36 / 55
36話
しおりを挟む(――おかしいおかしい。なぜ私がこんな場所に?なぜ誰も助けてはくれないの?)
地下牢は今までクレアが嗅いだことのない異臭がし、数分でも耐えられるような場所じゃなかった。裸足でザリザリとした地面に座ることは、クレアの人生では初めてのことだ。
鉄格子の外には気だるそうな兵士。他の鉄格子の中も見えるが、貴族はクレアたちだけのようだった。
「あの女狐。自分の立場が悪くなった途端に、捨てやがった」
クレアの隣に座っている太った中年男性は、カルカロフ侯爵だ。今まで行った多くの不正をジェレマイアに暴かれ、財産は全て国に没収された。その貴族の身分も、明日には奪われてしまう。
そしてジェレマイアが思った通り、タキアナ皇后から尻尾切りをされて全ての責任を負うことになった。
「あなた。私たちはこれからどうなってしまうの?」
しくしくと涙を流すカルカロフ侯爵夫人は、血のついたドレスのまま座り込んでいる。ジェレマイアたちに拘束されるまで、屋敷で侍女を折檻して遊んでいたのだ。その返り血が付いたままのドレスで、ここまで連れてこられた。
(――可哀想なお母様。せめて着替えくらいくれてもいいのに)
「お前にも、クレアにも。何の罪もないのに」
そう言うとカルカロフ侯爵が、2人をぎゅうと抱きしめた。実際には、クレアと侯爵夫人は使用人や侍女への折檻、殺害の罪に問われている。しかし、自分より身分が低いものは人と思っていないため、全員に罪の意識はなかった。
(――本当にひどすぎるわ)
じわり、とクレアの目に涙が浮かび上がり、目の前の景色がかすむ。
しばらくすると別の兵士がお盆を片手に近づく、鉄格子の小さな扉を開けてそのお盆を中に入れた。
「なんだこれは!」
ぐちゃぐちゃの残飯のようなご飯に、侯爵が激怒して叫ぶ。確かに質素な罪人のご飯とも異なる、誰かの悪意を感じる食事だった。
「クレア侯爵令嬢様。ニケを覚えていますか?」
「?誰よそれは」
憐れむような目つきで見てくる兵士に、むっとしてクレアが答える。ニケなんて名前は、全く聞き覚えがなかった。
「その料理を作った青年の妹ですよ。貴方が、第三妃への嫌がらせの責任を押し付けた若い女性です。他にも、この城にはあなた達に殺された者の親族がたくさん働いています」
「だから何だって言うのよ」
「平民になる貴方たちを誰も助けないでしょうね」
そう言い残すと、兵士は食事を入れた小さな扉を閉めて立ち上がる。そして、振り返らずに地下牢から出て行った。
(――ニケっていう子の兄が、逆恨みでこんな食事を出したってこと?ああ、私ってなぜこんなに報われないのかしら)
ふらふら、と鉄格子に縋りつき、少し前に話したジェレマイアを思い浮かべた。
(――私に相応しい美貌に地位だったわ。何か変なことを仰っていたけど。でも、きっと殿下も過ちに気がついて、すぐに迎えに来て下さるわ)
「殿下。早く助けにいらして」
そんなクレアの願いは実ることなく、日が昇り元侯爵家の3人は、平民として王都の外へ送り出されることにった。
がたがた、と馬車が揺れる。こんなに質の悪い馬車に乗ったことのない3人は、最初こそ文句ばかりが口から出ていた。しかし、もう文句を言う元気もないのだろう。黙って下を向いている。
(――殿下。殿下。なぜなの?なぜあんなパッとしない平民の女を)
馬車はバムフォード伯爵領を通っている。ここを通り、さらに5日ほど進めば目的地だ。
「きゃあ」
突然。馬車が大きく揺れて、そのままクレアの視界がぐるりと回る。どすん、と大きな音と共に馬車が横転し、クレアたちは体を打ち付けた。
痛い痛いと、耳元でわめく侯爵。クレアは何が起きたか分からない。
「ここにいるな」
顔を布で覆った男性が馬車の扉を開けた。
「影?もしかして、殿下の影でしょう?殿下が私を捨てるなんておかしいと思ったの!」
クレアはジェレマイアが助けを送ってくれた、と考えて目に涙を浮かべる。感動したように笑みを浮かべると、両手をその男性の方へ広げた。
そして。
「え?」
その男は顔色を変えることなく、クレアの身体を剣で貫いた。同様に顔を布で隠した男が、侯爵や侯爵夫人を殺していく。
「夢、かしら?」
薄れゆく意識の中で、クレアは現実を受け入れられずにいた。そして、そのまま真っ暗な世界に落ちた。
「任務完了いたしました」
「あら。早かったわね。ありがとう」
慈愛に満ちた笑みを浮かべる女性。光に当たると少し紫色にも見える黒髪に、くりくりとした黒目を持つこの女性は聖女ロザリーンだ。
「もう。殿下ったら。万が一でもあの女が後継を宿してたら、どうされるおつもりだったのかしら?」
