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36話

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 (――おかしいおかしい。なぜ私がこんな場所に?なぜ誰も助けてはくれないの?)

 地下牢は今までクレアが嗅いだことのない異臭がし、数分でも耐えられるような場所じゃなかった。裸足でザリザリとした地面に座ることは、クレアの人生では初めてのことだ。

 鉄格子の外には気だるそうな兵士。他の鉄格子の中も見えるが、貴族はクレアたちだけのようだった。

「あの女狐。自分の立場が悪くなった途端に、捨てやがった」

 クレアの隣に座っている太った中年男性は、カルカロフ侯爵だ。今まで行った多くの不正をジェレマイアに暴かれ、財産は全て国に没収された。その貴族の身分も、明日には奪われてしまう。

 そしてジェレマイアが思った通り、タキアナ皇后から尻尾切りをされて全ての責任を負うことになった。

「あなた。私たちはこれからどうなってしまうの?」

 しくしくと涙を流すカルカロフ侯爵夫人は、血のついたドレスのまま座り込んでいる。ジェレマイアたちに拘束されるまで、屋敷で侍女を折檻して遊んでいたのだ。その返り血が付いたままのドレスで、ここまで連れてこられた。

 (――可哀想なお母様。せめて着替えくらいくれてもいいのに)

「お前にも、クレアにも。何の罪もないのに」

 そう言うとカルカロフ侯爵が、2人をぎゅうと抱きしめた。実際には、クレアと侯爵夫人は使用人や侍女への折檻、殺害の罪に問われている。しかし、自分より身分が低いものは人と思っていないため、全員に罪の意識はなかった。

 (――本当にひどすぎるわ)

 じわり、とクレアの目に涙が浮かび上がり、目の前の景色がかすむ。

 しばらくすると別の兵士がお盆を片手に近づく、鉄格子の小さな扉を開けてそのお盆を中に入れた。

「なんだこれは!」

 ぐちゃぐちゃの残飯のようなご飯に、侯爵が激怒して叫ぶ。確かに質素な罪人のご飯とも異なる、誰かの悪意を感じる食事だった。

「クレア侯爵令嬢様。ニケを覚えていますか?」

「?誰よそれは」

 憐れむような目つきで見てくる兵士に、むっとしてクレアが答える。ニケなんて名前は、全く聞き覚えがなかった。

「その料理を作った青年の妹ですよ。貴方が、第三妃への嫌がらせの責任を押し付けた若い女性です。他にも、この城にはあなた達に殺された者の親族がたくさん働いています」

「だから何だって言うのよ」

「平民になる貴方たちを誰も助けないでしょうね」

 そう言い残すと、兵士は食事を入れた小さな扉を閉めて立ち上がる。そして、振り返らずに地下牢から出て行った。

 (――ニケっていう子の兄が、逆恨みでこんな食事を出したってこと?ああ、私ってなぜこんなに報われないのかしら)

 ふらふら、と鉄格子に縋りつき、少し前に話したジェレマイアを思い浮かべた。

 (――私に相応しい美貌に地位だったわ。何か変なことを仰っていたけど。でも、きっと殿下も過ちに気がついて、すぐに迎えに来て下さるわ)

「殿下。早く助けにいらして」

 そんなクレアの願いは実ることなく、日が昇り元侯爵家の3人は、平民として王都の外へ送り出されることにった。




 がたがた、と馬車が揺れる。こんなに質の悪い馬車に乗ったことのない3人は、最初こそ文句ばかりが口から出ていた。しかし、もう文句を言う元気もないのだろう。黙って下を向いている。

 (――殿下。殿下。なぜなの?なぜあんなパッとしない平民の女を)

 馬車はバムフォード伯爵領を通っている。ここを通り、さらに5日ほど進めば目的地だ。

「きゃあ」

 突然。馬車が大きく揺れて、そのままクレアの視界がぐるりと回る。どすん、と大きな音と共に馬車が横転し、クレアたちは体を打ち付けた。

 痛い痛いと、耳元でわめく侯爵。クレアは何が起きたか分からない。

「ここにいるな」

 顔を布で覆った男性が馬車の扉を開けた。

「影?もしかして、殿下の影でしょう?殿下が私を捨てるなんておかしいと思ったの!」

 クレアはジェレマイアが助けを送ってくれた、と考えて目に涙を浮かべる。感動したように笑みを浮かべると、両手をその男性の方へ広げた。

 そして。

「え?」

 その男は顔色を変えることなく、クレアの身体を剣で貫いた。同様に顔を布で隠した男が、侯爵や侯爵夫人を殺していく。

「夢、かしら?」

 薄れゆく意識の中で、クレアは現実を受け入れられずにいた。そして、そのまま真っ暗な世界に落ちた。









「任務完了いたしました」

「あら。早かったわね。ありがとう」

 慈愛に満ちた笑みを浮かべる女性。光に当たると少し紫色にも見える黒髪に、くりくりとした黒目を持つこの女性は聖女ロザリーンだ。

「もう。殿下ったら。万が一でもあの女が後継を宿してたら、どうされるおつもりだったのかしら?」
 
 ぷんぷんと可愛らしく怒る姿は、元侯爵家の3人を殺すように指示したとは思えないほど可憐だった。

「ロザリーン。そろそろ行こうじゃないか」

 トントン、と部屋を優しくノックされ、扉が開く。そこにいたのは、父親のバムフォード伯爵だ。

「はい。お父様」

 父親であるバムフォード伯爵の手を取り、ロザリーンは美しい笑顔を浮かべた。脳裏に浮かぶのは、ジェレマイアの美しい顔。

 (――サレオス殿下でも、ジェレマイア殿下でも。どちらでもいいわ。王の妃になるの私。でも、できればジェレマイア殿下の方が見た目が好きだわ)

「うふふ」

「ロザリーン楽しそうだね」

「ええ。お父様。未来の旦那様に会いに行くのが、楽しみで仕方がありませんわ」

 2人は顔を見合わせて微笑み、馬車の方へと向かった。
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