上 下
9 / 21
第二章 美容部員と天才化学者

ビューティーアドバイザーと天才

しおりを挟む
 さて、店長に呼ばれたので、そそくさと近寄り横から売上帳簿を覗き込む。確かに本日の売上を示す欄に書き込まれた金額は、既に昨日一日の総売上金額に肉薄している。

「本当ですね! ありがたいことです」
「アイリーン?」
「はい」
「……」
「……?」

 私の名前を呼んだのに待っていても続く言葉がない。不思議に思って顔を上げると、店長の顔が思ったより近くにあって、咄嗟とっさに後ずさる。

「やっとこっちを見てくれたね?」

 そう言って至近距離でまばゆい笑顔を向けてくるこの人は、エミリオ様。驚くなかれ、このアイレヴ王国の第二王子殿下である。
 エリー様が店長として声をかけたのがなんと王子殿下だとは思いもしないので、私も最初は冗談だと思っていた。それに、第二王子殿下は怠惰で不真面目な性格であると有名だったけれど、実際に会って話したエミリオ様は全然怠惰でも不真面目でもなかった。むしろ真逆の「真面目でストイック」が彼を表現する言葉に相応ふさわしい。学園で流れる噂はあてにならないものだと認識を改めた。
 エミリオ様はなんだかお店のことや化粧品のことにもエリー様と同じレベルで詳しいし、真剣にお店作りについて意見してくれるし、あ、これは本気のやつだと受け入れたのは開店前日のことだった。

――え、だって王子様だよ? なんで王子様が化粧品専門店の店長なんて引き受けてるの?

 未だに疑問は残るが、エミリオ様が店長となった事実は無理矢理ながらもなんとか受け入れた。
 そして、この一ヵ月間なるべく避けてきたので、エミリオ様も私の苦手意識には気づいているだろうと思うのだ。いつこの挙動不審さを指摘されるか、その時私は何と答えればいいのかと自問自答しながらビクビクしている。

「そんな……店長が人の名前を呼んでおいて何も言わないからじゃないですか」
「そうでもしないと目を合わせてくれないじゃないか」
「ちゃんと……顔を見て話しています」
 
 私は人と、その中でも男性と目を合わせるのが苦手なので、エミリオ様の目からも少し視線をずらし、鼻から口元辺りに視点を置いて話していたけれど、案の定それを指摘されてドキッとした。とうとう来るべき時が来たらしい。
 
「目を見てほしいんだ。僕は」
「どうして……」
「……やっと話せて嬉しいんだ。僕に生きる希望を与えてくれたアイリーンと。だから」
「……?」

――なんだか話の風向きが変わってきた……?

 今度こそしっかりと相手の目を見た。
 私は前世、高卒で就職し、初めて化粧をした。すると、突然男性に声をかけられることが増えたのだ。今までの私と違うところといえば、化粧をしているかいないかの違いだけ。みすぼらしかったのがちょっと見られるようになっただけだと思うのだが、世の男性たちの評価は違ったらしい。彼らからすると私は「とても美人」に変身したらしいのだ。中身は今までの私と何も変わっていないのにも関わらず。
 
 急にちやほやと美人扱いされるようになった私は、男性のことが容易に信じられなくなってしまったのだ。結局外見で判断してるのだという偏見が頭から離れなくなってしまった。
 
 男性の目が特別気になるようになったのはそれからだ。「私は化粧で取り繕った外見しか取り柄がない」とギラギラした目が語っているようだったから。
 
 けれど、エミリオ様の目を控えめに眺めていると、そういう男性たちに感じた「獲物を見るような目」とは少し違うように思えた。
 
 エミリオ様は身分を隠して店長を務めてくれている。王子だとバレたら当然大変なことになるから。なぜそんなリスクを負ってまでこんなことをしているのか……と思っていたのだけれど、次の会話でその疑問が綺麗に解決した。

「実は『ヴィタリーサ』の化粧品開発を担当しているのは僕なんだ。君から提案される品を実現するのはとても楽しい。僕の生涯を全て捧げたいと思うほど」

――な、なんかすごいセリフを聞いたような気がするけど、それよりも……!
 
「え……エミリオ様が……!」
「うん」
「ありがとうございます! 私、ずっと開発者の方にお礼を言いたかったんです! 私が語る夢みたいな商品を形にしてくださってありがとうございます!」

 私は思ってもみなかった事実を告白されて呆然とした後、言葉の意味を理解して、じわじわと感謝の言葉が込み上げてくるのを感じた。
 
 この世界にはまだ存在していないものを次々と生み出してくれているのだ。開発者は恐らく天才と呼ばれる存在だなのだとは思っていたけれど、それが王子殿下だなんて思わなかった。

――すごい! 本物の天才が目の前にいる……!