ぷんぷんと可愛らしく怒る姿は、元侯爵家の3人を殺すように指示したとは思えないほど可憐だった。
「ロザリーン。そろそろ行こうじゃないか」
トントン、と部屋を優しくノックされ、扉が開く。そこにいたのは、父親のバムフォード伯爵だ。
「はい。お父様」
父親であるバムフォード伯爵の手を取り、ロザリーンは美しい笑顔を浮かべた。脳裏に浮かぶのは、ジェレマイアの美しい顔。
(――サレオス殿下でも、ジェレマイア殿下でも。どちらでもいいわ。王の妃になるの私。でも、できればジェレマイア殿下の方が見た目が好きだわ)
「うふふ」
「ロザリーン楽しそうだね」
「ええ。お父様。未来の旦那様に会いに行くのが、楽しみで仕方がありませんわ」
2人は顔を見合わせて微笑み、馬車の方へと向かった。
13
お気に入りに追加
92
あなたにおすすめの小説
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~
柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。
その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!
この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!?
※シリアス展開もわりとあります。
女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」
行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。
相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。
でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!
それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。
え、「何もしなくていい」?!
じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!
こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?
どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。
二人が歩み寄る日は、来るのか。
得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?
意外とお似合いなのかもしれません。笑
私をもう愛していないなら。
水垣するめ
恋愛
その衝撃的な場面を見たのは、何気ない日の夕方だった。
空は赤く染まって、街の建物を照らしていた。
私は実家の伯爵家からの呼び出しを受けて、その帰路についている時だった。
街中を、私の夫であるアイクが歩いていた。
見知った女性と一緒に。
私の友人である、男爵家ジェーン・バーカーと。
「え?」
思わず私は声をあげた。
なぜ二人が一緒に歩いているのだろう。
二人に接点は無いはずだ。
会ったのだって、私がジェーンをお茶会で家に呼んだ時に、一度顔を合わせただけだ。
それが、何故?
ジェーンと歩くアイクは、どこかいつもよりも楽しげな表情を浮かべてながら、ジェーンと言葉を交わしていた。
結婚してから一年経って、次第に見なくなった顔だ。
私の胸の内に不安が湧いてくる。
(駄目よ。簡単に夫を疑うなんて。きっと二人はいつの間にか友人になっただけ──)
その瞬間。
二人は手を繋いで。
キスをした。
「──」
言葉にならない声が漏れた。
胸の中の不安は確かな形となって、目の前に現れた。
──アイクは浮気していた。
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
帰らなければ良かった
jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。
傷付いたシシリーと傷付けたブライアン…
何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。
*性被害、レイプなどの言葉が出てきます。
気になる方はお避け下さい。
・8/1 長編に変更しました。
・8/16 本編完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる