8 / 33
一章
四話 もう一人の淑女②
しおりを挟む
女しか身籠れず、離縁となった方だったわ。でも外聞が悪いからと、お父様の支持者に嫁いで、お姉様はそちらの娘として育てられた。それが、今はカエソニウス家に嫁いだ、もうひとりのセクスティリア。
一時はセクスティリウスを離れていたから違う名で呼んでいたけれど、嫁ぐにあたり、セクスティリウス家の者だと名乗るよう、お父様に言われたの。その日からセクスティリアは二人になったわ。
本当は二人姉がいるのだけれど、もう一人の方はセクスティリウスとしてではなく、私がもの心つく前にずっと遠方へと嫁がれていったから、私は覚えていなかった。
そして本当なら、私もお母様と共に離縁されていてもおかしくなかったって……お姉様と同じ立場になっていたかもしれないってことも、理解していた。
……だけど今、そのことはこの話とは関係ないわね。
「お姉様が嫁ぐ時、私……猫をいただいたの。
真っ白い毛でふわふわの美しい子。
だけどその子……」
お姉様の手紙の返事を待たずに、もう来世へと旅立ってしまった。
「お姉様がとても大切にしていた子だったから。
その子のことをどうお伝えしたものか悩んでいたの……」
本当は、お姉様自身のことが心配だったわ。
あの子のことを知らせて、ふた月返事が来なかった。だけど手紙には、まだ夏の盛りであるかのような言葉が選ばれ、書いてあったわ。
そのちくはぐさが、何かすごく気になっていた。
お父様がセクスティリウスを名乗らせるほどの相手に見染められての婚姻。良縁に恵まれて、幸せにされていると、思っていたの。
だけどお姉様……本当は何か、大変なのではないかしら?
嫁ぎ先で今、どうされているの?
よくよく読み返してみれば、手紙はカエソニウス家のことにはほとんど触れておらず、お姉様がどうされているのかが見えてこない。私には手紙しか、お姉様のことを知るすべがなかった。それがもどかしくてならなかったの。
「へぇ……姉。どんな人?」
「とても、素晴らしい方だわ! 淑女の中の淑女。理想の女性そのものよ」
私のお手本。私の遠く及ばない人。
母の手を知らない私にとってお姉様は、姉であったけれど、母の代わりでもあった。
いつも慎ましくて、優しくて、心を乱すところを見せたことすらない、本当の淑女。
「ふぅん……」
私の言葉にアラタは、興味なさげな相槌を打った。
そして少し視線を逸らして黙したけれど。
「んじゃ、会いに行くか」
次にあっさりとそう言ったから、驚いてしまったわ。
「手紙にしようと思うから伝えにくいんじゃね?
会って直接話せば?」
「む、無理よ!」
「なんでだよ? 嫁ぎ先って、この都の中だろ?」
「カエソニウスが僕の知る家なら、さほど遠くもないよね?」
そう言われて困ってしまったわ。
「知ってんのかよ? 昼から出かけりゃ行って帰ってこれる距離?」
「うん」
「どこらへん?」
「あー……ほら、僕の……」
「なるほど。なんだよ、全然いけンじゃん」
二人は庭先の話をしてるみたいに軽い口調。
だけど私にとってそれは、とても難しいことだった。
だって午後は学習の時間。それを疎かにして出かけるだなんて、できるわけがなかったの。
勝手な外出を、お父様が許してくださるはずがない。
何よりお姉様に会いたいだなんて、そんなわがままを言えばどうなるか……。
でもそんなこと、二人には分からないわよね。
だから無難な理由を探し、断りを入れようとしたのだけど。
「任せろ」
そう言ったアラタが、クルトの肩に腕を回して引き寄せた。
「お前さ……親父さんに…………で…………って言え。
んで…………ったら、………………だろ」
「えっ⁉︎ いや、それはちょっと……っ」
「なンでだよ。こいつなら平気だって」
「そんなの分からないじゃないか⁉︎」
急に慌て出したクルトが、頬を朱に染めて私を見るから、ドキリとしてしまったわ。
な、何? 私がどうかしたの?
「駄目だよ。彼女には……」
縮こまってそう言うクルトの様子に、アラタが大層な難題を押し付けているのだということだけは分かった。
きっと家のことが関わるのね。私とクルトは立場上色々難しいもの。それなら、無理強いなんてしちゃいけないわ。
「アラタ、良いの。私のことは気にしないで。
お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとう」
また手紙を出してみる。そして、状況が分からなければ、仕方がない……、それだけのことよ。
本心では胸が張り裂けそうだったけれど、だからって二人に迷惑はかけられない。
「クルトも、ごめんなさいね」
そう言い無理やり口角を引き上げて、笑みを浮かべてみせたわ。
大したことじゃないのだと、そう伝えたつもりだった。
しかし私の表情を見たクルトは、また困ったみたいに眉を寄せてしまったわ。
「お前なぁ……そんなん、やってみなきゃ分かんねぇままなんだぞ?」
またもやアラタが、咎めるみたいな口を挟むものだから。
「アラタ、クルトを責めないで」
そう窘めたら、クルトはちらりと私を見た。
「……サクラにとって姉君は、とても、大切な人なんだね」
「そうだけど、もう嫁いだ方よ。あちらの家にだってきっとご迷惑ですもの。
だから良いの。聞かなかったことにしてちょうだい」
軽く言ったつもりだったけれど、クルトはそれでさらに困った顔になって、少しだけ視線を彷徨わせてから、意を決したように顔を上げた。
「サクラ。一日だけ……待ってもらえる?」
「気にしなくて良いのよ」
「いや、大丈夫。どうか、任せてほしい」
それがクルトにとって、全然大丈夫なことじゃないのは、その表情で分かっていた。
すごく不安そうな、私の様子を伺うような視線……。でも、同じくらいの決意も見えて、私だって本当は、お姉様のことが泣きたいくらい心配だったから……。
「……分かったわ。でもクルト、無理はしないでね。
私、二人のその気持ちだけで、充分だから」
そう言うとクルトは、少し無理やりに、大丈夫と微笑んだ。
一時はセクスティリウスを離れていたから違う名で呼んでいたけれど、嫁ぐにあたり、セクスティリウス家の者だと名乗るよう、お父様に言われたの。その日からセクスティリアは二人になったわ。
本当は二人姉がいるのだけれど、もう一人の方はセクスティリウスとしてではなく、私がもの心つく前にずっと遠方へと嫁がれていったから、私は覚えていなかった。
そして本当なら、私もお母様と共に離縁されていてもおかしくなかったって……お姉様と同じ立場になっていたかもしれないってことも、理解していた。
……だけど今、そのことはこの話とは関係ないわね。
「お姉様が嫁ぐ時、私……猫をいただいたの。
真っ白い毛でふわふわの美しい子。
だけどその子……」
お姉様の手紙の返事を待たずに、もう来世へと旅立ってしまった。
「お姉様がとても大切にしていた子だったから。
その子のことをどうお伝えしたものか悩んでいたの……」
本当は、お姉様自身のことが心配だったわ。
あの子のことを知らせて、ふた月返事が来なかった。だけど手紙には、まだ夏の盛りであるかのような言葉が選ばれ、書いてあったわ。
そのちくはぐさが、何かすごく気になっていた。
お父様がセクスティリウスを名乗らせるほどの相手に見染められての婚姻。良縁に恵まれて、幸せにされていると、思っていたの。
だけどお姉様……本当は何か、大変なのではないかしら?
嫁ぎ先で今、どうされているの?
よくよく読み返してみれば、手紙はカエソニウス家のことにはほとんど触れておらず、お姉様がどうされているのかが見えてこない。私には手紙しか、お姉様のことを知るすべがなかった。それがもどかしくてならなかったの。
「へぇ……姉。どんな人?」
「とても、素晴らしい方だわ! 淑女の中の淑女。理想の女性そのものよ」
私のお手本。私の遠く及ばない人。
母の手を知らない私にとってお姉様は、姉であったけれど、母の代わりでもあった。
いつも慎ましくて、優しくて、心を乱すところを見せたことすらない、本当の淑女。
「ふぅん……」
私の言葉にアラタは、興味なさげな相槌を打った。
そして少し視線を逸らして黙したけれど。
「んじゃ、会いに行くか」
次にあっさりとそう言ったから、驚いてしまったわ。
「手紙にしようと思うから伝えにくいんじゃね?