「いいんだ。僕こそアイリーンに感謝しているんだから。僕の味気ない毎日にアイリーンが飛び込んできてくれて、その瞬間からどれほど世界が変わったことか……!」
「私こそ、エミリオ様がいなかったらこの幸せを感じられていなかったかもしれないのですから……!」

 私たちはどちらからともなく固く握手を交わした。それは私たちの間に固い信頼関係が結ばれた瞬間だった――。


✳︎✳︎✳︎


「え? 握手?」
「え……? そうですけど。なにかおかしいでしょうか?」
「変ね。途中までは恋愛小説みたいな展開だったはずなのに……」

 私とイザベラ様は、学園の食堂でランチをとりながら会話を楽しんでいた。あれから仲良くなった私たちは、こうして度々学園でも時間を共にしている。学園でもイザベラ様は身分にこだわらず私に構ってくれていて、嬉しい限りである。
 イザベラ様は何か考え事があるとき、こうしてときどき聞き取れない音量でもごもご言っていることがよくある。
 
「イザベラ様?」
「あら、ごめんなさいね。私、途中からお話を勘違いしていたようですわ。続きを聞かせてくださる?」
「はい! 続きというか、それで終わりですが……つまりは店長と私の絆が深まって、信頼関係が生まれたというお話です!」
「あらぁ。よかったですわねぇ」
「はい。どう接していいかわからなくて毎日ビクビクしてたので、打ち解けられて安心しました!」
「ふふふ……ちなみになんで『店長』って呼んでいるの?」
「ああ。これは癖というかなんというか。間違えて本名を呼んでしまったらいけないので、お店では役職を呼ぼうということになりまして……」
「ふふふ。なんだか初々しいわね」
「……?」

 なんだかイザベラ様が神々しく微笑んでいて私も笑顔になった。

「私は、あなたたちのこと、あたたかーく見守っているからね」
「……はい! ありがとうございます! 頑張ります!」

 素敵な笑顔で応援されてしまった私は、明日からまた頑張ろう! と気合を入れ直していた。
 
 だから、その姿を見たイザベラ様が、「本当にかわいらしいわねぇ……」と呟きながら笑みを深めていたことには気づかなかったのである。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

暗闇に輝く星は自分で幸せをつかむ

Rj
恋愛
許婚のせいで見知らぬ女の子からいきなり頬をたたかれたステラ・デュボワは、誰にでもやさしい許婚と高等学校卒業後にこのまま結婚してよいのかと考えはじめる。特待生として通うスペンサー学園で最終学年となり最後の学園生活を送る中、許婚との関係がこじれたり、思わぬ申し出をうけたりとこれまで考えていた将来とはまったく違う方向へとすすんでいく。幸せは自分でつかみます! ステラの恋と成長の物語です。 *女性蔑視の台詞や場面があります。

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

悪役令嬢は断罪イベントから逃げ出してのんびり暮らしたい

花見 有
恋愛
乙女ゲームの断罪エンドしかない悪役令嬢リスティアに転生してしまった。どうにか断罪イベントを回避すべく努力したが、それも無駄でどうやら断罪イベントは決行される模様。 仕方がないので最終手段として断罪イベントから逃げ出します!

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

告白さえできずに失恋したので、酒場でやけ酒しています。目が覚めたら、なぜか夜会の前夜に戻っていました。

石河 翠
恋愛
ほんのり想いを寄せていたイケメン文官に、告白する間もなく失恋した主人公。その夜、彼女は親友の魔導士にくだを巻きながら、酒場でやけ酒をしていた。見事に酔いつぶれる彼女。 いつもならば二日酔いとともに目が覚めるはずが、不思議なほど爽やかな気持ちで起き上がる。なんと彼女は、失恋する前の日の晩に戻ってきていたのだ。 前回の失敗をすべて回避すれば、好きなひとと付き合うこともできるはず。そう考えて動き始める彼女だったが……。 ちょっとがさつだけれどまっすぐで優しいヒロインと、そんな彼女のことを一途に思っていた魔導士の恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。

婚約破棄された枯葉令嬢は、車椅子王子に溺愛される

夏生 羽都
恋愛
地味な伯爵令嬢のフィリアには美しい婚約者がいる。 第三王子のランドルフがフィリアの婚約者なのだが、ランドルフは髪と瞳が茶色のフィリアに不満を持っている。 婚約者同士の交流のために設けられたお茶会で、いつもランドルフはフィリアへの不満を罵詈雑言として浴びせている。 伯爵家が裕福だったので、王家から願われた婚約だっだのだが、フィリアの容姿が気に入らないランドルフは、隣に美しい公爵令嬢を侍らせながら言い放つのだった。 「フィリア・ポナー、貴様との汚らわしい婚約は真実の愛に敗れたのだ!今日ここで婚約を破棄する!」 ランドルフとの婚約期間中にすっかり自信を無くしてしまったフィリア。 しかし、すぐにランドルフの異母兄である第二王子と新たな婚約が結ばれる。 初めての顔合せに行くと、彼は車椅子に座っていた。 ※完結まで予約投稿済みです

処理中です...