきたらしい私がいたのは、最期の記憶にあるあの日の三年前、つまりスヴェロフ王立ミディール学園へ入学する年だった。
どうやって意識を失ったのかは曖昧でよく覚えていないが、十六歳までの記憶を持ったまま再び意識を取り戻した私は十三歳だった。
わけがわからなかったので、今の自分の状況に関して侍女のシエンナを質問攻めにしてしまい、「一週間後にはミディール学園にご入学されますのに、しっかりしてください」と苦笑された。
長い夢を見ていたのかと思ったけれど、あんなに生々しい夢は見たことがない。好きでよく読んでいた書物に『逆行』という言葉があったが、おそらくそれをしてしまったのだと思った。どういうからくりかはわからないけれど、時を遡ったのだ。しかも、死ぬ間際までの記憶を持ったまま。
これは、一度無念のうちに死ぬことになってしまった私に与えられた二度目のチャンスなのだと思った。本当にありがたいことだ。今度こそ道を間違えないようにしなければ。
いや、そんなことを考えて現実逃避をしている場合ではなかった。今、私の目の前には眉を顰めて困惑したような顔で私を見つめるクラウスがいる。
神々しい光を放つ艶やかな銀髪に、エメラルドを思わせる緑色の瞳。この年齢にして既に完成された美を思わせる整った顔立ちを持つ十六歳の少年。もう彼には心を奪われないと決心したが、意外にも彼を目前にしても以前ほどの情は感じなかった。
死ぬ直前に聞いた言葉は今でも鮮明に思い出せる。この記憶がある限り、以前と同様の情熱は戻ってこないだろうと確信できた。きっと私の恋心はあの瞬間に砕けてしまったのだろう。
そして私の隣には私に抱きついて離れない可愛い可愛い弟、ノア。もう一度会えてよかった。思わず弟への愛が溢れてきて、ぎゅうっときつく抱きしめてしまった。「苦しいよ、姉さん」と愛くるしい声が出て聞こえてきてやっと天使の体を解放した。苦しいと言いつつ、嬉しそうな顔をしてくれる弟が愛おしくて仕方がない。
「君たちは相変わらず仲のいい姉弟だね」
クラウスはまだ下がりきっていなかった眉を限界まで下げながら呟いた。
「はい。姉はあなたよりも僕のほうを愛してくれているので」
弟は胸を張って自慢げにそう告げたが、クラウスは困った表情のまま「仕方ないなぁ。ねぇ?」と言うように私に視線を向ける。
そして以前の私とはひと味違う私は、そんなクラウスから目線を外し、期待に目を輝かせる弟を見つめながら自信を持って答えた。
「その通りよ。愛しているわ、ノア」
何歳になってもシスコンのままだったノアの言葉は通常運転だったが、それに返す私の言葉はクラウスにとって予想外だったに違いない。
クラウスは意表をつかれたように目をまん丸にして驚き、ノアは歓喜に頬を上気させた。ああ、私のノアがこんなにも可愛い。もっと愛でればよかった――。
――はっ! いいえ、これからいくらでも時間はあるじゃない!
私はしっかりたっぷり気がすむまで弟を愛で倒すことを心に決める。ただし、また命尽きるまでに気がすむ保証はない。
「はは。君のブラコンは相変わらずだな……」
――そうだ。私の望む人生を手に入れるためにはこの男の処理を早く終わらせなければ。
冷たいと思われるならそれでいい。一度不意打ちで辛酸を舐めさせられることになった私には、もう二度とこの男のために人生を捧げる気はない。
「でも、もうそろそろ弟を卒業してくれると嬉しいな。君は私の妻になるのだからね」
見つめ合う姉弟を目前に、そう言うクラウスの口元は引き攣り、目は泳いでいる。私の返答がいつもと違うから驚いたのだろう。
そう。私の可愛いノアがシスコンを発揮してクラウスを牽制した時、私はいつも苦渋の決断ながら、クラウスを優先していた。
――今の状況だったら、昔の私なら『ノア、あなたのことはもちろん大好きよ。けれど、姉様はクラウス様のことを誰よりも愛しているの。姉様の愛する方と仲良くしてくれると嬉しいわ』とでも言っていたわね。
さようなら。昔の私。
私はもう選択を間違えない。クラウスのことを思い続けて、報われることなく裏切られるのは一度経験すればもう十分。残念ながら、クラウスを愛していたリリアーヌはその恋心ごと息絶えてしまったの。
彼には急に私の態度が変わったように思えたことだろう。でも大丈夫。これからはこれが普通になるのだから、すぐに慣れるわ。
「じゃあ、行こうか」
クラウスは少し狼狽えた後に平静を取り戻したようで、当然のように私へエスコートする手を差し出した。今日がミディール学園への初登校日なので、一緒に登校しようというのだ。
ちなみに、私が言い出したのではない。クラウスが気を利かせて誘ってくれたのだ。学園内を案内するとさえ申し出てくれている。普通はいくら婚約者でも一緒に登校したり、自ら案内したりはしないものなのだが――。
彼は、こういう細やかな心配りができる人だった。見目が良いだけでなく、女性には特に優しく、気配り上手でエスコートも完璧なのだ。そういうところも彼が多くの女性に慕われる要因だった。
もうクラウスには期待しないと決めたのだから、これからは距離を取っていき、婚約も早々に解消してもらうのが理想だ。両親を説得できる材料を早急に準備しなければ。
今日、二人きりになれるこの通学の時間は、私にとって大いに意味のある機会となるに違いない。
私が決別の意思を固めてしっかりとクラウスの手を取ると、彼は私に爽やかな笑顔を向ける。
過去の私が幾度となく胸をときめかせたその笑顔も、今の私の目には全く魅力的には映らなかった。
私は今日、初めて彼を何の感情も抱くことなく見つめることができた。彼を目前にしても、そこにある風景をただ眺めているかのように、何も考えず、心穏やかに微笑んでいられる――。
そんな状態の自分は初めてだったので、私はとても不思議な気分で、なんだか清々しくて――。
これなら冷静に今の思いを伝えられそうだと安心した。
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これは、一度無念のうちに死ぬことになってしまった私に与えられた二度目のチャンスなのだと思った。本当にありがたいことだ。今度こそ道を間違えないようにしなければ。
いや、そんなことを考えて現実逃避をしている場合ではなかった。今、私の目の前には眉を顰めて困惑したような顔で私を見つめるクラウスがいる。
神々しい光を放つ艶やかな銀髪に、エメラルドを思わせる緑色の瞳。この年齢にして既に完成された美を思わせる整った顔立ちを持つ十六歳の少年。もう彼には心を奪われないと決心したが、意外にも彼を目前にしても以前ほどの情は感じなかった。
死ぬ直前に聞いた言葉は今でも鮮明に思い出せる。この記憶がある限り、以前と同様の情熱は戻ってこないだろうと確信できた。きっと私の恋心はあの瞬間に砕けてしまったのだろう。
そして私の隣には私に抱きついて離れない可愛い可愛い弟、ノア。もう一度会えてよかった。思わず弟への愛が溢れてきて、ぎゅうっときつく抱きしめてしまった。「苦しいよ、姉さん」と愛くるしい声が出て聞こえてきてやっと天使の体を解放した。苦しいと言いつつ、嬉しそうな顔をしてくれる弟が愛おしくて仕方がない。
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クラウスはまだ下がりきっていなかった眉を限界まで下げながら呟いた。
「はい。姉はあなたよりも僕のほうを愛してくれているので」
弟は胸を張って自慢げにそう告げたが、クラウスは困った表情のまま「仕方ないなぁ。ねぇ?」と言うように私に視線を向ける。
そして以前の私とはひと味違う私は、そんなクラウスから目線を外し、期待に目を輝かせる弟を見つめながら自信を持って答えた。
「その通りよ。愛しているわ、ノア」
何歳になってもシスコンのままだったノアの言葉は通常運転だったが、それに返す私の言葉はクラウスにとって予想外だったに違いない。
クラウスは意表をつかれたように目をまん丸にして驚き、ノアは歓喜に頬を上気させた。ああ、私のノアがこんなにも可愛い。もっと愛でればよかった――。
――はっ! いいえ、これからいくらでも時間はあるじゃない!
私はしっかりたっぷり気がすむまで弟を愛で倒すことを心に決める。ただし、また命尽きるまでに気がすむ保証はない。
「はは。君のブラコンは相変わらずだな……」
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冷たいと思われるならそれでいい。一度不意打ちで辛酸を舐めさせられることになった私には、もう二度とこの男のために人生を捧げる気はない。
「でも、もうそろそろ弟を卒業してくれると嬉しいな。君は私の妻になるのだからね」
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――今の状況だったら、昔の私なら『ノア、あなたのことはもちろん大好きよ。けれど、姉様はクラウス様のことを誰よりも愛しているの。姉様の愛する方と仲良くしてくれると嬉しいわ』とでも言っていたわね。
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彼には急に私の態度が変わったように思えたことだろう。でも大丈夫。これからはこれが普通になるのだから、すぐに慣れるわ。
「じゃあ、行こうか」
クラウスは少し狼狽えた後に平静を取り戻したようで、当然のように私へエスコートする手を差し出した。今日がミディール学園への初登校日なので、一緒に登校しようというのだ。
ちなみに、私が言い出したのではない。クラウスが気を利かせて誘ってくれたのだ。学園内を案内するとさえ申し出てくれている。普通はいくら婚約者でも一緒に登校したり、自ら案内したりはしないものなのだが――。
彼は、こういう細やかな心配りができる人だった。見目が良いだけでなく、女性には特に優しく、気配り上手でエスコートも完璧なのだ。そういうところも彼が多くの女性に慕われる要因だった。
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今日、二人きりになれるこの通学の時間は、私にとって大いに意味のある機会となるに違いない。
私が決別の意思を固めてしっかりとクラウスの手を取ると、彼は私に爽やかな笑顔を向ける。
過去の私が幾度となく胸をときめかせたその笑顔も、今の私の目には全く魅力的には映らなかった。
私は今日、初めて彼を何の感情も抱くことなく見つめることができた。彼を目前にしても、そこにある風景をただ眺めているかのように、何も考えず、心穏やかに微笑んでいられる――。
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