会って直接話せば?」
「む、無理よ!」
「なんでだよ? 嫁ぎ先って、この都の中だろ?」
「カエソニウスが僕の知る家なら、さほど遠くもないよね?」
そう言われて困ってしまったわ。
「知ってんのかよ? 昼から出かけりゃ行って帰ってこれる距離?」
「うん」
「どこらへん?」
「あー……ほら、僕の……」
「なるほど。なんだよ、全然いけンじゃん」
二人は庭先の話をしてるみたいに軽い口調。
だけど私にとってそれは、とても難しいことだった。
だって午後は学習の時間。それを疎かにして出かけるだなんて、できるわけがなかったの。
勝手な外出を、お父様が許してくださるはずがない。
何よりお姉様に会いたいだなんて、そんなわがままを言えばどうなるか……。
でもそんなこと、二人には分からないわよね。
だから無難な理由を探し、断りを入れようとしたのだけど。
「任せろ」
そう言ったアラタが、クルトの肩に腕を回して引き寄せた。
「お前さ……親父さんに…………で…………って言え。
んで…………ったら、………………だろ」
「えっ⁉︎ いや、それはちょっと……っ」
「なンでだよ。こいつなら平気だって」
「そんなの分からないじゃないか⁉︎」
急に慌て出したクルトが、頬を朱に染めて私を見るから、ドキリとしてしまったわ。
な、何? 私がどうかしたの?
「駄目だよ。彼女には……」
縮こまってそう言うクルトの様子に、アラタが大層な難題を押し付けているのだということだけは分かった。
きっと家のことが関わるのね。私とクルトは立場上色々難しいもの。それなら、無理強いなんてしちゃいけないわ。
「アラタ、良いの。私のことは気にしないで。
お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとう」
また手紙を出してみる。そして、状況が分からなければ、仕方がない……、それだけのことよ。
本心では胸が張り裂けそうだったけれど、だからって二人に迷惑はかけられない。
「クルトも、ごめんなさいね」
そう言い無理やり口角を引き上げて、笑みを浮かべてみせたわ。
大したことじゃないのだと、そう伝えたつもりだった。
しかし私の表情を見たクルトは、また困ったみたいに眉を寄せてしまったわ。
「お前なぁ……そんなん、やってみなきゃ分かんねぇままなんだぞ?」
またもやアラタが、咎めるみたいな口を挟むものだから。
「アラタ、クルトを責めないで」
そう窘めたら、クルトはちらりと私を見た。
「……サクラにとって姉君は、とても、大切な人なんだね」
「そうだけど、もう嫁いだ方よ。あちらの家にだってきっとご迷惑ですもの。
だから良いの。聞かなかったことにしてちょうだい」
軽く言ったつもりだったけれど、クルトはそれでさらに困った顔になって、少しだけ視線を彷徨わせてから、意を決したように顔を上げた。
「サクラ。一日だけ……待ってもらえる?」
「気にしなくて良いのよ」
「いや、大丈夫。どうか、任せてほしい」
それがクルトにとって、全然大丈夫なことじゃないのは、その表情で分かっていた。
すごく不安そうな、私の様子を伺うような視線……。でも、同じくらいの決意も見えて、私だって本当は、お姉様のことが泣きたいくらい心配だったから……。
「……分かったわ。でもクルト、無理はしないでね。
私、二人のその気持ちだけで、充分だから」
そう言うとクルトは、少し無理やりに、大丈夫と微笑んだ。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
異世界でも男装標準装備~性別迷子とか普通だけど~
結城 朱煉
ファンタジー
日常から男装している木原祐樹(25歳)は
気が付くと真っ白い空間にいた
自称神という男性によると
部下によるミスが原因だった
元の世界に戻れないので
異世界に行って生きる事を決めました!
異世界に行って、自由気ままに、生きていきます
~☆~☆~☆~☆~☆
誤字脱字など、気を付けていますが、ありましたら教えて頂けると助かります!
また、感想を頂けると大喜びします
気が向いたら書き込んでやって下さい
~☆~☆~☆~☆~☆
カクヨム・小説家になろうでも公開しています
もしもシリーズ作りました<異世界でも男装標準装備~もしもシリーズ~>
もし、よろしければ読んであげて下さい
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる